大宮紘星は元来、人の話を信じやすく、つまりは騙されやすい。
お前が魚だったら、それが疑似餌だとしても一発で吊り上げられてるな、と友達が嘲るのを、ご尤もです、と苦笑いするしかないほどに。
大して親しくもない大学の先輩から「浮気相手を妊娠させてしまって、堕ろすのに今少しだけ金が足りない。3万円貸してくれ。来月のバイト代が入ったら返すから」と言われ、元々あまり良い噂のない人だと知りながらお金を貸したことがある。
その貸した数日後にまたなんやかやと理由を付けて、おかしいなぁと思いつつも、万単位の金を合計3回。その先輩は他にも大学の学生から同じような手口で金を借りまくった挙句に消費者金融の借金取りに追われている事が大学内でも発覚した後で姿を晦まし、今やどこにいるのかも分からない。
結局、浮気相手が妊娠したという事実はなかったし、ただギャンブルのための金欲しさだったと紘星は随分あとで知った。貸した計6万円は勿論二度と戻らない。
…そんな割かし有り勝ちな話は今更もうどうでもいい。
今現在、紘星はとても可笑しな理由で口説かれている。男に。
「だから、前世で恋人同士だったんです、俺たち」
「いやー、あのさぁ、…さすがの俺もそれには騙されないぞ」
しかし、目の前のブランドスーツの男は至って真面目だ。紘星の職場にやってくる外注先の担当者で、苗字は塚越…名前はなんだっけ、何度か仕事仲間で飲みに行ったことがあるけど…まぁ、すぐに思い出せない…というような付き合いの男だ。
そんな塚越が何故か今、紘星のワンルームに上がりこんでいる。
仕事終わり寸前にたまたま来社していた塚越に「今夜暇なら二人で飲みに行きませんか」と誘われて、居酒屋で三時間。そのあと場所を変えてバーで飲んで飲んで飲んで、最後に塚越は帰るのが面倒だからというような理由で「泊めてもらってもいいですか?」と申し出たわけだ。酔ってることもあって紘星は軽く「いいよ〜」と答えた。
敬語を崩さない年下の塚越は、互いの会社での役割や仕事の内容にも詳しいし、博学なのか物知りで話題が尽きることもなく、一緒にいても変に気を遣うこともない。
だから気軽に招き入れた。招き入れてしまった。そうしたら、…だ。
紘星のプライベートのテリトリーに入った途端、塚越は可笑しなことを言い始めた。
「やっぱり、部屋の中も片付いてないんですね。貴方って昔からそうだ」と言い、部屋の真ん中まで来てクルリと周囲を見渡す。
―――昔から?
確かに、職場の紘星のデスクの上はいつも何だかゴチャゴチャとしている。午後も3時くらいになってくると、朝からの書類と残り時間で捌く書類がデスク上の右と左に広がってるような状態。
紘星は、埃ゴミはとても気になるけど、物が多少乱雑に置いてあってもあまり気にならない。雑然とした中でも、自分がどこに何を置いたかは分かっているから触らないでくれ、というタイプだ。
いや、それより、気になるのは"貴方って"という言い方の方だ。塚越に"貴方"だなんて言われたこともない。
そんな考えが過ぎりつつも、紘星は何か食える物はあったかなと冷蔵庫の扉や戸棚を開ける。
「いいんだよ、どこに何があるかはちゃんと分かってるから。適当に座って。あ、掃除はしてるから綺麗だぞ」
塚越はニヤニヤと笑いながら、テーブルのあるラグの上に胡坐をかいた。相変わらず、物色するように部屋の中を見回し、ガラスケースに仕舞っているガンプラに気付いて立ち上がるとそれを側面正面から覗き込んでいる。
「ガンプラマニアの人が作ってるやつを買ったの。ザクのベースキットだけでも二つ、複数のを組み合わせてひとつのザクになってるんだけど、新造整形して可動式に改造したり…」
熱心に説明しているのを塚越が妙に微笑ましそうな顔で見てるのが恥ずかしくなって、紘星は「飲みなおすだろ?」と言った。
既に散々飲んでるのに、また延長で部屋飲み。さすがにビールはもういらないって気分で、一人だったら開けることはなかったワインの栓を抜いた。
「ワイン、飲むんですか?」
塚越は元居たラグの上に戻り、グラスを運ぶ紘星を見上げながら言った。紘星も塚越をテーブルの角に挟む形で胡坐になると、トクトクトク…、ワインを注ぐ。
「いやぁ…なんとなく、誰か来たら開けようかなって思って買ってたけど」
残念ながら、その白ワインに合うような手料理を作ってくれるような彼女はいないし、自分で作るのなんか高が知れている。適当に作ったものか出来合いのものを、ビールのつまみにするくらいだ。
「本当はこういう…ワインとか、洒落たバーのカクテルとか、あんまり好きでもないんでしょ」
「おー、そうだよ。ワインなんか全然分からないし、だからカクテルもいつも決まったのしかオーダーできない」
知らん顔で、多分塚越は色々と言わなくても気が付くのだろう。モテるイイ男っていうのは、一緒にいる相手の小さなポイントをちゃんと見ていて、そこを褒めたりさり気なくフォローすることに長けているのだ。バーでも「これ美味いですよ」と塚越に勧められるままに飲んでいた。
「…でしょうね」
なんだかさっきから、何でも知ってます的な、いや寧ろ、昔から知ってます的発言が続いて、さすがの紘星も眉を寄せる。
「何?昔から知ってるような言い方するけど」
「だって知ってますもん」
「ええ?」
思わずゴクンッ、ワインを飲み込んでしまった。
昔から、知ってるはずはない。
故郷も在籍していた大学も違うし、ガンプラ以外に大した趣味がない紘星の行動範囲は狭いのだ。
ガンプラオタクが集うような即売会でこんなイケメンがいれば嫌というほど目立つだろうし、コンパで偶然同席したとかなら覚えてるはず。
いや、いくら考えても思い出せない。思い出せるはずがない。だって、知らないのだ、仕事で会うことくらいしか接点のなかった塚越なんて男のことは。
つまり、単純にからかわれてる。
「ウーン?どこかで会ったことある?」
「前世で恋人同士だったんです、俺たち」
「………」
おおーっと、そういう話?
真っ直ぐの視線を1ミリだって逸らそうともしない涼しげな切れ長の目、薄い唇、綺麗な顔してますねーと言いたくなるくらいの(実際言った)整ったクール顔な顔立ちのせいで、そういうちょっと熱っぽく、頭の可笑しなことを言っているのにどこか飄々としている。
「へー」
とりあえず笑って受け流した。本気で会話を発展させるような内容でもない。
「貴方を見たとき、ピンときました」
それまだ続いてんの?
「…ピン?」
「あ、この人だって。俺の、恋人だったって。俺、前世の記憶があるんですよ、少しですけど」
ほぉぉぉ…、コイツ実は、偏った思い込みの危ないヤツなのかもしれない。
紘星はここにきて、漸くこの男を部屋へ招き入れたことがもしかして間違ってたのかもしれないと思い始めた。
でも塚越は仕事は真面目で会社の女の子にも紳士的、おそらく会社の人間は塚越を色んな面でも信頼しているはずで、それまでの彼の発言は現実的かつ、常識的だったのだけど。
真剣に相手をするのもどうかと思うし、紘星はヘラ…と笑うしかない。しかしそう思いながらも、"恋人だった"という言葉が引き金で頭の中に浮かんだことを、つい考えもなしに口から出任せにしてしまった。
「へぇ、じゃあ、俺と塚越さん、エッチしてたの?」
紘星の質問に塚越は一瞬驚いた顔をして、それから「はい」と答えた。
………ええーっと…。
紘星は塚越のその包み隠さない答えに困りつつも、頭の中に次々と浮かんでくる下世話な質問をしたくて堪らなくなる。
あとから思えば、このとき既に、そういう展開になることを予感し、覚悟していたのかもしれない。
「えー?俺はまーったく覚えてないけどなぁ。そもそも…失礼だけど塚越さんの名前だって今思い出せないし。前世で恋人だったという根拠は?証拠は?」
「証拠…大宮さんが納得するような物的証拠は勿論ありませんね」
塚越にしては詰めの甘い話だと思った。塚越は微笑みを浮かべていて、そんな手薄な作り話に焦りもない。そもそもこの話に面白いオチなどなくて……じゃあ、いったい何のため?
「俺、塚越さんの嫁だったの?」
「いいえ、前世でも男でした。俺も、貴方も」
「はははっ、ホモだったってこと?!ナイナイナイ〜だって俺女の子が大好きだもん」
オーバーリアクションで笑い飛ばした。女の子が大好きということは本当だ。ホモだという自覚を持ったことだってない。
「そういうことは関係ありません」
「いや、大事なトコだろ!」
「エッチしたら思い出すかもしれませんよ。ちなみに貴方が女役だったので」
「なななななんでお前と俺がセクースを試さなきゃならないんだっししししかも俺が下だと?!」
いっぺんに色んな衝撃的なことを言われて頭の中がワー!と騒ぎ出す。この目の前のイカレホモ野郎は今夜、上手い事言って寝技に持ち込もうとしているのかもしれない。
いや、何一つ、上手い事など言えてないわけだが。説得力皆無な説明なのに、あまりにも突飛な内容の為か頭の端っこの方で"女役"という言葉だけがブランブランと引っかかっている。
「笑えない面白い話だな」
終に紘星はジロリと塚越を睨んだ。塚越が仕事の関係先の人間だということは、今は無視してもいいだろう。
「俺は覚えてますよ。貴方の身体を」
「裸の付き合いすらないのに、透視もできちゃうの?さすが仕事が捌ける男は違うね」
紘星の言葉を塚越は受け流すように笑って、今日の迷言を繰り返した。
「だから、前世で恋人同士だったんです、俺たち」
「いやー、あのさぁ、…さすがの俺もそれには騙されないぞ」
大学とか職場とか、そんな狭いエリア内の人を相手に騙す筈がないと思うのがそもそもの間違いなのだ。
本当に心の悪いやつは、狭いテリトリーの内部でも平気な顔して荒らす。そして知らん顔できる。
しかし、塚越が悪い男かそうじゃないかは別問題としても。
こんな意味の分からないことを理由に口説いてくるなんて、寧ろ酷い手抜きだ。その手の抜き方にも腹が立つ。口説くならもっと真面目に口説けと思う。……え??あれっ?
口説かれたいのか?というような思考に自分で混乱しながら、紘星は首を傾げた。
塚越の"貴方の身体"なんていうエロ発言に触発されたのか、思考がどうも可笑しな方向に行っている。
「貴方は、キスが好きなんですよ」
塚越の声が近いことにハッと気付けば、ただでさえ遠くなかった距離が酷く近付いていた。図らずも、見詰め合ってしまう。
「…は?」
「舌を絡めあうような激しいのじゃなくて、唇で唇を啄ばんだり、唇の内側を緩く食むような、そういうのが好きなんです」
「なにゆえに、断定?」
つーか知らん、そんなことっ!!無自覚ですけど!?
「何回言わせるんですか。だから、俺と貴方は前世で…」
もうそれ聞き飽きました、な説明を律儀に塚越は繰り返す。とてもとてもとても顔が近い。
分かっているのに、紘星は動けなかった。
その、塚越の言うキスが、してみたらとても気持ちイイんじゃないかとウッカリ、思ってしまっていたからだ。
ぷちゅ、と音を立てて唇が重なり勿論そのままでは済まされないで、塚越が説明したとおり、唇をあむ、と挟まれた。ゆるぅく吸われて、舌先が上唇の内側をザラリと這う。
うわ……っ
脳が一気に沸点になって、閉じた瞼の裏側が赤くなる。
同時にゾクゾクと背筋が戦慄いた。身体が分かるほどにハッキリと揺れてしまい、その時はもう塚越の左腕が身体に巻きついていて、誤魔化しようのないそれだって伝わってバレてる。
それから吸ったり舐められたり唇や歯を使って食まれたり、またしてもそれだけでは済まなくなって、結局舌を絡め、上顎やら舌の裏側までもを侵略されることをあっさり許してしまった。
今まで紘星が経験してきたキスってなんだったんだろうかと思うほど、唇が離れたときは背骨がグニャリと溶けていた。
「…ね?」
唇の上で問われて、トロンと垂れ下がった目を上げ、塚越と合わせた。塚越は愛しいものでも見るように嬉しそうに笑っていて、その目は暖かく柔和で、とても悪い人には見えない。
「…今までで、一番だった、かも」
馬鹿みたいに素直な感想が口から零れた。こんな、蕩かされるようなキスはしたことがない。キスが好きだと指摘されるまで、自分で気付かなかったくらいだ。
「少しは信じてくれます?」
いやぁそれは別です。
そもそも紘星は、幽霊や予言や前世などいう胡散臭い話をまるで信じたことがないのだ。占いすら信じていない。信じやすく影響されやすいから占いは見ない、という表現の方が正しいが。
「覚えてない、知らないものを、信じろと言われてもなぁ…」
「だから、試してみるときっと分かりますよ」
キスみたいに。
塚越の掌が紘星の頭を支える。鼻がぶつからないように少しだけ首を傾けて塚越の顔が近付いた。
それから塚越が紘星の身体のあちこちを触ったり揉んだり舐めたり扱いたりして、塚越の巧みな手練手管ですっかり骨抜きにされたところで。
「え、え、うそ」
「嘘じゃないですよ」
「ゆ、ゆびっ」
「指ですね」
あり得ないくらい冷静に答えながらもしっかり指を突っ込まれ、パクパクと口を開けたり閉じたりしてるうちに良いように中を掻き回された。
で、信じられないことに、塚越が"試したら思い出すかもしれません"と言ったことをほんとーにしてしまったのだ。
つーか、簡単すぎやしないか俺!いくら塚越がイケメンだからって、手や口でするのが神的上手さだからって、そこはもうちょっと躊躇するべきで!
これが攻略するゲームなら、小学生だって笑い飛ばすクソゲーレベルだ。
塚越が入ってる辺りは火が点いたみたいに熱くて圧迫感が半端なく、内臓が口から押し上げられて出てきそうで、紘星は苦しく「うううっ」と唸った。
「大丈夫ですか?」
「…なわけあるかっこのっ、くそっ、ばかっ、しねっ」
「指で感じてたんだから、慣れれば気持ち好くなりますよ」
うわもう、ホント、死んでください。
指で感じたというのは事実だから何も言い返せず、紘星は歯を食いしばり涙目をギュウと閉じた。ぐっと身体に力が入ったからか、腹の内側の、下の方の、丁度塚越が入ってる先端の方が、なんかやたら主張してくるのを感じる。そこからジクンと響いて、紘星は思わず不安げな顔で塚越を見上げた。
男である自分を組み敷く男は、その余裕の発言とは一致しない、熱っぽい顔で見下ろしている。そしてその顔で「好きです」と言った。思わず、胸とあそこがキュンとなる。
スーツの下に隠れていたその素肌の胸の辺り、首からプランと下がっているロザリオが薄闇にキラリと光った。じっと見ると、十字架の真ん中に赤い石が埋め込んである。
「…赤い…」
「…ガーネットですよ。大切な人との別れの時に再会の誓いと想いを込めて、深い絆を約束する、そういう力がある石です」
前世で恋人だったという、それを塚越はまだ言うつもりらしい。
「じゃあ、それのお陰だ、たぶん…」
こうなってしまった理由が何かなんて正直よく分からない。前々から塚越のことを気に入ってたことは確かだけど、それが恋愛感情だったかと言われたら、数時間前なら違うと答えるだろう。
だから、紘星にとって、もう取って付けたような理由や不可解なこじ付けなど、何でも良かったのだ。
こうして身体が繋がってしまえば、紘星は自分でも驚くくらいにどう動けばいいのか分かったし、塚越もまるで知ってる身体を侵略するかのように動いた。
塚越に抱き上げられて向き合いながら揺れると、表現できないくらいの幸福感で胸がいっぱいになる。
制圧されるという不安や恐怖に、可愛がられることに対する悦びが勝るのだ。入れたり出したりされながらうっかり、俺も好き、と言いそうになった。
好きと想っている自分に、紘星は驚いた。だって、つい数時間前まではただの仕事関係者だったはずだ。どうしてどうして?
「…?」
「え?何ですか?」
「…いや、なんでもない…」
あーもうそんなことどうでもいい。
もともと好みのヤツに(男だけど←本当はそこが一番重要)口説かれて、エロいちゅーされて、で、弾みでエッチまでしてしまい、それで好きって思っちゃうことのどこが可笑しいのだ?
反論あるやつは前に出ろ!
頭の中は恐ろしいくらいにシンと静まり返っている。内側を擦られる刺激に敵わなくて、すぐに思考が中断したからだ。
「ずっと、好きでした。大宮さん、全然気付かないんだもんな…」
前世で恋人だったことを?それともスーツの下に隠されてた塚越の気持ちを?
誂え向きに用意された塚越の言葉がたとえ嘘でも、騙されたふりしていた方が今は楽しい。
これからもきっと、紘星はそれを嘘か本当かなんて訊ねる無粋さを都合よく無視するだろう。
前世で恋人だったってことを証明する方法は何もないけど、ガーネットが巡り会わせてくれたということにすれば乙女チックな言い訳にはなると、紘星はふやけた頭で考えた。
だからまた、お前が魚だったらそれが疑似餌だとしても一発で吊り上げられてるな、と友達は嘲るだろうし、ご尤もです、と苦笑いするしかない。
大宮紘星は元来、人の話を信じやすく、つまりは騙されやすい。
騙されたと思って、一生に一度くらい自分の意思で飛び込む境地がうんざりするほどに甘い幸せに満たされていることを、紘星はあとで知ることになったのだった。
END.
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戦場に猫
時々お互いの日記にも登場する"ブリさん"ことBrillante、本日は厚かましくお邪魔しております。kaorukoさんファンの皆様こんにちは&はじめまして。
人の言うことをまったくきかないわたしは、一応kaorukoさんに「何がいい?」と訊いておきながら、結果これですよ(笑)
なにひとつ反映されてません、ごめんなさい。しかも他所で無遠慮にエッチを書く度胸(笑)、描写はほんのりぬるーくしておきましたが。kaorukoさんの萌えポイント、リーマン・年下攻め・敬語攻め(崩さない)・ちょっと強気受けな感じは勝手に盛り込んでおきましたw
50万打のお祭りに、賑やかしくらいにはなればと思います。
Brillanteより、愛をたっぷり込めて捧げさせてください。