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青い鳥はカゴの中で




「満!」
亮太の怒りに震えた声が、翔の腹まで響いた。
 満は翔の上から降りると、何事もなかったように、亮太の前に立った。
「なんだよ、いいトコだったのに」
「満っ!!お前、翔に何してたんだ!」
満の胸ぐらを掴むと、亮太は今にも殴りかかりそうな勢いで満を睨む。満は、テンションを
保ったまま、言った。
「顔に傷つけんなよ。俺、こう見えてイケメンチェリストで売り出してるんだから」
「このっ・・・」
その台詞は亮太を更に怒らせた。
 しかし、満は、亮太が殴りかかる前に、その腹に向かって膝蹴りを一発食らわしたのだ。
「・・・痛って。お前の腹筋、何モンだ?」
満の膝が、じんと痺れた。
「うっ・・・何、すんだ・・・」
「お前みたいな、豪腕に殴られたら、怪我するってーの!傷害罪で訴えられたくなけりゃ
すぐ、この腕、離せ」
満は掴まれた亮太の腕を、やんわりと外しにかかった。
 亮太の腕は、直ぐに外れて、満は、皺になったシャツを伸ばす。
翔は、何が起きたのか把握できず、2人の姿を呆然と見つめている。
世界の中で、満だけが自然に動いている。その不自然さまでも、満は飲み込んで、この
空間を支配する。
 翔も、亮太も、もう動けなくなっていた。
 これが、満の力なのだと、翔は思った。亮太とも違う、満の魅力。何を考えているのか
こちらに手の内を一つも見せないで、自分達はその手の中で、踊らされる。
 満は、亮太から離れると、リビングの入り口の壁に背をついた。


「なあ。青い鳥の話、知ってる?」
「青い鳥・・・?」
「そう、メーテルリンクのチルチルミチルの冒険」
突然振られた話題に、亮太は翔を振り返った。翔はソファの上で身体を起こすと、満を
睨む。
「幸せの鳥は、自分の家にいたってヤツか」
翔も、昔、読んだか、聞いたことがある。2人の兄妹が幸せの青い鳥を追って、様々な世界
を旅するファンタジーだ。
 結局、それは家にいた煤けたキジバトだったというオチだったように思う。
「まあ、そうなんだけど。幸福とは、身近な場所にあって、それに気づいてないヤツが
多いから、それを大切にしなさいっていう、教訓めいた解釈がされることが多い」
「それが?」
背を付いて、両手を腕組みした格好で、満は次の言葉を探す。
「子供向けの童話では、そこで終わるんだけど、あの話には続きがあって。続きがある
というより、本来はこっちが正しい話なんだけど、結局、家の中で捉まえた青い鳥も、また
どこかに消えてしまうんだ。それがオチだ」
「・・・・・・」
捉まえた幸福が、すり抜けていく。
 翔が怪訝な目をする。亮太も満を見ていた。
「子どもながらに、悩んだね。何で、幸せになって終わりにしないんだって。それで、
悩んで、考えて、ふと、思った。青い鳥が、幸福そのものなんかじゃないから、そういう
描写をしてるんじゃないのかって。それをもっていれば幸せになれるだとか、そこにある
ことを知っているから幸せだとか。青い鳥はそんなものの為にいるわけじゃない。だって
そうだろ?そういう存在なら、何故、青い鳥は逃げてしまうんだ?」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
翔も亮太も、満の次の言葉を待っている。
「俺はね、青い鳥は、自分の幸せを知ってる生き物で、自分に警告してるんだと思った。
青い鳥は、幸福を求める欲。もしくは希望とも言うかな」
「よく、わからん」
亮太が首を傾げる。満の言わんとしていることは、翔にも分かりづらい。
「幸せでありたいと思う欲は、果てしなく続くし、それは悪いことじゃない。逃げ出した
あの兄妹の鳥は、一つの幸せを手に入れて、その役目を終えた。だから、そこにしがみ
付いてないで、次を探せと、上を目指せと、そんなことが言いたかったのかなって、俺は
子どもの頃、そう思った。その第一歩が、身近にある幸せってだけで。だって、青い鳥が
一羽しかいないなんて、そんなのつまんねえじゃん」
それが正しい解釈とはかぎらないけどな、満は最後に付け足す。
 そんなこと、翔には、考えも及ばない。しかし、満は常に上を見続けている。何羽も青い
鳥を、世界に羽ばたかせているのだろうか。

「青い鳥を、飼い慣らすな」
「どう言う・・・」
「・・・・・・それくらい、自分で考えな」
満は身体を起こして、首の後ろに手を置く。首を曲げると、パキパキと小気味よい音が
響いた。
「さてと、俺は帰るぜ?随分とお節介焼いてやったんだから」
そう言ってリビングのドアに手を掛けて、外に出て行こうとする。
「満!?」
翔のひっくり返った声を背中に受けて、満は、足を止めた。
「・・・・・・あいつらは、幸せを求めるけど、同じように、不幸なものも好物だ。不味いもん
ばっか喰ってたら、消化不良起こして、飛べなくなるぞ?」
満はそう言い捨てると、振り返ることなく、部屋を去った。
 残されたのは、鉛のように重たい空気。
亮太がゆっくりと近づいてきた。




「満!」
翔の部屋を出ると、雲一つない秋空の下で、悠が不安な顔をして、立っていた。
「あー、ぺっぺ!気持ち悪いっ。俺は男色家なんかじゃねえっつーの!」
「満、翔と亮太は・・・?」
「ったく、来るの遅せーよ、あいつ。危うく翔の事、喰っちまうとこだった」
「!?満、翔に何したんだよ!」
「説教。あー、やだやだ。俺はもう暫く日本になんて帰ってこないからな」
悠は、満が病院を出て行った後、亮太が真っ青な顔で満を追っかけて行ったことを、話す。
「僕も不安になって、亮太の後こっそり、追ったんだ。亮太が部屋に入ったきり、誰も
出てこないから、どうしようか迷ってた」
「どうも、こうも、ないぜ。あの馬鹿、揃いも揃って、自分の事分かってないんだから。
お前ら、中学生のガキか!って」
呆れて顔で悠を見下ろすと、悠は、困ったように頷いた。
「だから、あの2人は時間が止まってるんだよ・・・・・・」
確かに、悠の言うとおりだ。満はあの2人の時間の流れに呆れてる。
「なんか、俺よく考えたら、すっげえ、損してない?」
「10年後、満のありがたさが分かるよ、きっと」
「あー、はいはい。また10年後ね。じゃあ、あいつらからは、10年後に、利子つけてたっぷり
お返ししてもらうとして、今日は悠のおごりな」
「あはは・・・うん」
上空は、冷たい空気が早いスピードで流れている。陽射しが柔らかく2人を照らす。





 亮太は、何時も自分が座る場所を選んで、ソファに座った。2人掛けのソファに並んで
座ると、肩が当たって、そこから痺れた。
「退院、したのか」
「ああ」
亮太の息遣いが聞こえる。肩や、そこから伸びる太い腕、筋肉の付いた首筋。それら全てが
浅い呼吸で揺れている。
 緊張しているようだった。亮太でも緊張することがあるのかと思って、よく考えれば
今まで、自分は、亮太がどんな時に、どんな風に感じているかなど、思ったこともなかった。
 亮太はいつも、鈍感なまでに、ただそこに居て、自分を求めているだけだった。翔には
そう見えていた。
 亮太の瞳が、瞬きを繰り返す。
自分と同じような感情を、亮太も抱えている。そのことになんで、今まで目を逸らして
いたんだろう。

視界の奥がチカチカとする。亮太と向き合うことへの恐怖を、翔は飲み込む。
「リョウは・・・なんで事故った時、あんなところにいたんだ・・・・・・」
翔は、ニュースで、亮太がどこで事故ったのか知った。亮太が自分の部屋に向かっている
途中で、事故に遭ったのだと、翔は悟った。
 亮太は、無断で翔の部屋には来ない。来る前には、必ずメールが入るし、それで、翔が
いなければ、亮太はそれ以上無理に待ったりもしない。
 けれど、あの日に限って、亮太は翔に連絡もせずに翔の部屋へと向かっていたのだ。
「翔、お前、俺が怪我した日、ドームにいただろ?」
「なんで、それを!?」
幾ら視力のいい亮太だとて、あの何万人という観衆の中から自分を見つけることなど出来る
だろうか。
「ドームには、大型スクリーンがあるんだぜ?あれは、選手だけが映るわけじゃない」
「あ・・・」
そういえば、途中で、前の席に座っていた子どもたちが、しきりにメガホンを振って、
はしゃいでいた。どこに向かって手を振っているのだろうと思ったが、あれはスクリーン
に映った自分の姿に興奮していたのだ。
「見れば、オレンジチームの中で、スーツ姿で座ってる翔がいて。なんで、そっちのチーム
なんだよって、ムカついたから、お前に目がけて打ったんだぜ?」
「あの、ホームラン?!」
「ちょっと、ずれたけど」
狙って打てるものじゃない。翔は、大きく息を吐いた。
「席があそこしか空いてなかったんだ・・・。ふらっと行っただけだから」
そもそも、相手が亮太のチームであることも知らなかったのだ。

「翔がいること発見して、驚いた。驚いたけど、凄く、嬉しかった」
亮太は唇を噛み締める。
「リョウ・・・」
「初めは、人違いかと思った。スクリーンで、場所確認できたから、守備の時、なるべく
近づいて探した」
「ライトだったな、そういえば」
試合中、亮太は何度か客席を振り返っていた。それは、自分を探すためだったらしい。
「翔見つけて、興奮した。お前が俺の試合見に来るなんて、プロになって初めてだろ?」
「そうだな」
「なのに、相手チームの席で、ぼけっと見てやがる。だから、お前に気づかせたくて、
ホームラン狙った」
その気持ちの入ったホームランに、翔は中てられて、そして逃げ出した。気持ちが高ぶった
のは、ただの偶然なのだろうか。
「ホームラン打って、お前に見せ付けてやろうと思ってたのに、次の回、守備に回ったら、
翔がいなくなってて、そのまま試合が終わるまで、翔の席は、空席のままになってた・・・・・・」
だから、亮太は翔を追ったのだ。
 何のために試合を見に来たのか、その意味が知りたくて。
「リョウのホームラン見たら、アホ臭くなって帰った」
「翔?!」
ぼんやりとした気持ちが、満の言葉ではっきりと浮かび上がっている。
 こうして、亮太と2人になると、満の言った意味が分かってくる。自分の気持ちに逃げて
相手を見てなかったのは、自分だ。
「・・・・・・そうじゃない、リョウがどうのっていうんじゃない。俺が1人でアホ臭かっただけ
なんだ」
自分で、1人、不幸の中でもがいて、亮太の所為にして。けれど、あそこで、輝いている
人間を見て、翔は自分の気持ちが揺れていることを知った。

「・・・・・・怪我、大したことなくて、よかったな」
翔は、亮太に向かって、久しぶりに笑った。笑い方など、忘れてしまうほど、随分と、笑って
いない気がする。
 その顔に驚いた亮太は、思わず翔の名を呼んで、を抱きしめた。
「翔」
きつく抱きしめられて、亮太の匂いが肺に届く。嗅ぎなれた匂い。安堵を感じるのは、多分
満の所為だ。
 込み上げてくる涙を、瞬きで必死に抑える。かっこ悪くて、泣けるか、翔はもう一度
小さく鼻で笑った。
 亮太の腕が翔の背中を撫でる。翔も、おもむろに、亮太の背に手を回した。

「・・・・・・満になんて、抱かれてんじゃねえよ」
亮太の掠れた声がする。嫉妬で焦げ付きそうなほど真っ赤な瞳で入ってきた亮太。満は、
どこまで計算していたんだろう。あの馬鹿、翔は心の中で満に悪態を吐く。
 満に言われた言葉を反芻して、翔は、亮太の腕の中で、やっとその答えを口にした。

「リョウ、もう止めよう。こんなのは」

 そう、初めから、こんなのは間違っていたんだ。何も生み出さない、無意味な関係。ただ
お互いを縛って、蝕んで、泥沼に落とす。
 俺が翻弄していいわけも、俺がリョウに翻弄されていいわけでもない。

「・・・翔!?」
「俺は、自分の嫉妬で、お前を縛った。・・・だけど、お前も俺をその身体で縛った。だから
謝らない」
「お前、何言ってんだよ」
「決めたんだ。・・・いや、本当はもっと早くにこうするべきだったのに、俺は動けなかった。
満が現れなければ、今も、この闇の中で、青い鳥に腐った餌をやってるとこだった」
青い鳥はカゴの中で、羽ばたく時を待っていた。
「俺、もう、お前には抱かれない。お前にこの感情はぶつけない」
「翔、俺は、それでも・・・」
「それでもいいとか、もう言うな。俺、満に抱かれそうになったとき、分かった。満は
それを気づかせるためにあんなことしたんだろうけど。この10年、リョウのこと、憎しみ
続けて、抱かれ続けたけど、本当はもうとっくにそんな気持ちは薄れていて、子どもじみた
安い感情なんてとっくに浄化していたことに。でも、ただ不安だった。不幸から脱却すること
にすら、人は不安を感じるんだよな・・・・・・」
亮太の呻く声がする。抱きしめる腕の強さに、亮太の傷を改めて知る。その痺れは、翔の元
にもはっきりと届いて、目頭を熱くした。

俺は、本当に、リョウのことを・・・。

 その先は言葉にするべきじゃない。翔は自分の気持ちは語らない。もう、落ちたくはない。
ここから立ち上がる、今はそれしか考えたくはない。馴れ合いでもなく、泥沼でもなく、
亮太の隣に、立ちたい。1人の人間として。
 嫉妬や恨みで塗りつぶしたくないのだ、この幼馴染の天才を。
「翔、俺は10年前と、気持ちは変わらない。ずっと、お前の事」
「言うな。・・・・・・今は、言うな。俺は、これ以上、お前を汚したくない」
翔は、亮太の腕の中で、首を振る。そして、顔を上げると、真っ直ぐに亮太の瞳を捕らえた。

「リョウに抱かれるのは、今日で最後だ」

そう言うなり、亮太の唇を引き寄せてむさぼるようなキスをした。
「んっ・・・」
そこで、、亮太も翔の思いを感じ取る。翔から、こんなに激しく自分を求められたことも、
蕩ける様なキスをされることも、亮太には初めての経験だった。
 頑なに拒まれた口付けは、こんな形で、実ることになった。
 ソファの軋みに、亮太と翔の、2人分の息がシンクロする。抱きかかえた腕の熱さに、翔は
目を閉じて、それを飲み込んだ。



翔は亮太の隣に凛と立つ。1人の人間として。お互いを認め、受け入れ、そして、依存
しながらも泥沼から這い上がった。もうこの闇には落ちない。
 嫉妬で塗りつぶした過去は消えない。明日からの道もまだ見えない。けれど、その道を
自分で作ることは出来るのだ。
 何年も前、crazeの女店長、樹里に言われたことが頭を過ぎる。
認めることは受け入れることなだけであって、それ以上でもそれ以下でもない。あの時
はその意味が分からなかった。亮太を認める事が出来ないでいた自分。認めれば、敗北だと
思っていた。
 けれど、今なら分かる。自分は自分だと、ようやく亮太に向かって言えるのだと思う。
 だから、どす黒い感情で亮太に抱かれることはもうしない。隣にいるために、自分は
亮太に向かって真っ直ぐであるために、それ以外の感情は伝えなかった。伝えなくても
伝わったことが分かったから。
 それでいい。それだけでいい。隣に並べるのなら。







 アイロンの効きすぎたシャツに袖を通して、ネクタイの結び目をチェックする。
「・・・っし」
翔は鏡の中の自分を見つけて、頷く。
 外に出ると、朝のすがすがしい気分と、自分の抱えた気持ちで、幾らか高揚した。
駅までの道のりは、何も変わらない。疲れた顔のサラリーマン、自転車の高校生。
小学生達が、自分を走りながら追い越していく。軽やかな足取り。
 嵐の後の凪のような気持ちだった。足元深くには、まだ渦巻いている真っ黒な暗闇が
見えるけど、そこへ飛び込むことは、もうないだろう。
 翔の鞄の中には、昨日やっと書き上げた辞表届けが入っている。
自分も、歩き出そう、そう決めた。満に笑われても、無理だとけなされても、歩いて
みなければ、道は出来ない。

 随分と、遠回りをした。人が見れば呆れるほどの、回り道。だけど、その時間は、今の
自分を勝ち取るための時間だと思えば、それも惜しくはない。
 そして、これから自分の描く道も、相変わらず、不器用で回りくどいかもしれない。
けれど、それもいい。その道の中で、誰かと出会い、悩み、また新しい道が出来る。
 そして、翔の隣には亮太が一緒に歩いてるはずだ。お互いの闇に引きずり込まない
ように、その傷を埋めあいながら。
 これからもずっと・・・・・・。








2007/09/05

お読みくださり、ありがとうございました。
物語の続きは、あなたの心の中で、芽生えさせあげてください。



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