なかったことにしてください  memo  work  clap
青い鳥はカゴの中で




 翔が亮太を追い返してから、2ヶ月近く経っていた。
あれから、亮太は一度も来ない。
今までにも、1ヶ月ほど音沙汰がなくなることは多々あった。亮太から連絡がなければ、
翔は放っておくだけだ。
 それでも、亮太は必ず翔の元へ帰ってきたし、翔もそれを当たり前に思っていた。
憎んでも、恨んでも、亮太は必ず自分のところに来る。役に立たない自負だ。
ところが、1ヶ月を過ぎ、2ヶ月近く経っても亮太からメール一つ来ないと、流石に翔も
不審に思い出した。
 自分の言動に、亮太は本当に自分を見放したのかもしれない。呆れてるだろう。抱けだの
わめいて、切れて、涙まで見せてしまった。
 いい加減、自分の幼さに飽きてるのかもしれない。

でも、帰り際、亮太は、また来ると言わなかっただろうか。
 忙しいんだ。テレビの中の亮太は優勝間近で、熱戦を繰り広げている。おまけに三冠も
掛かっている。大切なときで、野球に集中しているのだ。
 そう思い込んで、翔は自嘲した。
待ってるわけじゃない。亮太がいなければ、ただそれだけのこと。
自分は、亮太のいない、野球のない世界を選んだんだろ?
心かき乱されることなく、平穏でいいじゃないか。
平穏な生活の中で、テレビの亮太を見ては、心をかき乱す自分の行為の矛盾さに翔は、
戸惑いを隠せない。
 求めない。切り離したい。だけど、どうして、そこに居なければ不安になるんだ。
翔は、自分の気持ちが未だに見えない。



 何時も通りに仕事に向かい、残業をして帰る。
クライアントから来たクレームの仕様を直すのに4日も掛かっている。イライラが募る。
アルコールの量も増えて、呑むほどに浅い眠りになった。
 上司からも、さすがにその仕事量を心配され、同僚からは、仕事を回せと、声を掛けら
れた。
 自分の限界まで働いても、得るものは何一つなく、達成感も感じられない。
 翔は、激務を放置して、珍しく定時に会社を出た。
誰も文句は言わなかった。
「相場、少し休め」
「後はやっておくから」
優しい言葉に、頭を下げて、翔は薄暗くなった街に出た。この時間に外を歩くことなど滅多
にない。仕事帰りのサラリーマンや学生でごった返す街を、翔は久しく見ていなかった。
 人の波に押されて、気がつくと、帰宅とは違う電車に乗っている。深夜と景色が違う上、
上の空で歩いていた翔は、車内放送で駅の名前を聞いて、やっと自分が別の路線に乗って
いると気付いた。
 暫く自分がどこに向かっているのか分からず、不安を感じる。そして、次の駅が、どこで
あるかも確かめずに、翔は降りた。
 駅構内は、異様にごった返していて、それどころか、オレンジと黒のメガホンを手にした
人間がぞろぞろと、翔を追い抜いていく。
(・・・ドームか、ここは)
翔は、人の多さにげっそりする。応援Tシャツを着た家族連れや、ユニフォームを着た子
ども達。時計を見れば、ナイターが始まる時間だった。
 仕事帰りの人間の顔とは、別物に見える。彼らはみなキラキラと輝いていて、これから
始まる試合に胸を躍らせている。
(なんだ、このバイタリティは)
眩しくて、羨ましい。
 翔はその人波に押されて、気がつけば、自分もドームへと、向かっていた。



 ドーム前に来て、対戦カードが亮太のチームであることを知って、翔は足を止めた。
当日券は残り僅からしい。優勝を争っているチームが相手なのだから、ビジターでも、
満席になるのだろう。翔は、逡巡して、窓口に並んだ。
 見たいと切望する試合でもない。亮太のチームにはマジックが点灯しているらしいが、
それが後、幾つ消えれば優勝なのかすら、翔は知らない。
 取れたのはホームチームの外野指定席だったが、翔は亮太のチームを応援したいわけ
でもなかったので、そのまま、指定された場所に座った。


 試合中の亮太の姿を生で見るのは、何年ぶりだろう。そもそも自分が球場へ足を運んだ
のもあの夏の地方大会以来じゃないだろうか。
 灼熱の太陽も、土ぼこりの立つグラウンドも、ここにはない。整えられた芝、明るい照明、
そして、長いペナントレース。
 1試合に掛ける重みは、高校生のそれとは違う。
翔は、空気の違和感に、居心地が悪くなった。
亮太の打席が回ってくると、レフトスタンドから一際大きな歓声が上がる。初回は、冷静
な目で見ていた。
 久しぶりに見る亮太の姿をただ目に映して、その打席を見守る。
夜のスポーツニュースでしか見ない亮太の姿が、自分の遥か先にいる。どちらにしても、
遠く離れた存在だ。
 亮太のフォームは、何度か改良している。不調に終わる年もあれば、調子がいい年もある。
ただ、三冠は亮太にしても初めてで、それだけ周りからの期待もプレッシャーも強い。
 打席で、亮太が構える。
1球目は内角低めのストレートだった。
亮太はそれを見送る。審判のストライクのポーズが出ると、周りのホームファンがあからさま
にガッツポーズをした。
 エース対三冠の対決、第一打席は投手に軍配が上がった。亮太は2球目を打ち上げて、
ショートフライに倒れた。
 一段と周りの声援が強くなる。当たり前だ。ここはホームチームで、亮太はビジターなの
だから。翔だとて、それを了解した上で、ここに座った。
 亮太が打てまいが、負けようが、自分の知ったことではない、そう思っていたはずだ。
なのに、どうして、こんなにも拳を握り締めているのだろう。亮太の応援など、するつもり
などなかった。今までだって一度もしたことはない。
 なのに、この込み上げてくる悔しさは何だ。あのスウィングをみて嫉妬したのは自分じゃ
なかったのか?どんなに足掻いても、天才には勝てないと、絶望したあの日々は、あの
気持ちはどこへ行ったのか。
 自分の中の、拠り所にしていた気持ちが、ぐにゃりと曲がる。
翔は焦った。


 焦りが確信に変わったのは、亮太の3打席目だった。
亮太の放った打球は、見事ライトスタンドに飛び込んできたのだ。周りからは溜息の嵐。
敵チームながら、賞賛すら感じられる。
 翔はその一発に、ぞくぞくさせられた。打った瞬間、入ると分かった。自分のところまで
届く気がした。自分の左側5メートルほど先で、ボールを取り合っている客がいる。片手を
上げて、駆け出す亮太を、翔は目を細めて見た。
自分は亮太に魅せられている?
そんなこと、あってはならない。自分に惹かれているのが亮太で、自分はその上で笑って
いる存在でなければ・・・自分は・・・自分を見失ってしまう・・・。
 翔は、ダイヤモンドを掛けていく亮太の背を見て、席を立った。
これ以上、亮太の姿を見る気にはなれない。見てはならない。

 翔は、試合結果を見るまでもなく、ドームを後にした。




 鳴らないはずの電話が鳴るというのは、大抵よくない知らせだ。

翔は、球場からそのまま部屋に帰ると、1人、コンビニの弁当で夕食を済ませた。持ち
帰った仕事もなく、12時近くまで、だらだらと過ごした。
 そんなときだった。翔の携帯電話に着信を告げるメロディーが鳴り響いたのは。
心臓がひっくり返るような気分だった。手を伸ばせば、相手は悠で、翔は自分が驚いた
事に、笑ってしまった。
「もしもし?」
『あ、翔!』
「どうした?こんな夜遅くに」
電話先の悠の声は焦りが含まれていた。
『翔、テレビ見てない?ニュース!』
「ん?なんかあったのか?」
『亮太、交通事故だって!』
「は?」
『さっき、ニュースで、久瀬亮太、交通事故って速報が入ったんだよ!』


 リョウが、事故・・・


 悠の言葉が、頭の中でリフレインする。頭一杯にこだまして、翔はそれを追い出す様に
頭を振った。
 何を言っているんだ。あいつは数時間前まで、球場でホームラン打ってたんだぞ。
 電話口で悠が、何かを言っている。
『翔!聞こえてる!?』
「・・・・・・」
 悠の言葉は、直ぐに理解できた。亮太が事故に遭った。
けれど、そのことが何を意味しているのか、翔は分からない。何を思えばいい?何をしたら
いい?
 返事のない翔に、悠は一方的にしゃべる。
『心配で、慎吾に連絡したら、慎吾、亮太のおばさんに電話してくれて、亮太の運ばれた
病院おしえてくれたんだ。翔の家から近いと思うから、時間あったら、ちょっと様子だけ
でも見に行ってくれない?僕も時間が出来たら行くよ。・・・・・・慎吾も康弘も、凄く心配して
るから・・・・・・』
病院の場所をメールで送ると言われて、翔が頷くと、悠は電話を切った。
 数分も待たないうちに、悠からメールが来る。悠が言った通り、病院はここから直ぐの
所だ。様子を見に行くくらいなら、何とかできるかもしれない。


 そう思って、自分が何でそんなことをしなければならないのか、と疑問に思う。
放っておけば、明日にも詳しいニュースが入ってくるだろう。
亮太の容態は?生きているのか?怪我はしているのか?そういうことが気にならないわけ
ではないが、亮太を前にどんな気持ちになるのか、翔は自分を抑え切れそうにない。
 もし、亮太が命を落とすようなことがあれば、亮太を失うことになれば、自分はどう
なるんだろう。
 永遠とも思えたこの関係にピリオドを打つことが出来る。逃げ出そうとしていたのは、
自分だ。亮太から解放される。
 ・・・・・・けれど、ここで亮太を失えば、きっと今度は亮太の亡霊に取り憑かれる。
自分は、亮太がこの世から消えてしまえばいいなどと、一度だって思ったことはない。
初めからいなければよかったのにと、そう思ったことなら幾らだってある。だけど、今の
自分から亮太を失うような事、一度も考えたことなどない。
 死んでほしいなど、願ったこともない。
「クソっ、リョウの馬鹿野郎」
翔は、手元の携帯電話を引っつかむと、そのまま部屋を飛び出していた。



 病院の受付で、運よく亮太の母親に会った。地元から駆けつけてきて、さっき病院に着いた
ばかりなのだと言う。
「おばさん!」
「まあ、翔君・・・」
「あ、あの、リョウは・・・」
亮太の母は溜息を吐いて首を振った。
「・・・・・・」
「まったく、困った子よね。こんな真夜中に車にはねられるなんて」
「あの、リョウは・・・・・・」
翔が不安げに顔を見ると、亮太の母は頷いた。
「だーいじょうぶ。ぜーんぜん、大したことないわ・・・・・・普通の人ならね」
「え?」
「左手首の捻挫。それ以外は掠り傷よ・・・・・・今は鎮静剤で眠ってるわ。明日精密検査受けて
異常がなければすぐ退院出来るって」
翔の顔が強張る。
左手首の捻挫・・・・・・それって・・・・・・
無言のまま、亮太の母を見る翔に、彼女は笑った。
「ほんと、馬鹿な息子。あとちょっとってとこで、こんな目に遭うんだから。全治1週間
だって、時間が掛かりすぎよね」
握った拳に力がはいる。左手の捻挫は、今シーズンの終わりを意味している。
「・・・リョウに会える?」
「ええ、眠ってると思うけど、西病棟の301よ。お父さんがいると思うから。会って、檄の
一つでも飛ばしてやって」


 病室には、亮太の父親がいて、翔が顔を覗かせると、懐かしそうに笑った。
「翔か、久しぶりだな」
「おじさんも、お元気そうで」
「お前も、一人前な口利く様になったな」
「あはは、社会人ですから」
亮太は眠っていて、亮太の父親は、亮太の症状を母と同じように説明した。
 そして、「少し頼む」と言うと亮太の父は病室を出た。気を使ってくれたのだろうか。

 ベッドの上の亮太は静かに寝息を立てている。
そういえば、亮太の寝顔など、久しく見ていない。規則正しい寝息と、少しだけ幼くなる
寝顔。頬はどこかで打ったのだろう。かすり傷が数箇所あって、それに消毒やガーゼがして
ある。
 翔は、掛けられた布団を捲った。
左手首に捲かれた包帯が目に飛び込む。包帯の上からでも、腫れているのが分かった。
翔はそれに手を伸ばすと、静かに手で触った。
「お前、何怪我してんだよ。馬鹿じゃねえの?」
今期絶望、明日のスポーツ紙の一面に踊る文字が浮かぶ。今期と言ったって、もうあと僅か
しかない。
 優勝や、三冠を目の前にして、亮太の前からそれらがするりと抜けて行く。今シーズンの
試合にはもう出られないだろう。
 それどころか、手首の故障で、選手生命を絶ってしまうことだってある。
優勝の行方を、三冠の行方を、亮太はベッドの上か、もしくはベンチの隅っこでただ
じっと座ってみていなければならない。

 それが、いつかの自分と重なった。
リョウ、分かるか。それがどんなに惨めで辛いことか。自分の力じゃどうしようもない。
目の前にあるのに、手に入らずに、唇噛み締めながら諦めていく者の気持ちが、お前にも
分かるか!?
 目を覚まして、自分の身体見て、亮太は絶望するだろう。
ざまあみろ。
そう言ってやろうと、思っていた。
いつか、亮太が自分の力で足掻いても、どうしようもないほどの絶望に襲われたときに、
絶対、そう言ってやろうと思っていた。
 自分と同じ苦しみを、そこで思い知れ、と。
今日の試合を見なければ、いまでも、そう思っていたに違いない。

「リョウ・・・・・・なんで、こんなところで、躓いてんだ・・・・・・」

 亮太が自分と同じ穴に落ちてくる。ゾクゾクとした快感は、もうなかった。







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