なかったことにしてください  memo  work  clap




 雨が続いた。
梅雨明けした途端、梅雨の忘れ物のように雨が続き、地方大会の日程もずれ込んでいた。
豊山南の次の相手、K高との3回戦は5日後。豊山南のメンバーは廊下や空き教室を優先
して借り、筋トレ中心の練習が続いた。
「キャッチボールしたい」
「バッティング練習もしたい」
「・・・・・・終わったらバッティングセンターでも行く?」
「室内練習場、どっか借りれないかな」
「あー、早く雨上がれ!」
腹筋を続けながら、メンバーは愚痴を零す。陽斗は青木彰吾と組みながら黙々と腹筋を続け
ていた。
「陽斗?」
「・・・・・・な、ん、すか?」
膝を固定されて、起き上がりながら陽斗は返事をする。
「なんかあったの?」
「何かって?」
「俺と組むなんて珍しいなって思って。いつも筋トレ、歩とだろ」
「・・・・・・だってアユ先輩、颯太先輩と組んでるし」
4組向こうで同じように腹筋をしている歩を横目で見ながら陽斗は言った。
 実際、歩と組んでいるのは颯太だが、先に相手を指名したのは陽斗だ。彰吾はそれを
突っ込むべきか悩んだが、踏み入るのは気が引けてそれ以上は追求することをやめた。
 2人の間に何かがあったのなら、それは2人の問題だ。彰吾は、何となく陽斗の気持ちは
分っているつもりだったし、歩が陽斗の事を全く恋愛対象として見ていないことも、分って
いるつもりだった。
 だから尚更2人の歯車が狂っているのなら、部外者が口を挟むべきではないとそう思う
のだ。K高との戦いを控えている今、その判断が正しいのかどうか悩むところだが。
 再び沈黙したまま筋トレを始める陽斗を見下ろしながら、彰吾は憂いた。
「何にもなければいいんだけど・・・・・・」
独り言は陽斗にも届かないほど、小さくなった。




 部室で着替えを済ませた陽斗は、何時になく真剣な表情でスコアブックのコピーを覗いて
いる湧井に首をかしげた。
「何見てるんですか」
「ん?ああ、この前のK高の試合。知り合いがくれたんだ」
「K高・・・・・・次当たるところですよね」
陽斗はK高のことをあまり知らない。一昨年の対戦で当たって敗れた事くらいしか聞いて
いない。ただ、そこに湧井のライバルがいるという事だけはしっかり頭に残っていた。
 陽斗は湧井の手にしたスコアブックのコピーに目をやる。スコアは2回戦相手に圧勝だった。
「これじゃあ、K高が強いのか、相手高が弱いのかよくわかんないですね・・・・・・」
呟くと、後ろから海野瑞樹が着替えを終えて首を突っ込んできた。
「どっちもだよ」
「はい?」
「対戦相手は格下だったけど、K高も確実に強いってこと」
「強い、ですか」
「まあまあな」
湧井はK高の強さを認めたくないのか、唇を歪ませた。陽斗は更にスコアブックのコピーを
眺める。
「・・・・・・それにしても、この3番、打ってますね。よく見たら猛打賞」
「ああ、坂井琉生(さかい りゅうせい)だ」
「有名なんですか?」
陽斗が聞き返すと海野がクスリと笑った。振り返ると、うんうん頷いている。
「うちのチームの3年で知らないヤツなんていないくらいに、有名だよ」
「?」
「坂井琉生、セカンドで打順は3番の長打者。そんでもって湧井のライバル」
「この人が・・・・・・?」
湧井を見ると、少しだけバツの悪そうな顔をしていた。ただのライバルというわけでもない
雰囲気だったが、陽斗にはそれをどう捉えていいのか分らない。
「上手いんですか?」
陽斗の質問に答えたのは海野だった。
「そうだね、無茶苦茶上手いよ。今年はK高でキャプテンやってるんじゃないかな」
「先輩はこの坂井って人と中学時代の同級生か何かですか?」
「いんや、中学も別だったし・・・・・・中学の時からコイツはいけ好かないヤツだった」
湧井は嫌そうな顔をして答える。中学からの因縁でもあるのだろうか。
「じゃあ中学の時からのライバル・・・・・・?」
「まあそうなんだろうね」
海野が頷く。湧井は坂井という男をライバルにされるのも面白くないといった様子で、鼻から
大きな溜息を吐いた。
「ふうん・・・・・・でも、セカンドで3番って言ったら、湧井先輩のライバルっていうより、黒田
先輩のライバルって言った方が似合ってるカンジがしますね。ポジションも打順も被って
るし・・・・・・」
陽斗の何気ない一言に湧井の頬がピクリと動く。
 どういう意味なんだろう。陽斗は湧井の表情を見つめるが、直ぐに元の顔に戻って、陽斗
の視線はかわされてしまった。
「まあ、当たってみれば分るさ、こいつの厭らしさが」
スコアブックのコピーを握る湧井の手に力が入る。
 どうなっても、次の試合は負けられない。湧井の思いはどの学校よりも強いのだろう。
静かな気迫に陽斗は息を呑んだ。
「ぜ、絶対勝ちに行きましょう」
「当たり前だ」
湧井の熱さに、陽斗は一抹の不安を覚えた。





 雨の所為で、グランドを使えるようになったのはK高との試合2日前だった。
なまった身体を動かし、連携を確認する練習がメインになる。歩はグランドの隅で
キャッチャーの颯太に向かって球を投げ込んでいた。
「もう1球!」
「うん」
返球を受けながら、歩は力なく答える。球を握りながらも、頭の中には別のことで一杯に
なっていたのだ。
 陽斗との勘違いが発覚してから、一度も口を利いていない。話しかけてこないし、こちら
から話掛けるタイミングもない。
 敢て無視しているわけではないとは思うが、いつもどおりの関係では無い事も事実だ。
「歩ー!どうした?」
投球のモーションで止まったままの歩に颯太が訝しげに立ち上がった。
「ご、ゴメン!なんでもないから、座って!」
陽斗になんて声を掛ければいいのだろう。あんなに慕ってくれていたのに。
 あの笑顔はもう自分には向けられる事はないのだろうか。
歩は自分の気持ちにも向き合えないまま心はかき乱されていた。




 真っ暗になるまで練習は続き、歩が部室を出たのは一番星が輝き始めている頃だった。
久しぶりに動かした身体は疲れたが、それは心地よい疲れだった。
 それでも、心が浮かない理由は一つ。どうしても解決できないでいる問題の所為だ。
K高の試合の前にこんな気分になっていてはいけない。湧井のK高にかける思いは半端な
ものじゃない。どうしても勝って次に繋げなげなくてはいけない事くらい歩にだって分る。
 けれど、心がふわふわと浮いて地上に定まってないのはどうしたらいいのだろう。
 歩は暗闇の中、見慣れた背中を見つけた。
「・・・・・・」
小走りで近づくとその背中に向かって声を掛ける。
「陽斗!」
背中は声に反応して、ゆっくりと振り返った。
「アユ先輩・・・・・・」
「い、一緒に、駅まで帰ろ・・・・・・」
言いかけた歩に陽斗は首を振った。その顔はあのときのまま、傷ついたままだ。
「・・・・・・今日は1人で帰ります。すんません」
歩き出す陽斗を歩は放っておくことが出来ず、慌ててその後を追う。
「あのさ陽斗、待って!」
「・・・・・・」
陽斗は真っ直ぐ前を向いたままだ。拒絶されている、歩は胸がズキンとひびが入るみたいに
痛んだ。
「陽斗、ごめん・・・・・・あの・・・」
歩が取り繕う言葉を必死に並べていると、陽斗は不機嫌になって歩を見下ろした。
「もう、放って置いてください。アユ先輩には関係ないです!俺が1人で馬鹿みたいに浮かれて
ただけなんですから」
今までに掛けられた事も無い強い口調で陽斗が言う。暗闇の中でも陽斗の顔が悲しみで歪んで
いるのが歩にも分る。
 歩はどうやって、陽斗の心を癒してあげられるのか分らない。こんなときどうすればいいのか
17年、一度も彼女がいなかった歩には全然わからなかった。
「でも・・・あの、ご、ごめん・・・」
「だから、もういいって言ってるでしょ!・・・・・・そうやってアユ先輩に変に気を使われる
のが一番辛いんです!」
「陽斗・・・・・・」
「暫く話しかけないでください!」
完全な拒絶。
 陽斗は恨めしそうな顔を残してその場を立ち去っていく。
歩はまたも、陽斗に置いてきぼりを食らってしまった。しかも、今度は決定的な亀裂を
残して。



「ど・・・どうしようっ・・・・・・」
泣きたい気分なのは歩も同じだ。たった一つの掛け違えた認識が、こんなにも深い溝に
なって、陽斗と歩の間に立ちはだかる。
 自分はどうしたらいいのかさっぱり分らない歩だが、唯一つだけ、陽斗に嫌われたくない、
その気持ちだけは確かだった。
「どうしよう・・・・・・」
「何が?」
「颯太!」
独り言のつもりで呟いた歩に、返事をしたのは颯太だった。いつの間に後ろを歩いて、追い
つかれたらしい。
「暗闇の中で、何突っ立ってんの?」
「・・・・・・」
歩は答えられなかった。その様子を見て、颯太もまた思うところがあるのか、歩の顔を
覗き込んだ。
「何かあったのか?」
「・・・・・・えっと・・・・・・あの・・・・・・」
「・・・・・・陽斗となんかあったのか!?」
「!?」
伊達に4年半バッテリーを組んできたわけじゃない。それどころか歩のことは誰よりも
見ていたつもりだ。
 ここ数日、歩と陽斗の様子がおかしいことくらい颯太にだって気づいている。
歩の驚きは図星だ。間違いなく、陽斗との間に何かがあったはずだ。それを思うと、
いても立ってもいられない気持ちになるが、自分が気持ちも伝えてない状態では、突っ込んで
聞くわけにもいかなかった。
「歩・・・」
歩は首を振った。直感的に颯太に言ってはいけない気がしたのだ。颯太に余計な心配を
掛けたくない。
「いい、やっぱりなんでもない!ゴメン、また明日!」
歩はそう言って、颯太の元から走り去った。
 今度は颯太が置いてきぼりを食らってしまった。




 駅に向かうつもりが、走り出した方向は学校方面だった。歩は噴出す汗を腕で拭いながら
正門近くまで走ってきてしまった。
 学校の周りを囲うフェンスに背を預け、肩で息を整える。
心臓は強いつもりだったのに、どうしてこんなにもドキドキしてしまうんだろう。
深呼吸をしていると校門から彰吾の姿が現れた。
「ショーゴ!」
「歩?とっくに帰ったんじゃなかったの?」
「・・・・・・うん、ちょっと」
「どうしたの」
彰吾の顔を見た途端、歩は急に緊張の糸が切れてしまった。
 彼は誰よりも真面目で優しい。颯太には言ってはいけないと思った心のうちを、彰吾に
なら言える気がして、歩は彰吾の隣に並んだ。
「ショーゴのこと待ってた。一緒に帰ろうと思って」
「そうなの?ゴメンゴメン。片付けしてたら遅くなって」
「うん。いいよ、勝手に待ってただけだし・・・・・・」
歩は彰吾と共に歩き出す。2,3言話して、直ぐに沈黙になってしまった。
 彰吾はここ最近の筋トレで陽斗の様子がおかしい事に気づいていたし、その所為で歩が
今ここにいることも予想できた。
「で、どうしたの」
苦笑いしながら彰吾が声を掛ける。歩は彰吾の柔らかい声に、泣き出したい気持ちになった。
「どうしよう、俺、自分の勘違いで人傷つけちゃったかも・・・・・・」
歩の言う傷つけた人は間違いなく陽斗のことだろう。彰吾は確信する。
「素直に謝れば?」
「だって口利いてくれない」
相当根の深いすれ違いでも起きてるのだろうか。勘違いとはどういうことなのだろう。彰吾
はそこまでは分らなかったが、歩の何気ない一言が、陽斗にとっては重い一言になってしまった
のだろうと思った。
「ねえ、俺って鈍感なのかなあ?」
情け無い声で歩が言う。
「・・・・・・多分、歩が自分で思ってるよりは、かなり鈍感だと思うよ」
「そうなんだ・・・・・・」
「ああ見えて陽斗はナイーブなのかな」
「・・・・・・陽斗と喧嘩したって分るの?」
「そりゃあ分るよ。歩も陽斗もおかしいもん」
「ねえ、どうしよう。陽斗傷ついてる。俺、陽斗に嫌われたくないけど、どうしていいのか
わかんないよ・・・・・・」
泣きそうな顔で見上げる歩に彰吾は静かに首を振る。
「じゃあさ、歩は陽斗の事どう思ってるの?」
その質問に歩は答えられなかった。






 試合前日の夜、歩は人生で始めて眠れない夜を経験した。どんなに対戦相手が強豪で
あっても、こんな風に眠れないなんてことはなかった。
 しかも頭にこびり付いているのは、陽斗の傷ついた顔。
彰吾に指摘された自分の鈍感さに歩は何度も寝返りを打ちながら溜息が出た。
「そんなこと言ったって・・・・・・陽斗が俺の事好きなんて・・・・・・」
胸が締め付けられる。
『じゃあさ、歩は陽斗の事どう思ってるの?』
彰吾の問いが頭を巡る。
 分らない。―――分らなくなってしまった。
大切な後輩。慕ってくれる可愛い弟。無邪気な犬のような、一緒にいて楽しい存在。
それ以外のことを今まで考えたこともなかったのだ。
「好きってなんなんだよ」
今まで17年間生きてきて、まともに恋愛などしたことの無い歩にとって、それは野球の
試合に勝つことよりも難しく感じられる。
 マウンドでどんなピンチを迎えようと、凌ぐことを知っている。切り替えしていく事も
分っている。その方法だって、心のコントロール方法だってちゃんと出来る―――はず
なのに。
 陽斗の事を考えたら、自分は何も分らなくなってしまった。自分の気持ちがどこに向かって
いくのか、歩は定まらない舵を手放してしまいそうだ。
 浅い眠りを何度も繰り返し、時計を何度も見る。
 寝不足のまま、空は白み、試合の朝がやってきてしまった。
陽斗への気持ちが定まらないまま、陽斗の傷ついた顔が亡霊のように歩の頭の中を巡り
大切な試合に完全に集中できない。
 試合と陽斗、どちらも中途半端で、歩は学校に向かわざるを得なかった。



 午後イチの試合の為、朝は学校で最終の練習を行う。軽いウォーミングアップと、キャッチ
ボール、歩は颯太を座らせて何球か投げ込みを行った。
 そこで、歩は直ぐに違和感を覚えた。
「あれ・・・・・・?」
身体に力が入らない。握ったボールの感覚がいつもと違う。投げきった後、歩は思わず
自分の掌を見つめてしまった。
「歩!?」
「ご、ごめん!もう1球!」
なんだろう、この感覚は。
 気のせいだと思い直して、歩は颯太のミットに目掛けてもう一球、スライダーを投げ
込んだ。
 ボールは真っ直ぐ飛んで、颯太はミットを正面にずらす。
ばしっと決まった球は颯太の身体のど真ん中だった。
歩は驚きと小さな恐怖を感じる。こんな事は初めてだ。自分のボールが自分でコントロール
できない。
「どうしよう・・・・・・ボールが曲がらない・・・・・・」
呆然と立ち尽くす歩に颯太も驚いて立ち上がる。
「歩!?スライダーだぜ?!分ってる?」
「うん」
試しに肩を回してみる。腕が重い。これが自分の腕なんだろうか。スライダーの握りを
目で確認しても、しっくり来なかった。
「これであってるよね」
集中しなくては、そう思うほど感覚が鈍くなっていくようだ。
「ったく、仕方ない!次ストレート!ど真ん中投げろ!」
投球板の前で唖然とする歩に颯太が叫んだ。
「うん。わかった」
颯太が座る。歩はストレートの握りに変えて投球モーションに入る。
 振りかぶって、腕を伸ばす。
おかしい。
その感覚だけは分った。
ど真ん中にあった颯太のミットが大きく右にずれる。歩の放った球はそれよりも更に
右にずれて、颯太のミットを掠っていった。
「あ・・・・・・れ・・・・・・・・・」
ストライクが入らない。球が走らない。制球が自分の思い通りにならない。
 どうしよう。どうしたらいい?
陽斗の事で頭ぐちゃぐちゃになって、少しも集中出来ない。歩は頭を振って、野球以外
の全てを頭の外に追い出そうとするが、颯太のミットはぼわっと霞んで、よく見えない
ままだ。
「何、何なのこれ・・・・・・俺・・・・・・どうしちゃったの・・・・・・」
今までどうやって投げてきたんだろう。それすらも分らなくなる。
「歩!しっかりしろよ!」
颯太の声が厳しくなる。分ってる、ちゃんと集中しなきゃ勝てない相手なことくらい、歩
自身十分分ってる。
 なのに・・・・・・。
歩はK高戦を数時間後に控えて、大不調に陥ってしまった。





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