なかったことにしてください  memo  work  clap




 ボールをわき腹に喰らった瞬間、歩は金子の悪意を明らかに感じていた。
態とだ。陽斗を傷つける為だけに、陽斗を引きずり出そうとして、自分を潰そうとしたんだ。
歩は朦朧とする意識の中で、金子への敵意を感じた。
わき腹はズキズキと痛む。呼吸すると、キリっと痛みが走った。青あざくらいは覚悟して
いるが、骨にまで到達して無いことを祈るのみだ。
 それでも、歩はボールを喰らう瞬間に腕を庇っていた。ここだけは絶対に喰らうわけには
いかないと、無意識のうちに腕をそらしていたらしい。
 立ち上がって、体を回してみると、わき腹に痛みが走ったけれど、プレーは続行出来そう
だった。
 歩は金子を睨みつけて、文句の一つでも言ってやりたい気分だったが、無言でその場を
去った。この男との勝負は自分がマウンドに立った時だ。
 歩が塁に向かうと、歓喜とどよめきが一斉にスタンドから湧き上る。
デッドボールでも塁に出ればそれはチャンスだ。
金子にとっては、そのチャンスを作ってでも自分を潰して陽斗を引き摺り出すつもりだった
のだろうが、その筋書きには従うつもりは無い。
 自分は大丈夫だ。腕はなんともないし、まだ投げられる。

 一塁に向かう途中にベンチの陽斗と目が合った。心配そうな顔と金子への憎悪が入り
混じったような顔に見えた。
 歩は陽斗に向かって小さくガッツポーズを決めて、何とも無いことをアピールした。
「せっかく塁に出してもらったんだから、点もぎ取ってやる」
歩は一塁の上で気持ちを切り替える。
 金子がどんな卑怯なヤツで、陽斗がどれだけ嫌な思いをしてきたのか、歩はデッドボール
の瞬間肌で感じた。
 陽斗の傷が自分の中に浸透してくるようで、金子への嫌悪感は募る一方だ。
ベンチで必死に応援してくれる陽斗を見ると、歩は余計に胸が詰まる。この試合こそ、
陽斗は投げたかったんじゃないだろうか。
 今度こそ、自分の手でT高を――金子を倒したかったんじゃないだろうか。
それを陽斗は自分に託した。何も言わずに、ただ勝つことを信じてると言った陽斗に歩
の胸はぎゅっと鳴った。
 陽斗の気持ちが流れ込んでくる。
「陽斗、俺・・・・・・」
歩は自分の為というよりも、陽斗の為にどうしても勝ってあげたいと言う気持ちが膨らん
でくる。
「・・・・・・俺、絶対に勝つ」
 こんなヤツに負けたくない。歩はこれが自分の気持ちなのか、陽斗の思いなのか、自分の
中でも区別が付かなくなっていた。





 打順は先頭に戻って、一番の湧井がバッターボックスに入る。
 打席に立った湧井は一塁の歩を見て顔つきが変わっていることに気づいた。絶対にこの回
に点を取ってやる、その気持ちが打席にいる湧井にも伝わる。
 勿論湧井もそのつもりだった。ツーアウトながら貴重なランナーを無駄にするわけにはいかない。
このピッチャーから長打を狙うのは難しい。どうにかして繋いで1点でももぎ取らなくては。
 湧井はキャッチャーを横目で見下ろした。金子は目を合わせることもなく、ただミットを
構えているだけだった。
「俺への揺さぶりは無しか・・・・・・」
湧井の独り言は金子には届かなかったようで、構えたミットはピクリとも動かない。
 いい根性してやがる。湧井は一気にボールに集中した。

1球目から湧井の嫌いなコースが飛んできた。ボールはギリギリストライクゾーンを入って
ミットに収まった。
「ストライクっ!」
審判の声が上がる。
「ちっ」
湧井は思わず舌打ちした。金子は無能じゃない。いやらしいリードだが、正確に相手チーム
のことを分っている。
 研究されているのか。湧井は無表情のままミットを構える金子にやりにくさを感じる。
感情だけで動かされるようなキャッチャーならば、こちらが冷静になっていれば、自然と
崩れていく。けれど金子は思った以上に冷静だ。
 練習試合で陽斗を揺さぶったのも、今の歩へのデッドボールも金子の中では想定内のこと
として処理している。
 歩を歩かせてもツーアウトで、このピッチャーを前に無安打の自分なら抑えられる。そう
踏んでいるに違いない。
 舐めた事してくれる、湧井の心に火がつく。そういう勝負は燃える性質だ。絶対に打って
次に繋げてやる。
 2球目のボールを上手く見て、3球目の勝負を待った。


「捕らえたっ」
3球目は湧井の待っていた通りのボールが飛んできて、湧井はこの日初めての安打を記録
することになった。
 打った瞬間、湧井も歩も走り出す。ボールはセカンドの頭上を上手く越えてライト前に
転がっていった。
「走れー!」
ベンチから声が上がる。歓声と共に、俊足の湧井は一塁ベースを踏んでいた。
「うっしゃっ」
1塁ベース上で湧井が腕を上げると、一層応援の声が大きくなる。
 歩は2塁まで突っ込んで止まった。ツーアウト1、2塁。野球はツーアウトからだ、なんて
こういう場面になると必ず誰かが言う台詞が歩の中に浮かび上がる。
 あと一本。あと一本でれば、絶対にホームに帰ってやる。歩はホームにいる金子を睨みつけ
ながら思った。
 あのホームを絶対に踏んでやる。金子に自分をデッドボールにさせたこと、後悔させて
やるんだ。
 歩は試合展開よりも、金子との勝負にこだわり始めていた。



 豊山南の2番打者は颯太だ。性格同様ネチネチとファールで粘ってピッチャーにプレッシャー
をかける颯太は、誰よりも2番の適正があると湧井が豪語していた。
 味方全ての期待を背負って颯太は打席に立つ。颯太には気負っている様子は見られなかった。
颯太は元々こういう場面では冷静になる傾向があると湧井は思う。歩をなんとかホームに
返す為に、どうやって打ち崩そうか考えているのだろう。
 照りつける太陽に額から汗が滴り落ちる。球場の周りからは、応援団に負けないくらい
蝉の声がうるさく鳴り響いて、暑さを倍増させていた。
「暑いな・・・」
炎天下の試合は恐ろしく体力を奪い去っていく。相手ピッチャーも疲れがそろそろ出始める
頃だろうが、それは歩にしても同じだ。
 この場面で点数を取っておかなければ、残り2イニングチャンスが巡ってくるかどうか、
分らない。絶対に落とせない場面だ。
 颯太の真剣な眼差しに、湧井も祈る気持ちになった。


 初球はボール。颯太の体はピクリと反応したが、上手く交わしてボールを見送る。自分も
キャッチャーの端くれ。勝負の仕方は分ってるつもりだ。
 2球目、3球目をファールにして、カウントは追い込まれた。
「勝負だな、ここで」
颯太は疲れ始めているピッチャーを目の前に、次の球を思い切り振っていった。
「行けっ!!!」
金属バットの音と共に、球場がどよめく。歩は打った瞬間に2塁を蹴った。
 ボールはライトのフェンスに当たり、ワンバンでライトが拾うと、瞬間投げるところを
迷ったようで、反応が遅れた。
 俊足の湧井は当然2塁も蹴る。歩も迷わずホームまで走っていた。
ファーストで止まった颯太をアウトにすることが出来ないと悟ったライトは、中継を入れて
ホームに返球する。
 突っ込んでくる歩と返球したボールとの勝負。ホームベースでは金子が焦った顔でボール
が返ってくるのを待っていた。
「間に合って!!」
歩はホームベース目掛けて飛び込んだ。
 ザザッ。
砂埃が舞い上がって、辺りが静まりかえった。
歩の手がベースを触る。その上に金子のミットが乗っていた。


「セーフッ!!」


「っしゃー!」
審判の声に南高ベンチから歓喜の声が上がった。
 歩は酸欠になりかけた身体を引き摺り起して金子を見た。マスクの下の悔しそうな表情
を見つけて、歩は心の中に湧き上っていた気持ちが少しだけ解消した気がする。
 陽斗に対する天罰だ、なんて瞬間でも思っていた自分は何なのだろう。
歩は湧き上る笑みは心の中だけにとどめて、金子から目をそらしてベンチに帰った。






 7回の攻撃は1点どまりで終わってしまった。
それでもこの貴重な一点は歩にとっても大きい。あと2イニング、絶対に投げ切ってみせる。



8回はお互い0点で抑えて、いよいよ9回、ラストイニングになる。これで抑えられればT高
を破る事ができる。
 緊張と期待で心拍数が上がった。
「絶対抑えるぞ!」
最後の円陣は湧井の声が擦り切れていた。あとアウト3つで勝てる。また一つ甲子園が近く
なる。強豪T高を倒せる。
 1点差の危ういリードの中、メンバーはグラウンドへと散って行った。


9回のマウンドに立つ歩の様子は先ほどまでと変わっていた。
それに気づいたのは陽斗だけかもしれない。
「アユ先輩・・・なんか・・・違う」
ベンチで呟く陽斗に他のメンバーが首を傾げる。
「違うって?また調子悪くなってるってことか?」
「・・・・・・調子が悪いっていうのとも違う、と思います。・・・・・・ただ、いつものアユ先輩じゃ
無い感じ・・・・・・。K高の時とも違うし・・・・・・」
陽斗の直感は当たっていた。
 歩はマウンドの上で、冷静に陽斗の事を考えていたのだ。
ラストバッターは金子だ。陽斗ならどうやって金子を攻めるか。最後の最後。息の根を
止めるのには最高の相手だ。
 まずはアウト二つを確実に取る。そして金子と勝負しよう。
陽斗の思いを乗せて、金子と真っ向勝負してやる。
歩は自分の中に広がっていく陽斗への思いを球に込めた。
どうして、こんなにも陽斗の事が頭に浮かんでくるんだろう。嫌われたと思って調子崩して
チームに迷惑かけた。
 けれど、陽斗に「簡単に嫌いになれるわけない」と言われて、再び浮上している自分に
ゲンキンだなあとも思う。
 好かれてると安心する。
「歩はどう思ってるんだ?」誰に言われたんだっけ?
彰吾?湧井先輩?
・・・・・・自分はどう思ってるんだろう、陽斗の事。
嫌われたくないのは確かで、大きな犬のような、可愛い弟のような存在で。
けれど、それだけじゃないと分った。4回戦の陽斗を見て、胸が高鳴った。陽斗はかっこ
よくて、強い。それに惹かれている。
 金子に侮辱された陽斗を思うと心が痛む。絶対に陽斗の為に金子に勝つ。そんな気持ち
すら沸いている。
 この気持ちの根源にあるのは、一体何なのだろう・・・・・・。
 分らない。
まだ見えない。・・・・・・いや、もうとっくに見えてるのかも知れないけれど、歩はまだその
気持ちに向き合えてない。
 ただ、もやもやとそこに何かがあるのは分る。でも、それに手を伸ばそうとすることが
怖いような気がしているのだ。
 もどかしい。でも怖い。考えるとイライラしてしまう。
歩は陽斗へ困惑やイライラ焦燥、それら全ての想いをボールに託してしまった。
陽斗ならこの場面陽斗ならどうするか。自分の内側にある陽斗を引き出して、陽斗の
幻を纏う。
 バッターが構える。歩は振りかぶって1球目を投げた。
「ストライク!」
ストレートが颯太のミットに収まって、小気味良い音が響いた。
 1球投げる毎に応援の声が高鳴る。応援団もベンチも、ラストへ向けてカウントを始めて
いるようだ。

「アユ先輩・・・・・・」
陽斗はマウンドの歩に違和感を感じた。集中して無いのとも違う。でも、いつもの歩とは
もっと違う。
 あの気迫の入り方は、まるで自分・・・・・・。
 歩の、そして颯太の思い描いていた通り、1人目も2人目もアウトに打ち取った。
 ネクストサークルから金子が歩いてきた。
「あと1人!!」
どこからともなく掛かる声。歩もナインに向けてツーアウトのサインを見せた。
 金子との勝負。陽斗の気持ちをボールに乗せる。全球、速球で勝負だ。
マウンドから金子を睨みつける。
陽斗を傷つけた人間。絶対に自分の手で決着つけてやる。
歩の中では、颯太の言葉も湧井の言葉も消えてしまっていた。試合はみんなのもので、
私怨で戦うなと、あんなにも口をすっぱくして言っていた颯太。
 勝てばいい。この男に勝てば、試合にも勝てるんだから!
歩は1球目から、ストレートを投げ込んだ。
「ストラーイクッ!」
金子のバットが空を切った。

「うわあっ・・・」
なんだ、あのボール。アユ先輩の球じゃない!
陽斗は頭がくらくらしていた。身体が引っ張られて、マウンドのところまで引き込まれた
ような気分。あのボールは歩のではなく、自分のような・・・・・・。
 金子が悔しそうに顔を上げた。歩はマウンドの上で小さく笑った。
「いける・・・・・・陽斗、見ててよ」
歩は次のボールもストレートを要求した。颯太のサインに首を振る。ここへ来て歩の変化に
颯太も不信な顔をしたが、走るストレートを見て仕方なくサインを変える。
 2球目も歩はど真ん中ストレートで勝負した。
ズバッっと決まるストライクに、会場のテンションは最高潮になった。
「うっしゃ!」
歩は帽子を取って汗を拭った。
 あと1球。これで金子の息の根を止めてやる。もう、二度と陽斗の前でおかしなこと出来ない
ように、完全に負けたと思わせるために。
 歩は鋭い眼光で金子を見つめる。金子も緊張しているのか、構えているバッドが小刻みに
震えていた。
「三振を取る、絶対に」
颯太がミットを構えると、歩は再びサインに首を振った。最後もストレート勝負にこだわる
らしい。
 颯太は渋い顔を作ったが、歩がその考えを曲げないつもりである事を知ると、素直にミット
を構えた。
 歩が振りかぶる。誰もが息を呑んで、その瞬間を見守っていた。








「ゲームセット!」



空振りした後で、打席で崩れる金子。瞬間、歓声とどよめきでスタンドが割れた。
ナインが一斉に歩の下に駆け寄っていく。次々に歩に飛びつくメンバーを陽斗は呆然とした
気持ちで見つめていた。
「おい!勝ったぞ!」
ベンチでもお祭り騒ぎになっている。すでに飛び出しているメンバーもいるなかで、陽斗
は動けないでその場で震えていた。
「俺・・・がいる」
「は?」
「・・・・・・いや、なんでもないです」
陽斗は目を疑った。マウンドにいるのは明らかに歩のはずなのに、自分の幻影を見てしまった
のだ。速球、投球フォーム、歩のもののはずなのに、自分の姿がダブって見える。
 金子を打ち取った歩の姿が自分の姿に重なる。
ガッツポーズでマウンドを降りてくる自分。これは、ずっと自分が思い描いていた金子と
の対決の結末だったはずだ。
 三振を取って悔しそうにバッドを地面に叩きつける金子を尻目にガッツポーズでマウンド
を降りる自分。
 その幻影が歩に被っている。
自分が歩に対して期待しすぎていたのだろうか。金子を倒して欲しいと、そればかり願って
いた所為なのだろうか。
「・・・・・・陽斗!何、ぼーっとしてんだよ!勝ったんだよ!俺達!勝ったの!!」
「は、はい・・・」
マウンドでチームメイトと喜び合っているのは、間違いなく歩だ。
 陽斗は首を振ると、他のチームメートと一緒にマウンドの駆け出しだのだった。







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