なかったことにしてください  memo  work  clap




 神様はいない?



 その日の歩は絶好調だった。誰が見ても、地方予選中一番いいピッチングをしていたと
言えるだろう。
 陽斗も颯太も、湧井や黒田も、そして歩本人とてそう思っていた。
慢心はしていなかったし、それどころかそんな余裕はなかった。真剣だったのだ。
ただ、ボールに集中して、バッターを打ち取る。マウンドにいるときの歩はそれが全て
だった。
 その結果が、最高のピッチングだったというだけだ。得意の変化球、スライダーは面白い
ほど切れたし、ストレートは陽斗顔負けの伸びがあった。
「いける」
3回に彰吾のソロホームランで先制した後、5回に追いつかれた時も陽斗はそうやって強気で
思っていた。
ワンアウトで4番にフォアボールを与えランナーを出して、次の打者にタイムリーを打たれた。
どんなにいいピッチングをしていても、歩だって完璧ではない。フォアボールも出すし、
打たれることもある。
 それで点が入ったからと言って、誰も責めることは無い。野球は点数取らない限り勝利は
ありえないのだから、打たれたことを引き摺ってはいけないのだ。
 だから5回に追いつかれた時も、陽斗だけでなく、他のメンバーも歩すら焦ってなかった。
また点数を取ればいい。追いつかれたなら、また引き離せばいい。そう思っていた。
 モチベーションは誰も下がっていないし、勝利への執念も途切れてなかった。
 実際、7回の攻撃で、湧井から繋いだ打線で1点をもぎ取ると、再び2-1と逆転に成功した
のだ。
 援護が1点しかないというのは、ピッチャーにしてみれば、苦しい状態には変わりないが
この日の歩には十分だった。
 1点あれば勝てる。――いや、勝つ。
8回のマウンドもそう思って投げたし、事実歩はきっちり3人で抑えた。
「アユ先輩!ナイスピッチング!」
陽斗は8回のマウンドから降りてきた歩とベンチでハイタッチを交わすと、笑って言った。
「あとアウト3つ」
「・・・・・・すんなり取れればね」
歩は慎重に頷く。心地よいテンションを保ったまま歩はベンチに座った。
「9回はクリーンナップからだ。4番、気をつけろよ。アイツ、お前のストレート狙ってる」
颯太が自分の打順を待ちながら歩に声をかける。
「分ってるよ」
「今日のアユ先輩ならストレートでも打たれませんよ!」
「ありがと。・・・・・・でも、注意しておくよ」
「・・・・・・それにしても、西丘高もかなりいいピッチャーだな」
「うん。実際打席立って見た感じと、ここで見てる感じと全然違うね。手元で伸びるんだ
よね、あのストレート。地味だけど凄い」
歩と陽斗が真剣な眼差しで西丘高のマウンドを見つめた。





 最終回、9回裏のマウンドがやってくる。
豊山南は湧井を中心にして円陣を組んでいた。
「あとアウト3つだ」
「ウイッス」
「だけど、気を抜く事も、気負いする事も無いように!甲子園は直ぐ目の前だけど、焦るなよ!」
「ウイッス!」
湧井の声は潰れかけていた。炎天下の中で半分叫びながら指示を出していた所為だろう。
 陽斗はフィールドに散っていくメンバーを祈りながら見送った。



 野球は9回ツーアウトから。
誰が言った言葉か分らないけれど、野球の神様がいるのならそれは、神様の気まぐれと
しか思えない。
 簡単にアウト二つを取った後、歩はフォアボールで3番打者を塁に出してしまった。
ツーアウト1塁。同点のランナーが出た事で、西丘高校は僅かに活気づいた。
「あと1人!」
歩がマウンドで指を一本立てて、周りを見渡す。内野手がそれに頷いたのを見て、歩は
再び自分の世界に戻った。
 セットポジションから、1度1塁に牽制球を送る。1塁ランナーはユニフォームを真っ黒
に汚しながら、スライディングで塁に戻った。
「大丈夫、やれる」
ファーストからボールを返球してもらうと、歩は帽子を取って汗を拭った。腕にまとわり
付く汗が黒く焼けた肌の上で眩しくキラキラと光る。
 歩は一度ロージンを叩いた。それから颯太のサインに頷いて、モーションに入る。
 内角ストレート。颯太の要求した通りに真っ直ぐ飛んでいく。ボールから手を離した
瞬間も打ち取れる手ごたえはあった。




カキーーーーーンッ!!!




 4番打者は初球を狙っていたらしい。フルスイング。歩のインコースストレートは見事に
読まれていた。
 芯で捕らえたかのような伸びを見せて、ボールはレフト方向に飛んでいく。
颯太は立ち上がった。歩は振り返る。1塁ランナーが全力でツーベースを蹴っていく所
だった。
 レフトがボールを追いかけてフェンスギリギリまで駆け寄る。内野手は安打を期待して
ベースに付く。
 その瞬間まで、誰もが絶望を想像していなかった。
「うわあっ!!」
レフトがフェンスの向こう側に吸い込まれていくボールを見て叫び声を上げた。
 体中から力が抜けていく。悪夢というより、信じられない光景。これが現実とは豊山南の
メンバーは誰も受け入れられない様子だった。
「行くか!出るか!・・・・・・入った―――!!ホームラン!さよならホームランです!」
解説者の声が届くような気がした。


「西丘高校、9回裏、逆転のさよならホームランで、甲子園の切符をもぎ取っていきました!!」


 金属バットの高い響きが頭の中に何時までも響いている。投げたボールもスロー再生する
かのように、何度も頭の中でリフレインした。
「うぐぅ・・・・・・」
 打たれた瞬間、歩から小さな声が漏れた。この日、一番のストレート。スライダーで、
変化球で勝負しなかったのは、まだストレートが走ってると自分も颯太も思っていたからだ。
 いける。この打者を抑えられれば勝てる。まだ力が残ってる。ストレートで勝負できる。
そういう打算があったからこそ、歩は真っ直ぐを投げた。
球威のあるストレートは、見事にレフトスタンドに飛んでいった。
西丘高校のスタンドからは、狂ったような歓声が響き渡っている。
打者は両手を上げて、何度もガッツポーズを決めながら、豊山南高校のナインが立ち尽くす
フィールドを悠々と走っていく。
 塁を進むたびに、1人、1人と膝を着いて崩れた。
歩はマウンドの上で空を仰ぎ、そこから下を向けなくなった。今、顔を下ろしたら、きっと
顔中が涙になってしまう。
 上を向いたまま固まって、打者がホームベースに帰るのを静かに待つしかない。手が震えて
いたけれど、ここで崩れて蹲るのだけは嫌だと思った。
 負けたけど、心まで折られたくない。ゲームセットの挨拶が終わるまで、自分の足で立ち
続けなくては。
 それが、エースとしての役目だ。打たれて負けても、自分がエースであることを忘れない
ように、歩は震える手足を懸命に抑えた。


 陽斗はベンチから半分身体を乗り出した状態で固まっていた。
あの一球の直前まで、陽斗は勝ったつもりでいたのだ。甲子園に行く。歩の元に駆け寄って
抱きつくその瞬間を今か今かと、待っていた。
 それが、全て自分の儚い夢としてぶった切られた今、呆然と固まることしか出来ないでいる。
ベンチ入りした他の部員も、信じられない表情で固まっているか、俯いているか、おもむろに
泣いているかどれかだ。
 受け入れがたい事実が、突然やってきた。
劇的に勝つチームがあれば、その裏には劇的に負けるチームがあるのだ。この敗北は、
どんな試合の場面よりも大きく心をえぐった。
 陽斗はぼんやりとグランドを見渡す。
ライトの彰吾は小走りでグランドに駆け寄っていた。キラキラと光る顔は、汗なのかそれとも
別のものなのか判別は出来ない。黒く焼けた肌の上でただ輝いているそれが余計に苦しく
なる。陽斗は彰吾から目を離した。
 海野はその場で頭を抱えて蹲っていた。背中が上下している。きっと隠した顔は汗と涙で
ぐっちょりと濡れているだろう。
 黒田はグローブで顔を隠してランナーを見送った。どんなときも冷静な黒田の瞳にも、
僅かにキラリと光るものが浮かんでいる。顔の大半を隠している所為で、どんな表情をして
いるのかは分らないが、きっと唇を歪めているに違いない。
 湧井は帽子を取って汗を拭い、腰に手を当てて、落ち着きなくセカンドベースの辺りを
ぐるぐると回っていた。
 俯いたり、空を仰いだり。その瞳は真っ赤になっていたが、必死に涙を堪えている様子が
ありありと分る。
 本当は誰よりもこの場で蹲って泣きたいはずなのに、湧井のプライドがそれを踏みとどませる。
腰に手を当てて、何度も深呼吸を繰り返して、湧井は事実を自分の中に叩き込んだ。
 それぞれの思いでグランドに立つ豊山南メンバーを尻目に西丘高校のメンバーとスタンドは
お祭り騒ぎだ。
 4番打者がホームに帰って来るのをメンバーが待ち構えている。
歩は立ち尽くして見た。
「負けたんだ・・・・・・俺達」
何時しか隣に立っていた彰吾が声をかける。
「・・・・・・うん」
歩が力なく頷いた。その途端、我慢していた涙が一粒頬を伝った。
 ポタリ、汗の様に地面に落ちる。一粒落ちてしまえば、あとはとめどなく流れ出て、歩の
顔はあっという間に涙と汗まみれになった。
 背中を撫でる彰吾の手が余計に涙を呼び起こす。
「ご、ごめん・・・・・・俺が・・・・・・打たれたから・・・・・・」
「歩の所為じゃない」
「でも・・・・・・ホームランなんて打たれて・・・・・・」
「そんな事、言うなって!・・・・・・整列して終わろうぜ」
彰吾の鼻声に押されて、歩はゆっくりとマウンドを降りた。









「みんな、お疲れ。本当に最後までよくがんばったな」
部室に詰め込まれたメンバーの疲れきった顔を見下ろしながら藤木は労いの言葉をかける。
こんな時こそ自分が出る場面だと、藤木はみんなに掛ける言葉を球場から帰るバスの中で
ずっと捜していた。
 周りを見渡すと、海野や3年のメンバーは未だに目を真っ赤にしている。歩は自分に責任
を感じているのか暗い顔で唇を噛み締めていた。
 補欠部員や1、2年のメンバーは落ち着き始めているようで、流した涙はすっかり乾いて
藤木を見上げていた。
「結果は残念だったけど、よくがんばった。甲子園に行けなかったのだから、悔いが残らない
ことはないだろう。けれど、この経験がきっとこの先も役に立つ。1、2年は来年に向けて
3年はこの先の人生の中で、いつかこの負けの意味を別のことで感じる事があると思う。その
時、この1敗は初めて輝く。それまでは苦い思い出として自分の中でしっかり持っていればいい。
悔しいときは悔しいと叫べばいい」
藤木の言葉に3年のメンバーのすすり泣く声が聞こえる。
「本気でやったやつだけが、この悔しさを手にしたはずだ。胸を張って悔しがれ」
海野は顔を埋めて、また泣き始めている。海野の嗚咽につられて、部室の中に男達の涙声が
一斉に響いた。
 走馬灯のように3年間が浮かび上がるのだろう。苦しかった練習や、野球部内での対立。
湧井達は1、2年のメンバーよりも遥かに苦労していた。
 藤木は泣き濡れる3年の中で、唇を噛み締めて堪えている湧井に心の中で苦笑いした。
湧井のビックマウスと強がりは何時だって健在だ。
「先生・・・・・・」
歩が涙声で手を上げた。いつもは試合後、消えてしまいそうな存在なのに、今日は何時まで
経っても、藤木の目の隅に映っている。
 藤木はそれにも驚いて、歩に目をやった。
「どうした」
「一言だけ、言わせてください」
「うん。いいよ」
歩は強張った表情で頷く。握った拳は堅く微かに震えていた。
 そして立ち上がると、3年に向かって頭を下げた。
「すんませんでした・・・・・・。俺が打たれたりしなければ、甲子園いけたのに。先輩達の
夢、潰してしまいました。本当に、本当にすみませんでした」
歩の謝罪にすすり泣く声が止まる。
 誰か1人の責任にして責めてしまえればどんなに楽か、3年がその誘惑に負けそうになって
いると、湧井が立ち上がって、枯れ掛けた声を上げた。
「タカラ、いい気になるなよ」
「・・・・・・先輩?」
「誰が、お前1人の責任になんてさせるか!そうやってピッチャーが背負い込んでも、何の
意味も無い。悲劇のヒーロー演じて自己満足に陥るだけだ!」
歩が唇を噛む。湧井は語気を緩めると歩に笑ってみせた。
「お前1人の所為なんて、考えるな。言っとくけどな、野球はみんなで戦うんだ。試合が
皆の物なら、勝利も皆の物。敗戦も皆の責任だ。ピッチャーは投げて打たれただけだ。それ
以上に点数が入らなかった俺達全員の責任。勘違いするなよ」
「湧井先輩・・・・・・」
湧井は1、2年を見渡すと、一呼吸吐く。先輩としての最後の言葉。悔いの中に気持ちを
たっぷりと託して、湧井は瞬きを繰り返す。
「4回戦、準決勝、決勝・・・・・・俺達は3年間で確実に強くなった。ここまで来たんだから、
来年は絶対に甲子園行けよ。一緒にはもう戦えないけど、気持ちだけは置いていくから。
スタンドで応援してる。お前達が俺達の分まで戦って、甲子園いけること信じてるからな」
「・・・・・・はい」
バトンは引き継がれた。湧井は羨望と期待で入り混じった表情で頷いて見せた。



 こうして、湧井の――3年達の長い戦いは終わった。それと同時に豊山南の暑い夏も終わっていった。






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