なかったことにしてください  memo  work  clap




「いいかお前ら、T高は強い。お世辞にもウチが楽勝で勝てるとは言い難いくらい強い。でも、
絶対勝てないとは限らない。俺達は強い。諦めんなよ」
湧井の声はいつもよりも、硬かった。それだけで周りの空気が一気に引き締まる。これから
始まる試合に向けて、モチベーションがぐんと上がった。
 こういう空気を作り出せるのは、流石だと陽斗は思う。必ずチームの中心にいて、誰から
も頼られる存在。圧倒的な技術と存在力で豊山南高校をひっぱるリーダー。
 このチームに湧井大和という人物は必要不可欠だ。湧井を慕い尊敬して集まってきた
メンバー。そのメンバーに惹かれて入った自分。
 野球部に入って3ヶ月、陽斗は湧井の凄さを身に染みて感じている。歩が憧れてここにやって
来たのも頷けるのだ。
 湧井の一言は大袈裟だけど、力がある。やれる気になる。そういう存在なのだ。
 湧井の周りで円陣を組むメンバーが一斉に声を出す。
「ういっす!」
「T高の要注意選手は4番のレフトと5番のキャッチャーだ。あの2人は打つ。あとキャッチャー
は采配も上手い。上手く裏をかいて、球種を読み取れよ・・・・・・ピッチャーは多分本命は出て
来ない。出てきたとしても、調整程度だ。でも、正直その2番手ですら手強い」
「こっちも本命温存してるのは同じだぜ」
「ああ、そうだな。タカラは山下が打ち込まれても出さないつもりだ。・・・・・・山下、今日は
お前がエースだ。そのつもりで投げろよ」
「ウイッス」
陽斗はぐっと拳を握り締めた。高校デビュー戦。いいところを見せたいという小さな欲望
もあるけれど、それ以上に単純に投げられるという興奮で陽斗は浮かれていた。
 高校生相手に、しかも県下の強豪T高相手にどこまでやれるのか、湧き上がる興奮で陽斗
は小さく震えた。
 自分が嘗て目指した高校。誘われたのを蹴った高校。その高校に見せてやりたい。
「陽斗、力みすぎたらダメだよ?コントロールが狂うから」
「アユ先輩・・・」
「大丈夫だって、陽斗なら出来るよ」
「はいっ!」
にっこり笑う歩の笑顔は100人の応援よりも心強い。
「逃がした魚のデカさ、見せてやれよ。俺はあそこの監督がお前のピッチングみて、悔し
そうな顔するのが、どうしても見たいんだ」
湧井がニヤリと笑った。
 豊山南高校野球部のメンバーの声が高らかに上がった。




T高との因縁の試合が幕を開ける―――。




 整列をして、T高のメンバーを見た瞬間、陽斗は思わず声を上げていた。
相手チームに明らかに見知った顔があったのだ。幻でも偽者でもなく、紛れもなく、本人。
陽斗がこの世で一番会いたくない人間。
「陽斗」
声をかけられなければ無視しようと思っていたのに、相手はそれを許してはくれなかった。
「・・・・・・T高に進学してたんですか!?」
「あれ?知り合い?」
隣で歩が首を傾げる。
「ちゅ、中学の先輩です・・・・・・」
それを口に出すだけで、陽斗の額から大量に汗が噴出してくる。目の前の男は、ニヤっと
唇の端をめくれ上がらせた。
「こんなところで陽斗と再会できるなんてな」
「・・・・・・・・・」
体が震えた。背筋を降りていく汗は明らかに暑さのものではない。陽斗は奥歯を噛み締めて
顔を逸らした。
 なんで、こんなところで・・・・・・。
「山下知り合いか?あれがT高のキャッチャーだぜ」
反対隣にいた湧井が陽斗の耳元で囁く。
「・・・・・・知ってます」
言われなくても、彼がキャッチャーなことくらい十分知っている。何度もあの姿を見た。
あの男に向かって投げた事だってある。
 走馬灯のように、記憶が蘇って陽斗は軽い眩暈を起した。
「陽斗、大丈夫?」
「・・・・・・はい」
歩の心配そうに覗き込む姿に助けられながら、陽斗はベンチへと戻る。振り返れば、あの
男がこちらを見ている気がして、陽斗は怖くなって後ろを一度も見ることが出来なかった。





 T高の監督の悔しがる表情は直ぐに見ることが出来た。一回の表を三者凡退に抑える上々
のピッチングをした陽斗はベンチに帰ると、満面の笑で歩に迎え入れられた。
「ナイスピッチング」
ふにゃりと笑う顔が、今は何よりも癒される。
「見てみろよ、早速あっちの監督、不機嫌になってやがる」
守備から戻ってきた湧井が楽しそうに笑った。
「・・・・・・油断するなよ」
三須颯太が陽斗の背中をミットで軽く叩く。颯太も苦手な人間だけれど、あの男に比べたら
数百倍マシな気がする、陽斗はそう思った。
「ガンガン攻めます!先輩、リードお願いします」
陽斗は颯太に軽く頭を下げた。
「なんだ、今日はやけに素直。・・・・・・変化球もまずまずだし、次も飛していけよ」
「はい」
とにかく集中して、あの男の事は忘れる。それしかない。陽斗は自分に言い聞かせた。



 自分の打席は2回裏にやってきた。ネクストバッターサークルに出て行く前に、湧井が
「一打席目は様子みていけ」
と言ったのを頭の片隅にだけとどめておいた。
 出来れば初球を打って、打席から一秒でも早く離れてしまいたい。
 なぜならば、打席には・・・・・・。

「よう、陽斗」
バッターボックスに入ると、案の定、男は話しかけてきた。陽斗は一瞬だけそちらを見る
と、後はピッチャーを睨むように構えに入った。
「・・・・・・」
「無視かよ?」
威圧的な口調はあの頃と何にも変わっていない。ただ、自分はあの頃よりも知恵も度胸も
付いた。身長も伸びたし、昔の臆病な自分じゃない。
 陽斗は深く呼吸すると、正面を向いたまま言った。
「金子先輩・・・・・・試合中なので、は、話かけないでください」
「随分と高飛車な性格になっちゃって」
「・・・・・・そういうわけじゃないです。し、試合に集中したいんです・・・・・・」
「ふうん?」
自分の後ろで、あのマスクの下で、この男は何を考えている?笑っているのか?
 恐怖に似た感情がこみ上げてくる。
その途端、インコース低めの球が陽斗の横をすり抜けていった。

バシッ

一瞬の隙を突かれて、ボールは綺麗にミットに収まる。ストライク、審判の声に陽斗は
自分の身体が金縛りから解けるのが分った。
「お前さ、ここ、すっげえ苦手だったよな?」
「・・・・・・」
集中、と自分に言い聞かせていたはずなのに、この男のテリトリーに踏み込んだ瞬間、陽斗は
あっという間にペースを持っていかれている。
「で、ココがお前の好きなところ」
「・・・・・・ふっん」
2球目はアウトコース。見えた、と思って振ったボールは大きくライト線に逸れた。
「ほら、思わず手が出ちゃうだろ。こういうボール来るとゾクゾクするだろ。もっと気持ち
よくさせてやろうか」
同じコースが飛んでくる。陽斗は金子の言葉を無視して、振った。同じくファールに、ベンチ
がざわめく。
「・・・・・・」
「でもな、俺は、お前が快楽から絶望に落ちてく時の顔の方がゾクゾクするんだぜ?」
「?!」
陽斗のバットは空を切り、速球が膝上ギリギリを這うようにしてすり抜ける。
「ストライク!」
「っく・・・・・・」
「三振、三振!ワンアウト!」
金子の声が響く。陽斗は逃げるようにベンチに戻った。

 ベンチに戻ると、メンバーが和やかに迎え入れてくれた。まだゲームは初盤。焦る必要も
ない。硬くなっているほうが返って守備に影響する。
 タオルで汗をふき取っていると、隣に歩が座ってきた。
「陽斗?どうかした?」
「いえ、別に・・・・・・」
「なんか顔色悪いよ?」
「そうですかね?」
「うん」
歩が覗き込んでくるが、陽斗は直ぐに目を逸らしてしまった。この人は、ベンチの中にいて
も、大して存在感はないけど、よく見ている。自分の事もチームのことも、ちゃんと見て
一緒になって試合しているんだ。
 まだ手が震えている。陽斗は自分の不甲斐なさが情けなくなった。
忘れろ、試合に集中するんだ。言い聞かせても、金子の声が、まるで蛇のように脳内をうねって、
ぬるぬると気持ち悪い感触を残して駆け巡っていく。



『気にするなって、陽斗は野球が上手いから、上級生はひがんでるだけだ』
『金子先輩・・・・・・』
『大丈夫、何言われようが、俺がみんなから守ってやるから』
『ありがとうございます・・・!』



『おい、陽斗。お前の秘密、知ってるんだぜ?』
『金子先輩?なんですか、急に』
『大丈夫、誰にも言わないから』
『あの、何のことですか』
『バレバレだって。陽斗、あいつのことばっかり見てるだろ』
『・・・・・・』
『大丈夫、俺とお前の秘密にしてやるよ』
『金子先輩っ』
『その代わり、お前、俺の言う事聞け』
『せ、先輩っ・・・!?』



「・・・・・・た・・・・・した!・・・・・・・おい、山下!!」
耳元で何度も名前を呼ばれていたらしい。はっと顔を上げると、訝しげに湧井が覗きこんで
いた。
「す、すみません」
「おい、お前大丈夫か?顔真っ青だぞ?」
「大丈夫です、すんません」
「風邪か?体調悪いなら直ぐ言えよ?」
「はい・・・・・・」
嫌な昔話まで思い出してしまった。せっかく封印して、二度と思い出さないように記憶の
奥底まで沈めたはずなのに。
 金子の巨体が自分の目の前に立ちはだかる。あれは恐怖だった。
本気で人を怖いと思ったのも初めてだったし、逆らえない人間がこの世の中にはいるのだと
悟ったのもあの時が初めてだったはずだ。
 陽斗は中学1年だった。金子は3年で、当時伸び盛りの金子と、発展途上の陽斗の体格の差
は大人と子どもくらいあった。
 今は違うんだ。あの頃の自分じゃない。弱くない。身体も鍛えた。怖いものなんてない。
陽斗は心を落ち着けて、マウンドへと向かう。


 3回4回も、陽斗は散々ランナーを背負って何とか0点で凌ぎ切った。ここまで調子が悪く
なるとは、正直自分でも思っていなかった。自分の球が思うようにコントロール出来ていない。
「ナイスピッチング!」
歩は相変わらず穏やかに出迎えてくれた。
「おい、陽斗、お前なんかあったのか?」
戻ってきたベンチで颯太も不審な顔をした。
「え?」
「さっきとボールのキレが全然違う!球が甘い!」
「すんません、気をつけます」
「大丈夫か?」
「・・・・・・はい」
颯太だけではない。湧井も黒田も、早々に陽斗の変調に気づいていた。
「気にするなって、内野ゴロなら、俺達がカバーするから」
サードの海野瑞樹が、柔らかい口調で陽斗を励ます。
「・・・・・・はい」
「そんなことより、次、お前の打席回ってくるぞ!そろそろ、ぶちかまして来いよ!」
湧井が景気よく陽斗の尻を蹴り上げた。
「うっ・・・ういっす!」




 打席に入る前から、金子が笑っているのが陽斗には分った。引っ張られるわけにはいかない。
バッターボックスをこの人のテリトリーにしてはいけない。
 陽斗は正面だけを見据えて、バッターボックスに立つ。バットを構えて、心を落ち着ける
ために1球は見送った。
大丈夫、ボールは見えてる。そう思った瞬間、後ろから黒い闇が陽斗を襲った。
「冷たいなあ、陽斗」
「・・・・・・」
「もっとこの再会を楽しもうぜ?」
金子の声は体中に絡んで、ねっとりとする。重力を感じて、腕が重くなった。
いやだ、この人と関わるのはイヤだ!
 陽斗は絶対に振り返るものかと、声を徹底的に無視する。
「なんだよ、無視してばっかりで。あの頃は、あんなに従順で可愛かったのにさ」
「・・・・・・」
「忘れちゃったのかよ?」
「・・・・・・」
「俺は、覚えてるぜ。お前の可愛い姿」
「?!」
陽斗は思わず、金子を振り返ってしまった。目が合うと、金子はニタ付いていた。
「や、止めてください。試合中です」
「・・・・・・バッターの心理揺るがすのも作戦って知ってる?」
「そんな、ことじゃ、揺るぎません」
陽斗は、再び正面を見た。
 打てる。
そう思って手を出したボールはまたもファールになる。癖のある球だ。
「お、やるじゃん。でも、そういう球には手出しちゃいけないんだぜ?」
金子がマスクの下で笑っているのが分る。陽斗はボールにだけ集中しようと、必死に金子の
声を追い出した。
「・・・・・・でも、陽斗はそう言うギリギリ好きだったよな。ギリギリで危険な橋を渡るのが。
部室とか、ランニングコースの木陰とか、あいつの家の後ろとか。ギリギリのキワドイ所で
するのとかさ」
「!!」
話の核心がいきなりやってきて、陽斗は今度こそ、金子の術の中にすっぽり納まってしまった。
「思い出して火照ってきちゃった?」
「・・・・・・」
「お前、俺の咥えるの、大好きだったもんな」
「っく・・・!」
バシッと、ど真ん中ストライクが決まる。
 陽斗は一歩も動けなかった。





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