なかったことにしてください  memo  work  clap




 もうダメだ、また繰り返しだ・・・・・・。
いつかのデジャ・ブが陽斗を襲う。
「金子先輩、離して・・・」
腕を引っ掴まれて、陽斗の意識は過去を行ったり来たりしている。今よりもずっと細くて
軟くて、掴んだ金子の手は遥かに大きかった。
 今の自分の腕じゃない。今はこんなにも筋肉が付いて、金子にだって見劣りするほどじゃ
ない。細さでいえば、歩の方がずっとか細くて脆く見えるくらいだ。
 なのに、あの頃と変わらない自分の弱さは一体なんなんだ。この男の前では3年前と同じ
じゃないか。
 金子が卒業して、二度と誰にも屈しない強い人間になると誓ったはずなのに。そうして、
強くなったはずなのに。
 噛み締めた唇の隅に血が滲む。口の中が鉄の味を帯びて、陽斗は顔を歪ませる。金子は
その表情を満足げに見つめた。
「その顔、昔と全然変わらないな」
ああ・・・もう・・・・・・。
金子がもう一歩、距離を縮めて、陽斗が目を閉じた瞬間、金子の後ろで声がした。


「ちょっと、何してるの?」


「?!」
声の主は金子の身体に隠れて見えないけれど、陽斗にはそれが誰の声であるか直ぐに分った。
驚いて金子が振り返る。
 陽斗は気まずさと安堵感でなんともいえない気持ちになった。出来ればこんな場面、見られ
たくない。しかも、この人だけには。
「なんだお前!」
金子は不機嫌なまま声の主を見下ろす。陽斗よりも更に小さな身体で、声の主は金子の前に
信じられないくらい真っ直ぐに立っていた。
「何だって言われても、一応豊山南の野球部員ですけど」
「何しに来たんだって聞いてんだ!」
「大切なうちの野球部の後輩が、トラブってたら助けに入るのって普通だと思いませんか?」
小さな身体が金子を睨みつける。そして、その腕が伸びて、陽斗を掴む腕を引き剥がしに
掛かった。
「陽斗の利き腕をそんな風に掴まないでくれませんか」
「アユ先輩・・・・・・なんでここに・・・・・・」
「そりゃあ、陽斗の事助けに来たんだって!」
歩は陽斗にニコリと笑って見せた。





 ベンチを飛び出した陽斗を、歩は青木彰吾と共に探していた。あんなに傷ついた顔を
見たのは初めてだ。たった3ヶ月しか一緒にはいないけれど、歩の目に映る陽斗はいつも
陽気で、元気一杯の可愛い後輩だった。
 その陽斗が何かに苦しんでいる。歩はいても経ってもいられなくなって、彰吾を引き連れて
陽斗を探しに追った。
 グランド、部室、水のみ場、校内をぐるっと回ってもう一度部室の前に差し掛かった時、
部室の裏側から誰かの声がして、歩と彰吾は顔を覗かせた。
 そこで見た光景に、2人は息を呑む。
「陽斗が襲われてるっ」
彰吾の台詞に歩がぶるっと身体を震わせる。

「止めてください・・・・・・」

陽斗の声は、掠れていて目の前にいる金子にすら聞こえないほどだった。
 けれど、その状況を見て、歩は思わず陽斗の元に駆け出していた。一緒にいた彰吾に
「ショーゴは先輩達呼んで来て!」
と叫びながら。



けれど、突然現れた第三者にも金子は怯んでいなかった。
「痛てえな、何すんだ」
今度は、無理矢理陽斗の腕を引き剥がしに掛かった歩の腕を捻り上げる。腕を離された弾み
で陽斗は後ろによろけた。
 歩は金子の太い腕に捻り上げられて、顔を歪めた。
「痛いっ・・・・・・離してよ」
「うるせえな!お前みたいな補欠部員には用はねえんだよ。一々口出してくんな」
歩の利き腕を捻られて、陽斗は先ほどよりももっと青ざめる。自分の所為で、歩まで怪我
してしまったら、どうしたらいいんだ。
「金子先輩、止めてください、その人は・・・!」
関係ない人を巻き込まないで欲しい。自分の大切な人を傷つけないで欲しい。思えば思う
ほど、足が震える。
 ごくり、唾を飲み込んで陽斗が手を出そうとした時、またも別の腕が伸びてきた。ぐりっと
肩を掴まれて、金子はバランスを崩す。

「!?」

「うぐっ・・・痛い、離せよ!何だよお前は」
「お前の方こそ、何だ?」
掴んだ手の主は金子の顔に影を落とすと、無表情のまま当事者達を見下ろしている。
 状況がつかめないまま、陽斗は口をパクパクと動かして、その人の名前を呼んだ。
「黒田先輩まで・・・」
巨体の金子に負けないほど長身の黒田は金子の睨みにもさして動じる事はなかった。そこへ
更に、追い討ちをかけるように、一段高い声が響く。
「うちの選手になんか用?」
その声は、背伸びをして後ろから黒田と金子の首に同時にしがみつくと、その間からにゅっと
顔を覗かせた。
「湧井先輩も!?」
「・・・・・・湧井!?」
今度こそ驚いて、金子はギャラリーを振り返る。湧井は涼しげな表情のままで言った。
「なあ、その腕、離してもらえるかな?そいつ、うちの大切な大切なエースなんだから」
「な・・・?!」
「エースだよ、エース。うちの大切なピッチャー様っつってんの」
金子の信じられないと言った表情は、どういう意味なのか。歩は金子を睨みあげたままでいる。
俺がピッチャーで悪いか、と主張しているようで、その姿に陽斗は少しだけ力が抜けた。
固まっている金子に、湧井は追い討ちをかける。
「そっちの方こそ、そんな事して腕怪我させたら責任とってくれるんだよな?」
金子は、湧井の一言に、慌てて歩の腕を離した。
 黒田と湧井も金子から離れて、一定の距離をとる。一度にギャラリーが増えて、陽斗は
状況が掴めなかった。どうして、歩が、そして先輩がここにいるんだろう。どうして、みんな
自分を助けてくれるんだろう。
「っ痛て!」
離された歩の腕は金子の手のあとがくっきりと残っている。それを見て、陽斗は急激な怒り
がこみ上げてきた。
 湧井は陽斗を一瞥すると、陽斗の怒りを押さえ込むように金子に向かってしゃべる。
「さっきのデッドボールは悪かった。態とじゃなくても、一歩間違えれば危険なことには
違いない。それは謝るよ・・・・・・ほら、山下ももう一回ちゃんと皆の前で謝れ。な?」
「・・・・・・」
「ほら、山下!さっさと謝る。試合のトラブルを試合後に残すな!」
軽く睨まれて、陽斗の怒りは無理矢理押し込められる。
 湧井の意図は見えなかったが、陽斗は素直に湧井の指示に従って、ぼそぼそと謝った。
「・・・・・・すみませんでした」
「ふんっ」
不機嫌交じりに金子は顔を逸らす。湧井は満足そうに陽斗を見て頷いたあと、一瞬表情を
無にして金子を振り返った。
「デッドボールの件はこれで解決でいいな?」
じりっと、湧井が金子の元に寄ってくる。口調は穏やかだったけれど、瞳の奥はけして
笑ってはいなかった。
「は?」
湧井は腕を組んだまま、金子を見上げる。
 金子よりも湧井の体格は小さい。隣にいる黒田の方が、圧迫感はあるはずなのに、湧井に
見据えられて、何故か金子は身体が動かなくなっていた。
「なんだよ・・・」
金子の声が細くなる。自分が怯えていた金子が、今は湧井に押されている。金子を瞬間で
変えてしまう湧井の力を信じられないという目で陽斗は見た。
「過去にあんたと山下の間にどんなトラブルがあったのか知らないけど、山下は今、うち
の大切なピッチャーなの。野球で真っ向勝負してるなら、何にも言わないけど、こんな風
に因縁つけられたら、俺達、黙ってるわけにはいかないんだよね」
「・・・・・・湧井先輩」
「因縁なんてつけてないだろ!」
「そう?俺の見間違いだったか?でもさ、少なくともうちの部員2人を怪我させ損なってる
んだから、そいつについては謝ってもらってもいいよな?」
金子はバツが悪くなったのか、苦い顔をして湧井から目をそらす。
 緊迫した空気が周りを包んだ。
 逃れられない。逃さない空気を作っているのは湧井だ。
金子は小さく、本当に小さく、すまん、と一言呟いた。それが誰に対する謝罪なのかは
分らなかったが、陽斗は金子からその言葉を初めて聞いた。
 湧井は組んだ腕を外して、一呼吸吐くとこの緊張を解くように、声を一段高くした。
「夏の予選で当たるの、楽しみにしてるよ」
「・・・・・・ふん。こっちはエース封印して勝ったんだ。今度はもっと楽勝で勝つ」
「うん。でも、こっちもエースは封印してるんだよね」
「・・・・・・」
「ま、次で本当の勝負ってトコロ?楽しみにしてる」
湧井がにっこり手を差し出すと、金子は鼻を鳴らしてその場から立ち去っていく。
 湧井が困ったように溜息を吐いた。




 助かった・・・・・・。
陽斗は呆然としながら、金子の背中を見送っていた。中学の時は誰一人として救いの手を
差し伸べてくれることはなかった。
 押し込まれて、黙って泣き寝入りするだけの日々。こんな風にピンチを他人の手によって
切り抜けたのは初めてだ。
 ほっとして、力が抜ける。そして歩の腕が目に留まって、陽斗は慌てた。
「アユ先輩!!」
「ん?」
既に歩は、ぽやんとした顔に戻っていて、陽斗を見上げる。
「・・・・・・腕・・・・・・腕、大丈夫ですか?!」
「うん、平気」
「なんで・・・・・・なんで、来たんですか!あんな巨体に腕掴まれたら、怪我するじゃないですか!」
「うん。だってさ陽斗、死にそうな顔してたから。俺、絶対陽斗の事、守ってやらなきゃって
思って。大事な後輩潰されてたまるかって、そう思ったら飛び出してた」
無事でよかった、そう言いながら自分に笑いかける歩を、陽斗は思わず抱きしめていた。
なんでこの人は、こんなにも優しいんだろう。
 自分はさっき、傷つける一言を言い放って逃げたのではなかったか?
なのに、なんで何事もなかったように、自分に笑いかけてくれるんだろう。
陽斗は自分の感情が抑えられなくなる。陽斗には今の歩が誰よりも強くてかっこよく映った。
「陽斗〜?!」
歩のひっくり返った声がする。それでも、陽斗は歩を抱きしめたまま放さなかった。
「ごめんなさい・・・・・・先輩には関係ないなんて言って、ごめんなさい・・・・・・」
「いいよ、いいよ。誰だって詮索されたくない過去の一つや二つあるもんな」
抱きついてきた陽斗を歩は大きな弟のような気持ちになって優しく撫でる。歩の肩に頭を
もたげて、陽斗は歩を抱きしめた。
 自分よりも小さな身体なのに、この人は自分よりも大きい。マウンド以外でオーラゼロ
なんていわれてるけれど、自分には何時でも輝いて見える。
 この人に惚れてよかった。陽斗は心底そう思いながら、歩の柔らかい匂いを嗅いでいた。







「おい!・・・・・・どさくさにまぎれて、いつまでも張り付いてんじゃねえよ」
「?!」
ドン、と背中を叩かれて、陽斗は顔を上げる。振り返ると、引きつった顔で陽斗を叩いている
颯太が立っていた。
「颯太先輩、痛いっ、痛いですって!」
「だったら、さっさと離れろっつってんの!」
颯太がいつからいたのか、陽斗は知らない。周りを見渡せばギャラリーの中に、彰吾や海野
瑞樹もいる。みんなが心配して駆けつけてきたことに、陽斗の頬は赤らんだ。
 湧井の苦笑いが聞こえてきて、陽斗は漸く歩から離れた。
「颯太、どうしたの、そんな怖い顔してさ」
歩が陽斗の影から首を出して颯太を見上げる。
 颯太は一層真面目な顔を作って陽斗に言った。
「怪我、してないな?」
「はい。ご迷惑かけました」
「だったらいい」
颯太は間を作って、次の台詞を大切そうに言った。
「・・・・・・何があったか俺は知らないし、聞くつもりもない。でも、お前はピッチャーなんだ
から私情を持ち込んで試合をするな。お前1人の試合じゃない」
「・・・・・・はい」
確かにその通りだ。自分1人の試合じゃない。試合はチーム全員のものだ。こんなに弱くては
チームに貢献するどころか、足を引っ張るだけしかない。
 颯太の怒りはごく当然のもので、非はすべて自分にある。陽斗は素直に頭を下げた。
「すみませんでした」
潔く下げた頭の上から、更に声が降ってくる。
「・・・・・・でも、あのキャッチャーに当てたデッドボールは、俺のリードも悪かった。調子
悪いのにインコースばっかり攻めさせた俺の責任だ」
「颯太先輩・・・・・・」
「だから、あのデッドボールは気にするな」
颯太が陽斗の背中を軽く叩いた。陽斗にとって、歩を巡っては颯太は確かに敵だけれど、
同じチーム、そしてバッテリーとしては、最高の人間な気がする。
「颯太先輩って・・・・・・見かけによらず、いい人ですね」
「なんだと!?」
「あはは、颯太が珍しく褒めるから」
歩が屈託なく笑った。
「お前は一言余計なんだよ!それに、俺が悪かったのはあのリードだけだ!あとは全部
陽斗の馬鹿の所為だからな!」
さっきより強めの平手が背中を襲う。いてて、と陽斗は大袈裟に痛がってその場を走り回った。
その光景を回りの先輩が笑いながら見つめている。
 豊山南高校に入学してよかった。この野球部に入ってよかった。T高に進まなくてよかった。
めぐり合いは奇跡的で、陽斗にとって入り口は歩以外重要ではなかったけれど、このメンバー
で試合が出来る、その幸せを陽斗は本当の意味で知った気がした。
 夏本番、甲子園地方予選まであと1ヶ月に迫っていた。





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