なかったことにしてください  memo  work  clap




 次の日の夜になっても紺野は部屋から出てくる事はなかった。
ただ、冷蔵庫の中に作り置きしておいた夕食がなくなっていて、湊と武尊が仕事に出掛けた
後でこっそり食べに来たんだろうと、湊は察した。
「ご飯食べられるくらいの元気があるなら、まあいっか」
今は1人になりたいんだと思う。いろんなことがありすぎて、心が整理しきれてないに違い
ない。子どもでいるの時間はそんなに長くない。背負うものが少ない今だからこそ、紺野は
まだ立ち直れるはずだ。考える時間が欲しいのなら、好きなだけ篭らせてやろうと湊は思った。
 湊は今日も冷蔵庫に紺野の夜食をしまった。
 入浴後、部屋でくつろいでいると湊の部屋のドアをノックする人物がいた。
開けてみればそこにいたのは武尊で、いつになく硬い表情をしていた。
「武尊さん?」
「ちょっといいかな」
「うん」
湊は武尊を部屋の中へ招く。武尊がこの部屋に入るのはここで身体を重ねて以来だ。湊まで
武尊の緊張がうつって身体が硬くなった。
「座るとこないから、ベッドに座ってよ」
「ありがとう」
お互い妙な距離をとりつつ、湊は自分の椅子に、武尊はベッドに座る。沈黙を作りたくなくて
湊は口早に紺野の様子を話した。
「紺野、結局顔見せなかったね。まあ2,3日はそっとしておこうと思ってるんだけど」
「そうですね、それがいいかも・・・・・・」
武尊は曖昧に答えた。ここに来た用事のことで頭が回ってないのだろう。
「お茶、持ってこようか?」
「いえ直ぐ終わりますから」
湊は嫌な予感でいっぱいになった。武尊の用事は、湊にとって聞きたくないことに違いない。
 これから武尊が言う台詞を耳を塞いで全部聞かなかったことに出来ればどんなにいいのに。
そう思った瞬間、武尊はしゃべり始めていた。
「俺、決めたんです」
武尊はゆっくりとそう言った。
「決めた・・・・・・?」
返事をする湊の声が震える。
「はい」
湊は椅子の上でいつものように方膝を抱き寄せていた。その手に力が篭る。
 武尊は湊を視界の端にだけ留め、空を見ながらまるで独り言のようにしゃべった。
「昨日、紺野のお母さんが来たでしょう?俺、あのやり取りを見てて思ったんですよ。これは
自分の家族の結末かもしれないって」
「・・・・・・」
「一つ狂った歯車が無限連鎖して、気づけば大きく方向まで変わってしまう。今、ここで
ちゃんと決着をつけて置かなければ、もっと不幸になると思うんです」
「修復はやめたってこと?」
「はい。明日離婚届を出してきます」
トキンと湊の胸が鳴った。武尊が離婚する。あの家族から自由になるのだ。不謹慎だと分って
いても湊はどこかで嬉しさがこみ上げていた。
 けれど次の武尊の台詞で湊は現実を突きつけられることになる。
「だから、明日、この家も出て行こうと思ってます」
「え・・・・・・」
湊は言葉を失くした。
 確かに家族の問題が解決してしまったら、武尊がここにいる理由はない。初めから決まって
いたことだ。修復出来ても出来なくても、いずれ武尊はこの家から出て行くと分っていた
ことなのに、いざその瞬間が来ると、行き場の無い感情が湊を揺らした。
 永遠に続く家族なんてない。ましてや、この寄せ集めの家族がいつまでも存在するわけ
がないのだ。それをずっと見ない振りをして湊はやり過ごしてきた。いつか来る別れを、
今じゃないからといって目を瞑った。けれど、予感を見過ごしてきた所為で、別れが唐突
にやってきて、湊は余計に苦しくなった。
 出て行って欲しくない。ここにいて欲しい。できればずっと。
自分の我がままだと自覚しても内側から噴出す焦りは押さえられなった。このまま武尊を
手放してしまったら、一生会えない気すらするのだ。
 ベッドに吸い寄せられるように椅子から立ち上がると、武尊の隣に座った。スプリングが
跳ねて武尊の体が傾いた。
 あの夜は、身体だけでいいと思った。心が繋がらなくてもそれでもいいと。でもそんなのは
嘘だ。伝わる体温が高くなるほど我慢なんて出来なくなる。湊は声を絞り出して言った。
「僕は・・・このままでも構わないよ・・・・・・武尊さんがいたいだけ、いてくれれば」
「うん。ありがとう。でも、けじめだから」
「けじめだから出て行くの?」
「そうです」
「それだけが理由なら・・・・・・」
それだけが理由なら出て行く必要なんてないじゃないか。
 けれど武尊は首を振る。
「俺、器用じゃないんです」
嫌だ。そんなのは嫌だ。湊は武尊の答えを否定した。
 武尊にしてみれば距離が離れてしまうだけの話だ。心なんて初めから繋がっていないの
だし、武尊にとってその選択は、新しいスタートという意味以外理由はないのだろう。
 けれど、湊にとっての意味は違う。湊は縋るような思いで武尊に手を伸ばした。スウェット
越しに武尊の腕を撫でる。その様子に武尊も思わず身体を硬直させた。
「湊君?」
「居てよ、ここに。ううん、居てほしい」
「・・・・・・湊君、あの、ちょっと待って」
武尊が眉を顰めて湊を見下ろす。けれどその制止を振り切って湊は続けた。
「お願い、言わせて」
溢れる。武尊への想いは身体から零れた。

「僕、武尊さんが好きなんです」

口に出した後で、直ぐに言い訳を考えていた。
「ごめんなさい。でも、信じて欲しいのは初めからそのつもりで武尊さんを誘ったわけじゃ
ないんだ。あの時は、ただ人が恋しかっただけで・・・・・・」
「・・・・・・」
「でも、こうやって一緒に暮らしていくうちに、武尊さんが隣にいることが嬉しくて、あの
夜、一緒に過ごして、自分の気持ちに歯止めが効かなくなってた・・・・・・好きなんだ、武尊さんが」
湊の告白に、武尊は感情を抑えていた。湊は呼吸を飲み込んだ。
「・・・・・・驚かないんだね」
「十分驚いてますよ。1%の予感が当たってたって」
「予感って・・・・・・僕の気持ち気づいてたの!?」
いつから気づいてた?そんなに自分の態度は露骨だっただろうか。武尊はそれを承知で自分
と身体を重ねたのだろうか。色んな疑問符が頭の中を駆け巡った。
 武尊はその様子を苦笑いで受ける。
「完全に気づいてたわけじゃないですよ。だから1%って言ったでしょう?・・・・・・尤も俺
なんかより、紺野の方が湊君の気持ちに気づいていたみたいでしたけど。俺は、その紺野
の様子を見て、もしかしてもしかするとそうなのかもしれないって、瞬間的にそう言う
気持ちが過ぎっただけです。今だって、ビックリして、ほら手が震えてる」
そう言って差し出された手は確かに震えていた。
 湊はその手に軽く自分の指を重ねて、再び武尊を見上げた。
「紺野にバレるくらい、僕の気持ちは滲み出てたってことなのかな・・・・・・」
重なった手は熱い。2人このまま熱で溶けて混ざり合ってしまいたい。
 けれど武尊の気持ちは手の熱さとは逆に静かだった。
「答えを・・・・・・今は答えを求めないでください」
見詰められて、湊は余計に苦しくなる。気持ちを吐き出したことに後悔はしたくないけれど
タイミングは間違っていたのかもしれない。
「・・・・・・嫌なら嫌ってはっきり言ってよ」
「そうじゃないんだけど」
武尊の眉間に皺が寄る。声が掠れているのは武尊もやっぱり緊張している証拠だ。男から
告白なんて、人生において多分初めてだろうし、ゲイだと知っていても、抵抗はあるだろう。
「じゃあ、何なの?」
「ずるい言い方だけど、今は湊君のことを考えられないんです・・・・・・いや、考えたくない
って言ったほうがいいのかな」
「どういう事?」
「もう少しだけ時間をくれませんか?・・・・・・余裕が無いんです、こう見えて」
「待てば答えを出してくれるの?」
「はい」
はっきりと答える武尊に湊はそれ以上縋る事ができなかった。
「ごめんなさい。今はあの家族に決着を付けることしか考えられないんです」
武尊の真っ直ぐな瞳を見れば、湊の事を本気で考えてくれる事くらいよく分っている。けれど
この気持ちの答えくらい一言でも言えるはずなのに。好きか嫌いかなんて、後回しにする
ほど揺れることじゃない。きっと武尊の中にはもう答えは出ていて、そのタイミングを後
回しにしているだけだ。
「不器用なんだか、真面目なんだか・・・・・・」
「だから、器用じゃないって言ったでしょう」
武尊は自嘲気味に笑った。湊も半笑いでその手を放した。






 いつも通りの朝が来た。カーテンの隙間から漏れる朝日が快晴を予感させる。
「寒っ」
吐く息は白く見えるほど寒く、布団から出るのも嫌になるようなだるさがあった。結局
武尊に想いをぶつけても事態を変えることは出来ず、武尊は今日家を出て行くことになった。
 湊は一晩中それに捕らわれ続け、ついに朝になってしまった。
寝不足の身体を引きずり出すと身支度を整えてキッチンへ向かう。最後の晩餐は覚悟なし
に通り過ぎてしまったから、最後の朝食は覚悟しながら作った。
 いつもの朝食の風景。
ご飯と味噌汁に卵焼き。湯気のあがる味噌汁の向こうに座る武尊。最後だからと言って
何も変わらないけれど、2人の間には緊張した糸が張っていた。
 紺野は今日もまだ部屋から出てこない。2人きりの朝食は、昨日の告白も手伝って言葉が
少なかった。
 覚悟は決めた。別れはきっと突然やってきて、自分は止める事はできないことは予想出来て
いた。そうやって昨日の夜、一晩うなされながら心の準備はしてきたのに、今朝の自分は
一言でも発したら、何もかもぶち壊して縋ってしまいそうだ。
 湊は俯いたまま朝食を口に詰め込む。いつもと同じ味付けのはずなのに、味が分らない。
武尊が箸を止めて言った。
「餞別に・・・・・・」
「うん?」
湊はゆっくりと顔を上げる。
「何か一曲弾いてもらえませんか」
「・・・・・・うん。いいよ」
対面で座って朝食をとるのも息が詰まりかけていた。湊は食べかけのまま席を立つと、
ベーゼンドルファーの前に座った。
「リクエストは?」
「湊君のチョイスで」
そう言われて、湊は真っ白な頭で鍵盤の上に手を置いた。
「・・・・・・じゃあ、これでどう?」
湧き上がってくる音楽に身を任せ、湊は音を奏でた。
「雨だれ、だったかな」
武尊が呟く。湊は一度だけ武尊の方を見て頷くとあとは音の中に身体を委ねた。
 初めて武尊に会った日、湊の心の中に流れていた音楽。秋雨は湊の心の中も冷たく濡らして
世界を黒くした。
 あれから季節が一つ変わった。秋雨はもうない。
今降っている雨は、湊の中だけだ。ショパンの雨だれはシトシトと湊の心に雨を降らす。
もう一度、雨の中で武尊に出会う事があるのなら、湊は武尊になんていうのだろう。
 恋人を失った寂しさは埋まったけれど、埋める為に使った別のピースの部分はぽっかり
穴が空いてしまった。
 もう、ここに嵌るピースは武尊しかいない。答えが欲しい。武尊の家族の向こう側にある
湊への気持ちには何が書いてあるのか。手を伸ばしたい。聞きたい。武尊が欲しい・・・・・・。
 夏の嵐よりももっと乱暴な雨だれになった。





 玄関まで見送ると、武尊はいつもより多い荷物を抱えて振り返った。湊は何度も目を
瞬かせてその姿を目に入れる。
「今までいろいろとありがとう。お世話になりました。飯も洗濯も、全部やってもらって
俺は能無しの居候で済みませんでした」
「・・・・・・やめようよ、そういう台詞。二度と会えなくなるみたいじゃん」
「そうですね」
湊は鼻の奥がツンと痛くなるのを必死に堪えた。
 自分に与えられた選択肢は2つだけだ。待つ、もしくは諦める。受身でしかないこの状態
はどっちを選んでも苦しい。
 今でも喉元まで出掛かっている「今日も帰ってきて」の言葉を湊は吐き出さないように
何度も飲み込んでいた。
「あの・・・頑張ってっていうのも変だけど・・・・・・」
「頑張りますよ。新しい人生の出発だから」
「そう、だね・・・・・・」
その新しい人生に自分が入っていたらどんなに幸せだろうと、湊は想像してまた鼻の奥が
痛くなった。
「じゃあ、行ってきます」
「・・・・・・いってらっしゃい」
武尊の開いた玄関のドアの向こうには目を逸らしたくなるような明るい朝が待っていて、
その中に武尊は消えていった。
 湊はそれを玄関で呆然と見送った。



 その日、武尊は湊の家を出て行った。そして、夜になっても武尊が帰って来ることは
なかった。



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