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凡人の愛―薄情―



高校数学で必要なものは、一瞬の閃きよりも100の公式を知っていることだ。
100個しかない公式を駆使すれば、大抵の問題は解ける。
その問題に対して、解いたことがるかないか、勝敗の行方はそこで決まる。
だから、日頃の勉強が必要なのだ。繰り返し、問題を解く。習うより慣れろ。一にも練習
二にも練習。

その問題に直面した事のある人間の方が、テストでは有利なのだ。






 次の日の自由行動は、関西近辺の大学キャンパス巡りという修学旅行らしい日程だった。
修学旅行にそんなものを盛り込まなくてもと思うが、教務主任のごり押しで決まった。
 自分としてはどこに行こうが、自由行動は彼の監視と決まっているので、構わないのだが、
学生達にとっても、キャンパス巡りは寺巡りよりも幾分マシな日程らしかった。
「学食巡りしようぜ」
「K大行ったら、有名人に会えるかな」
「だったらD大の方がいいって」
彼らの目指すものは、そんなものばかりだったが。
 大体、この時期は目指す大学が決まっていない学生の方が多い。そのレベルに自分を
持って行こうとするのは極僅かな学生で、3年になって、自分のレベルから大学を選ぶ方が
普通だ。
 そんな学生達の会話を聞きながら、今日分の予定表に目を通していた。
どの班も行く場所は似たり寄ったりで、天野を監視していれば、クラスの学生の多くも
監視できそうだった。
「せんせー、せんせーってばー」
ホテルの前で学生達を見送っていると、隣のクラスの今井がやって来た。
「なんですか?」
「せんせーは、これからどこ行くの?」
「・・・・・・色々ですよ。クラスの学生が行くところを巡回するんですから」
「ホント?じゃあ、アタシも一緒に行く」
「はい?」
今井は言い終わらないうちに、左腕に捲きついてくる。その大胆な行動に身体が固まって
いると、刺すような視線を感じた。
 見れば天野がこちらに向かって睨んでいる。
「今井さん、ちゃんと班行動してください」
「だって、他の子達アタシの事置いてっちゃったんだもん」
周りを見渡せば、彼女と同じクラスの女子はもういなかった。
「行く場所は決まってるのでしょう?今から追いかければ間に合うでしょう」
「アタシに1人で知らない電車に乗れっていうの?」
「知らないって・・・見れば分かりませんか」
「先生は、アタシが迷子になっても構わないっていうの?」
左腕の体温。突き刺さる視線、この場から逃げ出したい。教師として失格の烙印を押され
ても構わないから、逃げたくて仕方ない。
「・・・・・・わかりました。これから彼らと共にK大に行きますから、同じ班の子と合流できたら
そこからは、ちゃんと班行動してくださいよ」
「はあい」
彼女から左腕を奪い返すと、隣で弾けるようにしゃべる彼女を引き連れて、視線の先へと
向かった。




「おはよう」
「げえー、今日も先生と一緒?」
「見張ってないと、余計なことをする生徒がいるので」
「もう、先生いいよ。アツシあげるからさ、俺らについて来ないで」
「笹部酷い、どういう意味」
「お前は嬉しいかもしれないけど、先生と一緒なんてこっちは溜まんないっつーの」
あからさまに嫌な顔をこちらに向け、笹部は溜息を吐いた。
 溜息を吐きたいのはこちらだって同じことなのだけど。
「まあまあ、あまりみんなの邪魔はしませんから、心置きなく大学見学してください」
「ったく、行こうぜ、有馬っち」
「・・・・・・ああ」
複雑な顔を浮かべながら、有馬も歩き出した。




 電車の中で終始無言だった2人は、K大に向かう坂道の途中でやっとその日一番の会話を
し始めた。
「あらおはよう。小さくて気づかなかったわ。ごめんね、ブラックリストの天野君」
この2人は元々仲が悪いのか。
昨晩のあのタイミングの悪さと険悪なムードからそれなりに察知はしていたが、こんな風
に彼女が突っかかるとは思わなかった。
 右隣に天野、左には今井に挟まれて、教師としては立場が微妙だ。微妙と言うより
立場がないと言った方がいいのか。
 天野は今井を自分越しに覗き込んで、にっこり笑った。
「あ、おはよう。迷子なんてかわいそうだね。ホントは仲間はずれにでもされちゃった
んじゃないの?忌々しい今井サン」
お前等は小学生のガキか、と頭を抱えたくなるような低俗の言い合いをして、彼らと共に
K大の門を潜った。
 天野の班のメンバーは彼を自分に押し付けて、自分達の前方を歩いている。時々、有馬
がこちらを振り返っては、笹部に連れ戻されていた。

 今井は何を思って自分に近づいてきたのだろう。天野と同じように自分にやたらと強い
アプローチを仕掛けてくるけれど、真逆、彼女まで自分を好きだなんてことはないだろう。
 自分はそんなモテるタイプではない。
 だったら、何かの思惑があるに違いないのだが、それが何なのか分からない。
そこで、ふと思った。
彼女が自分を利用しようとしてるなら、こちらも彼女を利用してみようか、と。
たまには天野が動かされてもいいじゃないかと、敗北者の惨めな足掻きみたいな、単純な
気持ちだったのだ。
 焦らされてる気持ちを、君も知ればいい。



そう思ったのが拙かったのか、今井を利用したのが拙かったのか・・・・・・。



 自分が取った行動は、実に単純なことだった。ただ、今井の話に合わせて、会話をする
それだけだ。
「・・・・・・でね、奈美ちゃんったら、彼氏に『男がプリクラ撮れるか』って言われてぶち切れ
られたんだって。それで、その日のデートは流れちゃった。先生は男の人でもプリクラとか
平気?」
「さあ、どうでしょうね、プリクラなんて撮った事ありませんから」
「えー、マジで?じゃあ、今度一緒に撮ろうよ」
右隣から異様な気を感じてはいたけれど、その反応を楽しんだのは自分だ。
「そうですね、機会があれば、一緒に撮りましょうか」
「うっそー、先生、マジで!?」
今井が左腕に絡み付いてきた。やんわり伝わる胸の感触に、思わず身体が揺れる。それから
右側の気は明らかに殺気になっていた。




「・・・・・・」
マズイ。
そう思った瞬間に、天野の顔は凶悪に自分を睨んでいた。慌ててその腕を引き離すけど、
そのときはもう遅かった。
「マジで!やったー。先生って、ちょーうけるんですけど!」
「ゆうくん!」
今井が手を叩いて笑っていると、天野が会話を遮るように前方の有馬を呼んだ。前方を歩く
有馬が振り返る。天野はそのまま駆け出した。
「あ、天野君!」
呼びかけると、振り向いて、拗ねた顔で叫ぶ。
「先生のばーか」
そして、有馬の腕を取ると、強引に左の方向へとそれて行った。
「あーあ、行っちゃった」
今井のクスクス笑う声に、冷や汗が吹き出た。






「ねえ、ゆうくん」
「なんだよ、突然こんなところまで、引っ張ってきてさ。名倉、メチャ驚いた顔してたぜ?
いいのかよ」
「いいの、もう」
「今井サンって子が気に食わないのは分かるけどさ・・・・・・」
「ココでキスして」
「はあ?」
「いいから、今すぐ、ここでキスしてって」
「あのねえ、歌じゃないんだから」
「するの?しないの?」
「・・・・・・お前さ、俺の事焚き付けて、そんなに泥沼になりたい?」
「いいよ、本気になっても。ゆうくんがホンキになって、僕をホンキにさせる事が出来たら、
名倉センセなんて止めて、ゆうくんにする」
「お前、その台詞忘れんなよ」
「ん・・・」
「俺、これでも、相当我慢してるんだからな」
「我慢なんてしなくて、いい」

今井を振り切って、駆けつけたときは遅かった。どこかの講義棟の裏手で、天野は壁に
押しやられ、それを覆うように有馬の身体が動く。彼らのキスを見るのは二度目だ。
 有馬の唇が天野の下唇を吸い上げていた。頬を撫でながら、何度も口を合わせ、
それから唇を軽く離して、舌を絡めあう。
 高校生の男2人にしては、艶かしい空気だった。
唇を離すと、また小さく音を立てながらついばみ、それは唇から顎のラインをつたって、
耳の後ろへと動く。
 目を閉じたままの天野の顔が、かすかに笑っている。
身体の底から熱いモノが湧き上がっていた。その顔を他の男にも見せるのか。ああやって
自分の知らないところで、彼は何度もあの顔で笑っていたのか。
 今すぐ飛び出して、二人を引き離したいが、役立たずの足は一歩も動けないでいる。
 奥歯がギリギリと鳴った。
手に入れたかった。社会道徳や自分の立場などふっ飛ばしても、本当は手に入れたい。
なりふり構わずできないのは、プライドと僅かな常識。けれど、その下にあるのは、いつも
彼を渇望している自分だ。
 高校生相手になんて醜い欲望を抱いているんだろう。
 手元は震えていた。やがて凝視していた天野の瞳が開いて、自分と目が合った。
「あっ・・・・・・」
声が出たのは天野の方だった。
「何?」
有馬も振り返る。
「うわっ、思いっきり見られてるじゃん」
「ふんっ」
天野はこちらに視線を向けたまま、有馬のシャツを手繰り寄せるともう一度その唇
にしゃぶりついた。
「アツっ・・・んっ・・・」
彼なりの、嫉妬だと取ればいいのだろうか、これは。
 嫉妬ならば、強く出て奪えばいいのだろうか。しかし、決別の意味だとすれば、追っても
仕方ないだろう。
 今井もその真意が全く分からないが、彼の行動もやはり自分の範疇を越えている。
 だらしなく彼らに近づくと、有馬の方が気にして唇を離した。
「天野君・・・・・・」
「うわあ、やだやだ、何この修羅場」
有馬は天野から離れると自分と天野の顔をキョロキョロと見比べる。
 天野は上目遣いで睨んでいた。
彼は子どもだ。
自分の思い通りにならないものに対して、容赦ない。
思い通りになるのが癪で、ちょっとだけ仕掛けた罠は、まるっきりの裏目になった。自分
の選択肢の中には、彼の手の平で転がるか、転げ落ちるかの二つしかないのだろうか。
 大人としてのプライドをかなぐり捨てる以外、彼を手にする方法はないというのか。
 ガキは嫌いだ。だけど、彼をここで手放すのも嫌だ。
「名倉センセーなんて、今井サンとイチャイチャしてればいいんだ」
天野はこちらに向かって、子どものように舌を出した。
「行こ、ゆうくん」
それから有馬の手を引くと、自分の前から立ち去ろうとする。有馬の方は、この
修羅場に動揺しながらも、最後は天野に従った。
「アツシ、いいのか?」
「いいの!名倉センセイは、今井サンのような可愛い女の子が好きなんだから。名倉センセ
なんて、プリクラでも一緒にとって、鼻の下伸ばしてればいいんだ」
天野の台詞に有馬は溜息を吐いた。
 そして、引きずる天野に釣られて、歩き出す。
 2,3歩、歩いたところで、有馬が振り返えった。しかしその顔は、既に決意を固めた
ような、男の顔をしていた。
「せんせ、ホンキにならないなら、俺、奪っちゃうよ。まだ入り込む余地アリアリみたい
だしさ」
 最後はニヤッと笑うと、彼らは自分の前から消えていってしまった。




 慣れない事をした結果だ。この展開は、自分も天野も望んだものではないだろう。
では、誰が笑っているのだ。
有馬は棚ボタだとして、かき乱したのは今井だ。
彼女は、この修羅場に慣れている。足掻かなければ、彼女の筋書き通りに動いてしまう。
それだけは耐えられない。有馬に彼を奪われるのも、自分が今井の上で踊らされるのも。
 だが、あのガキ共をどう止めていいのか、その有効な手立てが自分にはわからなかった。
その問題に直面した事のある人間の方が有利なのは数学の問題だけではないのだと、頭を
抱えながら痛感するしかなかったのだ・・・・・・。






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【天野家国語便覧】
凡人の愛(名倉彰人 著)
振り回されるだけの恋愛なんてもう嫌。自分だってたまには、小悪魔になって彼の事、振り回して
みたい。そんな夢見るヲトメに送る恋の指南書。
ただし、各センテンスの終わりには「やはり、恋愛は多少振り回されているほうが楽しいですよ」
と言うオチがあり、小悪魔になる方法というより、振り回されてもめげない声援のようなものを
感じる。




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