なかったことにしてください  memo  work  clap



 どうしよう、吉沢さん怒ってるよな。朝出るとき退院したら、一緒に家帰りましょうってメール
したんだけど、俺の携帯は一ミリもメールを届けてくれる気配はない。
 確かに俺が病院なんかで吉沢さんにキスしてたのがいけないんだけど、でも、吉沢さんが可愛すぎる
のがいけないんだ。だって、あんなに仕事できてかっこよくて、なのに俺のこと好きだなんて・・・。
 いや、最近本当に俺の事好きなのか、些か疑問を持たずにはいられない言動が続いているけど。
朝から悶々と悩んで営業部までの廊下を歩いていたら、後ろから浮かれた声の斉藤さんにいきなり
捕まった。
「よう、深海、昨日はごちそうさま」
斉藤さんは開口一番からその話題を振ってきた。
「お、おはようございます」
緊張で思わず身体が堅くなる。一番会いたくない人に一番初めに会うなんて、俺ってホントついてない。
背中なんて冷や汗たらたらだ。
「ばーか、別に誰にも言い触らしたりなんてしないよ」
ニタニタ笑いのその顔じゃ説得力ないんですけどね、斉藤さん。
「・・・そうですか?そうですよね。斉藤さんがそんなことするわけないですもんね。だけど、俺、今
すごく斉藤さんを絞め殺したい気分です」
「お前、一回死んでくるか?」
「冗談です」
実際問題、斉藤さんが言い触らすとは思えない。そんなことする人じゃない。だから意図的に俺たちの
関係が暴露されることはないだろう。だけど、吉沢さんはこの関係を「誰にも」知られたくなかった
んだ。信を置いている部下にだって。俺が恨めしそうに斉藤さんを見ると、逆に斉藤さんは興味津々
といったカンジで聞いてくる。
「んで?深海はどーやってあのオヒメサマを落としたんだ?」
「お、お姫様って」
「お姫様ってカンジだろ、あの人は」
「どこがですか」
「全部。んで?どんな手使ったの」
知ってしまった特権っていうのか、こういうのは。言わなきゃ言い触らすぞ?視線で俺を見るから、
俺は渋々本当の事を言ってしまった。
「・・・当たって砕けたら、向こうの方が先に好きだったみたいで・・・」
言ってから、しまったと思った。別に本当のことなんて一々言わなくたってよかったのに、俺って
なんて気の利かない男。
 吉沢さんの名誉のために俺が落としたとでも言っておけばよかったと、俺は後になってまた後悔する
ことになる。 斉藤さんなんて目玉が飛び出るほどびっくりして俺を眺めていた。
「口、開いてます」
「・・・近年まれに見る大スクープだな」
「さ、斉藤さん!!」
俺が声をかけても、斉藤さんは暫く俺を見たまま固まっていた。何度か声を掛けるとやっと正気に
戻って、酷く疲れた顔をした。
「あー、はいはい、冗談、冗談。誰にも言わないから、気にするな」
「・・・誰にも言わないでいてくれるなら、俺は気にしませんけど・・・」
弱腰で言うと、斉藤さんはその意味を直ぐに分かってくれた。
「課長のトップ中のトップシークレットだからなあ・・・やっぱり嫌だろうな・・・選りによって相手が
深海だしな」
「どーいう意味ですか!」
確かに、俺みたいな中途半端な社会人を男の恋人として選んでしまった吉沢さんだ。周りに知られたくない
のも当然だろう。男だし、しかも俺だし。そう、俺だから、これは余計にシークレットなんだ。
 何で好きになったんだろう。何で好きになってくれていたんだろう。距離を置いて眺めたら、
全然釣りあわない俺たち。
 2人だけの世界が、たった一人斉藤さんに知られたってだけで、急激にバランスを崩された気がした。
 周りから見れば不釣合いすぎる2人。周りの評価は自己評価よりも自分の感情を左右する。
俺は落ち込む必要が無い場所まで落ち込み始めてしまった。・・・吉沢さん、どうか何時ものように
最後は笑って許してくれますように。

 そんな俺の願いも虚しく、吉沢さんはあっさり俺を無視した。
残業を明日の朝一でやりますと言って逃げ、病院に向かったら、吉沢さんの病室はもう既にもぬけの
殻だった。吉沢さんについていた看護婦に聞けば、
「3時ごろに1人で退院の手続きして帰られましたよ」
とあっけない答えが返って来る。
 こ、これは、いよいよマズイ。相当本気で怒っているってことで間違いはないだろう。俺は看護婦に
礼を言って病院を後にした。
 吉沢さんのマンションに行くべきか、今日は大人しく帰るべきか。足はマンションに向かって
いたが、そこには俺の越えられない大きな結界でも張ってあるようで、先に進める気がしなかった。
 マンションの前で立ち尽くす。インターフォンを押せば、きっと吉沢さんは出るだろう。この前の
喧嘩みたいに、むすっとしながらも入れてくれるとは思う。
 ただ、今の俺にはそれをする勇気と気力が足りない。今まで何にも疑問に思わなかったから、俺は
いい気になってたけど、よく考えれば、吉沢さんが俺のこと好きだなんて、100万分の1の奇跡だって
ありえないことだ。ただその奇跡は起こってしまった。そうなればそれ以上の奇跡なんて起きるはずが
ない。俺の運は使い尽くしたんじゃないのかって思うのだ。
 今回の事で愛想尽かされて別れるなんて言い出してもおかしくないことだ。そう思ったら急激に
怖くなって、俺はマンションの前まで来たのに何もせず自分の部屋に帰ってしまった。明日、そう
明日会社で会って、隙を見つけて謝ればいい。その方が自然に謝れる気がして。
 だけど、その選択が俺と吉沢さんの溝を更に深めることになるとはそのときは想像もしてなかった。


 次の日、どんよりした気持ちで出勤すると、相変わらず茶化しムード一杯の斉藤さんに、
「なんだ、まだお姫様と喧嘩中?」
なんて聞かれて、更にそれを聞いていた立川さんや奥野さんが
「何ー?お姫様って彼女の事?」
「深海主任、彼女いたんですかー!」
と話題に食いついてきた。女ってどうしてこう他人の恋愛に興味があるんだろう。
しかも、へえ、意外〜って立川さんそれはいくらなんでも失礼だろうが。俺以外はのんびりモードで
朝のひと時を過ごしていると、二週間ぶりに復帰した吉沢さんがやってきた。完璧な営業スマイルで。
「課長〜、おはようございます〜。お体もう大丈夫なんですか?」
 立川さんの声が一オクターブくらい高くなる。
「おはよう。休んでしまって申し訳なかった。溜まった仕事はなるべく早く片付けるよ。休み中の事は
大体把握してるつもりだけど、何か変わったことは?」
「大丈夫です。課長の分も穴埋めするために、私、一生懸命がんばりましたから」
語尾に音符か、さもなくばハートでも飛んでいきそうなほど立川さんはここぞとばかりに自分をアピール。
 さすがにそれには吉沢さんも苦笑いで、営業スマイルの顔を崩した。そうして吉沢さんもこの安穏とした
雰囲気の中にすんなりと溶け込んでしまった。俺だけいつまでも1人気分が落ち着かない。だって、さっきから
吉沢さん一回も俺の方を見ようとしないだもんな。
「奥野さんも、休みの間、資料作成手伝ってくれたんだって?ありがとう。奥野さんの方は、何か
問題とか変わったことない?」
「問題はないです。変わったことも・・・うーん」
くるっと見渡して俺と目が合う。そして、何を思ったか奥野さんは吉沢さんに
「強いていえば、深海主任に恋人がいたってことが分かったことくらいかしら?」
ばっ・・・バカ、それは・・・今一番の禁句だってーの!!
「そうそう。あたし達さっき聞いたんですよ!しかも喧嘩中なんですって。あはは。深海主任いつから
彼女いたんでしょうねー、ねー課長」
立川さんのその一言で、俺、課長、斉藤さんの笑顔が固まった。まずい、ここは何とか誤魔化して
乗り切らないと。吉沢さんを見れば相変わらず俺と目を合わせる隙もなく、斉藤さんに至っては
こっそりとこの輪を抜け出そうとしていた。
 斉藤さ〜〜〜ん
 もう、こういう時は強制終了しかない。俺は昨日渡し損ねた資料を手に吉沢さんの前に立つ。
「おはようございます。体調はよくなりましたか?これ、頼まれていた資料です。確認お願いします」
俺は事務的な会話で女性陣の浮かれた会話を蹴散らした。吉沢さんもそれを受け取ると、すっかり元の
営業スマイルに戻っていた。俺の前では私情を見せる気は全く無いらしい。
「確認しておく」
とだけ言って、他の皆には軽く手を上げてその場を立ち去っていった。事情を知らない人にとって見れば
当たり前の日常の光景であり、事情を知る者にとってはそれはまさに修羅場であった。
 立川さんが、俺のせいで吉沢さんが早々に立ち去ってしまったと、後ろで文句を言っていたが
そんな小言に何時もの苦笑いで答えられるほど、俺には余裕すら残ってなった。

 結局俺は謝るタイミングを掴み損ね、それから一週間、社内で業務以外に口を利く事もなければ、
吉沢さんのマンションに出向くこともなかった。
 吉沢さんの怒りは、逆鱗に触れたというよりも、怒りの納め方に迷っているうちにずるずると関係が
悪化しているというニュアンスの方があっていると思う。
 付き合って1年目の最大の喧嘩となってしまったのだ。
解決の糸口も見えず、俺は落ち込み、吉沢さんは俺を避けた。よくよく考えれば、たったアレだけ
のことだったのに。
 たったそれだけの事が、それだけで片付けられない俺たちの恋愛。例えば、男と女で、病院で退院を
祝って交わしたキスを会社の人間に見られたとしても、「あはは見られちゃった」くらいで済むだろう。
 俺以上にそのことに神経質になっている吉沢さんにとってみれば、けして笑って済ませられることじゃ
ない。笑って済ませろとも、そんなことにナーバスになるなとも俺は言えない。建前はやっぱり大切で
仕事をしている以上そこは守らなくてはならないギリギリのラインだ。
 俺は吉沢さんの怒りが自然消滅してくれるのをただじっと待つことくらいしかできないだろうと、
自分から連絡を取ることも辞めた。そうすると仕事自体でも口数が減り、周りの勘のいい人間なら
そろそろ何かあったんじゃないのかって気づき始めてもいいほどになっている。
 斉藤さんなんてあからさまにそれを感じているのか、面白半分、申し訳なさも混じってか、俺に
昼飯をおごってくれた。
「俺、やっぱり不味いことしちゃったかな」
「・・・不味いところを見られたのは確かですけど、不味いことしてたのは俺ですから」
原因は俺だ。やっぱり斉藤さんを恨むのはお門違い。でも、吉沢さんのあの可愛い仕草みてたら、
ムラムラっとついキスしたりしたくなるっていうのは、一応恋人と呼ばれている間柄で起きても
不思議じゃない感情だと思いませんか?
 思わずそんなこともまで口走りそうになって、サトイモの煮っ転がしを口に入れてもごもごと誤魔化す。
「本当にまだ喧嘩中なのか、あれが原因で?」
「そうっすよ。1週間、連絡取ってません。・・・そうとう怒ってるんだと思います」
「ふうん、そう。・・・深海、振られちゃったりして」
「――?!斉藤さん!」
斉藤さん冗談キツイ。キツイっていうかシャレにならない。今ならありえない話じゃない。箸から
摘んでいたサトイモがぼろっと器の中に落ちる。
 別れるために距離を取ってるのだとしたら相当重症だ。女々しいことするような人じゃないとは
思うけどこんなに無視されてる期間が長引いた事がないだけに、自分達は大丈夫だと胸を張って言える
自信がない。
「ぶっ、お前なんて顔してんだよ。ごめんごめん。冗談」
「斉藤さん・・・」
「まあ、俺はその恋愛感情に関してはよくわかんないけど、少なくとも、課長は、お前が入社してから
ずっと可愛がってたし、仕事でもお前の事買ってるし、そう簡単に手放すようには見えないけどな」
「そうですかね・・・」
斉藤さんの慰めは嬉しいけど、それを飛び越えてしまうのが恋愛感情ってモノだったら、と思うと俺は
素直に浮上できる気がしなかった。

 それから事態は一向によくならないまま更に数日が過ぎ、俺は暗い毎日を送っていた。何時ものように
出社すると、斉藤さんが真っ先に声をかけてきた。
「おはようございまーす」
「おはよう、深海。今日お前外出予定ないよな?」
「はい、今日は一日デスクワークの予定ですけど」
「じゃ、深海で決まりだ」
「はい?」
振り返ると、そこには吉沢さんが立っていた。
「課長、深海が空いてますんで、同伴深海連れてってください。俺、午後一でアポ取ってるので
一緒に回れそうも無いですわ。深海、課長の手伝い頼むな。人数あわせみたいなもんだから、お前は
座ってるだけでいいから」
え?
びっくりして斉藤さんを見れば、真顔で頼むなと言われ、吉沢さんも
「準備が出来たら直ぐ行く。資料と機材準備して玄関下りるから、深海は車回してくれ」
と言って、その場を立ち去っていった。
 多分斉藤さんは俺たちに気を遣ってくれたんだろう。呆然と吉沢さんの背中を見送っていると
後ろから斉藤さんの咳払いが聞こえた。見れば眉がぴくりと動いて、行って来いと言っている
ようだった。
 俺たちには話す場所も時間も必要だったけど、斉藤さんの心遣いには半分くらいしか感謝できず、
無言で営業部を後にした。
 正直、何をどうしていいのか戸惑っている。謝ることで許されるのなら、謝り倒すまでだけど、
別れたいというのなら、どうしたらいいんだろう。
 社用車を玄関まで回すと、吉沢さんが無言で助手席に乗り込む。
 車内はいつになく緊張とピリピリムードでいっぱいだった。
「あ、あのう」
「1件目は10時にアポ取ってるから。遅れるな」
「・・・はい」
仕事モードの吉沢さんに俺は何も言えなかった。吉沢さんの指示で3件のアポを次々にこなし、
帰りの車内まで、俺は仕事以外の話を切り出すきっかけすら得られなかった。この焦りは何だ。
 周りから見れば完璧すぎる「上司」と「部下」。吉沢さんは俺たちの関係をそこまで遡ろうと
しているのか?今までの事をすべて無かったことにでもしたいのだろうか。
 何から話そうかと考えあぐねている。でも、考えれば考えるほど、その先の別れが見えてくる
ようで、カラカラに乾いた喉から声が上手く出せなくなる。ハンドルを握る手が汗で滑った。
 空気は重かった。
「吉沢課長・・・」
横目で見れば、吉沢さんは窓ガラスに頭を任せて、外を見ていた。その瞳は怒りよりも疲れている
様に見える。何を考えているんだろうと、その横顔を眺めていると、ずっと閉じていた口が開いて
吉沢さんは、ポツリと呟いた。

「深海、俺と別れたい?」


<<7へ続く>>








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