なかったことにしてください  memo  work  clap




 3年目の浮気には生物学的な根拠があるんだと、同じ課の女の子が言っていた。
それが本当でも嘘でも構わないけれど、やっぱり3年くらいすれば、少しずつ冷めて行く
部分があるのかもしれないし、それが浮気へと向かわせるんだろうなあ・・・と過去の経験を
振り返ると、ちょっと納得してしまう。
 けれど、今の俺は昔の自分とは違う。
違うって言うのは「吉沢さん一筋で他の人間なんて目に入らない」っていう他人が聞い
たら暑苦しい惚気みたいなモンじゃない。そう言う『あー、はいはいそうですか、アツアツ
でいいね、でも後数ヶ月もすれば、気持ちも変わるデショ』なんて呆れられるような理由で
昔の自分と違うっていうのだったらいいんだけど、今の俺が違うっていうのは、変なところ
にギアが入って、3年目の浮気をしようにも、浮気する相手が男なのか女なのか想像が
つかないってことなんだ。
 勿論暑苦しい惚気みたいなモンだってあるから、今のところするつもりはないって断っ
とくけどな。
 まあ、これは仮定の話。
俺は、吉沢さんと付き合って、初めて男を好きになったけど、今のところ、「ゲイ」だ
とは思ってないし、(そこに突っ込まれると非常に困るんだけど)万が一、吉沢さんと
別れることになって(想像もしたくないけど)吉沢さん以外の人間と付き合うことになった
とき、俺はきっとまた女を選ぶんじゃないかと思う。
 そういうことがなければいいとは思うけど、俺が振られないっていう可能性はゼロじゃ
ないからな。
俺は吉沢さんが好きなだけであって、男が好きなわけじゃない。でも、吉沢さんとセックス
出来たってことは、多分「男」とも出来るってことなんじゃないかなあと。
だから、仮定として今俺が浮気する相手は男か女かって言われると、え?どっちなの?
と自分でも分からなくなってしまうわけだ。
 分からないから浮気しないっていうのも変な理由だけど、要因の一つにはなってるとは
思う。あ、くどいけど、浮気しない一番の理由は吉沢さん以外考えられない、だ!
 理由に胸を張れないところはあるけれど、今のところ俺が浮気をする確率はゼロだと
こっちは胸張って言えるつもり。
 で。ここで考えちゃうのが吉沢さんのことだ。
今まで、吉沢さんの過去について俺は聞いたことがない。もともとゲイだったのか、相手
はどれくらいいて、それが男だったのか女だったのか。知りたいと思うこともあったけど、
それを聞いたところで、知りもしない過去の相手に嫉妬するのは嫌だし、それならば、
知らない方がお互いの精神衛生上いいと思う。
 30過ぎの男なんだから、恋愛の一つや二つや三つや四つくらいは出てくるだろう。なんて
ったって、吉沢さんあんなイイ男なんだし。俺と付き合ってるのが不思議なくらいいい男
っていうのは、俺が惚れてるからだけじゃない。吉沢さんはホントにモテる。アホの新井に
までモテるくらいおモテになる。
 過去、大恋愛をしてたっておかしくないって思うだろ?
まあ浮気はしたことがないと言ってたけど(俺の浮気相手の話を聞いてあんなに怒ってた
くらいだから、それは本当だろうと思う)これから先浮気しないっていう可能性はゼロじゃ
ない。してほしくはないけど!
 でも、吉沢さんが浮気するかもしれないなんて、お気楽な俺は想像したこともなくて、
今までそれほど不安になったことなんてなかった。吉沢さんの性格から見れば、浮気なんて
絶対しないだろうっていうのもあるけど、それよりも吉沢さん、口では俺のこと馬鹿だのダメ
だの<言ってるけど、結構俺のこと好きだから(でなきゃ、部下に身体なんて開かないよな)
それなりに上手くいってる自信はあった。
 あったんだけど、その自信が今、ちょっとぐらつき始めてる。
3年目の浮気の話をしてくれた女の子の、もっともらしい理由を熱弁していた姿を思い
出してしまうくらい頭の中がぐらんぐらんしてる。
 しないよな?するわけないよな?不安は不安を誘って、俺の中に黒い塊が出来て、それが
がん細胞みたいにどんどんと心を侵食していくんだ。
全ては、あのお手本みたいな笑顔を振りまいていた前園さんの所為。





 ボーナスで懐が少しは温かくなった6月末。相変わらずじめじめとした梅雨は続き、そして
新井のうじうじとした鬱陶しさも続いていた。
 新井のうじうじの理由は勿論、兄貴のことで、その兄貴の戦歴は今のところ
『未練のある人が、なかなか手ごわくて振り向いてくれない』
のだそうだ。
 それを受けて一緒に落ち込む新井はどこまで「お兄ちゃんっ子」かと辟易する。
今日だって、せっかく吉沢さんがボーナスのお祝いで1課のメンバーを呑みに連れてって
くれたのに、新井は俺と吉沢さんの間に納まって永遠とそのことを語っていたのだ。
 1次会が終わってやっと解放された俺は、早々に吉沢さんと消えることにして、吉沢さん
のマンションに直行して飲み直していた。
「お疲れ様デス」
「新井のアレは流石に疲れたな」
吉沢さんとビールで乾杯して、二人で苦笑い。ソファに沈み込みながら二人で肩を寄せた。
 見れば、またマンションのパンフレットが増えている。
 購入はまだまだ先の話なんていいながら、結構本気なところに胸騒ぎがして、気が気じゃ
なくなるけど、俺が、マンション買うんで一緒に住んでください、なんて金銭的に言える
立場じゃないんだよな。
 今まで飲み歩いて落としたお金を全部貯金してたら、頭金くらいにはなったかな、とか
どうしようもない想像をして、またへこんだ。
「深海?どうした?」
「・・・・・・なんでもないです。それよりも、1次会の飲み代、吉沢さんが全部払ったんですか?
太っ腹っていうか・・・・・・一体どれだけボーナスもらってるんだ・・・・・・流石課長職。平社員
同様の俺としては羨ましい限りですよ」
「深海と大して変わんないって」
「またそういう冗談を。・・・・・・このビール代ですら吉沢さん持ちなんて、甲斐性なくて
悔しいです」
「いいんだよ、金なんて持ってるほうが払えばいいんだ」
吉沢さんは常日頃からそういうけど、恋人だからこそそれが余計に切ない。もっと偉くなって
軽くフランス料理とかご馳走できる立場になってみたいけど、吉沢さんと会社の地位が逆転
することは一生掛かってもないからな。
 俺は、ビールの入ったグラスを置くとふらふらと立ち上がった。
「ちょっとトイレ行ってきます」
「ついでにそのしょぼくれた顔も流して来い」
吉沢さんが行儀悪く俺を足蹴にして、俺はよろけた拍子に、テーブルの隅にあったマンション
のパンフレットを派手に散乱させてしまった。



 トイレに入っている間にインターフォンが鳴って、吉沢さんがばたばたと玄関に向かって
いった。
 マンションの間取りは、玄関からリビングに続く廊下の右側にトイレがあって、この
タイミングで出ると、間違いなく来客にも俺の姿を見られることになる。
 玄関の声がここまで聞こえてくるってことは、トイレの中の音だって聞こえるかもしれない
ってことで、俺は息を潜めて来客が誰なのか聞き耳を立てた。万が一会社の人間たったり
したらこの状況の言い訳が面倒くさいからな。
「こんばんは。夜分遅くにすみませんね」
「い、え・・・・・・。あの」
「ええ、ちょっと近くを通ったので。マンション探しはどうですか?実は、この前いらして
いただいたときから、ちょっと状況が変わりったんです。吉沢君が気に入っていた間取り
の部屋、キャンセルが出たんですよ。それで、お知らせしようと思って」
「そうなんですか。・・・・・・わざわざありがとうございます」
吉沢さんのいつになく戸惑い気味な態度と、聞き覚えのある声に俺の心臓は急激に早くなった。
 だって、この声は・・・・・・。
「いえいえ、吉沢君にマンション買ってもらう為なら、なんでもがんばりますよ」
「前園さん・・・あのっ」
―――やっぱり。この声は前園さんだ。
「別に他意はないよ。営業成績上げたいだけだから」
「・・・・・・他意ってなんですか」
「安くした見返りをよこせとかそんなこと言わないって事だよ」
吉沢さんの乾いた笑いがする。
「じゃあ、何でもしてくれるってキックバックでもしてくれるんですか」
「お金かあ・・・・・・お金よりももっと有効活用できるモノなんてどう?」
「なんですかそれは」
「例えば、俺自信とか」
前園さんの声のトーンが変わって、俺は全身の毛が逆立った気がする。
 なんなんだ、この嫌な予感!
俺は思わずトイレから飛び出していた。



「!?」
「!!」
「・・・・・・ども」
飛び出した後のことなんて、考えてなかった。
 吉沢さんのあんなに動揺した顔、初めて見た。それから、前園さんの思いっきり崩れた
顔。営業の範疇を超えてる笑顔が固まっていた。
「深海・・・」
呟いた吉沢さんの声が、僅かに震えて、それで俺は確信してしまったんだ。
この二人、何かあるって。
俺の視線は敵意がオブラートくらい薄い膜で、ぎりぎりに抑えられているんだか、いない
んだか、多分それくらいの状態だったと思う。
 前園さんと目が合って、お互い固まっていたけれど、先手を取ったのは前園さんだった。
「この間はどうも。知人っていうのは吉沢君のことだったんですね」
すっかり営業用のスマイルに戻して、前園さんは俺に会釈をした。
「・・・・・・」
答えられないでいる俺と、主導権をにぎりつつある前園さんを前に吉沢さんの動揺は更に
大きくなったみたいだった。
「深海、前園さんと知り合いなのか?」
揺れる瞳が、俺の視線を真正面から受け付けていない。
「たまたま、この前の同期の飲み会の時、お隣に座っていたんです」
「まさか名前を呼ばれるとは思わなくて、俺もびっくりしましたけどね」
「ど、どこかで見た顔だなあって思ったら、吉沢さんが持ってたマンションの営業さんの
名刺にプリントされてた顔だあって・・・それで思わず声が出ちゃって」
「・・・・・・そう、か。うちの深海が失礼なことしました」
吉沢さんも、何故だかビジネスモードに切り替えて前園さんに頭を下げた。
「深海さんとおっしゃるんですか?」
「あ、はい。深海慎一郎です」
「・・・・・・」
俺が名乗ると前園さんは一瞬間を置いて、俺と吉沢さんを見比べた。
「何か?」
「深海さんは吉沢君の・・・」
「吉沢課長の部下です」
前園さんが言い終わらないうちに俺は言い切った。本当は恋人ですと言いたい所だけど
相手の出方が分からないうちに下手なことは出来ない。
「そうなんですか」
けれど、前園さんの視線を受けて俺ははっきりと感じた。柔らかい物腰は変わらないのに、
その瞳の奥はけして笑っていない。
これは同じ獲物を狙うオス同士の視線だ。勿論「獲物」とは目の前で憂いている愛しい
恋人だ。
 営業の肩書きを利用して、のこのこ家までやってくるなんていい根性してんじゃん。
そこまで思って、ふとこの前の飲み会のときに、前園さんが呟いていた言葉が蘇った。
この人、もうすぐ結婚するって言ってなかったか?しかも『再会したのは彼女じゃないん
ですけど、久しぶりに会ってぐらぐらしちゃって』って・・・・・・。
 それって・・・・・・もしかしなくても、吉沢さんのことか!
こんにゃろう、吉沢さんは絶対渡さないからな。
腹の底から沸きあがってきた嫉妬心を顔に出さないように堪えてるけど、前園さんには
あっさり見破られて、小さく鼻で笑われた。
「吉沢君、また是非ギャラリーに来てよ。絶対気に入ると思うから。モデルルームだったら
破格の値段付けられるし。そこはがんばりますよ。・・・・・・じゃあ、失礼します」
「前園さん、ちょっと・・・」
吉沢さんが呼び止めるまもなく、前園さんは勝手に帰っていった。
 後に残された俺と吉沢さんの気まずさといったら・・・・・・そこまで計算してこのタイミング
で出て行ったのなら、前園さんは相当なやり手だと俺は思った。





 あの日、吉沢さんの態度がおかしかった事。何か隠してるって思った事。多分それは、
前園さんとの過去だろう。
 別に過去のことならいい。流すくらいの器量くらい持たなきゃ、男としてかっこ悪いだろ。
でも、それが現在進行形となれば話は別だ。
「・・・・・・深海は知らないだろうけど、前園さんって昔うちの会社にいたんだ」
「え?!」
「俺が入社したばかりの頃、付きっ切りで営業のノウハウ教えてくれたり、すごく世話に
なった人で・・・・・・」
「俺が会社入った時にはもういませんでしたよね」
「ああ。深海と折り合いの悪かった営業部長いたの覚えてるか?」
「はい」
「前園さんも、折り合いが悪くて。・・・喧嘩して辞めてったんだ」
「そうだったんですか」
「世話になった手前、無視するわけにもいかないだろう」
「・・・・・・そうですよね。営業にとって付き合いは大事ですから」
吉沢さんはすごく世話になったの一言で片付けたけど、その言葉の向こう側にある関係を
想像すると俺は平常ではいられなくなった。
 恋人だった?恋人じゃなくても、深い関係になったりしなかった?
聞きたい。聞きたいけど、確証もないのに口にして吉沢さんを怒らせたり傷つけたり
したくはない。口は災いの元だと俺に叩き込んだのは他でもない吉沢さんだ。
「突然来たからびっくりした。悪かった」
「よく、来るんですか?」
「いや・・・初めてだよ。・・・・・・飲み直すか?」
「そうですね」
心に渦巻いた疑惑は、浴びるようにビールを飲んでもアルコールで洗浄されることもなく
二日酔いとなって、俺の気分を悪くさせることとなった。



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