なかったことにしてください  memo  work  clap






僅かの差で店を出た筈なのに、店の前の通りには新井の姿を見つけることが出来なかった。
「・・・・・・どこ行ったんだ?!」
橘高は回りを見渡して、とりあえず駅の方へと歩き出した。
ショックのあまりどこかに蹲っているのかもしれないと、電柱や看板の陰やゴミ箱の後ろ
にまで目を向けたが一向に見つかる気配はなく、駅までたどり着くと橘高はダメ元で新井
のケータイを鳴らした。
しかし予想に反して、新井のケータイはコール5回でつながった。
「新井さん!?」
「うん」
「どこにいるんです?」
「カラオケ」
「・・・・・・どこの?」
「お店出て一番初めに見つけたカラオケ屋さん」
そう言われて、橘高は『J』まで戻ると、両隣を見渡した。
「レストランバーには一人で入れないくせに、一人カラオケは平気って、やっぱり新井さん
の感覚って変わってる・・・・・・」
橘高は新井がいるであろうカラオケ店を見つけると、苦笑いして入っていった。



「ら、らーら、言葉にぃ〜出来な〜い」
新井は個室で一人熱唱していた。
「・・・・・・」
新井のキャラの方向性をひっくり返すような歌のチョイスに、橘高は苦笑いした顔が更に
固まった。
本当にこの男は自分の予想の斜め上あたりを行ってくれる。けれどこんな風に期待を裏切られ
たり、振り回されるのも実は結構楽しいことを橘高は知った。
次は何をしてくれるのだろうと、わくわくした思いすら沸きあがる。
やっぱりこの男を落としたい。橘高は新井の失恋につけ込んでも落としてやろうと改めて
誓った。
新井は一曲熱唱すると、マイクを置いて伸びをした。
「あー!チョーショック」
「やっぱり好きだったんですね、課長のこと。・・・・・・失恋しちゃいましたね」
「失恋?うーん、そりゃあ勿論尊敬してるし、好きか嫌いかって言われたら大好きだけどね」
「失恋じゃない?」
「さあ。こういうのって失恋っていうの?」
「・・・そうなんじゃないんですか?現にショック受けてるんでしょう?」
「うん。でも、吉沢課長に彼女がいたこともショックだけど、俺の努力が報われないって
いう方が相当ショックなんだよね!」
「努力?」
橘高が問うと、新井はカラオケのリモコンを無駄に遊びはじめた。それから日本語にならない
言葉を発して一人で悶々とし始める。
「新井、さん?」
「・・・・・・俺さ、キッタカッターに言われて毎日考えてたんだよ」
「何をですか」
「吉沢課長と……すること」
「はい?」
新井はリモコンを弄くる手を止めて、橘高を見上げた。
「俺、ホモじゃないのに、すっごいがんばったの!」
「…はい」
「自分見失いそうになりながら、最後までちゃんとがんばったんだって!」
「最後までって・・・」
真剣に訴える新井に橘高は噴出しそうになる。自分を見失いそうになる妄想って一体どんな
ものなのだろう。あほ過ぎると思いながらも、橘高は黙って頷いた。
「そんでさ、最後まで出来るようになったの」
「はあ」
どうやら、妄想の中で新井は無事、吉沢課長と結ばれたらしい。
新井は再びカラオケのリモコンを弄くり出した。
「俺、覚悟したのに」
「覚悟…」
「そうだよ!吉沢課長と結ばれる覚悟決めて、すっごくがんばったのに、覚悟し損じゃない?
俺の努力と覚悟、返してほしいよ」
勝手に妄想しておいて、いい迷惑なのは吉沢課長の方だ。大体、新井の覚悟なんて、気持ち
よかったこそあれ、そこまでショックを受けるほどのものではないはずだ。
けれど、この際そのことには目を瞑って橘高は新井の妄想を覗いてみたいと思った。
「それは大変でしたね。・・・・・・ちなみに、その努力の中で新井さんは吉沢課長に入れる方
だったんですか?それとも・・・・・・」
その質問に、新井は照れ笑いを浮かべて頭を掻く。
「どっちも」
「どっちも!?」
「うん。いろいろしっくりするの考えてみた」
まんざらでもなさそうな顔に橘高は再び苦笑いが浮かぶ。分からない男だ。
「考えられたんですか・・・・・・」
「うーん、それが難しいところなんだよね。どれがしっくりするのかわかんなくなっちゃって」
研究熱心なのか、ただの馬鹿なのか、新井の一直線な思考に橘高はふふっと笑った。
「そういうのは実際にやってみないとわかんないもんですよ。試しにやってみます?」
「へぇ?」
「せっかく『覚悟』決めたんだからその努力、報われてみませんか」
相手は違うけど――。問題をさり気なく摩り替える。橘高の強引な押しに、新井も真剣に
悩んだ。
「うーん。そうだよね。覚悟し損って悔しいし。キッタカッターなら出来る気がするし」
やはり、新井はお馬鹿な男だった。
新井がお馬鹿で単純な人間でよかったと、橘高はこの時ほど思ったことはない。気が変わら
ないうちに連れ込んでしまおうと、橘高は新井の手を取って立ち上がった。
「じゃあ、行きましょう」
「行くって?」
「まさか、こんなとこでするわけには行かないでしょう?」
「あはは。そっか。じゃあ、行く前にもう一曲歌わせてよ」
「・・・・・・いいですよ」
その俊敏さを仕事にも活かせといわれそうなほど手際よく、新井は手にしていたリモコン
をすばやく操作する。前奏が始まると新井はマイクを持って立ち上がった。
「いつも一緒に、いたかった〜」
新井の歌は無駄に上手かった。





こんな簡単に連れ込めていいんだろうか。橘高はこの後に大きな落とし穴でも仕掛けて
あるんじゃないかと、ソファに座る新井を見て不安が過ぎった。
カラオケ店を後にして、取り留めのない会話をしながら橘高の1LDKマンションに着いた
のがつい数分前のこと。部屋に上がりこんで、新井はリビングの装飾品やCDを物色した
後、二人掛けソファに沈んだのだ。
まったりとくつろぐ新井に、橘高はキッチンから声を掛けた。
「何か飲みますか?」
「ううん、大丈夫。さっき買ったコーラあるから」
そう言うと、新井はコンビニの袋から買ったばかりのペットボトルのコーラを取り出す。
橘高は自分にはお茶を淹れ、新井には空のコップを差し出した。
「新井さん、コーラ好きですよね」
「うん。コーラが切れたら、俺死んじゃうと思うんだよね」
「ニコチン中毒みたいですね」
あはは、と新井は笑ってコーラを一気に流し込んでいく。橘高はそれを見ながら、生殺し
パターンを想像していた。
新井はカラオケ店からここまで来る間に目的なんて忘れている気がする。そうでなければ
こんなにも平常な空気のまま、座っていられるはずなどない。マンションに入った途端
熱い抱擁とか、とろけるキスなんて絶対にありえないと思っていたけれど、こんな暢気に
構えられると、橘高はどこから手を出していいものか切り口が見つけられなくなった。
居酒屋で酒を飲むのと同じように、適度な距離を持って、仕事の話をして、時間になったら
解散・・・・・・。それだけは嫌だ。最後まで頂けなくても、せめて一歩踏み込みたい。次に
繋がるような確証がほしい。
この色気ゼロの会話から果たしてどうやってベッドに連れ込もうかと考えていると、鴨は
意外にも、葱を背負って部屋に入ってきただけでなく、自ら土鍋の中に飛び込んできた。
新井はコーラを持ちながらリビングをうろうろし始め、それから隣のドアを指さした。
「ねえ、こっち見てもいい?」
「・・・・・・どうぞ、寝室ですけど」
新井は寝室のドアを開けると、ずかずかと入っていった。
「へぇ、こっちが寝室かあ。キッタカッターのベッド広くて気持ちいね」
「・・・・・・」
橘高が遅れて入っていくと、既にベッドに大の字になって新井が転がっていた。
「・・・・・・新井さんは、俺を試してるんですか」
「ん?なんのこと?」
「じゃあ、誘ってる?」
橘高は新井の隣に座ると、真上から見下ろした。
「実はその気満々で待ってた?」
「え?」
「覚悟、もったいないから使ってみるんですよね」
「・・・・・・あ、そうだった」
新井は、どういうわけか本当に目的を見失っていたようで、今更気づいたように照れた
笑いを浮かべた。
けれど、橘高だってここまで来たなら引く気になどなれない。土鍋に落ちてきた鴨に手を
差し伸べて救ってやるほどお人好しにもなりたくなかった。
「せっかくここまで来てくれたので、ついでだからやっちゃいましょう」
「う?う、ん・・・・・・?」
新井が戸惑っている間に、橘高は新井のネクタイに手を掛けた。
しゅるしゅるっとネクタイを首から引き抜いていくと、流石に新井も慌てだした。
「え?え?ほんとに?」
「本当にって。本当だから、ここまで来たんでしょう?」
「・・・・・・」
「冗談だと思ってました?」
「・・・・・・えーっと、よくわかんなくて、なんとなく付いて来ちゃった。でもさ、キッタ
カッターは俺なんかとして、楽しいのかなあ?」
「そりゃあ、楽しいですよ」
「なんで?」
純粋な目で見上げられて、橘高はごくりと唾を飲んだ。
「それは、新井さんが好きだからです」
「好き?俺が?ほんとに?」
「新井さんが好きで、全部欲しいので、新井さんとセックスできたら楽しいですよ」
橘高は唐突な告白をした。
どんなシチュエーションで告白しようかと、考えている最中だったのに、新井の言葉に
思わず洩れてしまったのだ。
新井は驚いた顔をして固まっていた。
「信じられませんか?」
「だって!だって!俺だよ?」
「うふふ、じゃあ、もう一度言いましょうか?新井さんが好きです」
橘高が耳元で囁くと、新井は突然のた打ちはじめた。
「うわ〜〜〜〜」
「新井さん?」
「体中がこそばゆい!」
「・・・・・・」
「熱い!」
「大丈夫ですか」
「ダッシュしたい気分だよ。ちょっと走ってきていい?」
「・・・・・・走りたいなら、やることやってからにしましょ」
「やること?」
「セックス」
「あわ〜〜〜〜」
新井は両手をばたばたさせて頭を振った。
「やっぱり、ダメですか」
「・・・・・・どうしよう、なんかドキドキしてきたんだけど。これ、何?」
見れば、照れているのか、のぼせているのか、新井の顔は赤く色付いている。橘高は頬に
手を当ててやさしく包んだ。
「ドキドキしてます?・・・じゃあ多分、それが恋です」
「そうなの?!」
「そうですよ」
橘高は嘯いた。適当もいいとこだが、新井は「恋?恋って恋の恋?」とわけの分からない
ことを口走っている。こうなったらなんでもいい気がしてきた。後一押しで新井は落ちる
んじゃないかと、橘高は力技で新井を落としにかかった。
「そうですよ。このドキドキが恋です。新井さんは今の瞬間、俺に恋したんです」
「えー?!」
新井は赤くなったり、無駄に笑って見せたり、一人で百面相だ。
「うーーーー!高い山のてっぺんから、叫びたい気分!」
「・・・・・・なんて叫ぶんですか」
橘高がまじめに聞くと新井は一瞬考えて、両手を口元に当てて小さく叫んだ。
「生まれて初めて告白された〜〜〜」
どんな報告だ、それは。いろんな意味で突っ込みたい気分の橘高は、新井の顔に近づいて
言った。
「これって、脈アリなのかなあ」
まっすぐに見詰めると、意外にも真剣な顔をして新井も見詰め返した。
「・・・・・・どう思う?」
「俺に聞くんですか」
「だって、わかんないもん」
「じゃあ、聞きますけど。俺のこと嫌いですか?」
「ううん。好きだよ」
「俺とセックスしても大丈夫?」
「・・・うん、多分」
「じゃあ、やっぱりそれが恋です。俺も新井さんに恋してますよ。同じ気持ちです」
ごり押す橘高に、新井がぐらぐら揺れている。
「キッタカッターが俺に恋・・・・・・」
「そうです。こういうのが、恋されてるって言うんですよ」
熱っぽい視線で橘高が見下ろす。妄想だらけだった吉沢課長の視線とは全然違う、本当に
新井を狙う雄の鋭い瞳に、新井は中てられた。
「うん。そうなのかも・・・・・・」
その瞬間、新井の頭の中から吉沢課長の幻影は消えた。
新井の微かに震える手を握ると、新井は静かに目を閉じた。橘高はそれを見届けると、雄
の匂いをたぎらせて、唇を奪いにかかったのだった。





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