なかったことにしてください  memo  work  clap



 決めた!絶対、吉沢さんを捕まえてちゃんと関係を修復させる。
じゃなきゃ、こんな生活やってられるか!


 新井をグーでパンチし損なって、居酒屋を後にすると、どっと疲れが出た。梅雨前の
生ぬるい湿った風が身体にまとわり付いて気持ちが悪い。
 今年の年度初めは本当に散々だ。
新井は暴走するし、優花には出くわすし、吉沢さんとは絶好調に喧嘩中だし・・・・・・。
優花に嫌味のメールの一つでも送ってやりたい気分だったけど、更に問題が悪化しそうで
俺はこのやりばのない怒りをどこにぶつけていいのか途方にくれた。
 夜道を歩きながら、ここ数週間の災難を振り返って泣きたい気分になる。なんでよりに
よって俺がこんな目に遭うんだ。
 新井なんて、毎日あんなに幸せそうに暮らしてるのに。世界中の不幸を一気に背負い
込んだように俺の心は重い。

 自分のアパートの最寄の駅で電車を降りたところで、スーツの胸ポケットでケータイが
震えた。この頃、ケータイが鳴ると相手が吉沢さんかもしれないと、淡い期待がこみ上げて
結局ディスプレイを見てがっかりするということの繰り返しばかりしている。
 祈るような気持ちでディスプレイを見ると、相手は厄介な方だった。
「・・・・・・なんでだよ」
出ようかやめようか迷って、次のコールが続いたら出ようそんな運任せ。
 結局俺の運より、相手の運の方が上回っていた。
「・・・・・・もしもし?」
『やだなあ、すっごい警戒されてる』
「優花・・・・・・」
『浮かない顔で1人歩いてた深海君を見つけても、声をかけなかった私を褒めてもらいたい
くらいなんだけどな』
「え?」
『さっき。駅前で深海君見たのよ?』
「全然気が付かなかった」
『うん。こっちなんて全然気づく様子なかったっていうか、周りのことなんてどうでもいい
って感じで、悲劇のヒロインっぽい悲壮感が漂ってたから』
「悲劇のヒロインて・・・・・・女じゃないし。ってか、お前なあ」
『あー、はいはい。だから、声掛けなかったって言ってるでしょ』
電話の向こうで少しだけ苦笑いが聞こえる。
「・・・・・・ばれたんだよ、結局」
『何が?』
「優花とこの前会ってたこと」
『あら、やだ。なんで?見られちゃった?』
「会社の後輩にな!・・・・・・で、何にも知らない後輩があの人の前で、俺に彼女がいるとか
言い出して・・・・・・」
『深海君社内恋愛なの?!』
「あ・・・・・・うん。みんなには秘密なんだけど」
『あらら。災難だったわね』
「災難どころの騒ぎじゃないよ。それから絶縁状態!」
『浮かない顔の原因はそれかぁ』
忍ばせるような笑い。どうせ要領が悪いなんて思ってるんだろうな。昔からそう言う所の
運が全くないから。あの頃優花と浮気してたのがばれなかったのは一種の奇跡なのかも
しれない。
『妬けちゃうわ』
「は?」
『なんでもない。さっさと仲直りできるといいわね』
「他人事だと思って・・・・・・」
『破局したら連絡してよ。そのときは慰めてあげるから。・・・・・・じゃあね!』
「え、あっ・・・・・・」
電話は一方的に切れた。なんだったんだ一体。何の用事だったのかも、優花が何のために
電話を掛けてきたのかもさっぱり分らないままだ。
 1人暗いアパートに戻って、俺は「悲劇のヒロイン」の気分を引き続き味わっていた。






 吉沢さんと何とか話し合おうとして、何度も待ち伏せをした。そのうち自分がストーカー
にでもなってしまうんじゃないかって思って、気持ちが滅入る。
 だけど、捕まえて話をするまではやっぱり諦めることは出来なかった。
そうやって、アタックする事数日。ことごとく失敗して俺のハートはブロークン。
世の中の仕打ちの中で、実は無視っていうのが一番きついってことを俺は知った。


 その日は珍しく次々と社員が帰って、ブースは俺1人だけになっていた。時計を見上げれ
ば、9時を少し回ったところ。そろそろ帰ろうかというときに、足音が聞こえた。
「お疲れさん、先に帰るから・・・・・・」
その声は、ブースのパテーションの奥から聞こえて、覗き込まれた瞬間止まった。
「吉沢さんっ」
「・・・・・・」
ブースに俺1人だと分った途端この態度だもんなあ。相当怒ってるんだろうけど、ちょっと
大人気ないぜ?(自分のしたことは棚上げだけど)
 吉沢さんは営業スマイルから急に表情を失くすと、さっさと廊下に出て行ってしまった。
「吉沢さん!」
俺も慌てて追いかける。今なら誰も見てない。このフロアで捕まえて決着つけなければ!

「吉沢さん、待って。お願い・・・・・・」
ここで捕まえなければ、本当に愛想着かされてしまう、そう思ってなりふり構わず俺は
吉沢さんを呼び止めた。
 廊下に響き渡る俺の声に、一瞬吉沢さんの足が止まる。
「・・・・・・吉沢さんっ」
走り出す俺に、再び歩き出す吉沢さん。
 残業してる社員は殆どいない。廊下を歩く人間も見当たらない。俺は思いっきり吉沢さん
を後ろから抱きしめた。
「馬鹿っ・・・離せっ・・・」
「嫌です!話をちゃんと聞いてくれるまで、絶対離しません!」
「ひ、人が来るから・・・」
吉沢さんは俺の腕を無理矢理引き離して一歩離れる。それでも、逃げられないように、俺は
壁際に吉沢さんを追いやって、腕でその進行を阻んだ。
「どけ」
「嫌です。今日こそ、話聞いてくれるまで絶対どきません」
真剣に見下ろすと、吉沢さんは怒った目のまま俺に言った。
「お前の話なんて、聞きたくない」
「何でですか」
「・・・・・・浮気の言い訳なんて聞きたくない」
「浮気って!・・・・・・違うんです、誤解なんです!」
「誤解も何も、会ってたんだろ?」
「・・・・・・確かに会ったけど、でも、それには色々と事情があって」
「やっぱり言い訳じゃないか」
「違うんです!」
話が前に進まなくて、イラついた俺は思わず壁を拳で殴っていた。どん、という鈍い音が
廊下に木霊して、一層空気が張り詰める。
 夜の会社は人口密度が一気に減って、そこにいる事自体後ろめたい気分になる。場違い
なことをしてるのは重々承知だけど、ここで手放したら、吉沢さんを一生失ってしまう
ような気がして、俺は正直焦っていた。
「お願いです、ちゃんと聞いて」
「・・・・・・」
逃げないように吉沢さんの左手首を握りしめた。吉沢さんの脈が伝わってくるくらい、
きつく握って、苦しいほど見つめた。
「お願い、逃げないで聞いて」
真剣な眼差しで吉沢さんを見下ろすと、逃げ場がないと悟ったのか、漸く聞く耳を持って
くれたようだった。
「・・・・・・わかったからっ・・・・・・深海、痛いって」
「逃げない?」
「逃げないし、ちゃんと聞くから!」
「ホントに?」
「しつこい!」
「だって、吉沢さんすぐ逃げちゃうから・・・」
「逃げないから、さっさと手を離せ!誰か来たら・・・・・・」
吉沢さんがそう言っている瞬間に、廊下の隅にある階段を猛スピードで駆け上がる足音が
した。
 まずい、見られるっ
思ったときはもう遅い、というのが俺の常。俺の握った吉沢さんの手首は接着剤で張り
付いたみたいに離れなくなって、辛うじて顔だけが足音の方を向いていた。



「うっへー、ケータイ忘れた〜!」
猪みたいな足音の主は、相変わらずヘラヘラな笑顔でそんなことを言って階段を昇ってくる。
「あ!」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「ええ!?」
目が合った相手の方がこの状況に驚いているようで、目をむき出しにして俺達を凝視して
いる。俺も吉沢さんも金縛りに遭ったかのようにその体勢を維持したままだ。
 声の主は、その一瞬で自分の可能な限りの妄想を巡らせたらしい。
動けない俺達に、そいつは1人のらりとして近づいてくる。そうして俺と吉沢さんの間に
入り込もうとした。
「まあまあ、深海先輩も吉沢課長も・・・・・・何があったか分りませんが、喧嘩はよくない
っすよ!」
「・・・・・・新井!」
新井に肩を叩かれて、俺も吉沢さんも漸く金縛りから解き放たれた。
 俺は吉沢さんの腕を慌てて解くと、新井を睨んだ。
「お前、なんでこんなとこに・・・帰ったんじゃないのか」
「帰りましたよ!でも今日、兄ちゃんと待ち合わせしてたんですけどね、ケータイ会社に
忘れちゃって。慌てて取りに戻って来たんすよ」
「このばかちん」
「痛てっ。なんで殴るんですかぁ。暴力反対っす」
「うっさい、うっさい!っとに、お前はなんでそんなに、間が悪いんだ!」
「はあ・・・まあ、そんなこと言われても・・・・・・」
新井は階段をダッシュで駆け上がってきたはずなのに、息一つ乱さずにその場に立っている。
どんだけ体力あるんだ、この男は。
「でもなんで、喧嘩なんてしてたんっすか?」
「け、喧嘩って」
「階段の下の方から、聞こえてましたよ?」
新井は俺と吉沢さんを交互に見て首をかしげる。相当デカイ声出してたらしい。
 吉沢さんは俺以上にバツが悪そうだった。
「い、いろいろ、あんだよ。もう、うっさいなあ」
「はあ・・・大丈夫っすか?」
お前に、大丈夫かって言われたらおしまいだ。大体諸悪の根源は全部お前だ!お前が余計
な事さえ言わなければ、こんな事にならなかったのに。
 新井が全部悪い。もう、全部新井の所為でいいや。こんにゃろう。
ヘラヘラ笑ってるその顔ですら、腹が立つ。
「・・・・・・大体、お前の所為なんだからな」
言ってから、仕舞ったと思った。新井は一瞬驚いた顔をして、自分を指差す。
「俺っすか?!」
「あ、いや。別に、お前が直接の原因ってわけじゃなくて・・・」
慌てて修正。なのに、新井は既に別の方向に暴走を始めていた。
「って・・・・・・もしかして、深海先輩、せせせ、説得してくださってたとか・・・!」
いきなり目を輝かせて、俺を尊敬の眼差しで見ている。新井の大いなる勘違いがまた始まった。
どうして、お前の暴走特急はそうやって都合のいいゴールに向かってレールが敷かれてるんだ?
「い、いや、そうじゃなくて」
「あ、まだ言ってない?ああ、そうか、今丁度言おうとしてくださってたんっすね。あはは
俺、間が悪いなあ・・・・・・じゃあ、俺席外します。よろしくお願いします!・・・・・・でも、俺の
所為で、2人が喧嘩になっちゃうと、俺困るっす」
新井は照れ笑いを浮かべながら、困ったなあなんて頭を掻いた。
 吉沢さんも、流石にこの馬鹿ポジ思考には付いていけてないようで、そんな新井の様子を
異星人でも見るかのように見つめた。
「・・・・・・いいから、お前は早くケータイでもなんでも持って、とっとと帰れ!」
「わかってますって。これから言ってくれるんすよね。報告待ってます、先輩!」
そう言うと、新井はダッシュで自分の席にケータイを取りに行く。俺と吉沢さんはその
様子をぽかんとして見つめていた。
 体育会系ノリの新井の行動は機敏で、あっという間に部屋から出てくると再び俺達の前
に立って、一礼した。
「じゃあ、お先っす!」
「・・・・・・お疲れ」
「お疲れさん」
俺達はそれを言うのが精一杯。完全に新井のペースに飲み込まれていた。新井は再びダッシュ
で階段まで行くと、階段を下りる前にくるっと振り返って、大きく手を振った。
「俺の所為で、喧嘩なんかしないでください!うっす!」
ああ、もう・・・・・・こいつ、なんとかしてくれ!
ドドド、という猛烈な足音が遠ざかっていく。時々、ドスンという音が聞こえてくるから、
途中で踊り場にジャンプでもして降りてるんじゃないんだろうか。


「・・・・・・なあ、なんで新井は階段なんかで来るんだ?ここ9階だよな」
「アイツは、脳みそまで筋肉で出来てる、筋肉馬鹿なんですよ」
吉沢さんと久しぶりに会話した内容は、こんなくだらない事になった。



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