なかったことにしてください  memo  work  clap






 目覚めは割りと良い方だ。
起きてからソファーに移ると、マルボロメンソールを咥えてテレビを付ける。土曜の朝
のテレビは旅番組や芸人のトークばかりで面白くない。
 野球の話題を見ても地元球団の去就話ばかりで、毬谷は気に喰わなくて、すぐにチャンネル
を替えた。
「ココに住んどるヤツが全員阪神ファンやと思うたら、大間違いや」
それから、毬谷は今日一日の予定をぼんやりと考えた。
 しかし考えるまでもないらしく「あそこ行ったろ」とタバコを灰皿に押し付けると、さっさ
と身支度を始める。
 休日の過ごし方などを人にとやかく言われたくないと、毬谷は常日頃からそう思っていて
それが「趣味がパチンコ」などという「暇人がする時間と金の無駄遣い」だと散々文句を
言われるようなことだから、余計にウザイと感じずにはいられないのだ。
 だが、それも今はない。
自分を縛るものは何もなく、気が向けば駅前に行って打つし、気が乗らなければ家でだら
だらと過ごす。
 1人暮らしになってから部屋がやたらと広く感じるようになったが、それにも慣れた。この
広さを自由と思うか寂しさと思うか、毬谷はそのどちらも感じていたが、けれどそれはけして
居心地の悪いものではなかった。

 風邪を後輩にうつしてからすっかり元気になった。この土日は彼は寝込んでいるだろう。
「あいつ、ちゃんと病院行ったんやろな」
結局、金曜日は課長が無理矢理休ませたらしく、会社で日下の姿を見ることはなかった。
 倒れたときは随分と熱があったけど、大丈夫だろうか。風邪と多分過労。新入社員にして
は、よく働くし、毬谷にとってちょうどいい雑用係りでもある。
 こき使った覚えはないけど、面倒くさいことは多々押し付けたような気もする。そこに
来て自分の風邪をうつしてしまったとなると、流石に毬谷も申し訳ない気持ちになる。
 だから(いやいやだけど)日下を部屋まで運んでいったし、その後の看病までしてやった
のだ。
「アイツ、ホンマにガキみたいなヤツ」
ベッドに横になっている弱気な日下を見て、ほんの少し可愛いと思ってしまった。粥を旨
そうに食べる顔も、薬が苦くて渋い顔をしたのも、毬谷にとって子どものように見えた。
 だからついあんなことをしてしまったのだ。額で熱を計るなんて、確かに自分もどうか
してたのだろうけど。
それが・・・。
日下がぶっ倒れる前にした行為を思い出して、毬谷はぶんぶんと頭を振った。
「あいつ、何考えとんねん・・・」
唇に感触を思い出すと、背筋がむず痒くなる。失くしていた感情を心の奥底から引き摺り
出されるような感覚。
 幸せな事も嫌な事も表裏一体で、この感情は記憶を丸ごと思い出させる。
「嫌な事、思い出させよって・・・」
日下の唇は熱で腫れぼったく、そして熱かった。身体の中から何かが吸いだされていくよう
な感覚。気持ちわるいとは違う別の恐怖。さらけ出されてしまう恐怖。
 毬谷は自分の唇を押さえる。日頃から日下がアホのように言い寄ってくるのは、果たして
本気なのだろうか。
 傷つくのはもういやや、毬谷は自然と心を閉ざす。コートを羽織ると冬空の下を、今日も
馴染みの店へと向かって行った。








 偶然とか運命とかそんな言葉は嫌いだ。それだけでとても縛られた気持ちになる。そう
言う言葉には力があって、自分はそれにすぐ掴まってしまうからだ。
 毬谷は駅前の店に入ると、お気に入りの台に座った。店内は朝から早くも暇な時間を潰そう
としているのか、多くの人間がタマをひたすら打っている。
 パチンコ屋にいる人間は、その多くが目が死んでいると毬谷は思う。多分自分がそう
だからなのだろう。何が楽しいのか自分でもよく分からない。ただ、もう病気のように足
がそこに向かうし、打ってるときは何も考えないで済むのが楽なのだ。
 激しい音の渦の中で毬谷は目の前の回るスロットを見つめながら一喜一憂した。
「あかんわ・・・調子悪っ」
足元のハコは相変わらず気持ち程度。毬谷が溜息を吐いた時、狭い通路を抜けてくる男と
目が合った。
 相変わらずこの空気に似合わない男。少し疲れた顔に見えたが朝帰りなのだろうか。
(朝帰りでパチンコ?)
毬谷は驚きの表情を変えることなく、その男に手を上げた。
「上嶋さん、何してんですの?」
「・・・・・・偶然ですね、また会うなんて」
上嶋は毬谷にニコリと微笑むと毬谷の隣に座った。
「上嶋さん、アウェイやないんですか、ココ」
「ええ、昨日はちょっと友人のところで飲み明かしてしまって」
「ねえちゃんか。ええなあ」
上嶋は目を細めただけでそれを否定はしない。そういう男くさい仕草も上嶋には似合って
いると毬谷は思う。
「今日も負けてますねえ」
「・・・ココで上嶋さんに会うと、どうも勝てん。貧乏神と違う?」
「それは、すみませんね・・・・・・お詫びにコーヒー一杯くらいなら奢らせてもらいますよ?」
「コーヒーやて?・・・・・・それ、昼飯も付いてくるんやろな?」
「いいですよ」
上嶋は笑ったまま、毬谷の方を見た。タバコの香りと僅かな香水が毬谷の鼻腔を刺激する。
偶然なんて言葉は嫌いだ、毬谷は再びそう思った。









 一杯のコーヒーから昼食になり、やがてそれは夜の飲み代にまで発展した。
上嶋と気が合うと思った。年齢が一緒な事、幼い頃の思い出が近いことなど、上嶋とは
驚くほど近いところがあったのだ。
 話は尽きず、毬谷は何故か昼食からずっと上嶋と話込んでいる。
上司から「ピーチクパーチクうるさいやっちゃな!」と怒られるほど、自分でも普段から
よくしゃべる方だとは思うが、流石に5時間以上もしゃべり続けてるというのは、どうなんだ
ろうか。
 しかもまだ話は尽きないというのだから、よほど相性がいいのだろう。
昼食の後コーヒーショップで長話をし、盛り上がったついでに飲みに行く。毬谷にしては
珍しい行動だった。
 誰にも心を許さないとか、心を閉ざしているとかそういうことではない。ただ自主的に
もっとコイツと話してみたいと思うヤツがいないだけなのだ。
(話が尽きない言うたら、アイツも同じやけど・・・)
社内のフロアー、社用車の中、引っ切り無しのモーションに罵声で追い返す、コントの
ような会話。
 脳裏に浮かび上がる風邪引きの後輩の顔を無理矢理外に追いやって、毬谷は顔なじみの
居酒屋からほろ酔い加減で出てきた。

「ナギー、次行こかー」
「毬谷さん、まだ行けるの?」
「大丈夫やー」
毬谷は顔を赤くして何度か上嶋にぶつかりながら歩く。毬谷の頭が上嶋の肩にぶつかる度
上嶋はさりげなく毬谷を支えた。1月の冷たい風邪が頬に当たって、店内で火照った体を
幾分か冷ましている。心地よい寒さだ。毬谷は呼吸するたび肺に入ってくる冷たい空気を
身体中に回した。
「場所変える?」
「ええよ、近くにバーあるで」
 散々盛り上がった所為か、毬谷は上嶋が仕事相手だということを忘れかけている。毬谷の
フランクさに上嶋も柔らかくなっていた。
「・・・・・・毬谷さんでもそういうトコ行くんだ」
クスリと笑われて、毬谷はふんと首を捻った。
「俺かて普通に恋愛するし、彼女おったらそういうトコ連れてくやろ」
「俺彼女?」
「アホ、例えや」
毬谷はふらつく足で上嶋をどつきながら、繁華街の中を抜けて行く。高槻はJRと阪急の駅
に挟まれた辺りが繁華街で、週末の夜にはサラリーマンやカップルが多く出歩いている。
 その繁華街の一角のビルの細い階段を登った所が毬谷が時々来るバーだ。


 暗い店内には何組か客がいて、毬谷は奥のソファーを選んだ。酒の種類を殆ど知らない
毬谷は何時ものごとく、バーテンダーに「旨いヤツ、テキトーに」と言った。
「毬谷さん、まだ飲むの?」
「悪いか?」
「悪くないけど、アナタ酒弱いでしょ」
「ええねん、楽しいときは飲みたなるねん」
「まあ、ええけど」
上嶋の言葉も随分と毬谷に引き摺られている。毬谷はくっと笑った。

「ところでさ、ずっと思ってたんだけど」
「何や」
「毬谷さんの名前て、毬谷なんて読むの?」
「ああ?・・・聖人・・・きよひとや」
「・・・・・・キリスト教のオンパレードみたいな名前。12月24日生まれだったら笑えるな」
「うっさい。その通りや!」
毬谷は飲みかけのグラスをテーブルの上に置く。衝撃で氷がグラスの中でぶつかる。
「ビンゴなの?」
「・・・アホなオカンが付けたんや。キリストの生まれ変わり言うて。うち仏教徒なのに
やで?」
横に座った上嶋がその視線を受けておかしそうに頷いた。
「マリア様にキリスト様。偉そうだ」
「偉いわけないやん。会社でコキ使われてアホの日下にはおちょくられて・・・」
「・・・・・・マリア様に似た人、ねえ」
上嶋は前の飲み会の時に聞いた話を思い出した。転勤早々日下に言い寄られているとか
それが東京の占い師のお告げで「マリア様に似ている人を恋人にしろ」と言われたこと
だとか。
 面白い男だ、上嶋は直感的にそう思った。それは目の前でしゃべり続けるこの男に対
してもそうなのだが。
「で、実際どうなの?」
「どうて・・・」
「落とされちゃいそう?」
「されるか!」
「でも、毬谷さん満更でもないでしょ」
上嶋の肩がそろりと近づいてくる。毬谷の耳元で囁かれて吹きかけられた息に背筋がぞくっ
とした。上嶋の声が耳の奥まで響く。
 何を見透かそうとしてる?
「んな、アホなこと・・・・・・」
胃のあたりがもぞもぞする。身体の内側を引っ掻き回されている気分だ。毬谷は上嶋から
離れるように身体を捩ったが、すぐにその腕に引っ張られた。
「あんた、ホントは男もいけるでしょ」
「!?」
上嶋の言葉に激しく動揺させられ、毬谷は身体が固まっていくのを感じた。上嶋の言葉が
身体の表面を滑っていく。その後に来るぞくっとした気持ち悪さ。
 つかまれた腕から伝わってくる熱に手が痺れる。乗り切らなければ、そう思った瞬間
上嶋の決定打に毬谷はやられた。
「同じ匂いするから分かる」
「へ?」
「俺も同じ。どっちもいける。だから分かる」
「ホンマに!?」
言ってから、自分の口の軽さに毬谷は辟易した。幾らおしゃべりだと言え、こればかりは
誰にも言った事がなかったのに。
 古典的に口を押さえたって遅い。上嶋はニコリと営業スマイルみたいな顔で笑って毬谷
のその手を外した。
「・・・・・・あかん。これ、知られたらまずいねん、色々と」
「俺は別に誰にも言うつもりはないよ」
そこに含まれる語感に毬谷は呆然とする。だが、やがて静かに首を振った。
「俺が男と付き合うたのは1人だけ。そいつとはそこそこやったけど、色々あって別れてん。
あんまり思い出しとうない・・・」
「そう・・・じゃあ、日下君にもチャンスはあるけど俺にもあるってコトだよね?」
「!?」
「それとも、もう心は日下君に奪われちゃった?」
「アホぅ、そないなことあるか!」
じゃあ、試してみる?なんて言って上嶋は毬谷の顎に手を掛けた。
(あかん・・・)
そう思った瞬間、毬谷は目を閉じてしまい唇の上にはうっすらとタバコのにおいの付いた
唇の感触。
 その唇がぱっくり開こうとした瞬間、毬谷は残った理性をフルに活用して上嶋を押し
のけた。
「いやや・・・かんべんしてえや・・・」
瞳が潤んでしまう。
 運命だとか偶然だとか、そんなんは嫌いなんや。
「なんで?俺の事嫌い?」
「そうやない。ナギおもろいし」
今日一日これだけしゃべって、満更でもないことを毬谷自身知ってしまった。だから尚更
流されるわけには行かないのだ。
「・・・・・・」
毬谷はモジモジと身体を動かす。言いにくそうに躊躇って、グラスから液体を流し込むと
上嶋に向き合った。
「俺、前付き合うとったヤツに散々抱かれて・・・・・・無理やって思ったん!」
「はい?」
「あんな痛いの、俺いややねん!毎回毎回失神させられそうになるし、ケツ痛いし。せや
から、男とはもう二度とせえへんって決めてんねん!」
言い切った後で、上嶋の口から笑いが漏れた。
「そんなこと・・・」
「そんなこと?!よう言うわ。俺は死活問題やで?・・・それともナギは俺に抱かせてくれる
言うん?」
「それはイヤ」
即答する上嶋に毬谷は言った。
「せやろ。やったら、この話はしまいや、しまい!男とはせえへん!」
「でも、俺の事嫌いじゃないってコトは、チャンスがなくなったわけじゃないんでしょ?」
「アホぅ」
上嶋の押しに、毬谷が思わず苦笑いする。そして、暫く考えた後、酷く言いづらそうに、
呟いた。
「・・・・・・なあ・・・・・・日下には黙っといてな?」
毬谷の不安げな瞳が上嶋にぶつかる。上嶋の中でまた一つプクリと遊び道具が生まれた。
 ニヤっと心の中で楽しげな表情を作ると、上嶋は毬谷の握った手を摩る。
「それは、毬谷さん次第」
驚いて目を見開くと、そこに二度上嶋からの唇が落ちてきた。






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