なかったことにしてください  memo  work  clap






 毬谷さんの凄いと思うところ。
あんなディープな話をして、あんな風に人を振っておきながら、次の日顔を合わせても
普通にしていられるところ。
 俺の普通だと思うところ。
毬谷さんにメッタ打ちにされて、毬谷さんに振られたせいで、次の日からあからさまに
落ち込んでいるところ。

「なんか何時もと様子違う?」
初めに事務のお姉さんに指摘され
「日下ついに振られたんか」
営業さんに笑われ
「大阪にはもっと綺麗で可愛いねえちゃん、いっぱいおるでー」
課長に慰められた。
 ついでに言うなら
「俺は振っても振られてもおらん。コイツが漸く、目ぇ覚めたんや」
と、毬谷さんは何時ものように強気で適当な発言。
 この場合無視されているのとどっちが救われるんだろうと俺はブロークンハートなまま
心の中で呟いた。



毬谷さんがこう言う性格だからなのか、俺のしつこさ(そんなに粘着質じゃないとは思って
るけど)が原因なのか、不思議な空気の中で日々は過ぎていく。
 二人で出かける社用車の中でも相変わらずな会話を続けられているのは、やっぱり毬谷さん
のおかげなのかな。
「ホントに、俺にはもうチャンスないんですか・・・?」
「日下あ・・・。ホンマ自分、頭冷やせ。課長やないけど、綺麗で可愛いねえちゃん他にも一杯
おるやろ」
「でも、俺のマリア様は毬谷さんしかいないんです!」
「何が俺のマリア様じゃ、ボケぇ。お前の目は腐っとんのか。俺のどこがマリア様じゃ!」
「全部です」
流石にそれには溜息を吐かれ、毬谷さんは首を振った。
「あー、もう、終わり終わり。この話はなしや。とにかく俺はお前がどう思うとっても、
お前と付き合う気なんてないし、お前もそんな道に進むんやない!」
「俺、毬谷さんとだったら、どんな道でも歩めますよ」
「そういうキショイことをサラっと言うな」
毬谷さんはぷいっと横を向いて、信号待ちしている隣の車の方に顔を逸らしてしまう。そう
言う仕草一つとってもこの人は可愛いんだけど、言ったら絶対「アホ」だの「ボケ」だの
「死ね」だの言って来るに決まってるので、俺は心の中で毬谷さんを最高の言葉で褒めてみた。
(ホントに可愛く見えて来て、困る・・・)
顔は普通だと思うんだけど。不細工な顔ではないし上嶋みたいに誰もが振り返るような、
美青年な訳でもない。でも、よくしゃべるから周りには笑顔が耐えないし、他の社員からも
本当はかなり慕われてるはずだ。
 人を惹き付ける何かを持ってる人なんだと思う。でなければ、会ってすぐに俺の「マリア様」
センサーが動くわけないんだ。
 悪いことをしているわけじゃない・・・と思うし、毬谷さんだって「過去の傷」が嫌なわけで
俺の事を嫌ってるわけじゃない・・・と思う。
 自信はないけど、簡単には諦められない。









 定時を30分ほどで切り上げて、毬谷は珍しく心斎橋のあたりを歩いていた。地下鉄に乗る
のも久しぶりだが、この時間はどこにいようが仕事帰りのサラリーマンでごった返している。
 エスカレーターで地上に上がると既に夜のネオン街のように街は煌いていて、騒々しさに
さすがの毬谷も苦笑いする。
 今日はお祭でもやってるんですかね、と日下がその人の多さにあんぐり口を開けて驚いて
いたが、確かにここの通りは他にも増して人通りが多い。
 毬谷にもここを歩いていく人が、何を目的で歩いているのか分からない。店に入るわけ
でも駅に向かうわけでもなく、ただこの通りを「歩く」ことを目的としているようで、どこ
から沸いてきて、どこへ去っていくのか分からない集団だと毬谷は思った。
 そうして商店街を1本曲がって、少しだけ喧騒から外れたところで毬谷はもう一度携帯
電話のメールを確認する。
 店の名前と看板を確認すると、毬谷は店のドアを開けた。

「どう、調子は?」
「どうもこうもあらへん」
毬谷の隣に並ぶのは思わず振り返りたくなるような綺麗な顔で、毬谷もその顔を素直に
「かっこいい」と思っている。
「日下君、相当へこんでるみたいだけどなんかしたの?」
「・・・・・・べつに」
毬谷は注がれたビールをちびちびと口にする。
 その姿に上嶋が笑った。
「聞いて欲しいの?欲しくないの?」
その動きが止まって、毬谷は上嶋を振り返る。
「欲しくないわ!・・・あの馬鹿」
毬谷はグラスを机にぶつけるように置くと深く息を吐いた。
 プロモが完成して、今日の打ち合わせが最後となった。会社にやってきた上嶋は毬谷と
日下の様子にすぐに気づいたようだったが、会議中にはそれに触れることなくその代わり
毬谷にメールを送った。
 そうして誘われるまま毬谷はこの店に来て、隣でニヤっと笑う上嶋に毒ついているのだ。
「あいつは、俺の親切な予防線を素足で跨いでくるアホや」
「何それ」
「・・・言ってやったん、あいつに。俺の過去。ナギにも言った通り、俺バツイチで離婚の理由
が男と繋がってたんがばれたって。しかも男とは身体の相性最悪やから、何があっても男
とは付き合わへんて・・・そこまで言うてやったのにやで?」
「・・・・・・効き目、なかったんだ」
「あいつ、アホや」
その横顔が僅かに嬉しそうに見えるのは、多分上嶋の見間違いではない。口で否定して
ないと落とされてしまいそうだと一番分かってるのは毬谷本人だ。
「それだけ毎日ほだされてたら、落ちちゃうデショ」
「・・・・・・だから困ってん」
ぐずっと鼻をすする横顔に上嶋は思わず苦笑いする。引き摺られているのだろう。天真爛漫
なのかただのノーテンキなのか分からない後輩に、毬谷は足元を揺さぶられて困っている。
 そういうグラついているものを見ると、どうしても身体が反応してしまうのは自分の悪い
癖なのかと上嶋は自嘲した。
「俺も同じ位モーションかければ、まだ間に合う?」
「アホか」
「結構ホンキだけど。あんただったら本気で抱いてみたい」
耳元で囁くと毬谷は体中を緊張させて上嶋を振り返る。上嶋の腕が毬谷の腰に回ったのだ。
「いやや・・・」
小さく拒絶するその声は、思いがけず色っぽかった。








 帝国ホテルの横を川沿いにすり抜ける。歩くと白い息が上がってそれが余計に寒さを
思わせる。マフラーに顔を埋めながら橋を渡って駅へと急ぐ。
 いつもと大して変わらないような軽口で毬谷さんは俺に仕事を押し付けると、定時を少し
過ぎた段階でさっさと退社してしまった。
 多分上嶋と飲みにでも行ってるんだ。今日最後の打ち合わせが終わって、上嶋が会社を
出て行ってから、滅多にメールなんてしない(しかもメール貰ってから返信するまでに
軽く2日くらい掛かる)毬谷さんが着信に反応してソッコーで返事をしていたんだ。
 あの顔は絶対上嶋と飲みに行くって顔。毬谷さん意外とすぐに顔に出ると思う。面白い
ボケを思い付いたときはニヤニヤしてるし、パチンコで大負けした次の日はムチャ機嫌悪い
し。俺が気づいてるって事は何年も一緒に仕事してる社員も知ってるんだろうけど。
 だから、毬谷さんが定時でそそくさと帰っていくのを見て、事務のお姉さんが
「カオルちゃん、はよ追いかけな取られちゃうで」
なんてハッパ掛けてきたのも毬谷さんの、あの表情を見てたからなんだと思う。
 複雑。振られたとはまだ思いたくないけど、勝算があるようには思えない。そこに来て
上嶋の読めない動きは俺にとって頭を悩ませる何者でもなく・・・。
 溜息は夜の空気に白く混ざっていく。寒い。今日は寒の戻りなのか、ムチャクチャ寒い。
ポケットに手を突っ込んでいても寒さで手が痛いほどだ。改札口で定期を出す為にポケット
から手を出すのさえ嫌になるほど寒かった。

 環状線で大阪まで来たところでケータイが鳴った。ポケットのケータイは何時までも振動
を続けるので取り出してみれば、相手は毬谷さんだった。
「はい、日下ですけど」
「・・・・・・」
「もしもし?」
「く〜さ〜っかぁ!」
電話口の毬谷さんは酷く酔っていた。だからあんまり飲ませないでくれって言ってるのに!
俺の溜息は電話の向こうまで伝わって、酔っ払いの毬谷さんが喚いた。
「おい、くさかぁ〜、迎えに来いや」
「はあ?ちょっと、毬谷さん?!」
「はよぉ!」
「早くて・・・今どこにいるんですか?」
「どこかようわからん〜」
「わからんて・・・今日、上嶋さんと飲みに行かれてたんじゃないんですか?」
「なんで、そんなこと〜知っとんねん〜」
「そんなの、分かります!・・・どこ行ってたんですか?」
「どこやろ・・・しんさいばしぃ?」
二度目の溜息は、毬谷さんには伝わらなかった。その代わり電話口には低い声が出た。
「もしもし?日下さん?」
「・・・・・・やっぱり上嶋さんですか」
「なんだか、棘のある言い方だね」
「・・・いえ、別に。すみません・・・」
声のトーンを落とすと上嶋の微かな笑いが聞こえた。ええい、このキザ男め。
「大丈夫ですよ、気にしないで下さい。毬谷さんは部屋まで送り届けますから」
「え?」
「じゃあ」
「ちょ、ちょっと・・・!」
電話はそこでブチっと切れてしまった。なんだあ?!
 嵐が勝手にやってきて、勝手に去っていったような気分だ。しかも俺の心に強烈な爪あと
つけて。あんなにベロベロに酔って、何が大丈夫なんだよ。上嶋、絶対毬谷さんのこと
狙ってる。このまま二人きりにさせたら毬谷さんどうなるか分からないじゃないか。
 クソっ。
JRの改札口を飛び出すと、思わず梅田駅へと走っていた。迎えに来いっていうならどこまで
だって迎えに行きます、行きますよ!





 心斎橋で降りると俺はもう一度電話を鳴らした。駅からエスカレーターで地上に上がる。
寒さで足早に歩く人をすり抜けて、周りを見渡しながら商店街の中に入っていく。
 電話は繋がらない。留守電になって電話を切った。一体どこにいるんだよ。こんな街中で
見つかるはずがないじゃないか。リダイアルでもう一度掛けるけど、やっぱり留守電だった。
「もしもし!日下ですけど!どこにいるんですか!」
無駄だと思っても留守電に半分怒りを込めたメッセージを入れて切った。
 道頓堀までつっき抜けて、わき道にそれながらまた戻ってくる。そんなことを繰り返して
いたら、なんだかあほらしくなった。
 ここにはもういないのかもしれないし、第一、こんな寒空の中なんで俺が息切らせて毬谷
さん探さなきゃならないんだ。
 あほらしくて、虚しくて、腹が立つ。・・・腹が立つのは腹減ってるからか。
もういい、帰ろう。帰って飯食って寝よう。
そう思って額にうっすら浮き上がる汗を拭ったとき、俺は見知った顔を見つけることに
なった。
 路地の向こうから歩いてくるのは、ベロベロに酔っ払ってる毬谷さんとそれを支える
上嶋の姿。
「まり・・・」
声を掛けそびれたのは、上嶋が毬谷さんの腰に手を回したのを見てしまったから。
「・・・・・・」
身体の熱が一気に下がった。ふらつく毬谷さんを電柱に押し付けて、上嶋は毬谷さんの唇
をなんでもないように塞いだのだ。
「?!」
 上嶋の腕にしがみ付いている毬谷さんは、俺には「上嶋のキスに答えている」ように
しか見えない。
 ぷちん、とすさまじい音で俺の中の何かが切れる音がした。
 どういうつもりなんだ。
「毬谷さん!!」
叫び声に上嶋と毬谷さんが同時に振り返った。
「あ・・・日下・・・」
毬谷さんの目が僅かに見開く。それなりに「見られてはマズイ現場」だと言うことくらいは
分かっているのだろう。
 近づいて毬谷さんと上嶋の前に立つと俺は二人を睨みつけた。
「・・・中途半端に呼び出すの止めてくれませんか」
「くさか・・・」
「だから、俺が送っていくからって言ったデショ?」
上嶋のいやらしい声が頭の中を引っ掻き回す。コイツ一体何考えてるんだ!
 俺が毬谷さんのこと狙っていること知ってて、こういう仕打ちをするのか。
「あんた・・・なんのつもりだよ!あんたみたいなヤツなら他にもいるだろ!なんで毬谷さん
なんだよ!」
「欲しいものは手に入れないと気がすまない性質だから?」
「最低だな」
そのまま顔を逸らして毬谷さんを見る。毬谷さんは電池の切れたロボットみたいにその場で
固まっていた。
「毬谷さん!」
「・・・・・・」
「俺には・・・俺には男は無理だからって言っておきながら、コイツならいいのかよ!」
「くさかぁ・・・」
「コイツがいいなら最初から言えよ!」
俺、すげえアホみたいだ。
「・・・・・・」
何も答えない毬谷さんにもこんな状況でも動揺しない上嶋にも腹が立って仕方ない。
「・・・勝手にしろ!」
捨て台詞ってこういうのを言うんだろう。言い逃げみたいに叫んで俺は二人を置いて人ごみ
にまぎれる。
 毬谷さんは追いかけてこなかったし、ケータイに連絡が入ることもなかった。

多分すごい形相をしてたんだろう。地下鉄の中で隣の女の子が俺の方を不穏な顔で何度
もチラ見してきたけど、俺はただトンネルの暗闇を見つめ続けていた。





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