なかったことにしてください  memo  work  clap






 それは大阪が生んでくれた1億3千万分の1の奇跡。




 平日だからなのか、仕事帰りのサラリーマンで店はごたついていた。
 俺と毬谷さんは定時少し過ぎに会社を出た。珍しく二人で歩いていたら、ほかの社員から
目をくりくりさせて見られてしまった。
 事務の子なんてあからさまに「仲直りしたの?」なんて聞いてきて、えらく気まずかった。
毬谷さんはそれをいつもの口調で適当にあしらっていく。おれは挙動不審にそれに従った。
 環状線から大阪駅で京都線に乗り換えて高槻駅で降りる。高槻には毬谷さんの行きつけ
のたこ焼き屋があるらしい。
 俺は、もはやたこ焼き屋がどこであろうと、(この際たこ焼き屋でなくても)全く構わな
かったので、おとなしくそれに付いて行った。
 店の前では店員が帰りがけのサラリーマン相手にたこ焼きを焼いている。それを順番で
待っている人、店の中に入っていく人様々で、小さくて古い店でもそれなりに繁盛している
らしかった。
 毬谷さんはその店員と顔なじみらしく、毬谷さんを見つけると店員が軽く頭を下げた。
「・・・っらっしゃいっ」
「こんばんはー。中、空いとる?」
毬谷さんが見せの中を覗く仕草をすると店員が店の中に声をかけた。
「中、いけるかー?」
「はいよ」
中からは威勢のいい声が飛んでくる。店員はそれに肩をすくめて、店を指した。
「どうぞ」
「どうも」
毬谷さんが油くさい店の中に入っていくので、俺も慌ててその後を追った。





 毬谷さんだけかと思っていたのだけど、大阪の人はたこ焼き屋でビールを飲むらしい。
「ちょっと一杯」という、こっちでいえば焼き鳥屋とかそれと同じようなレベルなんだろう。
初めはそれに違和感を感じていたのだけど、そういう風景がいつの間にか日常的になっている。
大阪に来て半年。未だカルチャーショックは抜けない部分が多いけど、慣れた部分も多い。
 エスカレーターだって迷わず右側に立てるようになったし、商談中に関西弁で怒鳴られ
ても昔よりは凹まなくなった。
 毬谷さんへの気持ちもすっかり自分の一部になって、常に俺と一緒に歩いている。
 見れば、毬谷さんは店の隅で流れているテレビをじっと見つめていた。テレビの中では
夕方のニュースが流れている。
 地域の特産の話だとか、スポーツの話だとかローカルなニュースだ。
「毬谷さん?」
「・・・・・・」
毬谷さんはすごい顔で睨んでたかと思うと、急に力を抜いて後ろの壁に背を預けた。
「なんや、トラのキャンプの話ばかりしよって!」
「はい?」
振り返ると地元球団のキャンプの様子が流れている。元ピッチャーだとか言う人が選手に
声をかけたりしているが、生憎俺は野球に全く興味がないので、それが誰なのかも分から
なかった。
 毬谷さんは鼻をふんと鳴らすと
「大阪人が皆トラ党やと思うとったら大間違いや」
と(心ばかり小声で)呟いた。
「そうなんですか」
「どこが優勝した思うとんねん」
「・・・・・・えっと、どこでしたっけ」
そういえば地元に帰ったとき、ローカル番組でやたらと「日本一」と言って地元球団の選手
が出ていたけど、確か優勝したわけじゃないんだとか・・・。(興味がないので全く分からない)
「この味噌文化!お前なんてたこ焼きにも味噌つけて食ってろ」
毬谷さんの嫌味はあんまり攻撃力もなく、俺は出されたたこ焼きを冷たいビールで流し込む。
「今年のペナントは完全優勝や!」
強くないはずの毬谷さんもごきゅっと喉を鳴らしてビールを飲んだ。ビールジョッキから液体
がどんどんとなくなっていく。
 そんなハイペースで飲んで大丈夫かな。また介抱役が回ってくるんだろうか。
 目の前でお気に入りの球団談義を滔々と語り始める毬谷さんを、どうやって自分のペースに
持ち込めるか、俺はそんなことをひたすら考えていた。







案の定である・・・・・・。
「毬谷さん、毬谷さん!」
毬谷さんはすっかり出来上がって、俺の前でとぐろを巻いている。(くだじゃない、毬谷
さんのはとぐろだ)
「だいたい・・・お前はぁ〜」
たこ焼き屋でこれだけ酔っ払えるっていうのもすごいと思う。
 目の前にはたこ焼きやらお好み焼きやらの皿が半分ほど残して並んでいる。ここはたこ
焼き屋というよりも、鉄板焼き屋に近いのかもしれない。
 酔いつぶれそうな勢いで、毬谷さんが店の親父に声をかけた。
「スジ塩1つ〜!」
親父は俺たちの机の上を見て一瞬眉をしかめたが、一拍おいて「あいよ」と答えた。
「まだ食うんですか」
あきれ口調で思わずこぼすと、毬谷さんは食って掛かってきた。完全に酔っ払いに絡まれた
状態だ。
「俺はなぁ〜・・・わけのわからん〜こうはいに〜、わけのわからんこと、いわれて、まいにち
あたまが、おかしくなりそう〜なんやーーー!」
「訳のわからないって・・・」
「おまえの、ゆうてることやがなー!」
「俺っすか?」
「おまえがやなー、マリアさまやとか、きしょいこといいよるからー・・・」
「きしょいって。ホントのことですもん。俺、ホントに毬谷さん一目見て、俺のマリア様
だって思ったんです」
「おちょくるのも、ええかげんにせえよぉ」
そう言うと毬谷さんは机に突っ伏してしまった。
「おちょくってなんてないですよ。俺、本気ですから。本気で毬谷さんが俺の恋人になった
らええなって思ってるんですよ?・・・毬谷さんこそ、俺の気持ち知っててあんなことする
から・・・・・・」
伏せた顔をむっくりと上げて、毬谷さんが睨んだ。
「あんなこと?」
目が据わってる。この人は酔うと笑ったり怒ったり激しいのだ。
 でも、こんなところで引き下がるわけにも行かない。俺も言い分がある。
「毬谷さんは、騙されてるんです!」
「おまえにだろ?」
「俺ぇ?!・・・・・・じゃないですよぉ、毬谷さんが騙されてるのは、上嶋さんです、上嶋汀」
俺の鼻息が荒くなるのとは反対に毬谷さんはきょとんとして目の力を緩めた。
「何ゆうてんの?」
「だーかーらー!毬谷さんは上嶋汀に騙されてるんです!誑かされて、捨てられるのがオチ
なんですよぉ!」
俺が必死に説得しようとしている矢先に、毬谷さんはがははと笑い出した。
「うはは。なんやそれ。おれが、ナギにだまされる〜?たぶらかされる〜?」
「そうですよ!あの人は、まりやさんが思ってるほどいい人じゃありませんよ」
「ナギはおもろいヤツやで?」
こんにゃろめ。なーにがおもろいヤツや!あいつは男として最低で最悪なヤツだ。
「毬谷さんは知らないから!騙されてるんです」
「日下、おまえのココ、おかしなった?」
毬谷さんは俺のでこに向けて指をさすと、そのまま眉間の辺りをぐりぐり押してくる。
「痛っ、やめてくださいよー。おかしくなんてなってないです!・・・・・・こんな事言うの
フェアじゃないかもしれないけど、上嶋さんは毬谷さん一人にするつもりなんてないん
ですよ?この前だって、平日の昼間に堂々と女とデートしてたし」
さすがにこれは言ってから、自分でも女々しいとは思う。チクるなんて女子高生でもある
まい。でも、使える札は使うしかない。俺には後ろがない。
「・・・・・・」
「確かに、上嶋さんは俺なんかよりずっとかかっこよくて、仕事もできるし、女の扱いだって
上手そうだし、俺なんか比べ物にならないけど・・・・・・でも、上嶋さんに付いていったら、
毬谷さんは上嶋コレクションの1人になっちゃうんですよ!?」
「ちょっ、待てや」
「待てません!俺は毬谷さんを引き止めるまで、上嶋さんの悪口でも何でも言い続けます
毬谷さんが上嶋さんのこと諦めないなら、風呂の中までだって付いていって説得しますよ!」
「あぁ?!」
毬谷さんの目つきが瞬間的に変わった。驚いている――らしい。
 急に酔いのさめたような顔になって、体を起こすと毬谷さんはろれつの回らない口で、
正しく俺を罵倒した。
「おまえは、ホンマにそう思うて、ゆうてるんか?!せやったら、お前はホンマのアホや!」
「アホて!俺は心配してるんです!」
もはや他の客がこっちをちら見してようがお構いなしだ。毬谷さんも俺も店内中に響く声で
言い合っている。
 サラリーマンの言い合いに興味がなくても、うるさくしてたらそりゃ注目も浴びるって
もので、カウンターから野次はとんでくるわ、二つ隣の席から「静かにせえ」と怒られたり
ちょっとした騒動にまでなっていた。
「上嶋さん、あんなに遊んでおいて、毬谷さんのこと傷つけない自信があるなんて言う
し・・・!お願いです、俺が駄目でも、せめてあの人からは離れてください」
「なんでナギが俺を傷つけなあかんねん!俺は、ナギに何されても泣かへん自信くらい
あるわ!」
ナギナギ、ナギて!!
 そんなに・・・そんなに・・・っ!
「そんなに、あれが好きなんですか!?」
「ああん!?」
「なんで、あいつなんですか!あいつのどこが好きなんですか!?俺じゃ駄目なんですか!」
身を乗り出すようにして毬谷さんに突っかかると、毬谷さんは充血したままの目で、机を
ばんっと叩いた。
「阿呆!この鈍感男!!」
「へえっ?」
理解不能な返事が返ってきて、怯んだ隙に毬谷さんはコートを鷲掴んで外に飛び出していった。
 後に残るのは、興味深そうに見ている客の目と、スジ塩を手にした怖い顔の親父。
俺、この店にも二度と来れない・・・・・・。







 スジ塩を持ち帰りにして、すばやく会計を済ませると俺も慌てて店を飛び出した。
「毬谷さぁ〜ん」
スジ塩片手に毬谷さんの名前を呼びながら駅前の商店街を駆け抜ける俺。
「毬谷さん、ほら、大好きなスジ塩、さめちゃいますよぉ!」
あたりを見渡しても、毬谷さんらしき人は見当たらない。商店街は少し帰りの遅いサラリー
マン組がうつろな目で歩いている。
 その隙間をすり抜けて、毬谷さんらしき人を探す。
「ほーら、スジ塩ですよ〜、毬谷さーん」
幾人かに振り返られながら、商店街を抜けて暗い夜道まで来てしまった。もう家まで帰って
しまったんだろうか。
 そういえば、毬谷さんのマンションってどこにあるんだろう。駅の近くって言うのだけは
聞いたことあるけど・・・。押しかけたくてもそれもできない。
 電話しても出てくれるかわからないし。途方にくれながらも、もう一度暗闇に向かって
毬谷さんの名を呼んだ。
「おーい、毬谷さーん、毬谷さん!スジ塩旨いっすよ!出てきてください〜」
返事はない。俺の声は暗闇に吸い込まれて消えた。
 はうっと溜息を吐きかかったところで、いきなり後ろからケツを蹴り上げられた。
「いひっ!」
「俺は、ネコか」
「・・・毬谷さん!」
「俺がスジ塩で出てくるとでも思うとるんかぁ〜」
「・・・・・・出てきたじゃないですか」
「うっさい、ボケぇ」
毬谷さんはおぼつかない足取りで、そのあたりをふらふらと歩いている。俺はそれを追った。
「ちょっ・・・待ってくださいよ」
「おまえのことなんて、またらへんわー、この鈍感男〜」
「鈍感、鈍感って、さっきから何のことなんですか?!」
「わからんやつには、おしえたない」
急に歩き出した所為なのか、毬谷さんはひどく酔いがまわってるらしく、細い路地裏の道
を蛇行して歩いている。
 壁にぶつかりそうになって、慌ててその身体を支えた。
「危ないですよ」
「うっさい、さわんな」
「・・・・・・毬谷さんの気に触るような事、言ってたらすみません・・・・・・でも、俺なんで毬谷
さんが怒ってるのか・・・・・・やっぱり俺なんかが、上嶋さんの事聞いた所為ですか?」
見下ろすと支えていた腕を無理やり解かれた。
 溜息とうめき声を同時に発したかと思うと、毬谷さんは俺から離れていく。そして、
56歩進んだところで振り返えると、くぐもった声で言った。
「俺が、ナギにどんなことされても傷付かへん言うたんは、俺がナギの事、なんとも思って
ないからに決まってるやろ、ボケ!」
「へ?」
そうなの?!
「俺も、ナギも、お互いなんとも思うてないわ、この大ボケ野郎」
「ええっ?!」
俺は何かを勘違いしてたってことなんだろうか。
毬谷さんは上嶋のことが好きなんだと思ってた。だからあんな言動して、俺のこと諦め
させようとしてたし、第一上嶋とキス・・・そうだ!なんでもないなら、なんでキスなんて・・・
 不安げに顔を向けると、毬谷さんは少し怒った顔をしていた。
「俺が好きなんは・・・・・・」
「え?」
威勢よく発せられた言葉は途中で小さくなって、俺の元までたどり着かない。
「何て言ったんですか・・・!?」
パクパク動かす口が何度もためらって、毬谷さんが頭をかきむしった。
「・・・・・・うっさい!俺の事、好きって言えや!言うたら付きおうたるわ!」
「!?」

俺の目の前にいきなり聖母が降臨した。






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