なかったことにしてください  memo  work  clap
楽園アンビバレンス


 9.連鎖




「俺は、西口健人の自殺は若見瑛が関わっていると確信してます」
上司に向かって宣言した横沢の姿を大野は今でもはっきりと思い出せる。事件解決に向け
て真っ直ぐに向き合う横沢を、大野は素直に尊敬していたし、コンビを組んだからには
絶対に解決させてみせると思っていた。
今から2年前の話だった。





「横沢!大野!こっちこい!」
刑事課に戻ってきてすぐに、課長から怒鳴りつけられた大野は「やっぱりな」と苦笑いを
浮かべ、周りにいた先輩や同僚に行ってくると小さく肩をあげた。
課長から呼び出しを喰らうのは、慣れ果てていた。
「お前たちは、今日、どこに行っていた!!」
部屋に入るなり怒鳴りつけられたた大野は、どこに行ってたか知ってるくせにと喉まで出
かかって急いで飲み込んだ。キンキンと耳鳴りがする。
「私用で千葉に行ってました」
横沢は感情を消して頭を下げた。その態度が気に入らないのか、課長は机をバンと叩いて
二人に罵声を浴びさせた。
「お前たちのやってることは、違反行為だ!!何度言ったら分かる!!」
「申し訳ございません」
「そうやって謝っていれば、俺の気が済むと思うな!!これはそういう問題じゃない!!」
確かにその通りだ。感情的になって怒られて済む物なら大野だって耳鳴りなど起こしはしない
のだ。
西口健人の件は自殺で処理された。ほじくり返してはならないと、散々言われたことだ。
新しい発見など誰も望んでいない。誰が見ても決着の付いた言葉で文書化され、綺麗に
ファイリングされて資料棚に保管されているものを、横沢の直感だけで掘り起こしていい
ものでもない。
しかし、横沢も毎回諦めず課長に説教されては、しばらくは大人しく職務を全うし、ほと
ぼりが冷める頃にまた動き出す。その繰り返しだった。
けれど、今回ばかりは、ほとぼりが冷めるまで待っている訳にはいかなかった。
大野は横沢を差し置いて思わず口を出してしまった。
「課長……お言葉ですが、昨日、一人の男性が行方不明で捜索願が出されました」
「大野!!」
「それが何だ!」
大野は横沢を振り返り、拳を握った。横沢は納得いかない顔をしていたが、こんなことは
隠しておいても意味がない。正面から調査できるだけマシだ。
「花里駿也。……若見瑛の恋人です」
「なっ!?大野!?」
横沢が驚いて大野の顔を睨みつけるように見ている。駿也が恋人だったなんて初耳だと
言わんばかりの顔に大野は内心苦笑いした。自分だって初耳だと。
課長の顔は凍っていた。どっちに転んでも頭の痛くなる問題だ。
「調査、続けさせてください」
頭を下げる大野に続いて横沢も頭を下げた。
「お願いします。花里駿也を見殺しにはしたくない」
課長は苦々しい表情を向けたまま、言い放った。
「さっさと花里駿也を探せ。絶対に死なせるな。捜査ミスは許さんからな」
「はいっ!!」





「ちょっと、行ってくる」
課長の説教から戻ってくると、横沢はタバコを軽く上げ、すぐに部屋を出て行ってしまった。
大野は自分の席でコーヒーを飲み、積み上がっている資料に溜息を吐く。横沢の姿が完全
に見えなくなると周りの刑事が大野の机に集まった。
「おい、大丈夫か」
「まあいつものことなので」
大野は温和な顔をして頷いてみせる。童顔気味の顔は、笑うと更に幼く見え、自然と大野は
刑事たちの間でも可愛がられる存在になった。大野自身、劣等感を抱いていた容姿も今では
武器として十分役に立っている。強面の刑事達の中では人あたりのいい顔はあらゆる場面で
得だと、この2年間で痛いほど知った。
「お前、まだ西口健人追ってんのか?」
先輩刑事の一人に呆れられながら突っ込まれると、隣の刑事は更に不機嫌な顔になった。
「お前なあ、いい加減にしとけよ!あれ、自殺で片付けられてたじゃねえか。あんなもん
覆したらとんでもないことになるぞ!」
その言葉に大野は苦笑いした。常日頃、口にしている横沢のセリフが浮かんだからだ。
『捜査にミスがあっても、全貌を明らかにするよりもなかっかことにする方を選択する、それが
上のやり方だ。俺はそれが許せない』
大野は同じことを言い返す気にはなれず、頷いてみせた。
「覆そうとはしてませんよ。自殺は自殺なんですよ。横沢さんもそれは分かってるんで」
「じゃあ、何コソコソ調べてるんだよ」
「……あえて言うなら自殺教唆か自殺幇助の線ですかね」
「ああ、あのT大の何とか言う教授だか准教授だか……」
「そんなので、ひっぱれるか。無理だろう」
呆れる先輩刑事達に、大野も真面目な顔で答える。
「無理だと思います。若見瑛を捕まえるなんて絶対無理だと思います。……でも、横沢さん
が追うのなら、俺は降りるわけにはいきませんので」
「いつまでも、横沢さんとなんて組んでると出世できないんじゃないのか?」
同僚が小声になって大野に忠告した。賛同して、先輩刑事も頷く。
「お前、本当に横沢なんて見切りつけろよ。お前からコンビ解消が言いにくいなら俺たち
言ってやるからよ」
刑事達に見つめられ、大野は困った表情を浮かべた。別にコンビを解消したいなど、思った
ことないのだ。
「ありがとうございます。でも、ダメなんです。コンビ解消なんてできません」
「脅迫でもされてんのか?ふざけんなよ!!」
思わず声を荒げた刑事に大野は慌てて首を振った。
「違います、違いますって!」
横沢は何も言わない。ついてこいともついてくるなとも。ただ、自分はこの人について
行かなければならないと、強く思うのだ。
「……俺がついててあげないと、横沢さん、きっと向こうの世界に行っちゃうんで」
はにかむ大野に、周りの刑事は唖然とするばかりだった。





「大野、あったか」
「ありました。受理されたのは3日前の夜です」
大野はデーターベースの画面を見せると、困ったように溜息を吐いた。
「やっぱり、怪しいですかね」
「当たり前だ。しかし、この男、本当に若見瑛の恋人なのか!?」
「……多分、間違いないと思います」
課長の前で啖呵切った大野を横沢は内心肝の冷える思いで見ていた。あの時点で花里駿也が
若見瑛の恋人などという証拠は何一つなかったのだ。
あれは、大野の勘に過ぎなかったのだ。
けれど、証拠集めに走ってみれば、やっぱり花里駿也は若見瑛の恋人だった。
勿論、横沢と大野は、駿也の存在を当初から認識していた。幾度となく横沢と大野が瑛の
元を訪れていると、自然と駿也の姿を見る機会が増え、念のため、駿也の人物調査も行っ
ていたのだ。ただ当時は、瑛の育った「あすたか園時代の親友」くらいの位置づけだった
所為か、横沢は油断していた。駿也が恋人に格上げされていたことに気づかないまま、2
年近くやり過ごしてしまっていたのだ。横沢のミスだった。
新しい恋人の匂いをチラつかせては、違う男を連れ込み、その男を調べてみれば、ただの
遊びだった、それを何度繰り返させられたことか。
横沢は瑛に振り回されるほどむきになった。けれど、大野は瑛に横沢が振り回されるのを
見るたび、腹の底が震えるような不快感を味わっていた。
「H電機陸上部、スプリンターでエース。全日本では最高が4位、だそうです。陸上界では
そこそこ有名って塚杜さん言ってましたけど、やっぱり陸上界ではそれなりに有名みたい
ですね。陸上雑誌に何度か取り上げられてるし、このルックスでファンもついてたみたい
です。そういえば3つ下の奥さんと娘がいましたよね」
大野の報告を聞いて、横沢はあからさまに不快な顔をした。
「あの男、独身じゃなかったんだよな……」
「不倫ですね」
「ちっ」
今時、不倫なんて珍しいものではないし、その相手が男だからといって、騒ぎ立てるほど
大野は未熟でもないつもりだった。特に、若見瑛の場合は何が起きてもおかしくない、くらい
の気持ちではいたつもりだった。
「珍しく正論ですか」
「そうじゃない。なんでもっと早く調べとかなかったんだ、クソ!ってことだ」
「え?」
「似すぎだろ」
その答えに、大野は横沢の不快の意味を取り違えていたことに気づく。
そうだ、若見瑛の前の恋人、西口健人も日本代表のアスリートで、妻と子どもがいたのだ。
偶然の一致なのか、若見瑛の嗜好なのか、どちらにしても、やはり眉間に皺を寄せたくなる
気持ちにはなった。
「生きてますかね?」
「わからんな。若見瑛の歴代の恋人と同じ道を歩んでいなきゃ、生きてるだろ……」





大野が警察官になったのは今から8年前のことだ。何も考えず、周りの同級生と同じように
大学受験を目指していた高校2年の時、突然父親が他界した。事故だった。
大野は、受験を諦めた。その変わり、警察官になることを決めた。大野は思い直せと言っ
た母親の言葉を最後まで無視して警察学校に飛び込んだ。
警察学校では、同僚や教官に恵まれ、ベイビーフェイスの力もあって大野はみんなに可愛
がられた。けれど、大野が刑事課に行きたいと言うと、周りの人間はみんな一瞬固まるのだ。
それが「その顔で」「舐められるからやめろ」「別の課のほうが活かせる」と暗に言ってる
のが丸分かりで、大野は益々自分の顔に劣等感を抱いたものだった。
けれど、横沢だけは違った。4年前、横沢はある問題で交通課に飛ばされていた。その交通課
で一緒になったとき、横沢は大野の人となりや能力をちゃんと見てくれた。横沢は程なく
して刑事課に戻ったのだが、その時、横沢が自分も刑事課に推してくれたのだと聞いた。
だからというわけではないが、横沢とコンビを組むようになって、横沢の足でまといに
だけはならないようにと思っていた。勿論、横沢の為に事件を解決したいと思ったことは
一度もなかったし、今も思っていない。けれど、最近思うのだ。
この事件をこれ以上長引かせたら横沢が壊れてしまう、と。
横沢は若見瑛を追ううちに、変わってしまった。まっとうな警官の顔を無くしてしまった
のだと大野は思う。
変化は、じわじわとやって来ていたのだ。本人にも気づかないほど緩やかに、そして確実に。
まるで見えない毒を少しずつ盛られているように、少しずつ横沢は狂い始め、気がついた
頃には、すっかり若見瑛に取り憑かれていたのだった。
そして、先程まで、夕暮れの公園で会ってい山内という男も、また若見瑛に取り憑かれれいた
人間だった。山内は若見瑛の元恋人だ。時代で言うと、西口健人の前の男ということになる。
山内は血色の悪い顔で現れると、面倒くさそうに現況を話し、また住宅街へと消えていった。
「俺はもう、あの人とは関係ありませんから」
「あれから一度も会ってないんだな?」
「……会いたくもないですよ」
「この男、知ってるか?」
「知りません」
駿也の写真を引っ込めると、会話はぷつりと切れた。夏の夕暮れは暑さを忘れることなく、
熱風が吹いていた。
横沢は少し落ち込んだような表情を引きずりながら公園をあとにした。
「俺は、あいつがなんだか心配だ」
「山内ですか?」
「ああ……」
「もう過去の話じゃないですか」
「山内には過去じゃないのかもしれない。手首の傷が増えてた」
別れてから何年も経つ男が未だに若見瑛に囚われているとするなら、囚われてる最中の
横沢はどこまで落ちてしまうのだろう。大野はそれ以上考えるのが怖くなって、ぶるぶる
と頭を振った。
「ねえ、横沢さん」
「なんだ?」
「今夜、一杯付き合ってくれませんか?」
「大野?」
「……俺、飲みたい気分なんで。先輩、ご馳走してくださいよ、たまには」
無理矢理笑ってみせると、横沢も珍しく笑った。
「じゃあ、たまには行くか」





乾杯をしてビールを生で二杯飲んだ。大野も横沢もそれなりに酒に強いはずだか、横沢は
たったビール2杯で珍しく溜息を吐いていた。
「どうしました?」
「年かな」
夜になって生えてきたのか青黒いひげが浮き上がる口元と、皺の入った目元が実年齢よりも
更に上に見える。心が疲れているのだろうと大野は思った。
「年って、横沢さんまだ30代でしょう」
「大野はいくつになった?」
「俺っすか?俺は26です」
「だろう?俺はもう38だ。お前と一回りも違う。アルコールも受け付けなくなるわ」
寂しそうに笑う横沢を大野は不安気に見上げた。
二人は無言になって、注文した料理をつ付き合う。旨いと評判での焼き鳥の塩を注文した
のは大野だったが、妙に塩っ辛くて、大野は一串で手が止まってしまった。
横沢はビールから焼酎に切り替えて、冷えた水割りの焼酎をチミチミと口に運んでいたが
ふっと手を止めると、大野を見つめた。
「大野」
「何ですか?」
「……すまんな」
「なんですか、いきなり」
「お前を巻き込んだこと、俺だって少しは悔いてる」
「!?」
「お前、俺がひっぱってこなきゃ、順調に出世できただろうが」
「はは。高卒のノンキャリ捕まえて、何言ってんですか。それに、刑事課希望したの俺
ですから」
横沢が自分に対してそんな感情を抱いていたことに大野は驚いた。横沢はネガティブな
言葉は愚か、自分に対して優しい言葉すら中々かけてくれないのだ。
横沢は心の底から疲れているのかもしれない。駿也の失踪がそれほど堪えているという
ことなのだろう。なんとしてでも早く見つけなければ、その気持ちが益々強くなった。
「お前は俺についてきたこと不安に思ってないのか?……俺は後悔だらけだ」
「後悔なんてしないでください。そんなものされたら、俺の人生否定されちゃうじゃない
ですか」
「……お前がいいなら、それでいい」
真っ直ぐに見つめると、横沢は苦しそうに目をそらした。大野の見たことない横沢の顔
だった。
それだけ自分に心を許してくれたことなのだろうか。そうだとしたら、自分はこの男に
少しでも近づけているという自信になる。
「大丈夫です。俺、本当にダメだと思ったら、横沢さん捨てて逃げますから」
「ああ?」
「ついて行っているうちは、大丈夫だって思ってください」
にっこり笑ってみせると、大野は残っていたビールをぐいっと煽った。
「ふぅ……!……ねぇ、横沢さん」
「なんだ」
「俺、怖いんです。横沢さん、若見瑛のことになると、歯止めきかなくなるから」
大野は少しだけ真面目な顔を作って横沢を見上げた。
横沢は困ったようにその瞳を受け、そして逡巡すると真摯な答えを寄越した。
「俺は、あいつを許せないんだ」
いつになく硬い声色に、横沢の本気を見て、大野も背筋が伸びる。
「なんでですか?」
「あいつは、自分一人がこの世の不幸の全てを負っている顔してるが、そんなのはみんな
一緒なんだよ。辛いのはあいつだけじゃねえ。なのに、あいつは死にたがってる。しかも
他人を巻き込んで……」
横沢はそう言うと、また一口焼酎に口をつけた。横沢は多分、この事件の本質をわかって
いる。伊達に2年、調査してきたことはあるが、やはり大野は不安を隠し切れなかった。
「横沢さん……あんまり、そっちへ行かないでくださいよ」
「そっちってぇ!?」
横沢は部下の突然の発言に大きく目を開いて、焼酎の手を止めた。
「温室、です」
「温室ってT大の?」
「……俺、あの温室、苦手です」
「なんでだよ」
「あそこには、あると思うんです」
「何が!!」
「……きっと、温室の向こう側にあるんです」
「だから、何があるんだよ」
大野は眉間に思いっきり皺を寄せて、小さく呟いた。
「楽園が……」
横沢は、大野が突然言い出した戯言に笑い飛ばそうとしたが、うまく笑えなかった。





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