なかったことにしてください  memo  work  clap

 石田と話す機会は割りと早くやってきた。石田の前の席に座り始めて一週間。勿論話しかけたのは
柚樹だった。
 半分は本当に困窮していたわけだが、半分は口実だった。
「あの・・・さ。勉強してるとこ、突然で悪いんだけど」
「何?」
石田の声は思ったより低く、腹のそこに響く感じがした。柚樹は覚悟を決め、言葉を続ける。
「この問題、よく分からないんだけど・・・もし分かるなら、教えて欲しいんだけど?」
課題プリントの3番目の問題を指差しながら柚樹は石田を見た。
「・・・いいよ、見せて」
石田は意外にもあっさり引き受けた。プリントを見て、問題をルーズリーフに書き写すと、ほぼ
考えるまもなく、その下に解答を書き始めた。
 あっというまに出来上がった解答を前に柚樹はぼうっとするばかりだった。
「どうぞ」
「・・・サンキュ。・・頭、いいんだな」
彼ははにかんだ様に笑った。
 柚樹は手渡されたルーズリーフを見つめる。右上がりの独特な数字が綺麗に並んでいる。柚樹は
その解答をプリントに書き写し、ルーズリーフを教科書の間にそっと仕舞い込む。
 その仕草があまりにも女々しくて、柚樹は思わず席を立った。
(後生大切にします、ってモノじゃないだろう・・・)
恥ずかしい。自分の行動が石田に見られていたら、なんて言い訳をしたらよいのか柚樹は
思いつかなかった。
 開架図書は、自習スペースの後ろ側にある。この時期、自習スペースは3年生で埋め尽くされる
ことはあるが、図書のコーナーは殆ど人がいない。柚樹が逃げ込んだ本棚も誰もいなかった。
大きなため息をつくと、その息遣いすら、空間に響いて、石田に気づかれたのではないかと
心が落ち着かなくなる。目を閉じ、心の中で数を数える。試合前の緊張をほぐす自分なりの精神
統一方法。頭に上る血が徐々に体中に巡っていく。
 柚樹はゆっくりと息を吐きながら、目を開けた。
 目の前には『理科・生物』と書かれたプレートが張ってあった。本の背表紙を追うと、生物の
図鑑やら、生物の参考書、実験のレポートなどが並んでいる。
 柚樹はその中の一冊を手にとって広げた。ポケット植物図鑑と書かれたその本は、植物の
写真入りで生態が紹介されている。
 柚樹は思い出したように、一つの花の名を探した。
「・・・あった」
それは、小さな薄紫の花。可憐な野花は、自分とは似つかわしくないと、柚樹は思う。
(これの、どこが、俺なんだよ・・・)
そして、そこに書かれた文章を見て、柚樹は心なし、怖くなった。
『都忘れ(ミヤコワスレ)
 学名:Gymnaster savatiererii
 別名:ノシュンギク(野春菊),アズマギク(東菊)
 花期:春
順徳上皇が佐渡に流されたときこの花を見て「都のことを忘れることができる」と癒された
ことから、都忘れの名が付いたとも言われている。
花言葉: 「しばしの憩い」「別れ」「短い恋」』
柚樹は声に出して、その綺麗な響きのする花の名を呼んだ。
「都忘れ・・・」
そして、花言葉の部分を指でなぞった。
「別れ・・・短い恋・・・」
奈津子はその花を柚樹のようだと言った。その意味を柚樹は考えあぐねてる。奈津子が花言葉まで
知っていたようには思えない。ただ、もしその意味を知っていて柚樹のようだと言ったのなら、
柚樹は奈津子に胸の内を透かされていたことになる。
 それでも、奈津子にそれを問いただすことはできない。今更ぶり返して聞くようなことでもないし
触れられたくもなかった。
 困惑しながら、本を棚に戻し、席に戻ると、既に石田はいなくなっていた。

 雨は降ったり止んだりを繰り返していた。その日も午後になって、雨が降り出し、湿気の多い空気は
生徒達の不快感を吊り上げていた。
 柚樹は相変わらず図書室で勉強し、その前には石田が座っていた。既に、お互いその場所が指定席
になっていて、「いつも決まった場所に座っているから」という明確な理由付けが出来上がってしまえば、
後ろめたさは段々と薄れていった。
 柚樹は二時間ほど勉強をして、今日は早々に切り上げようと思っていた。
 今朝、奈津子に先に帰るように言われていたのだ。
「今日、帰り、先に帰ってくれる?部活のね、みっちゃんとあやちゃんと一緒に帰りたいから」
「ああ、別にいいけど、なんかあったのか?」
「・・・うん、まあね」
奈津子は女特有の笑い顔を作り柚樹を見上げる。
「・・・あやちゃんの彼氏か」
「うん。当たり。別れる別れないで悩んでるから、相談乗って、なんだって」
「大変だな、女子は」
「そうでもないけど。・・・そうやって楽しんでるんだもん、みんな」
悩み事を共有し、悩んでいることですら楽しめるという奈津子たち女子の感覚が、柚樹には分からない。
 そんなのは人に語るものでもないし、できるなら、1人でそっと処理したいと思う。
柚樹はシャーペンをペンケースにしまって、帰り支度を始める。外を見ると、雨は小降りになっている。
朝、家を出たときには雨が降っていなかったため、傘を持ってこなかった柚樹は、今がチャンスだと
思って鞄に教科書や課題プリントを突っ込み、席を立とうとした。
 そのとき、目の前のテナーボイスが自分に話しかけてきて、柚樹は、時を忘れた。
「もう、帰るのか?」
「え・・・あ、うん」
「1人で?」
「ああ」
 そこからは上手く状況がつかめなかった。どこをどうやって辿ったのかさえ危うい。それでも、今
柚樹は石田の傘の中で仲良く2人並んで校門を抜けていた。
 遠くでトランペットやスネアドラムの音が聞こえる。ブラスバンド部はまだ練習中なのだろう。
柚樹はそれを確認するとなんとなく安心して校門を抜けた。
 こうして並んでみて、柚樹は石田が自分よりもさらに大きいことに気がつく。自分の頭は多分石田の
鼻先のあたりだろう。柚樹は軽く見上げて確認した。
 そして、その形のよい口が動いて、柚樹と呼んだ。
「・・・関さんの彼氏、だろ?」
「知ってるのか?」
「うん。有名だからね」
「奈津子が?」
「ううん、柚樹が」
「そうか?」
「うん。バスケ部のキャプテンだし、スポーツできるし、美人の彼女がいるし、顔いいし」
「頭悪いし、な」
自嘲気味に付け足して、2人は笑った。
「石田はサッカー部だった?」
「うん。よく知ってるね」
「奈津子に聞いた」
「そう」
会話が途切れた。続けるべき言葉が柚樹には見当たらない。この状況は柚樹にとって予定外だった。
 ただ見てるだけでいいとか、声を聞けるだけでいいとか、そんな女々しいことを思っていた
わけではない。
 そもそも、そんな風に思うのは反則だと、自分の中でさっさと処理してしまわなければならない
感情なのだと決め付けていた。
 だから、夏休みが終わって、図書室に通わなくなれば、きっとこんな感情はすぐに消えると
高をくくっていた部分もある。自分1人ならどうにでもなる。気づかれず、忘れてしまえばいい。
 そう思っていたところに、石田は近づいてきた。毎日目の前に座る奇特な人間を不思議に思った
のかもしれないが、こうやって接点を持つことで、石田と自分との関係が図書室という一点だけで
終わらなくなることが、柚樹には怖かった。
「関さんは・・・」
「ん?」
「関さんは、いい子だね」
「ああ」
「うらやましいよ」
「え?」
柚樹は石田の顔を見上げた。石田は真っ直ぐ向いて歩いている。どういう意味なのか、柚樹は考えた。
(石田は、奈津子が好きなんだろうか・・・)
そして、石田はゆっくりと、もう一度、同じ台詞を口にした。
「柚樹と付き合ってる関さんが、うらやましい」
熱を含んだ台詞が柚樹の心臓を速くした。どういう意味か、今度は考えなくても分かった。と同時に
それは、聞いてはならない一言だった。まさかとの思いに張り付いて動けなくなる。硬直した柚樹に
石田は、ゆっくりと顔を近づけて、柚樹の唇を静かに奪った。
「なっ、何・・・」
ふさがれた唇から伝わってくる熱と石田の匂い。柚樹は石田の気持ちを知って、混乱して、喜んで
そして、哀しくなる。
 どうして、思いが通じてしまうのだろう・・・。田舎の片隅の奇跡など、柚樹には嬉しくなかった。
離れた唇は、少しだけ震えていた。
「・・・俺は、お前の方が、うらやましい」
自分には、思いを告げることも許されないから。泣いたり、すがったり、そんな女々しいことは絶対
しない。こんなことで、奈津子を傷つけるわけにはいかない。柚樹は殆ど伝わるはずのない思いを
込めて、石田を見つめる。
「お前の方が・・・羨ましい」
 それが、自分が言える精一杯だった。
 たぶん、これは、恋なんだろう。
短い恋。
都忘れの紫の小さな花が柚樹には見えた気がする。
 石田は目を閉じ、感情を押し戻しているようだった。
「・・・そのうち」
「え?」
「雨が上がれば、秋だな」
「ああ・・・」
「あつさ、も忘れるさ」
柚樹は小さく頷いた。それ以上は言葉に出来なかった。石田の精一杯の優しさに何も出来ない自分を
惨めに思った。
 2人は無言で駅まで歩いた。時々ぶつかる肩がじんじんと痛んだ。
「俺、こっちだから」
「ああ、じゃあな」
・・・さよなら。
 柚樹は振り返らず真っ直ぐ歩く。一足進む毎に暑さが遠のいていく気がする。石田の気配が完全に
なくなると、柚樹は張り詰めた感情がぐしゃっと潰れたように、ホームのベンチに座り込んだ。
 夏が終わった。
夏は、石田とともに、柚樹のあつさを連れ去っていった。
・・・石田は、夏そのものだった。
柚樹は、それを悟った。


 新学期になって、帰宅中に一度、石田に出会った。柚樹は奈津子と一緒に廊下を歩いていた。
「あ、石田君」
「関さん・・・?」
「先週の実力テストの結果、先生にこっそり聞いちゃった。クラス2位だったんだって?」
「・・・ああ」
「あー、ホント、うかうかしてられないなあ」
奈津子は石田と2、3言話してから、じゃあね、と軽く手を上げてすれ違った。そのとき、石田は
柚樹にだけ気づくように笑って通り過ぎていった。
 柚樹は慌てて振り返ったが、彼は、もうけして振り返ることはなかった。
「・・・柚樹?」
「ああ、行こう」
柚樹は奈津子の背中を押しした。
 そう、夏は終わったのだ。
薄れ行く痛みと、感傷を抱えながら、柚樹は奈津子と共に歩き出した。




2006/09/11





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