なかったことにしてください  memo  work  clap

フォルトゥナのうしろ髪




「電源よし、道具棚の鍵よし、と。・・・・・・所長!点検終わりましたよ」
大友鉄二(おおとも てつじ)は軍手を外すと、作業服の隙間からべっちょりと付いた
手首の油を指で擦った。
「大友君、お疲れさん。後はこっちでやっておくから、先上がって」
「はぁい・・・・・・」
鉄二はおでこに浮かんだ汗をタオルで拭いながら、所長の方へ歩んでいく。
「・・・・・・やっぱりこっちは停めるんですか」
「需要が無いのに、機械回してても、電気代かかるからね。倉庫に在庫が有り余ってるし。
あれがはけるまでは当分1本で行くよ」
「上は買ってくれないんですか?あっちが作れって言ってきたんでしょ?」
「受注した分は全部買って行ってくれたよ。あれは、こっちが見越して作った分だからね。
作りすぎたウチが悪い」
「でもあの時、ここの機械、全部フル回転させなきゃ間に合わないからって、あいつら
そう言ったんですよ?だから俺達、必死に夜勤までしてたのに」
鉄二の言葉に、所長は苦笑いをして、機械を優しく撫でた。
「景気が悪くなったらそれまでだよ」
「結局、一番しわ寄せを食うのは、俺達、下請け部品工場なんだよな」
「それでも、ウチはまだいい方だ。1つは動いてるんだから。完全にどこからも受注が入らなく
なって、閉鎖した工場が何軒もあるだろう」
鉄二だってそれは分かっている。けれど、腑に落ちない、やり場の無い想いが腹の底に
ぐつぐつと横たわっているのだ。
「上は勝手だ」
「・・・・・・大友君にも、本当に迷惑かけてすまないね。君の所は奥さんも子どももいるって
言うのに、昇給どころか、今月から20パーセントもカットなんて」
人のよさそうな所長の顔がすまなそうに歪んだ。
「あ、違うんすよ。給料がって話じゃないです。苦しいのは分かってるんで、そんなのは
いいんです。ただ・・・・・・上の奴らに振り回される俺達の身を、上の奴らが理解してないって
言うのが腹が立つんです」
さっきから鉄二が上と言っているのはここの部品の8割を納品しているKOMIモーターという
会社のことで、先日やってきたKOMIモーターの営業の、不遜なしゃべり方を思い出しては
こうやって愚痴を零しているのだ。
「KOMIさんところだって、上にS自動車がいるんだから、あそこは更に板ばさみになってて
大変なんだよ」
「所長は人がよすぎっすよ。そんな他人の心配ばっかりして。お人よしで、俺なんて拾う
から、赤字になっちゃうんすよ」
自虐的に笑うと、所長は彫の深い顔を皺だらけにして言った。
「情けは人のためならずって言うでしょう。あれ、私の格言なの。大友君を雇ったのは何も
善意だけじゃないよ。こっちだって経営してかなきゃいかんからね。だから、君はここで
堂々と働いてればいい」
所長の優しい言葉に鉄二は胸が熱くなった。
 鉄二の10代はすさんだものだった。中学ではその名を知らない同級生はいないと言うほど
荒れ果て、喧嘩やタバコ、カツアゲや無免許、バイクの窃盗と大抵のことは全てやった。
 高校に進学するも1年を待たず中退し、そのまま少年院行きとなり、本退院となった後も
定職にも付かず、24歳まですさんだ暮らしをしていた。
 転機が訪れたのは付き合っていた女が突然妊娠したことだった。
慌てて職を探し始めたものの、高校中退の鉄二を雇ってくれる会社にはなかなか出会えず、
やっとたどり着いた先がここの自動車部品の工場だったのだ。
 募集人員が1人のところに、鉄二と高卒の若い子が面接に来た。履歴書をみて、所長以外
が一斉に嫌な顔をしたのを鉄二ははっきりと覚えている。
 落ちたな、そう思っていたのに、後日採用の通知をもらったときは、ひどく驚いたもの
だった。けれど、採用を素直に喜べたのは数日だけだった。
 所長が他の全員の反対を押し切って、自分を採用したのだと知り、そして他の社員から
疎ましく思われていることを肌で感じて、鉄二は何度も唇をかみ締めた。
 けれど、鉄二は辞めるわけにはいかなかったし、昔のように、ムカついたからといって
直ぐに切れたりしないように自分を必死でコントロールした。
 自分には守るべきものがある。それだけを胸に鉄二は必死に働いて、そして気が付けば
6年も経っていた。
 30になった今では、すっかり中堅になって、仕事も大切な役割を任せてもらえることが
徐々に増えてきている。確かに給料は安いけれど、ここは鉄二にとって代えがたい職場なのだ。
 なんとしてもここを守らなくてはならない。6年前、所長が自分を守ってくれたように
今度は、この危機を自分が何とか守らなくてはと、鉄二はやつれた頬の所長を横目で見ながら
静かに思っていた。





「所長、お客様ですよ」
事務のおばちゃんに声を掛けられたとき、所長は鉄二と一緒にしゃべっていた。
「どちら様?」
「KOMIモーターの方〜」
その名前を聞いて、鉄二は所長よりも先に嫌な顔を作った。
「佐藤さん?」
「佐藤さんじゃありませんよ。もっと若くて綺麗な男の子」
おばちゃんは何故か嬉しそうにうふふと笑った。
「・・・・・・そう、じゃあ応接室にお通しして・・・・・・」
所長が言い終わらないうちに、カツカツを革靴の音がして、彼らが一斉に顔を向けると、
そこにはダークグレイのスーツに身を任せた長身の男が立っていた。
「あら、入って来られちゃったわ」
おばちゃんはけらけらと笑って、長身の男を見上げた。
 鉄二も釣られて、男の顔を見る。どこかで見たことのあるような顔だったが、鉄二は
全く思い出せなかった。昔関わった人間でないといいのにと、鉄二は他人事のようにぼんやり
その整った顔を見る。
 喧嘩の相手もカツアゲの相手もあまりに多すぎて、いちいち覚えていなかったから、
すっかり大人になった今でも時々「あの時やられた○○だ」といわれて、突っかかって
来られたり、返り討ちにされたこともあるからだ。
 工場の蛍光灯に照らされて、男の顔に掛かっている眼鏡がきらりと光った。
「申し訳ありません。勝手に入ってきてしまいまして。一度見学させていただきたいと、
前々から思っておりましたので」
そう言って、男はスーツの内ポケットから黒の皮製の名刺入れを出すと、所長と隣にいた
鉄二にまで名刺を差し出した。
「小宮山遥平(こみやまようへい)と申します」
「・・・・・・小宮山さん・・・・・・ああ、小宮山社長の息子さんでしたか」
この眼鏡の端正な顔をした男は小宮山社長の息子――KOMIモーターの御曹司だった。
「ええ。父ともどもお世話になっております」
鉄二はその名前を聞いても、全然心に引っかからなかった。ただ、整った顔ときっと見た目
以上にがっしりしている身体を見て、きっと随分モテるんだろうなあと暢気な感想を思い
描いていた。
 ぼけっと突っ立っていると、所長に促されて、鉄二も慌てて挨拶をする。
「大友と言います。こ、工場勤務なので、今は名刺が・・・・・・」
言いかけて、小宮山がひどく目を見開いて自分を見ていることに、鉄二も驚いた。
「えっと、何か?」
「大友さん?・・・・・・ひょっとして大友、鉄二さんですか?」
「え?!俺の事知ってる?!」
KOMIの御曹司は自分を知っている・・・・・・。誰だ、これは。昔苛めた相手か。カツアゲか。
これほどいい男なら喧嘩したりすれば覚えているかもしれない・・・・・・。鉄二は必死に鈍った
脳みそを回転させて思い出そうとしたが、一向に思い出すことはできなかった。
「・・・・・・ああ、いえ。驚かせてすみません。私、大友さんと同じ中学だったんですよ。
大友さんが3年生のとき、私は1年でした。・・・・・・あの頃、大友さんは随分有名な方でしたので」
そういってにっこり微笑まれて、鉄二も思わず苦笑いした。
 確かに同じ中学だったら、自分を知らない人間などまずい無いだろう。
2つ後輩か。そう思って、鉄二は心に引っかかるものを感じて、すうっと背中が寒くなった。
何か忘れている。この男は、一方的に自分を知ってるわけじゃない。この男に関わって
自分は何かをしてきたはずだ。
「所長。実は、折り入ってお願いがあってまいりました」
「・・・・・・そうですか。ではこちらにどうぞ。じゃあ、大友君、後は頼んだよ」
「あ、いえ。昔のよしみですから、ご都合がよければ、大友さんにもご同席いただけると
嬉しいです」
「そう。・・・・・・大友君、時間大丈夫?」
「は、い・・・・・・」
すうっと消えていく小宮山の目元の笑みを見ながら、鉄二はぶるっと震えた。







「コミィ、ちょっと金貸してぇや」
さほど大きくないボリュームだったが、その一言で教室はしんと静まり返った。
 彼らが教室に入ってきた瞬間から、ざわついていた空間は一気に冷たく固まって、誰もが
その次の行動を見守っていた。
 けれど彼らを凝視する生徒はいない。皆目をあわさないように、自分のところに火の粉
が降り掛かって来ないように必死なのだ。
 教室の一番前の席で、コミィと呼ばれ肩を叩かれた本人――小宮山遥平は、びくりと肩
を揺らして自分を囲んでいる人間を見上げた。
 見知った顔が2人と、初めて見る顔が3人。踵を潰して履いている上履きの色から、新顔も
全てこの学校の3年だと小宮山は悟った。
 金を強請った生徒以外は自分よりも体格が良く、どう足掻いても勝てる要素を一ミリも
見つけられない。大体、1年の小宮山と、周りを囲む3年の、しかもこの学校一のヤンキーと
呼ばれている彼らとでは体格に差が無くたって勝てるはずが無い。小宮山もそんなことは
とっくに理解していて、逆らう気など全く無かった。
 小宮山は強請った生徒だけを見上げて小さく呟いた。
「・・・・・・幾らですか」
その態度が気に入らないらしく、強請った生徒以外が一斉に小宮山に突っかかる。その拍子
に、小宮山の眼鏡が机の上に音を立てて落ちた。
「生意気」
「持ってる金全部だせや」
肩を掴まれても揺すられても、小宮山はぼんやりとした視線を彼以外に向けることは無い。
「まあまあ、止めろってぇ。コミィは俺の大事な後輩なんだから。な、コミィ」
小宮山は返事をせず、ただ目の前の先輩を見つめている。
「で、コミィ、幾らかしてくれるん?」
「・・・・・・3千です」
「ふうん。財布貸してぇ」
はい、と手を出すと、小宮山は黙って学生鞄の中から財布を取り出して、その手の上に乗せた。
「うん。ありがとぉね」
舌っ足らずなしゃべり方はシンナーのやりすぎで常にラリってるだとか、ヤクの所為で幻覚
が見えてるからだとか、彼に関する噂は常に尽きない。
 彼は小宮山の財布の中を確かめると千円札を5枚抜き取った。
「じゃあ、5千円借りるねぇ」
言った金額よりも多く抜き取られても、小宮山はピクリともしなかった。
 そんなのはもう慣れた。彼に『貸した』お金はもう十万単位になっている。
「ぎゃはは、ひでえよ、お前」
「大丈夫だよなぁ、あと千円残ってるしぃ」
「・・・・・・」
「取りに来たら、いつでも返すからさ、コミィ。たまには俺らの教室、取り来いよぉ」
ぽんと、財布を机の上に投げ返すと、彼らは1年3組の教室をゲラゲラと笑いながら出て行った。
 これが小宮山遥平と大友鉄二との中学時代の関係の全てだった。







 鉄二は目の前に座る男の記憶を思い出そうと何度も思い描いたが、結局、小宮山が自分
とどんな関係だったのか思い出せなかった。
 KOMIの御曹司と喧嘩なんてしてなければいいんだけれど、そう思いながら、鉄二は暗い
気持ちで彼らの後に続いて席に着いた。
 応接室に通されると、小宮山は事務のおばちゃんのお茶を受け取って直ぐに、本題を切り
出してきた。
「折り入ってお願いといいますのは、お金のことでして」
「!?」
鉄二が驚いて小宮山を見上げると、所長がその後でゆっくりと頷いた。
「・・・・・・はい。そんなことだろうとは思ってました」
「そうですか。分かっていらっしゃるなら、話は早い。単刀直入に言います。単価をあと
5%落としてください」
「!!」
なんて勝手な!!そんなことしたら、工場が潰れてしまう!!こいつも前の営業と何にも
変わらない、身勝手で、なんて嫌な人間なんだ!!
口から飛び出しそうになっている台詞を拳を握り締めてギリギリと耐えていると、隣で所長
が静かに言った。
「どこもこのご時勢ですからね。KOMIさんところも大変なんですね」
「・・・・・・下請けの方にこんなお願いするのは本当に苦しいんですが」
「いえ、分かってますよ。ただ、そこまで落とされると、こちらも経営が成り立たなくなって
しまいますので・・・・・・」
「それは重々承知した上です。・・・・・・こちらも心苦しいお願いなんですが」
「せめて3%になりませんでしょうか」
所長の提案に、小宮山は胸ポケットから電卓を取り出すと、あっという間に数字を入れて、
金額をはじき出す。その姿を見て、鉄二はまたイラついた。
 自分達の生活をそんな軽々しく叩き出すな。
言いたい気持ちを抑えているものの、表情には明らかに見えていた。
「・・・・・・うーん。厳しいですねぇ・・・・・・。うちもね、本当にいっぱいいっぱいでやってる
んですよ。できないようなら、他の会社探すしかないですかね・・・・・・」
それは自分達の生命線をぶった切られるようなものだ。
 所長の顔も流石に曇って、応接室は嫌な沈黙に包まれた。
 中学時代の後輩。あの頃なら、こんな思いしないで、ムカついたら容赦なく腕の1本や
2本折れたのに。後輩に頭を下げなければならない事実が鉄二を余計に苦しめた。
「・・・・・・大友さん」
不意に名を呼ばれて、鉄二は弾ける様に目の前の男を見上げた。
「もしよかったら、一緒に食事でもしませんか?」
「は?」
「・・・・・・いえ、お互い同じ中学のよしみってことで、腹を割って話せば、お互いの妥協点
に辿り着ける気がして」
驚いて鉄二は所長を振り返ると、所長も困惑した表情で小宮山を見返した。
「駄目でしょうか、所長」
「・・・・・・いえ」
「所長?!」
「・・・・・・この話し合い、君に任せるよ。わが社の存亡を賭けた大きな話を君に任せるのは
心苦しいけれど、なんだか、小宮山さんは大友君のことを気に入ってくださってるらしいし」
「!?」
どこが?!どの瞬間で所長はそんなことを読み取ったんだろう。鉄二が驚いていると、小宮山
は意味深な笑いを立てて、所長と鉄二を見比べた。
「がんばってくださいね、鉄二先輩」
言い知れぬ不安が浮かび上がってきたけれど、所長とこの工場を守るために、鉄二は固い
表情を浮かべて、分かりましたと頷いていた。




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