なかったことにしてください  memo  work  clap

物欲の天使さま




クレジットカードを出して、店員に渡そうとしたところで、横からいきなりにょきっと手
が出てきた。
その手は店員の手を押さえ、低く通る声で言った。
「すみませんが、全てキャンセルしてください」
「は?!」
突然のことに驚いて、ブランド店に相応しい対応をしていた店員も思わず素っ頓狂な声を
あげた。
「巽樹!?」
見上げれば、ひどく怒った顔の幼馴染の顔があって、壱琉は息を呑んだ。
「あのう……お客様……」
「失礼。私は、彼の友人です。彼のクレジットカードは限度額を超えておりますので、支払う
ことはできません。申し訳ありませんが全てキャンセルお願いします」
きっぱりと言い切ると、巽樹は有無を言わさず壱琉の手首を握った。
「痛っ…何すん……」
「帰るよ」
「離せっ」
壱琉の言葉を無視して、巽樹は壱琉をブランドショップから引きずり出す。
周りの客が、何事かとデバガメ丸出しで覗いてくるが巽樹はかまわず壱琉の手首を握り大股
で歩いた。
長身の巽樹はあっという間に人ごみの中に壱琉を隠し、そして人気の無い路地まで無言で
引っ張り続けた。
「痛いって!巽樹!いい加減離せよ!!」
何度目かの怒鳴り声に漸く巽樹が手を離した。壱琉の腕が掴まれたところだけ真っ赤になり
壱琉は恨みがましく巽樹を睨んだ。
「何すんだよ!」
「何してるか心に手を当てて考えるのはお前の方だ。……壱琉、お前さ、自分が病気って
こと分かってる?どう考えても必要の無いもの、お金だって足りないのに何で買うの?」
「うるさい!俺の買い物にケチつけるな。俺は巽樹の子どもじゃない」
「お金貸してる身としてはさ、回収できない行為に目は瞑れないんだよね」
「だから、金は返すって言ってんだろ!」
巽樹は腕を組み、壁にもたれ掛かると、不貞腐れている堕天使を見下ろした。
瞼が気持ち赤く腫れている。巽樹に掴まれた箇所を壱琉は何度も撫ぜていた。巽樹は口元
に手を当てて暫くその様子を見た。
「壱琉の異常な買い物癖はストレスが溜まるとひどくなるよね。……何があったの?」
出来るだけ冷静になって問いかけると、沈黙の後で壱琉がぼそぼそと呟き始めた。
「……ったんだ」
「何?」
「振られたんだ」
壱琉は悔しそうに唇を噛んだ。巽樹はその言葉に内心ほっとした。壱琉には不幸かもしれ
無いが、巽樹には吉報だ。
顔には出さないように我慢しているが、巽樹がプラスの反応を示したのを壱琉は肌で感じた。
拳を握り、巽樹に食って掛かる。
「アイツ……二股かけてた。この俺と!」
本人だってそれなりの自信があるらしい。容姿も含めて、相手を満足させるテクも自分には
兼ね備えてて、例え自分が二股や浮気することがあっても、自分がされるとは思ってもみな
かったのだ。
恋多き人生、別れは沢山あったけれど、こんな最低な振られ方は初めてだった。
散々貢いで、挙句に二股でポイ。完全に都合のいい男になっていた。巽樹の忠告に全く
耳を貸そうとしなかった自分への罰が当たったのかと思うくらい、ひどい結末だ。
自分には優しかった。顔も好みだったし、他に向けないほど自分に惚れていると思って、
思って……思い込んでいた。
悔しくて、腹が立って、どうしようもなくなって、気が付いたら、壱琉はブランドショップで
大して欲しくないものを買い漁っていたのだ。
分かって欲しい。この気持ち分かってくれるかもしれない。そんな淡い期待を込めて、巽樹
を見上げたが、巽樹には呆れた顔でため息を吐かれた。
「やっぱり、騙されてたんだ」
壱琉には否定的な言葉を浴びせまいと我慢していたが、思ったとおりの結果に嬉しいやら
悔しいやらで、思わず本音が零れてしまった。そんな巽樹の言葉に壱琉が噛み付いた。
「どうせ、俺は人を見る目がないって言いたいんだろ。そうだよ。俺だってそんなの
分かってる。俺の選ぶやつは最低なヤツばっかりで、巽樹は内心笑ってるんだろ」
「笑っては無いよ」
「じゃあ軽蔑してる。二股の前は借金作って逃げたヤツだったし、ストーカーとか、俺は
変なのばっかり選んでるんだもん」
「まあ、確かに……見る目はないかもね」
勿論、届くはずはないし届いては困るけれど「目の前にこんな良い相手がいるのに」その
意味を込めて言った台詞に壱琉はふるふると震えた。
「馬鹿にしやがって」
「……どうやって、慰めても今の壱琉には逆効果か。まずは落ち着いて、嫌なことは早く
忘れることだね」
「忘れるために…ストレス発散してんだ」
「発散の方向が間違ってるんだよ。ともかく、買い物は禁止。クレジットカードも没収」
「なんでそこまでお前に管理されるの、俺は」
「……壱琉、そんなことしてると、本当に痛い目に遭うよ?」
本当は何もかも管理してしまいたい。自分の手元において、安心して見ていたいけれど、
今の壱琉にそれをやれる勇気がない。
「俺なんてどうにでもなればいいんだ」
自棄になった壱琉に、巽樹は首を振った。踏み込めない中途半端な支援は、余計に壱琉の
病気を悪化させるだけだ。悪い意味で自分に甘えているのだとしたら、そこから切り離さ
ないと、壱琉はずぶずぶと地獄に落ちてしまうだろう。
「暫くお金貸すの止めようと思う……」
突き放されたと思った壱琉は、その言葉に完全に切れてしまった。
「巽樹まで、俺の事捨てるんだ」
「あ、壱琉、待てって……」
壱琉はその後の言い訳を聞かず、巽樹の元を走って去っていった。



それから3ヶ月。壱琉からの連絡はぱたりと消えた。





「……社長。……社長!お客様がお見えです!」
呼ばれて、顔を上げると秘書がキツイ顔をして巽樹を呼んでいた。
「社長、先ほどから何度もお呼びしてるんですけど」
「え?ああ、ごめん。考え事してた。…誰、お客さん」
「M不動産の鈴木さんって方がいらっしゃってるんですけど……。不動産なんて、まさか
社屋引っ越すつもりですか?」
秘書は先月業績不振で社屋を引っ越してしまった隣のベンチャー企業のことを思い出して
いるようだ。
「あはは、引っ越さない、引っ越さないって。業績悪くないこと分かってるでしょ。応接
室通してくれる?」
「……はい」
不審な顔をして秘書は頷いた。



応接室から出てくると、梶が社長室の椅子に座ってふんぞり返っていた。
巽樹は資料を手早く片付けるとソファに埋もれた。
「社長代理がいるな」
「お疲れさん。……何コソコソしてるの?」
「何にもしてないよ。ところで何、社長代理君」
「ちょっと休憩」
「休憩に社長の椅子を使わないでくれる?」
「いいじゃん、どうせいつも使ってないんだから。たまには埃を払ってやらないとさ」
巽樹はめったに社長椅子に座らない。社員と共に技術部のブースで仕事してるか、社長室
にいるときは休憩のためにソファに埋もれている。
巽樹はソファの背に頭を乗せて天井を見上げた。それからゆっくり目を閉じると上を向いた
まま呟いた。
「で、休憩がてら何を告げ口に来たの」
「ん?」
首を動かして、ちらりと梶を見る。
「用事があったんだから来たんでしょ?」
「うん。壱琉元気かなって思って」
梶は机に足をかけてニヤニヤしていた。
「何で俺に聞くの」
「だって幼馴染の親友なんでしょ?」
巽樹はわざとらしく溜息を吐いて言った。
「……3ヶ月くらい音信普通だよ」
「喧嘩でもした?」
茶化して聞いてくる梶を巽樹は軽くあしらった。
「衝動買いしてる現場押さえて、キャンセルさせたら、ぶち切れちゃったんだよ。壱琉には
金貸すの止めるよって言ったらそれっきり」
「へえ、ついにこの関係性にピリオド?……ああ、この前、駅前の「Pローン」から出て
くるの見たけど、やっぱりあれ壱琉だったのかな」
独り言のように呟いた梶に、巽樹は驚いて身体を起こした。
「!?それって、マチ…ヤミじゃ!?」
「うん、ヤバイとこだよ……あんまりいい噂聞かないし。でもなあ、金借りるでも、なんで
もう少し無難なとこに行かなかったんだろう。消費者金融があふれてるこのご時勢にいきなり
ヤミっておかしくない?」
「……」
巽樹はすうっと体中の血の気が引いていく気がした。買い物依存症ってヤツは金が無く
なったらそこで止められるようなものではないらしい。金づるがなくなれば、行くところ
はそこしかないのに、どうして暢気に放って置いたのか、急激に後悔の念が湧き上がって
巽樹は頭をガシガシと引っ掻いた。
変な意地を張ってないで壱琉を探しに行かなかった自分が情けなくなる。
イライラしてタバコに手を伸ばすと、乱暴に火をつけた。
「ちゃんと返済してるといいけど」
慰めに梶が言った言葉に巽樹はあっさりと否定した。
「……してないだろうね」
中途半端に金を貸してしまったことが、きっと壱琉には一番よくないことだったんだろう。
けれど、壱琉の人生に踏み込んでまで病気を止めることが出来きなかった。結局、巽樹は
自分の気持ちに揺られて、中途半端に壱琉に甘くした所為で、事態を悪化させていただけだ。
今すぐにでも壱琉の元に走りたい気分の巽樹に、梶は苦笑いした。
「そんだけ思ってるなら、さっさと押し倒せばいいのに。相手はゲイなんだから、問題無し
でしょうが」
「幼馴染で親友ってレッテルが張ってなかったらとっくにそうしてたよ」
タバコの煙が細く上がっていく。
訪れた沈黙を破ったのは巽樹の携帯電話だった。
「……」
無言で携帯を見詰める巽樹に梶が「オヤ」とわざとらしく言った。
「アイツは噂をするとやってきてくれるんだ。中々の電波持ってるなあ」
巽樹はタバコをもみ消すと、一呼吸置いて電話に出た。
「もしも……」
言い終わらないうちに、電話口から壱琉の声が響いて来た。
『巽樹……!』
「壱琉?」
『巽樹……助けて!』
切羽詰った声がして、巽樹はばねみたいにビヨンと立ち上がった。
「壱琉!?今、どこなの」
『うちにいる……』
巽樹は梶を振り返って、手を合わせて「お願い」のポーズを作った。梶が頷くと、巽樹は
ジャケットと財布をひっつかんで、大股で歩き出した。
多分、社屋を出たら走り出すんだろう。「冷静で物事を鋭く見極める」という巽樹の形容詞
は返上になりそうだ。
瞬発力のよさを梶は半分呆れながら、ヒラヒラと手を振って見送った。





壱琉のマンションは、会社のすぐ近くにあった。高級層が多く住んでいて、壱琉にはちょっと
背伸びした物件だったが、ブランド志向の強い壱琉は給料の大半をつぎ込んでも、この
マンションから出る気にはなれなかった。
自分の金銭感覚がおかしいと思い始めたのは5,6年前だ。初めは、たった一つのブランド
の財布だった。当時付き合っていた年上の恋人に合わせるために、身の丈を少し飛び出た
財布を持ったことで、ものすごい快感を手にした。
それは麻薬みたいで、快感の虜になり、時計やアクセサリーを買いあさり始め、気がつくと
溜めていた貯金が底を着いた。
それでも、買い物の欲は収まらず、親友の巽樹が社長になったことを知って、壱琉は巽樹
に金を借りるようになった。
いつかは返さなくては、そういうのは頭では分かっているけれど、相手が巽樹だからという
理由で考えがどんどん甘くなっていった。
今度の給料日には少しでも返そう、来月の給料日で……今度のボーナスで……
どんどん加算され、気がつけば400万を超えた。
簡単に貸してくれる巽樹が悪いのか、借りる自分が悪いのか、負の連鎖だった。
そして、金が突然断ち切られると、残ったのはクレジットカードの支払いの山だった。
目の前には、いかにもという男が3人。いずれも「Pローン」の社員だ。
きっかけはセフレの一言だった。
「俺の友達がPローンにいるから、そいつに頼めばお金貸してくれるよ」
壱琉は顔パスで100万を手に入れた。来月にはなんとか返すから、そう言ったら、Pローンの
社員はニコニコ笑って「アイツの友達ならいつでもいいですよ」と言ってくれたのだ。
壱琉はPローンを消費者金融と同じレベルで考えていた。大体名前から言って自分のよく知る
消費者金融とほぼ一緒で、支店くらいにしか思っていなかったのだ。それでいて、セフレの
後押しがあったものだから、100万借りても、せいぜい120万くらいにしかならないと思い
込んでいたのだ。
今、壱琉の目の前にある督促状には200万の文字が悪意を持っているかのごとく書かれていた。



「払えない?うん。いいよ、払えないなら、払えないで。あんた、そっち系なんだろ」
「そっちって……」
「払えないなら、身体で払ってもらうだけだから」
「止めろ、触るな!!」
「あんたエロい身体なんだろ?売る前に味見させろや?ちょっとは借金まけてやるよ?」
「汚い手でさわんな、ボケ!」
「デカイ口叩いてんじゃねえぞ、このクソが!!」
胸倉を掴まれて壱琉は顔を歪ませた。耳元でねっとりとした男の声が纏わり着く。
「金か、身体か。どっちを払うんだ?」
壱琉は吐き気を催して、じたばたと暴れた。
「巽樹……助けて……」
「王子様、助けにくるのかねえ」
汚らしい息に涙を滲ませながら、壱琉は目を閉じた。





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