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物欲の天使さま




「あれ……なんか、超気持ちいい……」
「うん。俺も。……壱琉って凄いね。綺麗でビビッた」
「巽樹……?」
強引に押し倒されて、性欲丸出しで無茶苦茶にされるのかと思った。
友人だし身体だけの関係ならば睦言などいらないと壱琉自身も思っていたし、巽樹からそんな
言葉が出てくるなんて想像もしていなかった。
けれどひっくり返されて、巽樹が壱琉と肌を密着させながら腰を振り始めると、壱琉の中で
今までに無い感情が芽生え始めていた。
巽樹の大きな身体で包まれている。それが身体だけでなく心までそうなっている気がした
のだ。巽樹が何気なく触れる頬や見下ろしている視線、繋いだ手から伝わる温もり、全てが
優しくて心地よかった。
快楽から来る気持ちよさとは別に、満たされている気持ちよさと切なさがある。
突き上げられる内部には痺れる刺激があるけれど、うっとりとする瞬間があって、これは
恋人とするセックスに似ていると思った。
「まさか…俺が…あぁ……?」
「壱琉?」
「何でも、ないっ…ふぁっ」
そして一度それを意識すると、壱琉の心拍数は跳ね上がったままになった。
「うっ…うっくっ……た、巽樹……あぁっ」
突かれる度に喉の奥から声が漏れ、それがどんどんと大きくなる。掴まれた腰がじんと
熱く焦げてしまうんじゃないかとさえ思った。
「壱琉…大丈夫?」
「……任せろって……俺の方が慣れてるってーの……」
眉を寄せて強がっていると、巽樹は腰の動きを止めて汗で張り付いた壱琉の前髪を掻き上げ
てくれた。
「じゃあ、教えて?……壱琉の好きな格好」
「俺の好きなの……?」
壱琉はドキドキしながら巽樹を見上げた。セックスする前までは親友だと思っていた相手
がこんなにも愛おしく思えるなんて、そんなことあるんだろうか。
頬は紅潮し、心臓の鼓動は巽樹にまで聞こえそうなほど高鳴った。
「巽樹の……」
「俺の?」
壱琉は首を振って甘い言葉を飲み込んだ。言えるはずがない。
その代わり冗談にすり替えて、壱琉はニヒヒと笑った。
「俺、相手がイク時の顔見ながらするのが好き」
快楽を求めるだけならどんなのでも受け入れられるけれど、今は巽樹の顔を眺めていた
かったのだ。
巽樹は一瞬固まって、それから壱琉の頬をつねった。
「悪趣味だなあ」
「そう?」
「親友のイキ顔なんて見たいかな」
流石に巽樹も恥ずかしくなって言い返すと、壱琉は身体をきゅっと締めて切なそうに言った。
「……巽樹のは見たい。だって、お前…凄いエロそう」
「やっ…馬鹿っ、うぅっ……不意に締めるなよ」
「ふふ」
壱琉は胸の内を隠して巽樹を見上げた。
「なあ……このまま、して?」
巽樹の顔が一瞬歪んだ。
「……いいよ。壱琉の好きな様にしてあげる」
両足を肩に掛けて密着すると、限界まで近づいていく。耳元に顔を寄せて耳朶をべろりと
舐めた。
「ああっ…」
身体をくっつけたまま腰だけ引くと、壱琉は巽樹の首に腕を回してぎゅうっと締め付けた。
「巽樹っ」
腹に壱琉のペニスが存在を主張する様に刺さってくる。いつの間にか壱琉のペニスもすっかり
堅くなって、それどころか今にも弾けそうなほどになっていた。
二人の気持ちが重なり始めて、見つめ合ったら想いがこぼれ落ちていたかもしれない。
ずっと押しとどめていた巽樹の気持ちは言葉にならない代わりに壱琉を包み込んで、壱琉
はその優しさに巽樹への想いを芽生えさせた。
けれど、その言葉は交わされることはない。想いもお互いを通過していく。
壱琉は苦しくなる心臓の音を快楽で誤魔化して頂点を探した。



元々真っ白な天使ではなかった。そんなことは分かっていたけれど、こんな顔をする壱琉を
巽樹は知らない。
今までこれを他人が見てきたのかと思うと、キリキリと悔しさで胸が苦しくなるけれど、
この顔を独占している今を巽樹は大切にしたかった。
巽樹は腰の振りを激しくしながら壱琉を見下ろした。
「はあっ…壱琉……そろそろ、やばいよ」
パチンと肌のぶつかり合う音と二人の息遣いだけになる。
欲しそうにしている唇を奪ってしまいたい気分だったけれど最後の理性がそれを我慢させた。
あの柔らかそうに誘っている唇にキスしてしまったら、きっと想いまで吸い取られてしまう。
巽樹は唇を噛んだ。
「俺も、いいよ……一緒にっ……いこっ」
壱琉の中が一層きつくなって、巽樹のペニスに絡みついてくる。頂点はすぐそこだ。上がる
息でお互いの最終地点を探りながら、二人で駆け登った。
「ああっ……あっ!巽樹、いくっ」
「壱琉……!」
巽樹が短く叫ぶと二人同時に白濁液を吐き出した。巽樹の腹に飛んでくる壱琉の体液を感じ
ながら、巽樹は幸せと切なさを同時に感じていた。





「……壱琉?」
巽樹は不安げに壱琉を見下ろした。
「……」
目が合うと壱琉は何か言おうとして顔を逸らした。
お互い事後の処理をしてベッドに転がった当たりから、壱琉の様子がおかしいのだ。
自分とのセックスに不満があったのか、それとも自分の気持ちに気づかれて、白けてしまった
のだろうか。
どちらにしても歓迎できる状況ではなかった。
「疲れた?」
「……ううん、大丈夫。……巽樹、意外とタフだよな」
「満足してもらえた?」
「色々……満たされた」
壱琉はぎこちなく笑った。
実際のところ、巽樹も心が満たされていてセックスの最中何度も告白しそうになっていた。
優しさが滲み出て、壱琉の髪を掬う手つきも愛おしさでいっぱいだった。
その心地いい愛撫を受け、壱琉も自分の中に芽生え始めた感情に素直に向き合っていた。
30年近く親友だと思っていた相手だけれど、誰よりも自分を理解してくれて、こんなに
なっても見捨てないでいてくれた。
どうしてこの男を好きにならなかったんだろう。
恋人となっていつか来る別れに怯えるより、永遠にそばにいてくれる友人を無意識の内に
選んだということだろうか。
けれど、一度気づいてしまった感情に否定する材料は何もなかった。
好きだと自覚してしまうと、急激に恥ずかしさが出てくる。意識すればするほど、ぎこちなく
なってしまい、その結果の挙動不審だった。
覗き込まれて壱琉は照れ隠しの様に言った。
「俺、こんなに気持ちいいなら、巽樹だけでいいかも……」
「?!」
「他のセフレなんていらない」
身体だけの関係では満たされないこの気持ちを表現するのに言ったセリフに巽樹は僅かに
眉を顰めた。
巽樹は壱琉の言葉の意味を捉え違えているみたいだ。
セフレ全部切るから、ずっといて欲しい……そう言おうとした瞬間巽樹が苦笑いした。
「そりゃあ30年近くの縁だし?俺なら金貢がなくてもいいし?好きなときに金貸して
貰えるし、好きなときにセックスもできる。格好のセフレになれるって?」
そういう意味じゃないと壱琉は首を振った。
「……俺は巽樹とセフレになりたいわけじゃない」
恥ずかしさからぶっきらぼうになってしまった言葉を巽樹は胸の締め付けられる想いで聞いた。
「セフレ以下ってどういう関係なんだろうね……」
呟いたセリフは壱琉には届かなかった。





最初に違和感を覚えたのは身体を重ねた次の日の夜だった。壱琉がいつものように巽樹へ
「帰りたい」メールを送ると、「今日は立て込んでて忙しいから、先に帰って。鍵を取りに
来れる?」と巽樹には珍しい返事がきたのだ。
巽樹の会社に鍵を貰いに行ったときも、忙しいのかドライな態度で鍵だけ渡されて
「寄り道しないで帰りなよ?」
と背中を押された。
急に信用されるようになったとも思えないし、その日は本当に忙しいのだと思うことにして
壱琉は巽樹のマンションへ帰った。
その日から浮かない顔の巽樹をちょくちょく見るようになって、壱琉は一抹の不安を覚えた。
あれから1週間。あからさまに避けられているわけではないけれど、なんとなくすれ違って
いるような気がしている。
心当たりがあるとすれば、一つだけだ。
巽樹との友達ライクなセックスをしてしまった事。
友達だと割り切って、いつもみたいに「気持ちいい」だけを求めてたはずだった。なのに
巽樹の手が、肌が、息遣いが、自分を包み込む度、自分を求めて来る度、気持ちいいを超え
ていた。巽樹の快楽に歪む顔が愛おしくて自分の中に眠っていた感情が揺さぶり起こされて
しまった。
何十年も友達だと思っていた男に、突然の恋愛感情なんて自分でもおかしいと思うけれど
湧き上がってきた気持ちは自然だった。
思えば、巽樹はいつも自分側にいてくれて、多少強引だけど本気で困っていれば絶対に
助けてくれた。
壱琉がゲイだってことをカミングアウトしたのも一番初めは巽樹だった。悩んで苦しんで
どうしようもなくて吐露したものを巽樹は普通に受け入れた。
お互い遠慮はないし、罵声や失礼な言動の応酬もあるけれど、巽樹はいつもそこにいて
くれたと壱琉は気づく。
巽樹に他意はないのかもしれないけれど、壱琉にはそれが今頃ジャブのようにじわじわと
効いていて、巽樹のしてくれた事を思い出すたび切なくなった。
自分の中で巽樹の立ち位置が変わりかけている。それももう後戻りできないくらいに。
あの夜、巽樹が愛おしくて、思わず洩らしかけてた本音に、巽樹は気づいて幻滅したのでは
ないのだろうか。
友達だからゲイの自分を受け入れてくれた。友達だから許してくれた。けれど……。
だから自分を避けているのだろう。



ぐるぐる回る頭の中、答えは出るはずも無く、壱琉はソファに埋もれながら巽樹が風呂から
上がるのを待っていた。
「まだ起きてたの」
体中からホカホカの湯気を出しながら巽樹は風呂から上がってきた。
「壱琉?」
「ああ……うん」
気の抜けた返事を返すと巽樹も黙った。タオルで頭をごしごしと擦ると水しぶきが飛び散り
一滴が壱琉の頬に当たった。
壱琉はそれを指で擦ると巽樹を見上げた。
「巽樹はさ……」
いざ巽樹を前にすると何をどう話していいのか分からない気持ちに壱琉は戸惑う。言える
わけが無いけれど、もやもやしたこの状態は苦しかった。
「最近、疲れてる?落ち込んでたりする…?」
恐る恐る聞いてみる。覗き込んだ顔をあからさまに逸らされた。
チクリ、壱琉の心を棘がさす。巽樹相手にこの痛みを感じるときがくるなんて思いもしな
かった。
「ああ……ちょっと考えてたことがあって……」
言い出しにくそうにしているところを見ると、壱琉にとって歓迎できる話ではなさそうだ。
壱琉は拳を作って唇をキッと結んだ。
「壱琉、やっぱりちゃんとした専門家に見てもらったほうがいいよ。その病気」
「え?」
「俺がサポートするには限界があるし、こんなところで軟禁生活するよりも、もっとマシ
な生活送れると思う」
「!?」
巽樹の突然の提案に壱琉は驚いた。自分が管理すると豪語していた巽樹が突然自分を解放
いや、見放したみたいだ。
「……俺に出てけって言うのか?」
「出てけって言ってるわけじゃないよ。こんなところにいても窮屈だろうから、もうちょっと
楽にしてあげようと思って」
壱琉には巽樹の言葉がもう届いていなかった。
どう考えても出て行けと言われている。自分に恋愛感情を持った壱琉を否定しているのだ。
思い込んだ壱琉は半泣きになりながら巽樹を睨んだ。
「お前、勝手すぎる!!俺の気持ち振り回して……!」
「壱琉……?」
巽樹は壱琉の気持ちを見抜くことが出来なかった。そして、壱琉も巽樹の心の葛藤を知る
ことは無かった。
ほんの少しの勇気があれば通じる心を、自分達が立てた見えない壁でさえぎってしまった。
「いいよ。わかった。出てく。勝手にするから!」
「壱琉……」
「俺が、泥沼に落ちても、二度と手なんて差し伸べるなよ!!」
悔しくてにじみ出そうになる涙を必死でこらえると、壱琉は自分が借りている部屋に飛び
込んだ。
それから手早く荷物をまとめると、壱琉は巽樹のマンションから出て行った。
巽樹は諦めに似た気持ちで見送ったのだった。





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