なかったことにしてください  memo  work  clap
天高く馬鹿つけあがる―天の質駒―



――00年9月20日
 丘の運動会の準備でたんぽぽ保育園に。
テントの設営をしていると、若いライオンヘアの男の子が手伝いに来てくれた。話を聞いてみると
園長先生の息子さんで、今は大学の教育学部の学生さんなんだって。バイトで手伝っているらしく
丘のことも知ってるって言うから、どうぞよろしくって頭下げておいた。あと、笑っちゃうことに
趣味が「ガンプラ」なんだって。晴くんと同じねって言ったら気が合いそうって喜んでいたけど、
冗談じゃないわ。あんなガラクタにお金掛けるなんて、主婦の敵よ。まあ、我が家では小さな
怪獣君が全て破壊してくれたけど。そしたら、その子、「じゃあ、まずその怪獣君の餌付けから
始めないと」なんて笑ってた。
                                 ―弥生の日記より―


 その日、家に帰ると、片付けたはずのコップが流し台においてあった。
「丘、来たんだ」
晴さんはそれを眺めて元気なさそうに呟いた。
 丘達が出て行って3日が経った。この3日で、晴さんがしたことはご飯とため息だけだ。俺とも
ろくに話をしていない。話しかけても上の空だし、多分そっとして欲しいんだろうから、俺もじっと
我慢の時だと思って、必要最低限の会話しかしなかった。
 丘の部屋からはランドセルが消えていた。今朝まではあったから、多分俺たちが仕事に出てから
取りに来たんだろう。
 丘、ここにどんな気持ちで来たんだろうな。晴さんは見てなかったから分からなかっただろうけど
晴さんが俺を引き止めて、丘を「見捨てた」瞬間、アイツこの世の終わりみたいな顔してたんだよ?
 そんな晴さんも、今、この世の終わりみたいな顔してるわけだけど。
晴さんはずっと悩んでいるようだった。晴さんの気持ちは分からないでもない。
丘が誰といることが幸せなのか、自信がないんだ。普通の親なら悩まずに済むことなのに。俺みたいな
人間に引っかかって、晴さんもりっぱに道踏み外して。そんな自分達の元で子どもを育てて、本当に
あいつらは幸せなのかと、俺ですら胸を張って「それでも、親といることが幸せに決まってるだろ」
なんて言えない。
 俺もギリギリの選択を迫られているんだと思う。晴さんは俺の事引き止めたけど、本来一番の
解決は俺が身を引くことだ。
 だけど、それをするには、俺にもそれなりの覚悟が要って、あの場でああやって一度引き止められて
しまうと、もう切り出したくなくなってしまうんだ。
 晴さんが大切だからこそ、離したくないし、離さなくてはいけないんだろう。


「晴、いるかい?」
土曜日の朝、今度は晴さんの両親がやってきた。晴さんの遺伝子は男系なのか?晴さんにそっくりの
父親と、ぽっちゃりとした母親が玄関に立っていた。
「父さん、母さん!」
晴さんは驚いて玄関に向かうまでに2回も肘やら膝を柱の角にぶつけていた。
「ひ、久しぶり。お正月ぶりだね」
「はあ、晴は相変わらずおっちょこちょいなんだから」
ぶつけた肘を摩りながら晴さんが出て行くと、母親の方が呆れて言った。この口調は、丘そっくりだ。
俺はてっきり、丘は死んだ弥生さんの生き写しみたいな性格してるのかと思ってたけど、しっかり
こっちの血も入っているんだなと妙なところで感心してしまった。
「丘とアツシは・・・」
母親が切り出すと、晴さんはそれに被せるように、
「あ、あの子達は、朝から遊びに出てて・・・」
そう言って俺を見た。
「あ、で、こっちは、アツシの担任の井原先生で・・・」
よく考えればこのシチュエーションはかなりおかしかった。息子2人は朝から遊びに行ってるのは
百歩譲って分かるとしても、朝から息子の担任が家にいるってどういうことだよ。しかも、こんな
めっちゃめちゃ家着ですって格好してさ。
 こっちにもばれるのは時間の問題なのかなと思っていたら、晴さんの母親が鼻で笑いながら
「ホントにこの子は、嘘が下手くそなんだから」
と言った。
「え?」
「敏則さんから電話があったのよ」
「・・・」
敏則さんというのは、弥生さんのお父さん。あの気の弱そうなお父さんと思ってたけど、なかなか
やってくれるじゃん。
「母さん、その・・・」
「ええ、ええ。全部聞きましたよ。聞きましたとも!」
晴さんの母親は怒りを突き抜けて呆れて笑っていた。
「とりあえず、玄関で立ち話もなんだし、そろそろ部屋にあげてもらえないかねえ、晴」
隣でのん気そうに晴さんの父親が頷いていた。

「井原天です」
「天野です」
「晴の母の美代子です」
俺たちは改めて頭を下げた。酷く間抜けな光景だった。だけど、天野さんも美代子さんもどこか
おっとりとしたオーラが出ていて、その間抜けな光景全てをひっくるめて、普通に見えるから凄い。
 晴さんがこんな風に育ったのが納得できるっていうか、言っちゃ失礼だけど、のびのび過ぎるほど
のびのび育ったんだなと、2人を見て思った。
「あのさ、母さん、その・・・義父さんからなんて?」
「孫を預かってますってよ。一度晴君に会いに行ってあげてくれませんかって」
あまりの突然の電話に美代子さんは驚いて、洗いざらい吐かせてしまったそうだ。気の弱そうな
あのじいちゃんなら言いそうだけど。
「そしたら、まあ、息子が男と同棲してるだの、和江さんが怒って孫達を引き取っていっただの。
全く、勝手なことばっかりしてるんだから、あんた達は」
「・・・ごめん」
「すみません」
俺たちは頭を下げると、美代子さんは笑ってあんた達ってあんた達だけじゃないわよ、と言う。
「和江さんもよ。全く分かってるのかしら、あの子達は天野家の孫なのよ?勝手に引き取られちゃ
たまんないわよ」
だけど、言った瞬間、笑が顔から消えた。美代子さん、和江さんに対して本気で怒ってるのか?
「美代子、言いすぎだぞ」
天野さんが止めに入るが、美代子さんはそれを鼻息で制した。
「せっかく、孫ができて、これで天野家は安泰って思ってるのに、大事な跡取りをみすみすくれて
やるなんて、冗談じゃないわ」
美代子さんの眉間にはくっきりと縦に皺が入った。こっちはこっちで、揉めなきゃいけないのかよ。
・・・問題ってのは、集まるところに集まってくるんだな。跡取りなんて問題があるなんて、思いも
しなかった。うちの親、諦めてるからな・・・俺のことなんて。
 晴さんの顔にも暗い影が出来ている。躊躇いながらも切り出そうとした瞬間、その空気はふっと
軽くなった。
 美代子さんが大声で笑い出したのだ。
「あっはっはー。冗談よ、じょーだん。あの子達をそんな風になんて思っちゃいないわよ」
「母さん?!」
「どこに居たって、あの子達はわたし達の大切な孫よ。でも、晴にもあの子達にも、ここにいる
ってことが重要なんよ。何を迷っているのかわかんないけど、さっさと、迎えに行ってあげんさい」
「母さん・・・」
美代子さんは息子を優しい眼差しで見ている。母の愛なんて文字見ただけでも鳥肌立ちそうな文句
だけど、なんだか、凄く羨ましかった。こんな風に人に愛されて、人を愛して。
 だから晴さんはこんなにも優しいんだろう。だから、こんなに悩むんだろう。
「丘や陸に淋しい思いだけはさせるんじゃないんよ。あの子達の幸せを願ってるのは、あんただけ
じゃない。やっちゃんだって、わたし達だって、和江さんだって願ってるはずよ。ただ、自分の
視線で考えてちゃダメ」
美代子さんは35の男に説教する口調ではなかった。母親にとって息子っていうのは、いつになっても
小さな息子でしかないのかな。まあ特に晴さんはぽやんとしてるから、そう見えるのかも知れない。
母親に小言言われても鬱陶しそうにしてないんだから。俺なんて正気の沙汰じゃないって思っちゃうけどね。
 晴さんが小さくなっていると、天野さんが(関係ないけど、なんで天野さんは自分の名前を名乗ら
なかったんだろう。天野ですって、みんな天野だよな。この人も天然なんだろうか)母と息子の
姿をみて、ふふっと笑った。
「晴は、少しは父親になってるかと思ったけど、全然かわらないねえ」
「父さん・・・」
「そんなしょぼくれてると、やっちゃんに怒られるぞ」
「うふふ。あんた、よくやっちゃんに怒られてたものね。しっかりしなさい、父親らしくしなさい。
お菓子ばっかりたべてないで、ご飯食べなさい」
・・・そんなことまで言われてたのかよ、晴さん。
「未だに怒られてるよ、丘に」
そう言って、晴さんは苦笑いしてるけど、全然堪えてないじゃないか。寧ろ丘に小言を言われるのを
楽しんでるようだ。
 弥生さんの代わりなのかな。俺には晴さんを叱り飛ばすなんて芸当ないから。・・・いや、普通の人は
35にもなった男を叱り飛ばせないよな。天野家の人間くらいしかできないよ。
 でも、いい家に生まれてきたんだね、晴さんは。こんな優しい父親とおおらかな母親に大切に
守られて。幸せなことだよ。
 俺はその幸せに傷を付けた自分を少しだけ後ろめたく思う。

それから、美代子さんは田舎に帰ったときのことや最近の天野さんのことやら、たかちゃん
(どうやら、晴さんのおばさんらしい)と旅行に行ったときのことやらを機関銃のようにしゃべって、
しゃべり倒して、そして最後に「息子の生きてる顔みて安心した」と言って帰っていった。
結局、晴さんの両親は「息子達を迎いに行け」とだけ言いにきただけだった。俺たちの事を咎めたり
はしなかった。手放して賛成しているようには見えなかったけど、きっと「黙認」するって決めた
んだろう。その優しさがとても温かくて、嬉しかった。
 俺は自分の性癖について、隠したり卑下たりしたくはないけど、胸を張って「何が悪いんだ」って
言えるほど強くない。世間から見たら、俺たちはやっぱり半端者なわけであって、認められないけど
存在しているっていうグレーゾーンにいるから。だから、そんな人間に引きずり込まれた晴さんは
被害者なわけであって、咎められるのは俺なんだろうけど。だけど、晴さんの両親は一切触れて
こなかった。
 ただ、最後に美代子さんに言われた「がんばりんさい」が、俺たちに向けた言葉であることに
胸が熱くなって、俺はありがとうございますを心で唱えて頭を下げていた。

 俺の心は思いの他暖かくなっていたけど、晴さんは果たしてどうだったんだろう。俺は調子に乗って
晴さんの両親が帰った後も、丘たちを迎えに行くように言ったし、思わず一緒に入った風呂の中でも
説得していた。
 でも、晴さんの表情は読み取れないほどぼんやりしていた。何を思ってるんだろう。俺が背中を
押したところで何も変わらないほど諦めているのだろうか。
 ベッドの中でも俺に背を向けて晴さんは丸まっていた。・・・ったく、晴さんのいじけ虫。
もうダメなのかなって気持ちがまた浮上してくるじゃないか。
「晴さん、分かってると思うけど、子どもは物じゃないよ」
「天?」
「大人の都合で引っ掻き回していいものじゃない。丘にもアツシにも、選ぶ権利くらいあっても
いいと思わない?」
「選ぶ?」
「そう。幸せを選ぶ権利。この家で、晴さんと一緒に暮らすのか、それともあっちの家にいるのか
俺が出て行くことも含めて、丘には選ぶ権利があると思うよ」
 選ばせてあげなよ、俺はそう言って晴さんを後ろから抱き寄せた。
「・・・権利・・・」
説得するだけしたつもりだ。これで晴さんが納得しなければ、俺は素直に身を引こう。俺の問題で
ある前に、これは天野家の問題だ。俺の出る幕じゃない。
 晴さんと別れるのは、辛い。きっと今までにないほど辛い。だけど、俺にはやっぱり丘の幸せ
を奪えるほどの傲慢さはもてなかった。それに、丘やアツシ抜きで晴さんを幸せにすることなんて
不可能だ。
 だったら、俺が身を引くことで収まるのならそうするしかないだろう。
晴さんからの返事はなかった。ただ晴さんから伝わってくる体温が温かくて、俺はこれが晴さんを
抱く最後の時かもしれないと思った。
 誰かを「これが最後だから」なんて思って抱いたことはない。結果的にあれが最後だったんだな
って思うことはあっても、よしこれから最後のセックスするぞなんて思ってやることはない。
 だけど、今回ばかりはそうなりそうだった。喧嘩別れじゃない別れなんてしたことないから、
後引きそうだけど。俺、思い出して辛くて泣いちゃうかもよ?
 晴さんを抱きしめた腕に力を入れる。うなじにキスをして、こっちを向かせた。
これで晴さんを抱くのも最後、そう思ったらやっぱり切なくて、苦しくなる。貪るようにキスを
して、晴さんを味わいつくした。
「ん・・・天・・・」
晴さんと目が合うと、もう一度キス。さよならと愛してるの意味を込めて。
 そしたら、晴さん、俺の頬を両手で挟んで、
「俺、天と終わりにする気ないからね」
と鋭い眼差しで言ってきたんだ。
 見抜かれたことに驚いて、その気持ちに揺さぶられて。
「晴さん・・・」
「俺ね、よくばりなの」
晴さんが俺を見上げる。強い意志を持った目だった。
「やっぱり、色々考えたけど、欲しいものは全部欲しい。丘もアツシも天も俺の家族だから。
どれか一つを手放すなんて、嫌なんだ」
そこに俺を入れてくれることが、どんなに俺を救ってくれているか・・・。ありがとう、晴さん。
「だから、取り戻しにいくよ。俺の家族」
晴さん、男らしいな。強くて、かっこよくて。丘が晴さんのこと、大好きなのわかる。あんなに
文句言いながらも、晴さんにべったりして。自慢のお父さんだもんな。
 ごめんな、とはいわないよ、丘。俺も俺なりに俺の家族を手に入れたかったんだ。
晴さんは、取り戻しに行くと言って、上に乗った俺をどかそうとした。
「え?晴さん?」
「ん?」
「い、今から?」
「うん。今から」
・・・あんた、今夜中の11時よ!膳は急げだけど、急がば回れだよ。ったく、晴さんの思考回路って
やっぱりよくわかんないな。
 やっと本来の晴さんに戻ったことに、腹のそこから笑いがこみ上げてきて、晴さんを思いっきり
抱きしめて笑った。
「明日、明日行こう。朝一で!」


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【天野家ことわざ辞典】
天高く馬鹿つけあがる(てんたかくばかつけあがる)
上昇気流に乗って、馬鹿が益々馬鹿になる様。






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