なかったことにしてください  memo  work  clap
負うた子に愛されてドツボに嵌る―陸の成長―


「ね、先生、僕の事、結構好きでしょ?」

僕の追試のプリントを採点する名倉先生の手が止まった。放課後の教室で、僕の為だけに追試をして
くれた先生。・・・というより、先生の卵。教育実習生の名倉彰人(なぐらあきと)先生。
 名倉先生は採点の手を止めると、顔を上げて僕を睨んだ。
「大人をからかうもんじゃないよ」
それだけ言うと、さっさと僕から目を逸らして採点の続きに入ってしまう。しゅっ、しゅっと赤ペンが
小気味よい音を立てて僕の答えに丸やらバツやらを付けていく。
 俯いて髪の隙間からしかその顔は見えないけど、知ってるんだ。
今、名倉先生は絶好調に赤くなって、ドキドキしてるに決まってるんだ。・・・ほら、丸とバツ間違え
ちゃって、手が震えてる。
 くすくすと喉の奥で笑ったら、困った顔でため息を吐かれた。
「天野君、ちゃんと真面目にテスト受けたら出来るんだから、テストで10点とるのやめなさい」
ワザとやってることなんて名倉先生もお見通し。っていうかワザとやってますって見せ付けてるんだもん。
「だってさ、出来ないと先生追試してくれるでしょ?」
「担任の先生に、この単元は全員理解させていくことって言われてるからね」
先生は追試のプリントを僕に返す。94点と記された答案に僕は笑った。あ、計算ミスしてんの。
「こうやって先生と2人っきりになれるなら、毎日でも追試受けるよ」
僕は答案を鞄に詰めると、席を立つ。じゃあね、先生、また明日。そう言って黒髪の間からのぞくおでこに
音を立ててちゅっと吸い付く。
「天野君!」
名倉先生のひっくり返った声を背中に聞きながら、僕は教室を出た。


 つまらない。たいくつ。毎日、みんな何して生きてるんだろう。中三の夏休み明けにそんな言葉を
吐いてる僕は多分皆から冷たい視線で見られるんだろうけど、この世の中に受験なんてつまらない制度を
持ち込んだお偉いさん達が僕は恨めしい。
 だって、僕達15だよ?皆とじゃれたり、笑ったり、ゲームしたり、つい何年か前まで、あんなに
楽しく遊んでた友達は、今や勉強の鬼みたいになって、目の前の受験にまっしぐら。
 もう、誰も悠長に遊んでくれたりしない。僕の心を満たしてくれる人はどこにもいない。

 名倉彰人先生が来たのは、僕が日常に嫌気をさしていたそんなときだった。うちの中学は名倉先生の
通っている大学から、昔から何人も毎年教育実習生を受け入れてるせいか、教育実習生に対する新鮮味を
みんな忘れてる。
 大抵の奴等は舐め切ってるし、教育実習生の授業なんて殆ど流して聞いてるか、可愛い女子大生なら
みんなこぞって授業に関係ないことを質問攻めして困らせたりする。
 実習生にはさぞかしやりづらい環境だろうけど、大学が目と鼻の先にあるこの中学はどうしても多くの
先生の卵が流れ込んでくる。
 名倉先生もその多くの実習生難民と共にここに来た。教育学部中学校課程数学科の3年。兄ちゃんと
同い年だ。
 黒すぎるほど艶々した髪に、ひょろっとした背。第一印象、暗い人。教室に入ってくるなり、教卓に
ぶつかって、蹲った姿は爆笑を誘ったが、本人は気まずそうに挨拶しただけだった。
 これが、兄ちゃんと同い年の人間だとは思えない。まあ、兄ちゃん、ぶっちゃけ、子どもじみてる
っていうか、全然垢抜けない感じだけど。きっと教壇に立ったら、すごい笑いとってくれるんだろうな、
兄ちゃんのキャラなら。
 だけど、目の前に立つ生真面目そうな先生は、自己紹介もそこそこに、さっさと授業に入ってしまった。
名倉先生の始めての授業は、授業してるのか、黒板に話しかけてるのか疑問なほど、下手くそだった。
周りを見渡せば、ほら、もうみんな自習。名倉先生の値踏みは瞬間にして終わり、ランクは実習生最下位
となった。
「・・・ですので、点Pが線分BC上を1秒毎に1センチ進むと、三角形ABPの面積は・・・」
3年の数学で一番やっかいな分野を実習生にやらせるとは、度胸があるというか、担任は何考えてるんだ
ろうな。名倉先生は、懸命に黒板にチョークで図を沢山書いてるけど、皆、自習してるかぽかんとして
聞いてるかだった。そういう僕も授業なんて聞いてないけど。この先生観察してる方が面白い。
 そんなことを考えていたら、いきなり指名された。
「えっと、じゃあ、この解答を、天野君」
こういうとき、出席番号1番って絶対損だ。僕は一番後ろの席で、手を上げようか迷った。
「・・・えっと・・・天野、りく君?・・・いませんか?」
キョロキョロと見渡すたび、髪の毛が揺れて、なんだか、それが可愛く見えてしまう。
「アツシです。陸って書いてアツシって読むんだ」
にっこり笑って立ち上がったら、名倉先生が、耳を赤くして小さく謝った。

 そのときから。
そう、その瞬間から、僕の世界に「たいくつ」や「つまらない」なんて言葉はなくなってしまった。
一言。「可愛い」それに尽きるんじゃないのかな。年上のしかも僕よりも背なんて15センチ以上高そうな
男に向かって使う言葉じゃないんだろうけど、でも、何この先生?みたいな、ちょっかいかけたくなる人って
いるじゃん?名倉先生は僕のそんな心にジャストフィットした。
 名倉先生ってどんな人なんだろう。名倉先生の本性暴いてやりたい。そんな悪戯心がむくむくっと湧き
あがって、授業が終わるたびに名倉先生に会いに行く日々だ。
 大体は行っても、無言だけどね。この人、本当に先生になる気があるのかな。僕が一方的にしゃべって
先生は、ああとかうんとか頷くばかり。
 だけど、「先生、ホントに聞いてる?」なんて下から覗き込むと、「聞いてるよ」と先生ぶった顔して
返してくるくせに、耳の先なんて真っ赤なんだ。
 壮絶に面白い。


「ただいまー」
一日の終わりに、名倉先生にテコチューして、僕の心は相当ゴキゲンだったようで。ただいまの挨拶にも
どこか浮かれた雰囲気が溶け込んでいた。
「アツ、おかえり」
食卓にはパパと兄ちゃん、あとパパの恋人なのか奥さんなのかよくわかんない、天(てん)ちゃんが座って
いて、丁度夕食を食べる直前だった。天ちゃんっていうのは僕の保育園の先生、だった人。僕をだしに
近づいたのはパパなのか天ちゃんなのかわかんないけど。
 僕の家は他よりもちょっとだけ複雑で、ちょっとだけ秘密が多い。ママは僕が2歳だか3歳の時に死ん
じゃったんだけど僕は殆どその記憶がなくて、物心付いたときからうちの家族はこの4人だった。だけど
天ちゃんの姓が井原からうちの天野に変わったのはなんとなく覚えてる。そして、パパが
「結婚したら、同じ苗字になるんだよ」
と教えてくれたことも。根本的にパパはどっかおかしいんだ。パパと天ちゃんみて育った僕が、ゲイに抵抗
ないのも納得してもらえるよね。保育園の卒園式に大好きだったゆうくんと結婚できないって知って、僕
大泣きしたんだって。パパと天ちゃん結婚してるのになんでだって、暴れまくった。今思えば、恥ずかしい
限りなんだけどさ。
「アツシ、ちょっと帰ってくるの遅くない?」
そう小言を言うのは兄ちゃん。珍しく今日は家にいる。いつもは大学やら、修ちゃんといちゃついてるのに。
・・・修ちゃんは兄ちゃんの恋人で、雨宮修弥君。小学校の同級生が恋人になっちゃったんだけど、兄ちゃんは
家族に秘密にしてる。ばれないようにこそこそやってるみたいなんだけど、実は家族中、そんなことお見通しっ
ていうか。初めに気づいたのは天ちゃんで、おしゃべりな天ちゃんがパパに言っちゃったから、パパも知ってる。
 僕なんて、修ちゃんが兄ちゃんにチューしてる現場に居たっていうのに、兄ちゃんそんなことすっかり
忘れてるのか、誰にもばれてないって思ってるんだ。
 だからパパも天ちゃんも僕も、知らない振りしてあげてる。ああ見えて、兄ちゃん傷つきやすいから。
「うん。先生に勉強みてもらってた」
「嘘、お前が勉強?」
「僕だって勉強くらいするよ。受験生だもん」
そういうと、兄ちゃんは眉をしかめた。兄ちゃんは僕が勉強嫌いって知ってるからなあ。
「アツに勉強教えてくれるなんて、奇特な先生だな」
天ちゃんも笑って言った。
「うーん、先生っていうか実習生」
「はあ?」
「教育実習の先生だよ」
「お前、そんな人にまでお世話になってんのか」
兄ちゃんが呆れてため息を吐いた。僕は鞄をリビングのソファーに放り投げると、手を洗って食卓に着く。
 ご飯茶碗を差し出したら、兄ちゃんが用意してくれた。兄ちゃんってホントまめだよね。
「ほら」
「ありがと。あ、そうそう、その教育実習の先生、兄ちゃんと同い年なんだって」
「あーうちの大学も教育学部のツレが実習行くって言ってたからな。そんな時期なんだな」
そういうと、パパが驚いて兄ちゃんを見た。
「なんだ、丘くらい若い子が先生になっちゃうのか。まだみんな子どもじゃないか」
「父さん、オレもう21なんだけど」
僕と天ちゃんがそれを聞いて噴出した。パパと兄ちゃんの会話って昔からずっとこんな感じ。パパは兄ちゃん
のこと可愛くてしかたないんだけど、全然甘えたりしないから、多分ちょっと拗ねてるんだと思う。
「でもね、その実習生、兄ちゃんと全然タイプ違うよ」
「どう違うの」
「ん・・・。兄ちゃんの方が笑い取れる」
「なんだ、それ。いまの学校の先生にはそんな技量がいるのか?・・・オレ、先生とか絶対向いてないし」
「そうかな。結構いけてると思うけどね。・・・でも、名倉先生は、もっといけてる」
「は?」
「最強に先生に向いてないのに、めちゃめちゃ一生懸命で笑えるんだ」
3人がその意味を分からずに、ぽかんとしてるところ、僕は1人思い出して、くくっと笑った。

放課後、ホームルームが終わると僕の周りに何時もつるんでる、メンバーが集まってきた。
「アツシ、お前どうしちゃったの?」
「何が?」
「名倉ちゃんのストーカー」
名倉先生の追っかけはクラス中に広まっているらしい。
「えー、だってあの先生しゃべると、めちゃめちゃ面白いよ?」
「暗くてキモイよ」
「それに、お前が男の追っかけなんてしてたら、クラス中の女が泣くぜ?」
「そうそう、竹下なんて『いや〜ん、私たちの天野君がけがれる〜』って嘆いてたし」
僕を取り囲む友人達はみんな呆れていた。
 だけど、僕はコイツらに名倉先生のよさなんて知ってもらいたいわけじゃないし、(どっちかと言えば
知られたくないし)僕1人がそのよさをわかって、楽しければそれでいい。
「暗くてキモイとこが可愛いんだけどね」
僕は、帰り支度を済ませて、その輪から抜け出た。
「じゃ、また明日ね」
 手を振って教室を後にする。勿論行き先は名倉先生がいる数学科の資料室だ。3週間の実習も残すとこ
あと2日となっていた。これで先生とお別れなんて、ちょっと淋しい。僕の予定ではもう少し、先生が僕に
心開いてくれてるはずだったんだけどな。
 訪れた数学科資料室は、予想に反して誰も居なかった。
「あれ・・・?名倉先生?」
机の上には先生の鞄や授業で使った教材が置いてある。
 暫く待ってみたけど、名倉先生は一向に帰ってくる気配がなかった。
「絶対校内にはいるはずだよね」
僕は数学科の資料室を後にした。もちろん先生を探すために。あともう一歩、先生に近づきたい。
 名倉先生を探して、校内を歩き回っていたら、空き教室から、担任の厳しい声が聞こえてきて、僕は
思わず足を止めた。気づかれないように中を覗けば、担任と、それから名倉先生の姿が見える。
「名倉君、明日は研究授業なんだから、もう少ししっかりしてくれないと」
「・・・はい」
「あのねえ名倉君。自信がないのかもしれないけど、そんな弱腰でいたら、生徒達ついてこないよ?先生
になりたいんでしょ?声も小さいし、子ども達に向かって話すときはちゃんと前向いて話さなきゃダメだよ。
研究授業では他の先生も来るから、しっかりしなさいよ。・・・はい、それからこれ。こんな指導案じゃ合格点
あげられないよ。もう一回書き直してきなさい」
 先生ってやっぱり先生にも怒られるんだな。名倉先生はつき返された資料を手にして俯いていた。
あーあ、落ち込んでるなあ。

 校内でたっぷり30分時間を潰して、僕はもう一度数学科の資料室に向かった。
「せーんせ」
扉を開けると、ものすごい勢いで名倉先生がびくっと震えていた。ぶっ、先生驚きすぎ。
 近づいて、先生の隣に座る。手元を覗き込むようにして、先生の視界の中に入っていく。
「先生、何してるの?」
「指導要領かいてるの。・・・天野君、用事がないなら、早く帰りなさい」
名倉先生は何時もより更に表情が硬かった。さっきの注意が尾を引いてるのかな。
 僕は、先生の腕に手を掛けて、指導要領を書く手を止めさせた。
「ねえ、先生。そんなに硬くなってたら、いい授業できないよ?」
僕を見下ろすその顔はちょっとむすっとしてた。こんなこと生徒に言われたくないよね、やっぱり。
「先生、リラックスさせてあげようか?」
「・・・?」
もう片方の手を先生の頬に添える。ざらっとしたひげの感触。あ、なんかこの感触いい。身体の中で何か
が疼く感じ。
「先生、キスすると、心も身体もリラックスできるらしいよ?」
頬に触れた手を何度も、滑らせてた。掴んでいた名倉先生の腕が僅かに震えた気がした。
「お、大人をからかうなって、何度も言ってるだろう」
「からかってなんかないよ?」
そう言って、何時ものように下から覗き込んだら、名倉先生と目が合った。その目が何時も僕を見ている
瞳と全然違うから、僕は一瞬たじろいで、その場で固まってしまった。
「せ、先生?」
「天野が誘うのがいけないんだからな・・・っ」
途端、先生の腕がにょきっと伸びてきて、僕の身体を抱え込む。びっくりして見上げたら、顔に手を掛け
られて、抵抗する間もなく唇を奪われた。
 えっ・・・?
ええっ・・・!?
「んっ・・・」
びっくりしたのは、名倉先生の舌が僕の口の中を駆けずり回っていたこと。そんなことするような人に
見えなかったのに。もっとオクテで、べろチューなんて恋人以外になんて出来ません!ってな人かと
思ってた。何、先生、これが先生の本性なの?
 しかも、今まで味わったキスの中でも、ピカイチに気持ちイイ。なんだ、先生、こんな技もってるの?
とろとろに溶け出してしまいそうな感触と、名倉先生の味。先生、タバコ吸ってるね?
 身体の中の疼きがはっきりと現れて、快感と直結していくみたいだった。・・・先生、やっぱりすごくいい。
予想とは違ってたけど、これはこれで、もうかなり僕のツボにはまっちゃいそうなんだけどさ、このギャップ。
 びっくりの後には嬉しさが充満して、先生の首に捲きつこうとしたら、その寸前に名倉先生が僕から
離れてしまった。
 僕の腕は虚しく空をかく。
「センセ?」
僕の掴んでいた腕まではがされて、名倉先生は僕から目を逸らした。
「・・・すまない。気が動転してた」
何これ、どういう意味?暴走?脈あり?
 確かめたい。確かめたい!
もう一度そのはがされた手を名倉先生の手に重ねた。びくびくと震えるように逃げ出す手を押さえつけて、
上目でその瞳を覗く。
 困惑した瞳と、真っ赤になってる耳の先。誘われてまんざらでもないと思ってる?
「リラックスできた?」
「で、できるわけないでしょう」
艶々の前髪がさらっと落ちてきて、その顔を半分隠した。
「あ、じゃあ、ドキドキしちゃった?」
返事はないけれど、そんなに真っ赤になってれば、馬鹿でも分かる。やっぱり、先生いいよ。
 僕の世界から「たいくつ」を奪い去ってくれた先生。出会ってしまったとしか言いようが無いよね。
天ちゃんがパパを見つけたとき、修ちゃんが兄ちゃんを好きになった瞬間の思いって、きっとこういう気持ち
だったんじゃないのかな。
 固まる、名倉先生に、今度は僕からもう一度キス。キスして、勢い余って飛びついた。困惑しながらも、
ちゃんと抱きとめてくれた名倉先生に、真っ赤になってる耳元で僕は囁いた。

「ね、先生、僕の事、かなり好きになったでしょ?」




【天野家ことわざ辞典】
負うた子に愛されてドツボに嵌る(おうたこにあいされてどつぼにはまる)
未熟な者に教えられることもあれば、勢い余って愛されてしまうこともあり、そんな未熟な子どもの
言いなりになっていると、ついには抜け出せないほど、嵌ってしまうという、俺様子悪魔ちゃんには
気をつけな、という教訓。甘ったれは育っても甘えんぼさんなのでした。






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