なかったことにしてください  memo  work  clap
男ヤモメに恋が沸く―晴の事情―



丘!いつまでも、遊んでないでさっさと寝なさい。
晴!いつまでも、子どものままでいないで、父親らしくしなさい。

やっちゃんの小言といえば決まってこれだった。

 やっちゃんが死んで早いもので3年が経つ。先立たれた時は、二度と立ち直れないんじゃないか
と思ったこともあったけれど、やっちゃんの残してくれた2人の息子によって、日々何とか暮らして
いられる。
 やっちゃん――弥生は気性が荒いくせに、人情もろくて、そんなところに惹かれたのだけれど、
その性格は見事息子、丘に引き継がれた。
 二十代半ばで丘が生まれ、順調に育って、弥生の体調も安定して見えた。だから、2人目、アツシ
が産まれたときも不安なんかなかったのに、産後、急激に弥生の体調は悪化してしまった。
 それから闘病が2年。やっちゃんが死んで、ボロボロになって、それでも回りに支えられて3年。
随分と年をとった気がする。丘は小学校5年、自分は35にもなる。
 会社では、いっぱしの肩書きが付き、世間の「責任」をいろんなところで背負わされて、
そんな疲れた心を癒されたいとは思うものの、息子達の手前、派手に女を作るわけにもいかず。
 勿論弥生のことは一生愛し続けていくだろうし、その愛に疑う余地はないけれど、それはそれ。
淋しいときは、淋しくて、息子達の笑顔に癒されても、さすがに身体の淋しさを埋めることは
できないわけで。
 そんな悶々としたときに出会ってしまったのが井原天だった。
季節は一回り捲き戻る。

アツシが保育園に入園して丁度1ヶ月を過ぎた頃、担任から呼び出された。何か問題でもあった
のだろうか?逸る心を沈めて、園に向かう。残業分は部下に任せ、仕事を定時で片を着けて向かった
のだが、着いたのは6時少し前、辺りは薄暗くなってしまっていた。
「遅くなって申し訳ありません、天野陸の父です」
「はい、どうぞ」
唯一つ、明かりのついた部屋――入り口の扉に「せんせいのへや」と書かれた――に入ると、20代
半ばくらいの、イマドキな男が1人、デスクワークをしていた。
 事務の人かと思って、声をかけると、その男はにっこり笑って
「ああ、アツシ君のお父さん?こんにちは、担任の井原です」
と言った。
「え?」
確か入園式でみた担任は女だったはずだ。訝しげに見ると、井原は慌てて訂正をし始める。
「先週から、担任になったんです。前の担任の田崎先生、実は急に入院しちゃって。俺、今年は
担任持たない予定だったんですけど、ピンチヒッターって形で。戻ってきたらまた外れるとは
思うんですけど」
ああ、そういえば丘が担任が代わったのだとか言っていた気がする。ここのところ忙しくて、
ろくに話も聞いてなかった。
 茶色に染めた髪の毛を指先でねじり上げて綺麗にセットした頭、穴だけが幾つも開いている
耳たぶ。休日にはそこに幾つもピアスが嵌るのだろう。ブラウンかかった瞳はカラーコンタクト
でも入れているのだろうか。
 いつしか、その容姿に見惚れいていたらしく、井原にクスクスと笑われてしまった。
「あ、すみません」
「あんまり、らしくないですか?」
「いえ、保育園の先生って、女性ばかりかと思っていたので・・・」
応接セットのソファーの方へ促されながら、井原は、今はそうでもないですよと言っている。
「まあ、圧倒的に女性の方が多いですけどね」
こうして対面してみると、井原は整った顔をしている。きっとこんな女性ばかりの職場では
さぞかしモテるだろう。
 井原は「家庭調査票」に目を通して、天野家の家族構成を確認していた。そして、添付された
家族の写真と自分を見比べている。
「普段から眼鏡を?」
提出した写真は眼鏡をかけてないものだった。
「普段はコンタクトですけど・・・なんていうか、仕事だと、どうしても顔で判断されることが
多くて・・・童顔を隠すための小細工です」
順調に20代半ばまで年相応で育ってきたはずなのに、あの頃から、どうも顔が老けなくなって
しまった。役職が付いて、それなりの仕事を任されたときに、コイツ若いからなんて理由で
見下されるのが癪で、眼鏡をかけるようになった。休日はアツシが暴れて危ないのでコンタクトに
しているのだけれど、写真はそのときのものだ。
 井原はまじまじと自分の顔を覗いて、眼鏡外してもいいですか?と聞いてくる。
「あ?ええ、別にいいですけど」
自分で外す前に、手がにょきっと伸びてきて、眼鏡を外されてしまった。伊達ではないので、
視界は一気にぼやける。
 井原はふふふと笑って言った。
「ホントに童顔なんですね。髪のセット崩したら俺とあんまり変わらないかも」
「そう?先生、幾つなんですか?」
「俺?27です」
「めちゃめちゃ若いじゃないですか・・・あの、そろそろ眼鏡・・・」
「あは、失礼しました。本人確認OKっと」
井原は写真と自分の顔を照らし合わせて言っているが、眼鏡外してまで確認しなければならない
程の変容振りはないと思うのだが・・・。
 眼鏡を返してもらおうと手を出したら、井原は律儀に掛け直してくれた。
視界が戻った途端アップの井原の顔が迫っていて、思わず慌ててしまう。間近で見ても、
いい男だと、柄にもなく照れてた。
 井原が、ずれた眼鏡を直そうとしてもう一度手を伸ばしたところで、思わず声が出た。
「あ・・・」
「あ?」
いきなりキスされるわけでもないのに、身体を後ろに引く。井原は俺の言葉をオウム返し
して、顔中にはてなマークを出していた。
「いえ、何でも・・・。ところで、そのお話は・・・」
いくら綺麗な顔をした人間だからって相手は男でしかも息子の担任だ。多少身体が淋しい思い
してるからって、そんな妄想は無茶苦茶だぞ。
 普段から自由すぎると丘に言われる思考を(柔軟な発想だといってもらいたいものだが)今回
ばかりは、さすがに行き過ぎてると思い直し、無理矢理話題を変えて、この衝撃を隅に追いやる。
 鼻からずれ落ちそうな眼鏡は自分で直した。
「・・・そうですね。話っていうのは、アツシ君のお母さん・・・亡くなった奥さんのことで」
「弥生が何か?」
「今まで、アツシ君、『お母さん』という存在は?」
「あまり意識させたことはありません・・・が、何か問題でも」
「いえね、お迎えには何時も、お兄ちゃんに来てもらってるんですが、何せ他の子どもたちの
多くは母親に迎えに来てもらっていて・・・ここの所、アツシ君、ちょっと帰り際にぐずってる
んです。お兄ちゃんも困ってて・・・何か聞いてないですか?」
「そんなことが・・・。丘・・・上の子、丘っていうんですけど、あいつはあんまり愚痴とか言わない
んで。やっぱり、母親は恋しいですよね・・・」
「うーん、難しいところですね。ウチのクラスで父子家庭は天野さんのところだけなんですよ。
母子家庭は結構いるんですけど。・・・失礼ですけど、再婚とかのご予定は?」
「あはは、今のこと全然ないです」
「そうなんですか?結構もてるんじゃないですか?」
井原がフランクな感じで言うので、こちらも本音を思わずこぼした。
「・・・上の息子は、多分、まだ母親のこと忘れれらないと思うんです・・・」
「小4でしたっけ?多感な時期ですからね・・・」
井原は調査票と写真に目を落としている。
 正直、丘の嫌がるのを押し切ってまで再婚したいとは思わないし、そこまでの相手にも巡り
あえていない。
 淋しい思いをさせているのは確かだけれど、今の関係のままでいいのではないかと俺は思う。
 井原がくすっと笑った。
「何?」
「こうやって見ると、天野さんと息子さん・・・丘くんでしたっけ、そっくりですね」
「よく言われます・・・。丘は顔は父親、性格は母親に瓜二つと」
「性格?」
「気性が荒く、人情もろい」
「・・・苦労しそうな小学生だなあ・・・」
井原とは、雑談を含め2時間ほどしゃべった。仕事でもなく、友達でもなく、中途半端に年下の
今までに接したことのない人種だったのにも関わらず、するすると話題が登り、あっという間に
時間が過ぎていった。
 こういうのを、「楽しい」というのだと、帰り際になって思った。
「ああ、先生、すみません、こんな遅くまで、長々と」
「いいえ、俺も一度ちゃんと話してみたかったんですよ、アツシ君のお父さんと」
井原はにっこり笑って、保育士の顔をする。かっこいいのに、優しい。そんなイメージが全体に
漂っている。
「先生みたいな方が担任なら、アツシも喜んでると思います。これからもよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
お互い丁寧に挨拶を交わし、園を後にした。

 その日から。
そんな、出来事があってから、俺はおかしい。
寝ても醒めても、井原の顔が脳裏にチラつくのだ。いい先生でよかったな、これなら、
アツシも怖がらずに通えるだろう。アツシの為に考えていたことが、顔がちょっとかっこ
よかったとか、大きくて綺麗な手をしていたとか、メガネを掛けられた瞬間、妙に緊張して
しまったことなど・・・。
 うわあっ。何考えてるんだ、俺。全力で頭を振って井原の残像を追い出す。マズイ、マズすぎる。
「パパー」
「父さん、なにしてんの?」
後ろで息子2人が不思議そうな顔をして見上げている。
「ああ、ごめんごめん。もうそっちは用意できた?」
「はー、もう、とっくだよ!父さん弁当作るって一体何時間かかってるんだよ」
時計を見ると支度を始めてから1時間以上経っていた。随分と井原に脳みそ持ってかれてたらしい。
「ごめんなー。あとおにぎり握って、これ詰めたら出来上がりだから」
丘が呆れた顔をして見上げている。ああ、この表情、弥生にそっくり。ホント親子なんだなあ。
「もう。いいよ、手伝う。これ、詰めればいいんでしょ?」
「丘ー、偉いなー、お前は」
「父さんに任せてたら、いつになったって出かけられないもん」
「パパー、アツもおてちだい」
「アツもかー、ありがとなー。じゃあ、アツシはこれで、悪いヤツがこないか見張ってて!」
「う?」
「アツシ隊長、敵の偵察をお願いしますです!」
使い終わったラップのロール芯をアツシに持たせて、穴を覗かせた。アツシは芯を覗いたまま
キッチンやリビングをグルグルと回り始めた。
「あーーい」
アツシの奇声が聞こえる。
「父さん、楽しそうだね」
振り返ると、丘が笑っていた。

 出発予定時刻を1時間も過ぎて、漸く出かける準備が整う。今日は公園で丘にバスケを教えて
やるのだ。あと、アツシの「なんたら戦隊サイバーマン」の相手。・・・何戦隊だっけ。
 車で20分ほど走ったところに、その公園はある。広い芝生と、遊具が幾つもある。犬の散歩
をする人や、ごろごろと寝転がってる人、家族連れで遊んでいる人も多い。
「父さん、バスケのゴール、あと1個しか空いてないよ」
丘がゴールに向かって走っていく。小さな土のグラウンドの4面に、ゴールポストがただ立っている
だけの物だったが、他の3つは既に埋まっていた。3on3をやっているグループ、シュート練習している
2人組。ボールの小気味よい音が聞こえてくる。
 丘も早速荷物を投げ捨てるように置き、ドリブルを始めていた。
「父さん、早くー」
「待ってなー、アツシのセットしてから」
言うと、アツシに背負わせたリュックの中から、「何とか戦隊サイバーマン」のビニール人形と、サイバー
何とかという剣を取り出して、アツシに手渡す。
「パパ、ちょっと、兄ちゃんとバスケしてくるから、アツは、ハッカーが来たらこれで倒すんだぞ?」
「あーい。ハッカー、どこ来る?」
「あ!アツシ隊長、後ろ!後ろにハッカーがおります!」
サイバーマンは、サイバーテロを守る戦隊らしく、敵は文字通りハッカーなんだそうだ。科学戦隊の上を
行くヤツだ。すごいな、今の子は。ハイテクだ。ハイテクな癖に最後は剣でぶった切る。そのアンニュイさが
たまらなく可愛い。
 アツシはなにやら独り言を言いながら、見えないハッカーと戦い始めた。これで30分は1人でも持つだろう。
「丘、おまたせ」
「もう、遅いよ」
ふてくされた丘からボールを奪うと、1本シュートを決めた。
「あ、ずるい」
すぐさまボールを奪い返され、丘がドリブルをする。こうやって、一緒にバスケを始めて2年。結構さまに
なってるじゃないか。

「パパー」
丘と夢中でバスケをしていると、隣の芝生の上で遊んでいたアツシがこちらに向かって掛けだしてきた。
そろそろ、飽きる頃か。
「どうしたでありまするか、アツシ隊長?」
「パパ、ハッカーやってー」
「パパが?・・・パパ、今兄ちゃんとバスケしてるから、もうちょっと待てる?」
「やだー、いまー」
アツシはそのまま足にまとわりついてくる。こうなるとダメだ。自分通りにならないと動かない。
参ったなあ。
 見下ろすと、少し息を上げながら、丘がすねた顔をしていた。・・・こっちもか。
「丘・・・ちょっと、休憩するか?」
「今日は1時間、ちゃんとバスケするって言ったじゃん」
時計を見ると、まだ20分くらいしか経っていなかった。
「まあ、そうだけど・・・」
足下でアツシが剣を振り回して俺の股の下を行ったり来たり。
「パーパーっ」
アツシの催促する声に、丘が珍しく切れた。
「アツシ、あっち行ってろよ」
「こらこら、そういう言い方は・・・」
丘に怒られたことにびっくりしたのか、アツシは暫くぽかんとしていたが、やがて大声を上げて
泣き始めた。サイバーテロでパニックになった東京都民の悲痛みたいな泣き声だ。
 とりあえずアツシを抱き上げ、宥めて、丘の頭にも手を置く。アツシは首に巻き付き、丘は
ふいっとそっぽを向く。
 ああ、男一人親ってこういうとき、しんどいよな・・・。
そう思った瞬間、一人の顔が浮かび上がる。あの子なら、アツシの相手をしてくれて、
丘とも仲良くしてくれそうだ。スポーツ得意そうな体つきしてたし・・・って、オイオイ。俺は
何を考えてるんだ。
(井原先生・・・)

「どうしました?」
「え?」
振り返ると、井原が立っていて、絶句した。・・・俺、何か召還とかできるんだろうか。
「おおっと、泣き虫アツ、どうした?」
「せんせー」
井原は首に巻き付いたアツシを覗いている。か、顔が近い・・・。
 アツシを降ろすと、一歩間隔を取る。アツシは相変わらず足にまとわりついてくる。
「すみません、家族水入らずのところ。アツシ君の泣き声が聞こえてのでつい・・・」
「いえ・・・先生、どちらに?」
井原は3on3のグループを指さして、「あそこで、バスケしてたんですよ」と言う。
「先生、バスケされるんですか?」
「遊びですけどね。・・・丘君、よかったら一緒にやる?」
「え、でも、みなさんで遊んでるところに悪いですよ・・・」
慌てて断ろうとすると、井原はアツシの方を見下ろして苦笑いする。それはどうするんだと
言わんばかりに。
 今度は丘の方を見下ろすと、丘はそわそわしていた。
「丘、やりたいか?」
「・・・行ってもいい?」
「いいよ。迷惑かけるなよ」
「父さんほどはかけないよ」
ったく、一言多いよ、君は。丘の頭をくしゃくしゃにして、送り出してやる。
「よろしくお願いします」
「しっかり、預からせていただきますので」
井原はピカピカの笑顔でそう言うと、丘の背中をぽんと叩いて走り出す。
「パパー、兄ちゃとせんせーは?」
「向こうでバスケしに行ったよ。近くまで見に行くか?」
「あい。パパ、ハッカーね」
「はいはい」
近くまで移動して、アツシの相手をしながら、走り回る丘と、優雅にシュートを決める井原を
見ながら、俺は自分の心が既に走り出していることに気づく。
・・・参ったなあ。
「ハッカーめー、さいばーわーむあたっくー」
アツシの決め技に芝生の上に仰向けに倒れ込む。
「うー、やられたー」
腕で顔を隠し、目を閉じた。
ああ、やられた。
俺の心はワーム型ウイルスにやられてるんだ。感染度100%、危険度:高。妄想が妄想を生み、
自己増殖していく。
「パパー?」
「パパはウイルス爆弾でやられちゃいました〜」
「えー、もっとー!」
もっとなんて、ダメだ・・・これ以上、あいつを思い描いては、もう戻れなくなる・・・。
アツシが俺によじ登り、サイバーなんとかで体中をポカスカ殴ってくる。アツシ、そんな
弱いアタックじゃ、このワームは駆除出来ないよ・・・。
 腕の隙間から、アツシの甘いにおい、澄んだ空、井原の声が胸に染み渡っていた。


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【天野家ことわざ辞典】
男ヤモメに恋が沸く(おとこやもめにこいがわく)
男鰥は、独り身の淋しさに、恋の泉が沸く場所に無意識にたどり着いてしまう。らしい。






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