先生、白いものほど汚したくなるのは、男として当然だと思いませんか？――35歳・男性


　金曜日の夜は浮かれている。何十年も前に「はなきん」という言葉が流行ったが、いつの間にか
言葉は廃れた。でも、その実態は今でもしっかりとそこにあって、仕事帰りのサラリーマンや、
学生やら、おまけに曜日の関係ないフリーターでさえも浮かれされる魔力を持っていると思う。
　誰もが空笑いに近い笑みをたたえ、浮き足だって歩いている。ナンパする若い男や、客引きの
女やら、ごった返した繁華街を抜けて、俺は誰も待たないマンションに向かった。
　一人暮らしには随分と慣れた。会社の人間には知られていないが、俺はバツ1で子どもは相手が
引き取って育てている。
　原因は俺の性癖のせいだった。
相手は、懇意にしてよく家に連れてきた会社の部下の男だった。初め妻は「旦那をとても慕っている部下」
だとしか思っていなかった。当たり前だ。そう見せてきたのだし、バレるのはごめんだった。
　だが、あるとき、俺とその部下がホテルに入るのを、彼女は見てしまったらしい。らしいというのは
未だに定かではないからだ。興信所の人間を使ったのか、見張っていたのか、どうしてばれたのか、
一切彼女は話さなかった。
　ただ、弁解の余地はなく、彼女は出て行った。俺もそこまでして縋る気にはなれず、それ以来
俺は一人で気ままな独身ライフを送っている。
　結局そこまでの繋がりしか感じられない関係だったのだ。
　繁華街を抜けるとマンションまでの道のりはあまり人手が多くない。街灯がぽつぽつとあるだけで
後は同じようなマンションがいくつも並んでいるだけだ。
　そんな閑散とした夜道を歩いていると、その街灯に照らされて、見知った顔が歩いてきた。
「天野･･･？」
彼は顔を上げて俺を確認すると、ばつの悪い顔を見せた。
「二階堂」
よく見れば、メガネの奥には真っ赤にはらした目と、まつげにぬれた涙。
･･･泣いてた？
「どうしたんだ？」
思わず掛けた言葉に、天野はふにゃりと顔を歪ませ、再び泣き顔を作った。
　オイオイ、俺の前でそんな顔をするな。
　コイツは俺の性癖を知らない。俺はゲイではない。男も女もやれるモンならなんでもいいという
自分でも無節操だと認めざるを得ない性癖だ。1人で夜の街に繰り出すのも、その日の行きずりの
人間を求めるためだし。
　まあ、いくら無節操だからといっても、今は会社の人間には手を出していない。･･･懲りたのだ。
「会社の人間に手を出すと、別れるのが行きずりの相手の3倍は苦労する」ということに。
　だから、いくら目の前の男が入社当時からちょっとばかり俺好みの顔をしていて、あんあん
啼かせたらたまんねえだろうなとか思うことがあっても、まさか不用意に手を出すわけにも行かず
仲のいい同僚という関係は未だに保たれれている。
「二階堂･･･家帰るのか？」
「ああそうだけど」
天野は真っ赤に腫らした目を瞬かせて、俺に頭を下げた。
「頼む、一晩泊まらせて」
「はあ？どうしたの、お前。父親が家出かよ？」
「･･･」
天野は俯くばかりで何も言わない。よほどの事情があるのだろうか。まあ家に来て困ることも
ないし、俺は二つ返事でOKした。
「いいよ、来いよ。マンションすぐそこだから」
確かにそのときは、下心なんて、微塵もなかった。誓っていえる。ノンケを落とすほど気力が
あるわけではないのだ。


「すまん、明日には帰るから」
そう言って俺に続いてマンションに入ってきた天野は、やっぱり今でも泣きそうな顔をしていた。
「いいさ、好きにいれば。茶でも飲む？コーヒー？酒は･･･ビールくらいしか冷えてないけど」
「うん。じゃあ、牛乳」
「は？」
「あ、俺ホットミルクがいいな。砂糖は大さじ1杯入れて」
「･･･んなもん、あるか！」
「え？おまえんち牛乳ないのか？」
驚いた表情で見つめられて、俺は激しく脱力した。
「あんね、家はお前の家と違って、ちびっ子なんていないの。牛乳なんて飲ヤツいないの」
「そうか･･･」
天野はがっくり肩をおとして、「俺はちびっ子じゃないけど、牛乳飲むけどな」と呟いた。
そんなにミルクが飲みたいなら、俺のタンク空っぽになるまで飲ませるぞ。と心の中だけで
突っ込んで、俺は冷蔵庫から缶コーヒーを出した。
「これでも飲んで、座ってろ」
「うん、そうする」
天野は俺の出したコーヒーを受け取ると、リビングのソファーに体操座りになって収まった。
コイツ、身体は大人、心は子ども、どっかの名探偵の逆みたいなヤツだな。俺は自分の中の
加虐心がむくむくと湧きあがってくることを止められずにいられなくなっていく。
　天野とは時々飲みに行くくらいで、お互いをよく知っているわけではない。同僚だから付き合い
は長いけれど、コイツの嫁も結局結婚式の時に一度だけ見たきりだった。それくらいお互いの
プライベートについては知らない。
　だけど、こうやって泣きながら家出するほどのことがあったんだとしたら、ちょっと聞いてみたい。
聞いて慰めて、ちょっと苛めてやりたくなるじゃないか。
　こいつの性格からみて、多少の羽目外しも「強引なスキンシップ」として片付けてくれる
に違いない。もしくは言いくるめればいい。
　俺は勝手に都合のいい解釈をする。天野、覚悟しなよ。思わず顔が綻んでいた。

「･･･少しは落ち着いたか？」
掛ける声は出来るだけ優しく。相手の心を開く第一歩だ。
「ありがと。突然押しかけてごめんな」
「それは、構わないよ。それより、大丈夫なのか？」
「･･･わかんない」
「わかんないって」
「喧嘩して、家、飛び出してきちゃったし･･･」
何？コイツ新しい女でも出来たのか？･･･まさか子どもと喧嘩して飛び出してくる親父なんて
いないよな？
「新しい恋人でもできたのか？」
コイツにそんな浮いた噂があれば、俺のところにだって耳に入るだろう。この年の同期で独身
なのは、俺と天野だけだ。尤も独身というよりヤモメなんだが。
　正直、天野には失礼すぎて言えないけれど、天野の奥さんが亡くなってから、社内の女どもは
ちょっとばかり浮き足立って、天野を狙っている。
　だから、天野に女っ気がないと分かっているから今でもこぞって皆天野にハートマークの視線を
送ってるんだが、ヤツは一向に振り向く気配がない。
　俺は単に鈍くて気づかないのかと思っていたが、ちゃっかり恋人がいるんじゃないか。案外、コイツ
は策士家なのかもしれないな。
　天野は俺の渡した缶コーヒーを握り締めながら、酷く落ち込んだ。
「なあ、二階堂」
「どうした？」
「･･･」
「辛いことあるなら、吐いちゃえよ。俺は別に誰にも言わないぜ？」
こういうとき自分の秘密主義が大いに役に立つ。こいつに話しても絶対大丈夫と思わせる空気を
日ごろから蓄えてきたからだ。
　天野は暫く体操座りのままじっと考えていたが、決心がついたのか、家出の原因をしゃべり
始めた。
「例えばさ、そういうホテルに入ったのを目撃して「浮気しただろ？」って問い詰めたら、
直ぐに出てきたって切り返されて、それどころか、無理矢理引き込まれるのを見てたんなら、
助けてくれればよかったのにって開き直られて･･･」
「うん」
天野はその先を渋っていたが、俺がやんわり笑って、言ってみろというと、俯いたままぼそぼそと
しゃべりだした。
「おまけに、『そもそも、俺は女になんて勃たないんだから、浮気じゃない』って･･･」
「な･･･」
絶句だった。
　コイツに新しい恋人が出来たのは100歩譲って認めてもいいけど、（天然だけど、もともと
いい顔してるし）だけど･･･。
「お前さ、ちょっと確認していい？」
「･･･？」
「天野の恋人って、男？」
「あっ！？･･････うん」
　天野は今しがた自分の言った発言がそもそもおかしいってことに気づいてなかったようだ。
男といる日常によほど慣れすぎているのか、普通恋人というものは男女の間で成立するものだ
という常識がすっかり抜け落ちていたようだった。
「･･･ごめん」
　天野は恥ずかしそうに謝った。天野でも自分の性癖を恥らうことはするんだな。･･･って俺、天野の
こと、よほど変人だと思ってるのかな。
　しかも、天野は絶対ゲイでもバイでもないだろう。これは、そういう部類の男として、「コイツは
ノンケだ」って直感でわかる。天野はノーマルだったはずだ。ってことは、相手の男に落とされたのか？
天野を落とす男か。見てみたいな。俺は好奇心と少しの嫉妬で天野を見た。
「相手、どんなヤツなの？」
「･･･む、息子の保育園の先生･･･」
はっ？また身近なところで･･･。
「いくつ？」
「に、28･･･」
オイオイ、7つも年下かよ。天野の性格から考えて、こいつがその7つも年下の男にペニス
突っ込んでヒーヒー喜ばせているなんて考えられない。ってことは、こっちの方か。
　俺は今までなるべく頭の片隅から膨れあがらせないようにしていた妄想を一気に膨らませた。
俺の下で足掻いている天野。
　抑制されていた感情が爆発するとろくな事はないらしい。妄想が、現実を要求している。
「んで？天野はその年下の彼氏にほだされて、付き合ってみたモノの、あっさり浮気されちゃった
わけだ？」
「そんな露骨に言うなよな。･･･まあ、そうなんだけど」
　でも、浮気じゃないって逆ギレされて、でもそれを目撃した天野はやっぱり傷ついて、言い合いに
なって家を飛び出した。
　そんなところだろう。ままあるカップルの喧嘩だな。
「あいつ、俺なんかより、やっぱり若くてきれいな女の方がいいのかと思って･･･」
どっちもいけるヤツなら若い女が言い寄ってきたなら、ついて行ってしまうかもしれない。
「でも、そいつは女はダメなんだろ？」
「うん、そうは言ってるけど」
本当に女がダメなら、そいつはシロだ。だけど、俺はわざわざそんな未知の浮気男の肩を持つ
気なんてさらさらなくて、つけ込む隙はここしかないと天野を追いつめていく。
「まあ、男なんて口で言ってるだけじゃ分かんないし」
「やっぱり、そうだよな･･･」
「それに、浮気なんて男に一生ついて回る称号みたいなもんだぜ？」
「そう･･･なの？･･･俺、したことないから、よく分かんない･･･」
　天野は男としてありえない発言をした。したことない？お前それ、本気かよ。どれだけ純真な心を
持てば済むんだお前は。でも、天野ならありえるところが、天野らしいというか。
　天野の顔がまた歪んで泣きそうになっている。俺は膨れ上がった悪戯心をぽんと破裂させた。
「だったら、お前もしてみたら、浮気？」
「何言ってるんだよ」
天野が驚いて俺を見上げる。そんなこと出来ませんと、目が語っている。
「相手の気持ち分かるかもよ」
「そんなんで、わかるわけないよ」
「どんな気持ちで浮気したのか、案外わかるんじゃないの？天野、浮気したことないんだろ？」
「そうだけど･･･」
俺は本気じゃない。天野相手に本気になるつもりはないし、天野だって、恋人の浮気騒動に腹を
立てただけで、別れるとか深刻な事を思っているわけではないだろう。
　だったら、つまみ食いくらい許されるんじゃないの？俺の好奇心と、天野には一晩の慰め。
お互い利害が一致して、楽しめるだけ楽しむ。そんなライクな関係でいい。天野に付け入る隙が
あるなら、手を出してみたくなる。本気で嫌がれば手を引く余裕はまだある。いくら天野でも
やはり、会社の人間。俺の中の過去が酷く邪魔をする。
　天野の手から空になった缶コーヒーを抜き去ると、ローテーブルに置いて、天野の隣に密着
するように座った。
「俺が相手になってやるよ」
耳元にねっとりと貼り付くようなトーンで囁く。
「相手って･･･ええーっ二階堂って、ソッチの人なの？！」
天野が仰け反ぞって俺から距離を取ろうとする。俺は天野の腕を掴んで、メガネを外した。
「ちょ、ちょっと何するんだよ」
瞳は泣きはらした跡が残って、右目なんて充血したままだった。
　･･･天野ってメガネ外してたほうが、ずっとか可愛く見えるのにな。こんなダサイメガネなんて
止めればいいのに。
　メガネもローテーブルに置いて天野を更に追いつめる。
泣かせたい。
心の中で今にも飛び出しそうな欲望をギリギリで抑えて、俺はなるべく紳士的な態度で天野に
接近する。
「お前も、してみたら分かると思ってさ」
肩に腕を回し、天野を包み込む。あっけにとられているのか、殆ど無抵抗だった。ぽかんとしている
うちに戴いちゃうぞ？
　胸にすっぽり収まる天野からはなぜだか甘いにおいがする。子どもの匂いみたいだった。
　耳にキスを落とし、その気になった？とささやいてみた。
天野からの返事はない。よく見れば真っ赤になって硬直していた。
　それなら、それで、別にいい。俺は空いている右手で天野のワイシャツの上を滑り降り、
スラックスの上からやんわりと揉んでやった。
「はうっ」
耳元に落としていたキスも唇に。吸い上げるように下唇を口の中に含んで舌でなぞってやった。
　やべえ、これ、結構股間に来る。天野から唇を放すと、右手の指でズボンの上から先っぽを
軽く摘んだ。
「はあっ･･･やめっ･･･」
　天野の顔が歪んでいく。俺はこのまま天野を抱いてもいい、はっきりとそう思っていた。


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