なかったことにしてください  memo work  clap
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 最後にしゃべったときのことは、殆ど忘れていた。いや、忘れていたというより、
思い出さないように封印していたのかもしれない。
 1年の秋。翔は夏休みの殆どを費やして稼いだバイト代で、かなり潤った生活を送っていた。
夜の街に繰り出すことが多くなると、自然と学校からは足が遠のいていった。
 同じクラスの田崎からは「あんまり休みすぎると先生に目つけられるぜ?」と何度かポケベルで
忠告を受けているが、夜遅く帰ってくると朝からさわやかに起きる気にはなれず、そのまま昼
過ぎまで寝ていることになる。母はパートにでているので、翔が学校に行っているかどうかは
知らない。夜遅く帰ってくることにもあまり口を出さなくなってしまった。
 本当は誰よりも心配もしているし、翔が野球をやめてしまったことに肩を落としているのも
母だった。だが、年頃の息子に対してかける言葉は見つからない上に、息子はどんどんと真っ当な
成長から外れてゆき、母は息子の存在をもてあましてしまったのだった。
 親が子の成長を見守り、徐々にその距離が離れていく、そういう過程を描いていた母は息子に
失望してしまったのかもしれない。
 家庭内では以前のように仲のよい会話は殆ど聞かれなくなっていた。それどころか、翔はあまり
学校でも笑わなかった。
 ただ、夜の繁華街を当ても無く歩いているときだけ、その日限りの女を引っ掛けて、へらへらとした
薄笑いを浮かべているのだ。
 そんな生活を送っていたときに、それは起きた。その日、翔は珍しく朝から学校に登校していた。
「相場、おい、相場〜?」
名前を呼ばれて翔は顔を上げる。隣の席の田崎が、こちらを向いて首をかしげている。
「大丈夫かよ?二日酔いか?」
「・・・や、そういうわけじゃないけど、朝から授業なんてタルイな・・・」
「まあ、今日半ドンだし」
「え?そうなん?」
「何、相場、しらねーの?」
「俺、昨日ガッコ来てねーし」
「昨日っていうか、先週から決まってたぜ?今日の半ドン」
「じゃあ、先週から来てない」
「あ、そ」
「んで、なんで?」
「今日、野球部の秋季リーグ準決勝。お前、久瀬亮太って知ってる?ウチの学校の4番。あいつ、
めちゃめちゃすげーな」
 小田南には野球には全く興味なく、学力だけで入ってくる人間もいる。それが田崎だ。田崎は
中学時代に翔が野球をしていたことを知らなかった。当然、亮太の幼馴染であることも。
「久瀬亮太・・・。なんとなく」
翔は自ら亮太と幼馴染であることなど話す気にはなれず、軽く相槌を打った。自分と亮太の関係を
知らない人間に囲まれるということは、とても居心地がよかった。だから翔は中学時代の同級生よりも
高校で知り合った田崎と一緒にいるほうが多い。
「で?秋季リーグの決勝と半ドンがどういう関係なん?まさか、応援に行けとかいうんじゃないだろうな?」
「あたりまえだろー。久瀬亮太の応援だよ。準決勝に勝って、決勝勝ったら、選抜が待ってるんだから」
「・・・まさか、それ、強制?」
「うーん、半強制。ツカッチャン曰く街でほっつき歩いてたら補導されると思え、だってさ」
「けっ、やってられるかよ、俺、帰る」
「まー、まてよ、俺、試合見てみたい。久瀬って強いんだろ?ホームラン、パカスカ打つヤツ、
そうそういないらしいじゃん。俺、そういう爽快な試合見に行きたい。いこーぜ、どうせ暇
なんだろ?」
「暇だけど、見たくない」
「えー。相場、ノリ悪い」
ノリが悪いといわれるのは翔にとって一種の屈辱だ。なんでもそつなくこなす。クールに楽しいことを
こなす。それが、翔の友達との付き合い方だった。
 翔は仕方なしに、午後から田崎と他のクラスメイトと共に市内のグラウンドに向かった。

 グラウンドに着くと試合は既に始まっていた。2回の裏。2-0。先攻は小田南だった。
田崎が早く着いたクラスメイトに試合の展開を聞いている。
「お前等、おせーよ、さっき、久瀬がツーラン打ったんだぜ!」
「え?マジで?見たかったー」
田崎は残念がっていたが、翔は少しも残念には思わなかった。亮太のホームランなんて目を瞑っても
描ける。初球を躊躇いなく振りぬく。腰が綺麗に回って、レフト方向に放物線上に飛んでいく。
軽く片手を挙げてこぶしを握り、ダイアモンドをかけてくる。
 ベンチにいるナインと腕をぶつけ合い、監督からねぎらいの言葉を貰い、
「さすが、久瀬」
と誰もから賞賛される。
 何度も見かけたワンシーンだ。
「・・・相場、おい、相場」
田崎が制服のズボンを引っ張る。
「あ、ああ?」
「突っ立ってないで、お前も座れよ」
翔が昔を思い出している間に、田崎は既にクラスメイトの隣に座っていた。翔も空いている座席に
素直に座った。
 試合は一方的になった。
6回、8回にも亮太のタイムリーで得点を重ね、気がついたときには、6-0で試合は終わっていた。
田崎を始めクラスメイトは大いに興奮して盛り上がり、応援団と共に校歌を熱唱した。だが翔はこの
試合を勝つのが当たり前のように眺めていた。感動も興奮もなかった。ただ、自分がここにいる
ことの虚しさと惨めさだけが胸の中にぽっかり空いた闇を大きく膨れ上がらせた。
「・・・俺は、一体、ここで何をしているんだ」
言葉にすれば敗北感が増した。翔は亮太から、野球から、全てのことから逃げたのだ。なのに、こうして
逃げたものへの憧れを未だに断ち切れていないことをまざまざと見せ付けられているのだ。
 受け入れがたい屈辱だった。翔はすぐにでも帰りたくなり、席を外れようとしたときに、ベンチからの
視線を感じた。
 試合中にも何度か、ベンチ入りの上級生と目が合った。初めは気のせいだと思っていたが、明らかに
自分を見つけて笑っていた。そして、その意味を試合後に翔は知る。
 興奮が醒めない田崎を無理矢理引っ張り出して、スタンドを後にする。球場の入り口で、翔は
後ろからいきなり学生服の白シャツを引っ張られた。
 後ろにひっくり返りそうになったところをなんとか保ち、振り返ると、まだユニフォームを着たままの
小田南ナイン達が5人、翔を取り囲んでいた。
「相場、よく来てくれたな」
初めに声をかけてきたのは、試合でキャッチャーを務めていたヤツだった。翔はけだるそうに答える。
「はあ、まあ、半強制行事ですから」
「どうだ、ウチの野球部は」
「ええ、強いみたいですね」
「それだけか?」
「はい」
「なあ、一緒にやりたいとか思わないのか?」
風向きが嫌な方向に流れていく。翔はこの話題に触れて欲しくなかった。特に自分の過去を知らない
田崎の前では。
「俺達には、お前が必要だ。ショートの守備は空けてある。入部しろ」
「ねえ、先輩。いきなり初対面の人間に向かって、入部しろとはないでしょう?」
翔はなるべく穏便に話をしたつもりだったが、語尾が震えた。
「初対面ではない。俺達は何度もお前を誘った。お前が俺達の顔も見ずに逃げただけだ」
「じゃあ、そのときに話してるはずです。俺は野球なんてしません」
小田南の面々の顔が引きつっていく。よく見れば、入学当初にしつこいほど入部を誘ってきたやつの
顔があった。
 彼には見覚えがある。あまりのしつこさに胸ぐらを掴んだからだ。気まずさから、一刻も早く
この場から逃げ去りたかった。
 翔が押し黙ると、田崎が素っ頓狂な声を出して翔と小田南ナインを交互に見渡した。
「え?何々?おまえ、野球、やんの?」
翔は苦虫を潰したような顔で舌打ちをし、小田南ナインは皮肉そうに笑った。
「なんだ、相場、言ってないのか。こいつはな・・・」
「やめろっ!!」
その声を遮るように翔は叫んだが、相手は怯まなかった。
「なんだよ、過去の栄光を隠すこともないだろ?」
「栄光なんかじゃないっ」
「こいつはな、久瀬亮太の幼馴染で、中学で久瀬と一緒に関東大会を優勝に導いた名ショートだ」
田崎が目を丸くして翔を見た。
「お前、そんなこと一言も・・・」
「言う必要なんてなかったんだよ」
田崎が動揺して、「それで、久瀬亮太はあんなこと言ってきたのか・・・」と呟く。
「あ?」
「あ、いや、別に・・・」
「なんだよ、言えよ。リョウが・・・亮太がお前に何て言ったんだよ」
「・・・お前を試合に連れてきてくれないかって・・・俺、お前等が知り合いだなんて知らなかったし、
なんで久瀬がそんなこと俺に頼むのかもわからなかったけど、とりあえず連れてきてくれるだけで
いいって哀願してくるから・・・」
翔は大きなため息をついて、小田南ナインを睨んだ。
「あんたらが、言ったのか」
「そうだ。お前にこの試合を見せたかったんだ」
「そんなことして、なんになる。俺が試合みて、一緒にやりたくなるとでも思ってんのか?そんな
軽率な考えなら、俺は先輩方を軽蔑します。俺は何度もいいましたよね?」
こめかみに血管を浮かべながらも、キャッチャーは声を荒げることもなく静かに言った。
「相場、これは、お前にとってもいい話だ。野球をやれ、お前も一緒に甲子園に行こう」
こいつ等に、俺の気持ちが分かるわけない。もうほっといてくれ、俺は野球なんてしたくないんだ。
 翔はギリギリの自制心で頭を下げる。
「すみませんが、俺は何を言われても、もう二度と野球はしません。部活にも入りません」
しかし、後ろにいたナインが罵声を上げた。
「おい、相場、いい加減にしろよ。キャプテンがこれだけ言ってるのに、分からないのか。お前の
力を必要としてるんだ。その捻くれた根性も一緒に叩きなおしてやるから、野球部に入れ」
人間はキレると本当にぷちんと音が鳴るのだと翔は思った。
 罵声を上げたヤツの胸ぐらを掴み、殴りかかろうとした瞬間、
「翔っ!!」
亮太の低く叫ぶ声で、翔の腕が止まる。その隙に胸ぐらを掴まれたナインは引きつった顔で翔から
逃げる。
 亮太はいつからかそこにいた。とても気まずそうな顔で立っている。翔は空回りした腕を下ろすと
亮太から目を逸らす。
「もう、いいだろ、俺はあんたらが何を言おうが、野球部には入らない」
 キャッチャー――キャプテンは大きく肩を落とし、しぶしぶ諦めてその場を引き下がった。
他の面々は散々暴言を吐いた後、去っていった。後には怒りで震える翔と、呆然と立ち尽くす
田崎、そして、俯きながら、所在なさげに立っている亮太が残った。
 しんとした空気がその場を覆った。
翔はずかずかと亮太に歩み寄ると、亮太の胸ぐらを掴んで下から睨みあげる。
「亮太、お前かっ」
「翔・・・」
「お前、俺がもう二度とお前とは野球しないこと分かってて、こういう仕打ちをするのかよ?」
「それは・・・」
「おまえ自身、そんなことよく分かってるくせに、先輩の頼みなら平気で俺の嫌がることするのか?」
「すまん」
「謝るな。謝ったって吐き気がするだけで何の意味もないんだよ、クソ」
「翔、俺は・・・」
「俺が、どんな気持ちで野球を辞めたのか、お前、ホントはわかってるんだろ?そうやって、高みから
俺が足掻くのを笑ってるのか?俺がまた野球部に入って、苦しむのをお前は見たいのか?そうやって・・・」
奥歯がギリギリする。歯を食いしばっていないと、泣いてしまいそうだった。
 こいつに、俺の気持ちが分かるわけないっ・・・。こんな惨めな・・・。
「俺は、お前に・・・」
これ以上、何を言うつもりだ!!
 翔は掴んだ服を離し、亮太を突き飛ばすと、怒りと憎しみを込めて言い放った。
「もういい、お前とは絶交だ」

 振り返らず、翔は走り出す。その後を田崎が慌てて追いかける。亮太はその場から動けないでいた。


<<3へ続く>>




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