なかったことにしてください  memo  work  clap
花ぞ昔の 香に匂いける―再来―



――ほら、そんなつまんなそうな顔すんなよ。

春の風の中で、オレは目の前で今にも泣きそうな顔をしているコイツを必死で慰めている。
小学校の中庭は桜の木が沢山植えてあるけど、まだ蕾が幾つか膨らんでるだけで、花までは
咲いていない。
 卒業証書と貰った花束を抱えて、同じように花束を抱えて、それで顔を隠している雨宮の
隣に立った。
「お前が行く中学って、すげえとこなんだろ?きっとお前とも話しが合うヤツいっぱいいるよ」
オレの励ましに雨宮はぼそぼそと聞き取りにくい声で言った。
「でも、天野はいないし」
・・・うわ、そう言うのなんか、すげえ照れる。
「お前さ、面白いヤツなんだから、もっと他のヤツともしゃべれよ。きっとみんなお前の
良さ、分かってくれると思うぜ?」
「うん・・・」
雨宮はすげえいいヤツで、オレが困ってたとき、何度も助けてくれた。だけど、物静かって
いうか、暗いっていうか、頭いいくせに周りに溶け込もうとしないから、クラスではいつも
外れてた。オレとしゃべるようになって、少しは他のヤツとも話すようになったけど、それでも
普段は1人で本読んでるし。
 そんな暗メガネ君は、雨宮病院の1人息子。親の期待を背中一杯に受けて、オレら庶民とは
違う次元へと進んでいくのだ。
 うん。雨宮は私立中学に余裕で合格し、春からはオレとはバラバラの中学生活を送ることに
なる。勿論、オレだって淋しいとは思うけど、だからってオレは他にも友達が沢山いて、雨宮
1人と別れることが、この世の終わりみたいな気持ちにはならない。
 だけど、雨宮ってば友達殆どいないから、オレと離れるの、きっと心細いんだろうな。
だから、オレが最後に言ってやれることは、コレくらい。
「お前、よく見たら、かっこいいんだし、もっといろんな子としゃべったらモテルぜ?」
精一杯の後押し。頑張れよって笑ったら、雨宮はもっと泣きそうな顔で花束に顔を埋めてしまった。


 ピ、ピピ・・・
 枕元のケータイに手を伸ばすと、アラームを止めた。ケータイの時計は8時15分を表示
している。オレは布団の中で一度寝返りを打つと、顔を擦ってけだるい身体を持ち上げた。
 んん・・・、なんか懐かしい夢見た気がするけど、なんだったかな。
オレは起き上がって、目覚めの悪い頭を抱えてキッチンへ降りた。
「おはよ、丘ー」
「よう、寝ぼすけ」
キッチンでは父さんと天(父さんの恋人、というか結婚相手、しかも男)が相も変わらずいちゃ
いちゃパラダイスなんてして、朝から鬱陶しさ満点だった。
「おはよ。・・・てかさ、あんたらもいい加減飽きないよな」
オレはテーブルに付くと、冷めかけのコーヒーを口にしながら新聞に一通り目を通す。大した
話題はなかった。
 新聞をナナメ読みしてると、オレの前で父さん達が、オレを全く無視した会話を繰り広げ
始めた。極当たり前の天野家の日常なので、オレもあまり気にしない。
「なあ、天、俺さー、今度の休み長く取れそうなんだ」
「ホント?じゃあ、どっか行く?」
「うん。俺、ナイアガラの滝見たい」
オレはぴくっと頬が上がって、父さんを見る。
「父さん、まさか、この前見た花火の所為でホンモノがみたいなんていわないよな?」
「丘は相変わらず勘のいい子だなあ」
父さんは頭をかきながら、はにかんだ。照れるな!そんでもって、21にもなる息子を捕まえて
「いい子」はないだろう、「子」は!
「まあまあ。いいんじゃない?行こう。俺も休み取るし」
天は天でそんな父さんの行動を(信じられないが)愛おしそうに眺めている。父さんの感性
にも呆れるけど、天の趣味も大概意味わかんない。
 今更何いっても仕方ないから、もう言わないけど。・・・それに、実のところオレも人のこと
言えた義理じゃないし。
「たかしー、じゃあ、留守番よろしくなー」
父さんはにかっという笑いでオレにVサインを突き出した。・・・っていうか、あんたは子供か。
これが45になる男の姿には到底思えない(実際見た目も45には到底見えない)けど、父さんは
きっと死ぬまでこんなんなんだろう。
 オレは朝食もそこそこに切り上げると、新聞を畳んで、キッチンから退散することにした。
朝からあんまり見たい光景じゃない。父親のゲロ甘な(しかも相手は男ときた)シーンなんて
消化不良でも起こしそうだ。
 席を立ったオレに父さんが振り返った。
「丘、出かける前に、ちょっとアツシ起こしてきて」
「あいつ、まだ寝てんの?」
ったく、アイツ、中学生になってから遊びすぎなんじゃないのか?時計を見れば8時半を余裕
ですぎている。遅刻もお構いなし。きっと起こしに行っても、寝坊しちゃったって笑って
降りてくるに決まってる。
 どんだけ、フリーダムなんだアイツは。
「まあまあ、あの子も色々あるんだし」
父さんは相変わらずアツシに甘い。オレが中3の時とは大違いだよ。別に父さんに甘えたい
訳じゃないけど。
「あの、ノーテンキの甘ったれに何があるってんだよ」
オレがキッチンを後にすると、後ろで天の苦笑いが聞こえた。


 大学まではJRで2駅。頑張れば自転車でいけない距離じゃないし、実際同じ市内出身のヤツ
なんかは、自転車や原付で通ってるヤツの方が多い。
 それでもオレが電車に乗ってるのは駅でコイツと落ち合う為なんだよな。
「・・・おはよ」
オレは何時も通り、2番ホーム足元番号7に向かうと、そこにはすらりと背の高いめがねの男が
立っていた。
 後ろから声を掛ければ、ソイツは振り返ってオレを見下ろした。
「おはよう、丘」
そう言って、ソイツはうっとりするような顔で、オレの後頭部をさらっと撫でる。
「な、に」
そ、そんな目でオレを見んな、そう言いかけると、ソイツは笑いを噛み締めた。
「寝癖」
・・・。
「雨宮!」
オレの声は丁度ホームに入ってきた電車の音にかき消されて、雨宮には届かなかった。大量に
電車から降りてくる人や乗っていく人の流れに、まぎれてしまいそうになる雨宮の背中を
追ってオレも電車に乗り込んだ。
 満員に近い電車の中で、雨宮は頭一つ分大きな身体をよじって、オレの事を上から確認
すると、眉をぴくっと上げてオレに合図を送ってくる。
 その途端、オレの隣からきゃあという小さな声が聞こえた。
 思わず振り向くと、隣には明らかに遅刻と思われる女子高生2人が、雨宮の姿を見て、ひそ
ひそと話していた。時々、きゃあっと言う黄色い声が漏れてくるから、どうせかっこいいだの、
なんだの言ってるんだろう。
 まあ、確かにこうやって離れて見ればかっこいい・・・とは思うけど。
 朝からからかわれて、オレは釈然としないまま一日をを過ごすこととなった。


「雨宮君、臨床医にならないってホント?」
出た。
何度目だ、この質問。
オレは雨宮と学食で飯を食ってる最中だった。顔を上げるとトレイを持って今にも隣に座ろう
としている女子学生が2人。
 確か看護科の子だ。新歓コンパで出会って以来、何かと雨宮の後ろを追いかけてる女の子。
追いかけられてる本人はどこ吹く風で、モーレツアタックをするりするりとかわして2年半。
八方美人で優しい言葉を掛けては女の子をその気にさせて、だけど最後の一歩でチョモランマ
級の壁作るんだ。
 今や雨宮は難攻不落の微笑みの王子。落ちない男ほど落としてみたい、そんな女の競争心を
煽って、燃やして、灰にして。
 でもって、それでも落ちない男を彼女達は全て「オレの所為」にしやがった。
「ねえ、雨宮君ホントなの?」
もう1人の女がオレ達の隣にトレイを置く。オレには「座ってもいい?」などど一言も声を
かけることなく、視線を雨宮だけに向けて聞いていた。
 雨宮は困ったように笑うと、彼女達に模範解答みたいな返事をする。
「研究室の配属の事かな?確かにあの研究室は院に行って研究者になる人ばっかりだからね。
でも、臨床医になるかならないかはまだ決定したわけじゃないよ」
「でも、みんな雨宮君は大学に残って研究するって言ってるわ。医者の息子が家業継がないなんて
信じられないって」
あ、忘れてた。雨宮のステータスに医者の息子っていうのがあったんだ。まあ、医者の息子や
娘なんていうのは、ごろごろいるわけだけど。
 でも、雨宮の家の病院の規模や本人の素質(この場合頭の良さに限った方がいいと思う)
など、付随してくる環境やステータスに彼女達は目を輝かせる。
 その大事な「病院の跡取り息子」という煌くステータスが雨宮から一つ欠けてしまうと
なれば彼女達も大慌てなわけだ。
 というのも、後期の初めに研究室の配属が決まって、オレは再生医療の分野の研究室に進
んだ。元々医学部に進んだのも医者になる気などさらさらなくて、雨宮が無理矢理、医学部を
勧めた所為もあるけど、ここの医学部なら自分の興味の持てそうな研究が出来ると思ったから
だった。ここで研究者になる。試験管とにらめっこしてる方が医者になるよりも遥かに自分に
あってる。俺は入学したときから雨宮にそういい続けた。
 雨宮も医学部に進んだけど、雨宮もそれを承知してたし、オレは、雨宮は当然医者になるもん
だとばかり思ってた。
 ところが、この研究室配属の時になって、雨宮はいきなり
「俺も、丘と同じ研究室に行く」
などと言い出したのだ。

「な、なんでだよ。オレが行くとこ、お前分かってんの?なんでそんなとこ行くんだよ」
「そりゃ勿論、丘がいるからだよ」
雨宮は当たり前でしょと言った風にオレを見下ろす。さらっとした黒髪がオレの顔にかかり、
オレはくすぐったくて首を振った。
「はあ?お前、何考えてんだ?ばっかじゃねえの?医者の息子が医者にならずに、なんで医学部
になんているんだよ」
「いいんだ、別に。従弟だって今年医学部に入ったし、元々うちの病院は爺さんが作ったもん
だから、俺が継ごうが、あの子が継ごうが恨まれやしないよ」
「お前の親父は嘆くだろ」
「家庭を顧みずに息子をほったらかしにした罰だとでも思えばいいよ」
「お前ねえ・・・」
「何、丘は俺が一緒だと嬉しくないの?」
「う、嬉しいとか嬉しくないとかの問題じゃねえ!研究室を選ぶのはもっと慎重になれって
言ってんだよ」
大体、どういう理由だよ。オレがいるからって。おかしいだろ普通。
「ねえ、嬉しくないの?」
雨宮はオレの頬を撫でて耳元に唇を寄せると囁いた。
――こ、こんにゃろう〜〜。
オレが黙って固まってると、雨宮はその手をするすると下に滑らせて、オレの胸元を撫で回す。
「あっ・・・」
「ねえ、これからも一緒にいられるんだよ?丘は嬉しくない?」
露になった乳首をつままれて、変な声が出る。
「はあん・・・お、お前ずるい・・・」
「丘?」
「う、嬉しいけど・・・」
閉じた目を開けば、雨宮のニタっと笑った顔が映る。
「セックス中に、そう言う大事なことをこと言うんじゃねえ、バカ!!」

 あ・・・。
また思い出しちまった。
オレが1人過去の思い出に悶々としている最中にも雨宮は彼女達と会話を交わしていた。
「俺ね、医者になるのもいいけど、最新の医療を研究して多くの人の為になりたいって思う
んだよね。この大学、再生医療に力入れてるの、君達も知ってるでしょ?」
はい?
誰が人の為になりたいって?オレは耳を疑うような台詞を聞いて、雨宮のニコニコ笑うその
足を机の下でふんずけてやった。
 一瞬、その笑った頬がぴくっと上がるけど、オレは無視だ。
 しかし彼女達はそんな雨宮の様子になど気づくことなく、「立派ね」とか「偉いわ」などと
呟きあっている。
 本当はそんなこと思ってもないくせに。医者にならなきゃ彼女達にとって雨宮の魅力なんて
そこらへんの学生がサラリーマンになるのと同じくらいの価値だ。
 その証拠に、彼女達は雨宮のいないところで、オレに言うんだ。
「天野君、雨宮君と仲いいのはわかるけど、彼をたぶらかさないで」
「彼の大事な将来を潰さないで」
「あなたが、雨宮君を一緒の研究室に引きずり込んだんでしょ?」

「オレが引きずり込んだんじゃねえ!アイツが勝手についてきたんだ!」

 何度かそう言ってやったが、彼女達の妄想で凝り固まった頭にはそんな言葉は届くはずもなく
オレは1人悪者に成り下がっている。
「でも、お医者様になるのも人を助けることだと思うわ。そういう道を進む人もステキだと
思うわ、私」
オレの隣に座った女は、それでもまだ納得いかないといった風に雨宮に訴えかけた。
「まあ、そうだね。だから、そういう言葉はそういう人を捕まえて言ってあげるといいよ」
唖然とした彼女達は暫く無言になって学食を食べた。
「・・・」
「・・・」
しかし、無言に堪えられなくなったのか、彼女達の矛先が一気にオレに向いた。
「天野君も同じ研究室なのよね」
「あ?うん。そうだけど」
「天野君は、雨宮君の後ろに付いてるだけで、色々教えてもらえて、楽でいいわね」
「はあ?」
なんだそれは。負け惜しみか八つ当たりか何なのかわかんないけど、そう歪んだ顔でオレを
睨むの止めてくれない?
 いい加減オレもむかついて、トレイを持つと、学食は食べかけだったけどそのまま席を
立った。
 なんでも雨宮君、雨宮君って。お前等、ホントの雨宮を何にも知らないだろう!
コイツはあんたらが思ってるほど優しいお坊ちゃまじゃないんだぜ!
雨宮の腹黒ド変態!

オレが雨宮を残して1人学食を後にすると、雨宮はすぐに追いかけてきた。
「丘、待ちなって」
「・・・」
「たかし」
オレは振り返ると、ふんと鼻息荒く言ってやった。
「あー、あー、女の子にちやほやされて顔がにやけてるぜ」
「何、丘、妬いてくれてるの?」
「や、妬くかバカ!」
雨宮は嬉しそうにオレの肩を引き寄せる。
「浮気なんてしないから。安心していいよ」
「・・・」
「ん?」
「・・・お前が、オレと同じ研究室なんて選ぶからこんなことになるんだからな」
「何、ホントの事言えばよかった?お前のココが傷だらけになって、使い物にならなくなった
ときの為に、再生させてやる研究するんだって」
そう言うと、雨宮は俺のケツの穴をきゅっと指で押した。
「はあ?!」
何いってんだ、こいつ。俺は雨宮の手をかわして逃げると、睨みあげた。
「あはは、冗談。・・・でも安心して。ホントは丘の事が心配で心配で、一人にしておけない
から一緒の研究室に進んだなんて、絶対誰にも言わないから」
・・・。
コイツの人生の選択基準、ホントどうかしてると思う。な、なんていうかさ、そりゃ、あ、愛
されてるっていうのはうれしいけど・・・。
 まあ、雨宮のこういうところは、あの時から全然変わってないんだ。オレがいるかいないか。
まるで何かのトラウマみたいに、昔と同じように、雨宮は変わらずそんな風に生きている。
あの時だって、雨宮はこう言ったんだ。

「俺、天野がいるから、天野と同じ高校行こうかな」
オレが雨宮と再会して、人生の軸が全く逆に傾いた中3の出来事だった。




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【天野家古今和歌集】
花ぞ昔の 香に匂いける(はなぞむかしの かににおいける)
(人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける――紀貫之)
私には人の気持ちの移り変わりはわかりませんが、
昔なじみの土地で梅の花だけは、昔と同じ香りで匂っているんですよ。






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