物や思うと 人の問うまで―相関―
大学に入学して始めたバイトといえば、コンビニやらチェーン店のコーヒーショップやらの
王道で、そして行き着いた先も、家庭教師とこれまた王道だった。
3年になって、実験やら研修やら、ガンガン忙しくなると、時間を大量に縛られるバイト
が出来なくなる。そうすると、必然的に、家庭教師に流れるわけだけど、まあ一応大学の
ネームバリューのおかげか、家庭教師だけで、生活するのに困らない程度は稼げてる。
(そもそもオレは自宅生だし、必要なものなんて自分の小遣いくらいなんだけどさ)
二学期になって新しく始めた子は、オレの家からそんなに遠くない子で、その時点でオレ
もちゃんと気づけばよかったんだけど、その事実に気がついたときから、何だかちょっと
やりづらかったりする。
「ねえ、先生」
「何、問題全部解けたの?・・・ん、あと3問残ってるぜ」
「そうじゃなくてさ、先生って、ひょっとしてさー、天野アツシの兄ちゃん?」
「ジロ、なんでアツシの事知ってるの」
「だって、同じクラスだもん」
「マジで?」
そう、そうなんだ。オレが見てる子は今中次郎という中3の男子で、アツシと同じ中学だった
んだ。気づいていれば、断ってたんだけど、オレってそういうところが疎いっていうか、何
でか、スコーンと抜けちゃったりすることが多くて、こうやって指摘されてから、マジで!?
って驚くことが多い。
「アツシと顔似てるよね、先生」
そうなんだよな。オレもアツシも確実に「お前、父さんの子だろ」って言われるくらい、
父さんの顔にソックリ。性格は全然違うのにな。アツシは内側から滲み出る「甘ったれオーラ」
のおかげで、オレや父さんよりも、全体的にパーツが丸く見えるけど。
「兄ちゃん、そんなにガミガミ怒ってると、釣り目が直らなくなるよ」
なんてアツシが言っていたけど、あいつだって、そんなにへらへら笑ってたら、たれ目の
まま顔の形が歪むってもんだ。
そんな話をしていると、ジローの部屋の窓がいきなり開いて、(ここは2階だ)ジローより
体格のいい男子が入ってきた。
「なんだ、今日もカテキョーかよ」
「たろちゃん」
ジローは途端、へらっと顔の筋肉を緩めて、窓の方を振り返った。
「おい、太郎、まだカテキョーの時間終わってないから、入ってくるな」
「どーせ、あと5分じゃん。ここで大人しく待ってるからさ」
「・・・ったく」
そういうと、太郎はジロのベッドの上に寝転がって今週号のジャンプを読み始めた。
この太郎ってヤツは、ジロのお隣さん家の子どもで、家も隣なら、部屋も隣の幼馴染。
コイツらには、玄関っていう概念がないのか、お互いの部屋を窓越しにつたってやって来る。
中3になっても、べったりお互いの部屋に行き来するなんて、オレには考えられないけど
(タケやヒデキの家なんて小学生の頃しか遊び行ったことない。・・・雨宮はまあ、アレは別
としても)まあ、仲良くやってるから、オレがつべこべ言うことじゃない。
それでも、仲良しこよしはいいけど、家庭教師でオレが勉強みてやってる時間にも、お
構いなく、太郎が入ってくるから、オレが一度怒って以来、太郎はこうやって勉強の終わる
ギリギリを狙って入ってくるようになった。
「ほら、ジロもさっさと解け。コレで終わりにするから」
「うん!」
ジロはそわそわしながら、残りの3問を自力で解くと(そのわりに3問とも計算ミスだった)
オレの解説など、ろくに聞かずに太郎の隣にダイビングヘッド。
ホント、コイツらって仲いいよな。
「ねえ、ねえ、たろちゃん!」
「なんだよ、コレ読んだら、ジャンプやるから、離れろって。暑い」
「違うって!聞いてよ!」
太郎が顔を上げると、ジロは人懐っこい笑みを浮かべてオレを指差した。
「先生、やっぱりアツシの兄ちゃんだったよ」
ジロがそう言うと、太郎はジャンプを読むのを止めて、ジロの頭を小突いた。
「・・・だろ?だってどっからどう見たって、同じ顔じゃねえか」
「うん。そだね。たろちゃんの言った通りだった。全然気がつかなかったよー」
普通、オレとアツシの顔を知ってて気づかないっていうのは、よっぽど、ぽやっとしてる
ヤツだ。
まあジロはぽやっとしてる部類だけど。
太郎はむっくり起き上がってオレを見ると、ふんと鼻を鳴らした。
「でも、まあ、顔はソックリだけど、性格は全然違うよな」
太郎は生意気そうな口調でオレに話しかける。まあアツシと同い年のガキんちょ相手にムキに
なるのも馬鹿げてるし、アツシの学校の様子を聞くチャンスだと思って(コレでも一応心配
してんだ)オレは大人な態度で太郎に向き合った。
「アイツ、学校でどうなの」
「どうって。・・・アツシ自由すぎ。遅刻の常習犯だし、なのに先生は甘いし・・・」
思わずため息が漏れる。あいつはどこでも自由すぎる。そして、それが何故だか許されて、
しかも、上手く行って。世の中そんなに甘くないぞ?このまま大人になっていいのか。
って思ったけど、そのまま大人になった人物をよく知ってるオレとしては、諦めるしか
ないんだろうか・・・。
なんで、父さんの自由すぎるところばかり、アイツは引き継いだんだろうな。
「でもさ、アツシ最近、楽しそうだよね」
そう言ったのはジロの方で、ニコニコ笑いながら、学校の様子を教えてくれた。
「教育実習の先生のこと追っかけまわしてるし、な?たろちゃん」
「はあ?アツシが?なんで?」
そういえば、この前、帰りが遅かったときも教育実習生に勉強教えてもらってるとか言って
たような気がする。先生追い掛け回すってアイツは何してんだろ。自分の弟ながら、アツシ
が分からんぜ。
「あれは、ただ根暗なアイツを追っかけて苛めて遊んでるだけだろ。クラスの女子が、嘆いて
たぜ、『いや〜ん、わたし達のアツシ君が〜』って」
わたし達のアツシ君?なんだそりゃ。アツシもホントよく分からないポジションだなあ。
「でもさ、アツシ可愛いもん。この前、女の子達から、ケーキ「あーん」して食べさせて
貰ってたよ。あれは、アツシじゃないと、似合わないよね」
やめてくれー。アツシ、何バカなことしてんだ。恥ずかしくないのか。っていうかこっちが
恥ずかしいわ!我が家の恥晒し!
オレが頭を抱えて唸っていると、太郎が不貞腐れたように呟いた。
「可愛いい可愛いって・・・ジロの方がよっぽど可愛いのに・・・」
は?
「あはは。俺〜?俺なんて可愛くないよー。俺男だよ。ほら、ちゃんとちんこついてるし。
たろちゃん、目悪いんじゃないの?」
ジロはベッドで寝そべったまま、太郎の手を自分の股間に持って行き、自分についてること
を確認させる。
「ば、ば、ばっか、そんなもん、触らせるな」
太郎は真っ赤になって、その手を引っ込めた。
「えー、昔よく触りあっこしたじゃん」
「ガキくせえ話すんな」
「3年前の話なのに・・・」
太郎はぷいっとそっぽを向いて、ジロの無邪気な視線から逃げる。
・・・あ、れ?なんだこれ・・・。コレって・・・。
オレの顔が思わず、にまっとなったのを、太郎はしっかり見てたらしく、怒鳴りながら、
ジロのケツを足で蹴っ飛ばした。
「お前、いいから、何か飲み物もってこいよ!」
「う、うん」
ジロは立ち上がると、素直に部屋を出て行く。
「母さーん、ジュースちょうだーい」
どたどたと階段を下りながら、キッチンにいる母親に向かって、のん気そうなジロの声がした。
いくら、オレが鈍感だからって、ちょっと気がつかないからって(雨宮には天然だって言わ
れたけど、天然なのはオレじゃなくて、アツシや父さんみたいな人を言うんだと思う)オレ
だって、今の反応が何を示してるかくらい、わかる。
・・・っていうか、今までなんでオレ気づかなかったんだろうな。もう2ヶ月近く見てるって
いうのに。そういうところが、オレってダメなんだよなあ。あの頃と全然進歩してない。
いや、2ヵ月後でも気づいただけマシか。
太郎はベッドの上で不貞腐れながら、ジャンプをぺらぺら捲っている。初めて見たときは
ガタイの良さや(オレよりデカかった!)生意気なしゃべり方に、中3ってこんなに大人だった
かなと思ったりもしたけど、やっぱりガキはガキだ。
色恋沙汰は苦手だけど、オレだっていつまでも青臭い恋愛してるわけじゃない。
「太郎?」
「・・・言うなよ、絶対」
太郎は瞬間湯沸しみたいに、あっという間に顔に熱が昇った。真っ赤になった太郎は、思い
がけなく可愛くて、オレは思わず笑ってしまった。
「言わないけど・・・ジロ、このままじゃ、一生気づかないよ」
「いいんだよ、気づかなくても」
微妙なところだよな。好きっていう気持ちはあるけど、知られてるのも怖い。一緒にいたい
から、このままでいい。でもジロに恋人が出来たら、友達のまま、それを隣で見ていなければ
いけないんだぜ。そんなのって辛くないか?
そう思って、何か心に引っかかった。なんだろう、なんか、全然他人事のように思えない・・・。
あ、コイツ等、あの頃のオレ達と一緒だ・・・。
雨宮は太郎よりも遥かに腹黒かったし、オレはジロよりももう少しボケボケしてなかった
とは思うけど。
オレは雨宮の気持ちなんて全然考えたことなかったし、自分の気持ちで精一杯だったから
太郎の気持ちと雨宮の気持ちがどれだけ似てるかなんてわかりっこないけど、オレもジロも
相手の気持ちに全く気づかないってあたりは、相手の苦労が今になって分かる気がする。
あ、今は勿論雨宮の考えてそうなことくらい、分かるつもり。・・・だってあいつ、オレが
嫌がることとか恥ずかしそうにすること、大好きだもん。肝心なアイツの気持ちも、今じゃ
惜しげもなく告げてくれるし。・・・時々嘘っぽく聞こえるほどだ。
「太郎・・・」
「いいんだ、俺は!このままで!」
切なげな表情に、太郎の本気を垣間見た気がした。
「別に、オレはジロに何か言うつもりもないし、お前がこのままでいいっていうなら、それで
いいと思うけど、隣にいるだけでいいっていう気持ちは、一番辛いぜ?」
「し、知った口聞くなよ」
「だって、知ってるもん、そういう気持ち」
「あんたが?」
そうまじまじ見られると、オレも恥ずかしいんだけどな。でも、その真剣な瞳に何か答えて
やりたくて、オレは羞恥を押さえた。
「オレだって、太郎と同じくらいの時があったし、その頃は、そんな風に人を好きになった
ことあったよ」
「・・・だけど、俺とあんたじゃ、違うだろ」
違うか。違わないんだけどね、ホントは。でも、やっぱりそこは自分の保身。親にも秘密
なことを、こんなところで暴露するわけにはいかないから。
ずるいけど、オレのことは棚上げだ。
「なあ、太郎。オレの家、母さんがいないんだ」
「は?何、いきなり」
「うん、いいから聞けって。オレが小学生の頃、母さん死んで、オレと父さんとアツシの
3人暮らしになったんだ。オレはね、母さんが大好きで、新しい母さんが来るくらいなら
ずっと、このまま3人で暮らしていけばいいって本気で思ってた。ところがさ、ウチの父さん
ちょっと変わってるっていうか、まあ、太郎に分かりやすく言うと、アツシがそのまま、
でっかくなっちゃったみたいな人でさ。あるとき、アツシの保育園の担任連れてきて、
『この人と一緒に住むことに決めた』なんて言い出してきたんだ」
「はあ、うん・・・」
「その人、男だったんだ」
「はあ、って、ええ!・・・マジで」
話の筋が見えてなかった太郎は、いきなりの衝撃に、驚いてベッドから飛び降りた。その反応
って結構笑えるんだな。
「マジで。・・・そんで、気がついたら、オレたち4人暮らし。しかも、今じゃ苗字まで一緒
だぜ?・・・世の中って怖いだろ?」
「苗字まで一緒って、け、結婚できるわけないのに」
「まあな。日本じゃ同性婚は認められてないし、結婚なんて出来やしないけど、養子縁組って
いう制度を使うと、戸籍に入れることができるらしいんだ。オレも詳しくは知らないけどさ。
そんで、戸籍に入っちまえば、苗字も一緒になれる。あいつらはそれを『結婚』だって言い
張ってるけどな」
「・・・信じられねえ」
「信じられなくても、ホントの話。まあ、そうそうこんな話があるわけじゃないけどさ、
中には、そういうこともあるってこと。怖がってるよりも、行動した方がいいことだって
あるんだぜ?」
「・・・でもっ」
太郎は泣きそうな顔で首を振った。ジロに拒絶されたときのことを思うと、怖いんだろうな。
その気持ちはオレにだってよく分かる。言わないけど。
「ジュース持って来たよー。母さんがコーラはもう買わないって言って、うちオレンジ
ジュースしかないんだけど、いいかな」
沈黙を破って入ってきたジロは、手にお盆を持って、その上になみなみと注がれたオレンジ
ジュースのコップを3つ載せて、危なげに歩いてくる。
「・・・ジロ、ジュース注ぎすぎ」
オレはジロからお盆を取り上げると、机の上においてやった。
「だってさー、たろちゃん喉渇いてるのかと思って、いっぱい注いでやったんだよ」
ジロはぴかぴかの笑顔で太郎を見た。・・・可愛いな、ジロも。
不器用で、自分の気持ちすらよく分からなくて、気がついたときには、手遅れで。
確かに、そういう青臭いレンアイをオレ達もしてた。周りから見れば滑稽だったんだろう
けど、オレは悩んだし、思いつめたし、不貞腐れたし、暴走したし、そうしてやっと勝ち
得たものだったから、あんなヤツでも嬉しかったんだ。
そりゃもう、涙が出るくらい。
いまじゃ、別の意味で涙が出るけどさ。アイツの腹黒さは、今は間違いなく本物だし。
コップのジュースを一気に飲み干すと、ジロは思い出したようにオレに言った。
「ねえ、先生。俺思い出したんだけど、アツシってさー、ちっちゃい頃、ゆう君と結婚する
って騒いでたことあったよね」
な・・・。まさか、こいつら。
「お前達、たんぽぽ保育園か?」
「うん」
ジロはニコニコ笑って、昔の話を持ち出す。やめてくれ、我が家の恥晒し2号。
同じクラスだったゆう君とは、一番仲良くて・・・というより、アツシはよくゆう君を泣か
してたような気がするけど。アツシ、身体はちっちゃい癖に、乱暴で、父さんに買って
もらった、武器でオレや父さんを殴りまくってたからな。
まあ、その泣かしまくってたゆう君と、保育園の卒園式で、結婚するって騒いで、しかも
結婚できないって知って、アツシ号泣したんだ。
・・・あれは、間違いなく父さんと天の教育の所為。
「俺さ、アツシなら、きっとめちゃんこ可愛い花嫁さんになると思うんだよな」
太郎・・・。がんばれ。脈があるかは判らないけど、乗り越える壁は薄そうだ。
オレ、ジロよりはマシだったよな?オレはジロのボケた声に、中3の記憶が蘇っていた。
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【天野家古今和歌集】
物や思うと 人の問うまで(ものやおもうと ひとのとうまで)
(しのぶれど 色に出でにけり わが恋は ものや思うと 人の問うまで ――平兼盛)
しのんで、心に秘めていたはずのこの思いは、顔に出てしまったようだ。
他人が、恋わずらいでもしてるのかと、たずねてくるほどにまでに・・・。
物や思うと 人の問うまで(ものやおもうと ひとのとうまで)
(しのぶれど 色に出でにけり わが恋は ものや思うと 人の問うまで ――平兼盛)
しのんで、心に秘めていたはずのこの思いは、顔に出てしまったようだ。
他人が、恋わずらいでもしてるのかと、たずねてくるほどにまでに・・・。
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