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青い鳥はカゴの中で






幸せの青い鳥を探してた。遠い果てしない夢の旅。





 17時着の成田空港行きの飛行機は15分程遅れて滑走路に滑り込んだ。
松下満は読みかけていた本を閉じると鞄の中にしまい、隣の席に大切にシートに括りつけた
愛器を撫でた。
 2年ぶりの日本だ。満にとって日本に帰ってくるということは、憂鬱の種が増えることと
等しく、「凱旋コンサート」と銘打たれた行事でもなければ近寄りたくない場所だった。
 シート一つ空けた隣に座った中年の女性はドイツを発ったときからその隣にいる女性達と
満を見てそわそわしていたが、満はあえてその視線を無視し続けた。

 シートベルトを外すと、機内は一気に騒がしくなった。日本へ帰ってきた者、海外からの
旅行者そのどちらもが、長い拘束時間から解き放たれた開放感で顔は緩く笑っているように
みえる。満を除いては。
「あのう、松下満さんですよね?」
隣の女性が最後のチャンスとばかりに声を掛けてきたので、満はとっておきの営業スマイル
で答える。
「はい、よくご存知で」
「まあ、まあ、やっぱりそうなのね。そうかと思ってましたの。幸恵さん、やっぱり松下満
さんだって!」
「やっぱり!・・・わたし達、あなたの大ファンなんです。CD買いましたよ。日本にいらっしゃる
って聞いてたけど、同じ飛行機だったなんて・・・。感激です。・・・一緒にお写真撮らせて、
いただいてもよろしいです?」
「勿論、喜んで」
女性は通りかかった客室乗務員を捉まえると満を真ん中に写真を撮るように言う。客室乗務員
はにこやかに客の申し出を受け入れた。
 満は4人の女性の真ん中に綺麗な笑いを浮かべて立つと、中年の女性達の肩を引き寄せる。
「よかったら、コンサートにも来てくださいね」
中年女性達は、少女のように笑った。




 蒼井慎吾は正門を出ると自転車にまたがったまま大きく伸びをした。
空はすっかり日暮れて、ちらちらと星が瞬き始めている。
慎吾は鞄から携帯電話を取り出すと履歴の一番上にある番号を選択した。
「・・・あ、オレ。・・・うん。今終わったとこ。飯食いに行ってもいい?・・・あはは。うん、そう
だけど・・・。今日のネタ何?・・・うん、うん!行く。あー腹減った。じゃあ10分後にね」
慎吾は電話をポケットにしまうと、自転車を漕ぎ出す。向かう先は週に1度は必ず訪れる
「白井寿司」だ。白井寿司は小学校時代からの幼馴染、白井康弘の父親が経営する寿司屋で
息子の康弘も3年ほど前から厨房に入るようになった。
 慎吾は夜風の心地よさに一日の疲れを癒しながら、康弘の握るネタに腹を鳴らせた。

「お疲れ!」
「らっしゃい・・・ああ、慎吾先生」
「やだな、おっちゃん、先生はいいよお」
慎吾は頭を掻きながら、カウンターの何時もの席に座った。おっちゃんと呼ばれた康弘の
父は、慎吾の顔を見るなり好物の中トロを握りだす。
「こーんな、悪ガキでもいっちょ前に先生様なんてな、世の中分からんもんだ」
「もう、お父さんは、失礼なこと言わないの。はいはい、いらっしゃい」
いつの間にか、後ろから康弘の母親も出てきている。彼女は注文をとる前に慎吾の前に
冷えたビールの瓶とコップを差し出した。
 慎吾もニコニコ笑いながら、コップを受け取ると、康弘の母に注いでもらう。
「おばちゃん、いつもありがと」
慎吾が1杯目のビールを喉を鳴らせて飲んでいると、奥からシャリの入った寿司桶を手に、
康弘が出てきた。
「よう、慎吾来たか」
「ただいま、ヤス」
「ここ、お前んちじゃないって。潰れても泊めないからな」
「帰るよ、ちゃんと帰る。・・・泊まっていったら、奥で待ってる婚約者ちゃんに悪いもん」
慎吾は眉毛をぴくっと上げて康弘を見た。
 康弘はこの春、婚約した。10月には挙式が控えている。他人の結婚を目の前にすると、
時代が一気に流れた気分になるのは、どうしてなんだろうと、慎吾は思ったものだ。
「そういえば、一昨日、堤先生来たぜ」
「げえ、マジで?・・・まっずいなあ。先生なんか言ってた?」
「まあ、いろいろ。七根小の教え子と同じ小学校で教鞭執ってるなんて、不思議な気分
だって。しかも、ソイツは七根小の超が付くほどの問題児だったんだから、世の中って
分からんもんだ、だとよ」
親父の台詞はこれだったらしい。
「・・・ったく、やりづらいよ。堤先生今年からうちの小学校に赴任してきたんだけど、見た
瞬間、げって言っちゃったし」
「お前、小学生と一緒に堤先生に怒られてたりして」
「さすがに、それは・・・ないと思う」
慎吾は屈託ない笑いを浮かべた。康弘と話すときは、過去も現在も時間の概念が取っ払わ
れる。自分の年齢なんて関係ない。そういう時間の共有をしてきたのだ。

 慎吾は父親の握った中トロと康弘の握ったカツオを旨そうに食べ、テレビから流れる
野球中継に目をやった。
「・・・今年も、亮太は調子いいね」
「あいつ、今年は3冠取るんじゃない?」
「今のままなら首位打者は確実だよね」
彼らの幼馴染の1人である久瀬亮太は高校を卒業後、ドラフト1位でセリーグの球団に入った。
入団2年目までは、慣れない木製バットの所為か思うような結果が出ず、1軍に出る機会も
殆どなかったが、入団3年目にして、頭角を現した。
 当時「眠れる龍」とまで歌われた亮太は、今や球団の主砲にまで成長している。
テレビの中で、亮太がバッターボックスに立つと、球場の応援は一段と華やいだ。
「行け!亮太、打て!」
慎吾がコップを片手に手を上げる。康弘も父親も母親も、そしてカウンターにいた他の客で
さえも手を止めて、画面の中の亮太を見つめた。

   ピッチャーが振りかぶる。スライダーが得意なピッチャーだ。慎吾は上げた手をぐっと
握った。
 初球の外角甘めに入ったボールを、亮太は綺麗にスイングする。
「行けー、入れー!」
慎吾が叫ぶと、テレビの中の声援も一段と大きくなった。
 亮太の放った一打は、綺麗な円弧を描き、スタンドへと吸い込まれていく。
「いっけー!やった〜!」
慎吾はコップの中のビールを一気に煽ると、隣で見ていた康弘の母親とハイタッチする。
「おばちゃん、亮太すごいね」
「ホント、こんな子があんた達の同級生なんて、信じられないわ」
母親はダイヤモンドを回る亮太の姿を目を細めて見た。
「お前達の幼馴染は、2人も『若き天才』がいるんだからなあ」
康弘の父親でさえも、ため息を吐いて、テレビの隣に貼ってある、亮太のポスターを眺めた。
その下には何年か前に亮太が来たときに書いていったサイン色紙も貼り付けられている。
「おっちゃん、いつも旨い寿司ありがとう」とサインの横に書いてあるそれは、幼い頃からの
知り合いの証として康弘の両親はとても誇りにしていた。
 慎吾も釣られて、そのポスターに目をやる。ポスターの方は毎年張り替えられていて、今年
は、ホームランを打った後のガッツポーズの瞬間の亮太の姿だ。
「あれ?」
 慎吾は亮太の隣に、寿司屋には似つかわしくない高貴なイメージが漂うポスターが、
貼り付けてあることに気づいた。
「・・・おばちゃんがあのポスター貼ったの?」
「ええ、そうよ。駅前のレコード屋で配ってたから」
「相変わらず、嘘臭いよな」
康弘がそれを見て苦笑いする。慎吾もポスターの中の綺麗に笑った顔を見て頷いた。
「松下満、凱旋コンサート――魅惑のチェロのしらべ、だって。まっちゃん、また一段と
営業スマイル上手くなったね。あ、でも日本に帰って来るんだ。こっちにも来るのかな」
「駅前のホールに来るらしいよ」
「へえ、じゃあ、また皆で集まれたらいいなあ」
慎吾は手酌で瓶ビールをコップに注ぐと、それを一気に煽った。
「・・・そうだな」
そんな姿を康弘は少しだけ複雑な顔で見ていた。




 東京の夜は孤独だ。
相場翔は、首の周りを締め付けて汗ばむネクタイを緩めながら、明かりの付いていない
部屋へと入る。
 1人暮らしを初めてもう8年以上経つ。東京の大学に進学して以来何度か引っ越したが、
翔は相変わらず1人暮らしのままだった。
 誰かと関わり合いたくない、1人で生きていたい、そう思うときもあれば、人肌が恋しく
なるときもある。
 抱きたいと思えば身体だけ重ねる相手はいくらかいた。
だけど、彼女達とは身体を提供しあう関係であり、そこから甘い生活に発展することは
ない。実際、相手にその気があっても、翔が一線引いてしまうのだ。
 その原因が何であるのかは翔にははっきり分かっている。けれど、原因が分かっている
からと言って、直せるものかといえば、それはまた別の問題だ。
 翔は、リビングの明かりを点けると、スーツをソファーに放り投げた。
冷蔵庫から冷えたビールを取り出して、テレビを付ける。深夜のスポーツ番組が、今日の
プロ野球の試合を伝えていた。
『・・・それにしても、久瀬選手の今日の一発はいいところできまりましたね』
『ここぞというところで主砲が魅せましたね。彼が4番を任せられてる理由がよく分かります。
私としては、久瀬選手は3番でもいい気がしますが、1発を持ってるので・・・』
解説者と司会者が、亮太の試合を振り返っている。
 翔はソファーに沈み込むと、試合結果のVTRを眺める。
もう、何も思うことはなかった。
こんなにも自分と亮太はかけ離れすぎた。どんなに走っても追いつくことの無い距離まで
突き放されてしまえば、そこに悔しさや嫉妬など生まれるはずも無かった。
 翔はあの夏の日以来、バットもグラブも一度も触っていない。見たくもないと思って、
捨てようかと思った。しかし、実際には捨てることも出来ず、実家の納戸の中で眠らせた
ままになっている。
 亮太は高校時代、甲子園を2連覇という偉業を達成した。球場にはスカウトが沢山押し寄せ
ていたし、実際亮太のドラフト指名は5球団にも上った。
 10年に1人の逸材、そう歌われた天才。その影で引き立て役になることが許さなかった自分。
惨めだったのは、そう思っていた自分なのかもしれない。
ただ、翔は野球を止めた後も、亮太の幻想に囚われ続けたままだった。
亮太は野球を止めた自分を責めた。自分が原因であるにも関わらず、自分から逃げること
を許さなかった。
 離れるのは嫌だと言った亮太に、翔は絶望を感じていた。

 亮太は、亮太自身より野球の才能の無い自分に、惚れていたのだという。その事実を聞か
された翔は混乱し、そして誓った。
 亮太の才能に嫉妬し続けた自分と、そんな自分に惚れている亮太。共に落ちるところまで
落ちてしまえばいいと。
 奈落の底で自分は亮太を笑っていよう。こんな卑劣な自分に惚れた亮太をあざ笑っていよう、と。

 17の夏に、亮太に抱かれて以来、その思いだけで生きている。
この先、どんなに亮太に抱かれても、こいつにやるのは自分の抜け殻だけだ、心は何時も
憎しみで満たしているんだ。
 あれから10年。
不毛な関係はずるずると続き、翔はそんな関係にすら疲れを感じている。
自分達がどこに向かっているかなど、分かるはずもない。ただ不健全な精神のまま、亮太は
健全に生活し、実際驚くほど好成績を修めている。
 一方で、翔は東京のソフトメーカーに就職し、プログラマーとして日々の仕事に追われて
いる。亮太のような輝かしい功績など一つも無く。


 もう、終わらせたい・・・


 無限ループの中で、出口を探してもがいている。いや、実際、願っているだけで、もがく
ことも諦めているに等しかった。
 自分の幸せがどこにあるのか、翔はわからない。求める場所はどこなのか、その姿が見えない。


 今日も、505号室のチャイムを鳴らす音がする。
翔はテレビの電源を消すと、静かに玄関へ向かった。自分の中で暴れる鳥を迎え入れるために。







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