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青い鳥はカゴの中で




 満は翔の部屋の前に立つと、部屋の中に翔がいることを知っているかのように、チャイム
を鳴らした。
「満!?」
玄関のドアを開けた翔は、そこに涼しい顔で立っている満に狼狽する。
「どうしてここに・・・・・・」
「亮太に聞いた」
満は微妙にずれた答えを口にすると、翔に構うことなく部屋の中へと入った。
「ちょ、ちょっと・・・待てよ」
「何」
振り返った満は、少しだけ怒っているようにも見えた。



 病院で、亮太に喧嘩でも吹っかけるような口調で満は翔の部屋を聞きだすと、その足で
翔の部屋へと向かった。
 他のメンバーを置いてきぼりにして、満は病院を出てしまったのだ。
翔は仕事で来られないと悠に話していたが、満は翔が家にいることを確信していた。
そんなのは口実なことぐらい、悠だって見通してるだろう。
「・・・・・・で、突然何?」
部屋に入ると、満は迷うことなくソファに座る。翔は呆れていた。
 満は顔だけ翔を振り返ると、ニコリともせず言った。
「いいとこ、住んでるじゃん」
「そうか?」
真意を読み取れなくて、翔の眉間に皺が寄る。満はその顔を見つめて、淡々と続けた。
「お前等、心中ごっこでもしてんの?」
「・・・・・・なんだ、それ」
そんなはずはないのに、ギギっと心臓が軋む音がする。古い扉を無理矢理こじ開けたとき
みたいな、耳を塞ぎたくなるような音。
翔は、なるべく心を平静に保つように自分に言い聞かせた。立ちすくんでいるのを悟られ
たくなくて、ソファのラグの上に直接座る。しかし、床に座ると、満に見下されている様
で、気分のいいものではなかった。
 満の銀縁のメガネが反射して、チクチクと目を刺激する。
「2人とも窒息死しそうな顔してさ。それ、新しい遊び?楽しい?・・・・・・っていうか、亮太
今日退院だって」
「そう」
「そういう情報は興味ない?それとも、もう知ってるとか?」
「知らないよ。あいつから連絡なんて来ないし」
満はその答えを、満足げに聞く。
「亮太がどうなろうが知ったことないって見えるけど」
「・・・・・・なんだよ、いきなりやってきてリョウの話なんか初めて!」
こんな風に、いきなり核心を突いてくる満は初めてだ。何を狙ってる?自分に何を仕掛け
ている?
 満の手の内が見えない。迂闊に口を聞いてはならない。
「そうかな。病院にお前の姿が見えなかったから、寄ってみたって当然のことじゃない?
幼馴染全員が集合してるっていうのに」
「それは・・・・・・」
「仕事って来てみれば、ちゃっかり家でくつろいでるし」
見透かされた言い訳であることは十分分かっていた。だけど、今、亮太に会う気にはなれ
ない。こんな、自分でも制御できない気持ちで揺れているのに。
「・・・・・・大体、俺は満に怒ってるんだぜ?」
「なんで?俺、お前に怒られるようなことした?」
「満、マジで怒るぞ」
見上げた満は、顔の筋肉を少しだけ緩めた。
「あー、はいはい。この前は悪かった。言い過ぎた」
「嘘くさい謝罪なんていらないっつーの」
翔はローテーブルの上のタバコを1本引き抜くと、口に咥える。火を付けた後で満にも勧めた。
「俺、タバコ止めたの」
満はその手を制して、首を振る。
「満が?」
「そ。悪い?ヤニ臭い手で楽器なんて持ちたくない。汚したくないし、健康第一」
「合理的な考え」
「ガキのタバコは二十歳まで、ってな」
だったら、あの頃、隠れて吸っていた満もガキだったんだろうか。
 肺の中に入れると、軽く脳の中が麻痺する気がした。それで、翔も、漸く唇の筋肉を釣り
上げて笑った。

「亮太、日本シリーズには出る気らしいぜ?」
「あ、そう。怪我が治れば、あいつなら出られるだろ」
「リーグ戦捨てて、三冠。不戦勝みたいだな」
「いいじゃない?手に入るんなら」
どんなことがあっても、称号を手に出来るのなら、亮太は素直に受け入れるだろう。それ
よりも、このまま、他人に手渡ってしまう方が、絶対悔しいはずだ。亮太はそういう人間だ。
「で、ザマアミロだって?」
「!?」
「亮太が、怪我で三冠取れなかったら、そう言ってやるんだろ?」
「悠か・・・・・・」
悠が満に話したのだろう。別に秘密にしろと言ったわけではないし、悠なら誰にもしゃべら
ないでいてくれる、と思っていたわけでもない。
「そう、がっかりするな。悠はあのメンバーの中で一番心配してるんだからさ」
悠の不安げな顔が脳裏を過ぎる。好奇心でもあざ笑うでもない、純粋に人を心配する目。
翔にとって、それが何よりも重い。
 放っておいてくれればいいのに。悠の優しさの前では、そう叫ぶこともできなかった。

「あいつなんて、もう、どうでもいいんだ」
吐き出した煙と共に、亮太への想いが零れる。満はその煙を無言で追った。
「・・・・・・」
ザマアミロ、罵ろうと思っていた。自分の様に、這い蹲って惨めさを味わえばいい。自分
の欲したものが後一歩のところで、手からすり抜けていく絶望を思い知れ。
 この10年間、自分はそう思っていたのではなかったのか?
いや、ずっと、そう思っていた。思っていたし、それは揺ぎ無いものだと確信していた。
だけど、今は、その気持ちに、網掛けされたフィルターが掛かって、はっきりと感じる
事ができない。憎しみや恨みが、こみ上げてこない。
 あの試合を見てからだ。湧き上がる歓声の中で、その期待を背負っても、負けることなく
ホームランを叩き出した、あの亮太の姿を見て、翔は自分の気持ちが、酷くぐらついている
ことを悟った。
 あの試合の中で、翔は何かを掴んで、そして手放した。

 翔の指に絡まったタバコを見つめて、満は言った。
「嫉妬と憧れは紙一重だよな」
「え?」
「距離が近ければ嫉妬になるし、遠くなれば憧れになる。そういうもんだ。思いは浄化され
るし、何時までも同じ気持ちでいるのも難しい。信念なんて所詮そんなもんだ」
満は自分の僅かな感情を読み取っているのだろうか?
 タバコが無駄に灰に代わり、指からそれが零れ落ちる。灰皿に形を残したまま落ちた灰。
翔は、それが亡骸のように見えた。

 憧れ。
その言葉は、自分の感情を酷く逆撫でる言葉だ。
亮太をそんな風に見てる自分は、完全に敗北している。求めるのは亮太であって、自分
ではない。
 けれど、飛んでくるホームランボールに、心が揺れたのは事実だ。拳を握って、ガッツ
ポーズを決める亮太に、見惚れていた。
 翔は脳裏に張り付いた記憶を拭き去るように、首を振った。
「翔が、会社を辞めようとしたのも、亮太から逃げ出したいのも、現状に飽きてるからだ」
「・・・・・・」
「お前が変わろうとしてるのが本当なら、そこにある本心から目を逸らすな」
(本心?俺の本心?リョウへの想いは・・・・・・)
「そんなの・・・・・・」
分からない。流動的に動き出す気持ちを捉えられない。
 殆どを灰で終わらせたタバコを灰皿に押し付けると、翔は頭を抱えた。


 押し黙った翔を見下ろしながら、満は言った。
「お前さ、そんな分かんないなら、他の男に抱かれてみればいいのに」
頭上から降ってくる言葉に驚いて、抱えた腕を外す。見上げた満の顔は呆れている。
パンがなければ、菓子を食べればいいと言った人間は、それが至極当然のことだった。今
の満の発言は、それに似ていると翔は思う。満の当たり前が、自分には理解できない。
 満の発言の意味が分からずに、2度、心の中で満の言葉を考えた。
「何言ってんだよ・・・意味がわかんない!」
「亮太ばっかりと、泥沼セックスしてるから、自分の気持ちがわかんなくなるっつってんの」
「!!」
世話が焼けるオジョウサマだこと、満はそう続けた。
「満!!」
プライベートをいきなり指摘されて、翔は顔が熱くなる。満は、亮太が自分を抱いたことを
知っている。少なくとも10年前、満の部屋で自分が抱かれたことは、気づいているはずだ。
 だけど、それ以上、どんな関係であるかなど、一度も明確に言った事はない。
「お前に、なにが分かるってんだ!」
自分がどんな気持ちで、亮太に抱かれたのか、満になんて分かるはずがない。所詮満だって
亮太と同じ側に立つ人間。天才に、凡人の気持ちなど、分かるはずがない。
 この苦しみが、この悔しさが、お前に理解できるはずなど、ない!
 叫んだ翔とは相対的に、満はどんどん静かになっていく。


「翔、お前、本当に何にも分かってない?」
満の顔に表情がなくなる。厭味も笑いもない、能面のような表情に、翔の心が揺れた。
「分かってないって・・・どういうことだよ」
暫く見詰め合って、満は首に手を当てて、目を閉じる。
「鈍感なのか、鈍感になったのか、分からないけど、いい加減目を覚ませよ」
そして、次の瞬間、満は翔の腕に手を伸ばした。
 右腕を掴まれて、驚いて引っ込めようと抵抗したが、それ以上に強い力で翔は引っ張られる。
満にこんな力があるとは知らなかった。
「痛っ・・・離せ、何掴んでるんだ、馬鹿力」
嫌がる翔に、満は更に力を入れた。
「チェロって結構力いるんだぜ?よくチェロ弾くとき、女を抱きかかえるようなカンジで
とか言うだろ?・・・・・・毎日女、かかえてれば力も付くさ」
腕を掴まれる力が加わるたび、満の左腕の筋肉が浮き上がる。翔は怯えた。
 なんだ、この恐怖は。身体が瞬間的に危険を察知する。逃げなければと、どこからともなく
警告音が聞こえてくる。耳鳴りだ。

  「や、やめ・・・」
「音楽家って、男色家多いジャンルって知らない?」
「満、真逆・・・!」
満は不敵に笑う。
 体中の細胞が、ざわざわと不快感を現して、翔は叫んだ。
「嫌だ!離せ!」
満は翔の白い腕を引き寄せた後で、ソファーの上に投げ倒した。血液の流れが変わる。頭
に血が昇った。
 ソファーに押し込まれた衝撃はそれほど強くはなかった。けれど、胃の中が熱く、痛い。
 真上に満の顔を見て、翔は自分が今どういう状況なのかを知る。

「どういうつもりだ」
「翔みたいな阿呆は、心より、身体に聞いた方が手っ取り早い」
ソファの上で翔はもがく。なのに、両手も両足も見事に満に押さえつけられて、身動きが
取れない。
 満に、どうしてこんな力があるんだ。どうして、自分にはこんなに力がないんだ。
体格も運動神経も、さして変わらなかったはずなのに。
頭の上で両手を押さえ込まれ、満の顔が近づく。
「どう、聞こえてきた?」
「な、にを・・・」
「お前の本心だよ」
満の顔がおもむろに笑い出す。翔が眉間に皺を寄せながら首を振った。
「わかんねえよ!」
何が本心だ!何を引きずり出そうとしてる!?
 満が、自分を押し倒してる意味がまるで分からない。ただ、そこにあるのは嫌悪、もしくは
恐怖。
「退け!」
「暴れるなって。メガネがずれるから」
「退け、この馬鹿!!」
しょうがないヤツ、満は呟いて、翔の首に顔を埋める。
 首筋に満の息が掛かると、翔は背筋が凍るほど嫌悪感が走った。
嫌だ。嫌だ。首を振って逃れようとすると、今度は唇が吸い付いてくる。
「!!」
何をしている?翔の感覚がそこに集中した。
 這わされた唇の生ぬるさ、ねっとりと走るその動き。全てに覚えがある。すぐ近くに
あって、亮太が翔を快楽へと導くその手順。
 亮太と同じコトをされているのに、吐き気がするほど気持ち悪い。
 いつも亮太が座るソファの上で、自分は何をしている?見えない亮太の気が、自分の不様
な姿を冷ややかに攻撃している。
 胃の痛みは満が近づくほど激しくなった。

 違う、満に抱かれたりなんてしない!
俺は、そんなこと望んでない。誰にも抱かれたいなんて、望んでない。
こんなのは、悪い夢だ。俺は、俺は・・・・・・
助けてっ・・・・・・・・・

「・・・リョウ・・・・・・」
 無意識の内に、翔は亮太の名前を発した。満はその声に気づき、喉の奥で笑う。




 ダン。
突然激しい音がして、リビングの扉が開いた。
翔はその音に身体が痙攣するほど、反応した。満の腕をどかそうと足掻き、頭を上げて
その音の原因を知る。
 満は緩慢な動作で、後ろを振り返った。
「リョウ・・・・・・!?」

 そこには、真っ赤な瞳で満を睨みつけている亮太が、息を切らせて立っていた。







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