青い鳥はカゴの中で
「リョウ、自分が調子悪いからって、俺に当たるな」
「当たってない」
翔の腕を掴んで壁際に押しやった亮太に、翔は睨みあげている。
「じゃあ、なんなんだよ!!来るなりいきなりこんなことしやがって。俺はお前のおもちゃ
でも八つ当たりの道具でもない!!」
「違う、そんなんじゃない!」
荒い息がぶつかり合って、間が出来る。翔は、皮肉な笑みを湛えた。
「・・・・・・お前、世間で何て言われてるのか知らないわけじゃないだろ?」
「・・・・・・」
「そうだよなあ、知らないわけないよな。超大型ルーキーだって騒がれて、ドラフトで
取ってみれば、2年も不振続き。いい加減世間からも見放されてるってな」
「うるさいっ」
「所詮、お前のピークは高校生までだったんだろ」
「翔っ」
「うぐっ・・・」
掴まれた腕に力が入る。プロに入って2年。亮太の身体は高校の頃より遥かに出来上がって
いた。そんな力強い手に握られれば、翔の軟い腕など、直ぐに折れてしまいそうだ。
「痛っ・・・離せ、馬鹿力」
「お前が・・・」
「な、何だよ、俺の所為かよ?お前が打てないのは、お前の所為だろ!俺は関係ない。
お前が勝手に落ち込んでるだけで、俺に当たるな、馬鹿」
「当たってない」
「はん、だったら、何だ。俺に慰めてでも欲しいのか。頭撫ぜてよしよしいい子だって、
そんな想像でもしてたのか」
「違う、俺はお前にそんなこと求めてない」
「じゃあ、何だよ。何を求めてんだ。俺はお前になんて何にもやらないからな。お前は
そこで苦しんでろ」
亮太の手の力が弱まる。翔の歪んだ顔を見て、顔色を失くしている。今の一言は、思いがけ
なく、亮太に効いているらしい。
自分の味わった屈辱を、亮太も今味わってる。自分の悔しさが亮太に分かるだろうか?
翔は傷つく亮太に追い討ちを掛けた。
「はん、ホントは苦しんだろ?打てなくて自分の思い通りに行かなくて、悔しいんだろ。
・・・・・・ざまあみろ」
ばしっと小気味よい音が響いた。亮太の大きな手の痕が翔の右頬に浮かび上がる。
「痛っ・・・何すんだ、リョウ!!」
「お前は・・・翔は・・・黙って俺の傍にいればいいんだ」
「勘違いするな、俺はお前のものじゃない!!」
翔は亮太の腹筋めがけて膝を蹴り上げた。
「うっ・・・」
亮太の身体が翔から離れる。蹲る亮太に翔は冷たく言い放った。
「帰れ、二度と来るな」
腹を抱える亮太の表情は見られない。呟く声は翔まで届かなかった。
亮太は無言で立ち上がると、翔の部屋を後にした。
亮太が不振から抜け出すのはそれから3ヵ月後、3年目のシーズンに入ってからだった。
「・・・翔?」
隣で悠がこちらを覗っている。
「え?」
「大丈夫?」
「何が?」
「・・・・・・満の演奏終わったのに、拍手もしないでじっと固まってるから・・・・・・」
顔を上げれば、ステージの上で満が軽やかに手を振っている。
「ああ、うん。大丈夫」
満の演奏は、嫌な思い出を喚起してくれる。
初めて満の演奏を聞いたのは、成人式の式典の時だった。
小学校の体育館で式典の後で「七根小の羽ばたける若人7人」として、満がステージに
上がってチェロを弾いたのだ。
クラスメイトのため息、将来が楽しみだって騒ぐ女。拍手の渦の中で翔は苦い思いを
描いていた。
その後に出てきた亮太は、プロ2年目。2軍の成績も大して誇れるものではなかった。
それでも、盛大に応援する周りの大人に、当の本人ですら苦笑いするしかないほどで、
同じ「天才」と謳われる満に何歩も遅れを取っているように見えた。
ああ、そうだ。あの喧嘩は、式典の後のことだ。
翔は思い出を紡ぐ。
20歳。大人の証。自分達は何一つ大人になんでなれてなかった。
翔は満の専門のことをよく知らない。音楽家なんてものは自分の人生の中で尤も関わり
のない人種の一つだ。
ただ、満の奏でる音というのは、世間で評価されているものとはちょっと違うと思う。
「妖艶」だとか「奥行きのある音」だとか、それが満自身を評価しているとすれば、世間
の評価なんてものは、何の役にも立たないとも思っている。
満の奏でる音はとてもおおらかだ。器の大きい、自分を包むような。そして、人を虜に
したら、あとは、その器の中で踊らされるだけだ。
優しい顔をして、来るものを拒まず招き入れる。そしてあとは、勝手に落ちて行くのを
高みからあざ笑っているだけだ。
それを「妖艶」だというのなら、そうなのかもしれないが。
満の性格はそのまま音に出ていると、翔は思った。
アンコールの拍手が鳴り響く。鳴り止まない拍手に、翔は苦笑いした。
幕内に引っ込んだ主役を拍手が引きずり出す。満は、ラフな格好に着替えると、愛器と
マイクを携えながら、再び壇上に姿を現した。
「何、まだ聞きたいの、俺の演奏」
会場の拍手が一層大きくなった。
「それじゃ、満の凱旋コンサート成功を祝して、かんぱーい!」
ジョッキがぶつかり合う音を立てて打ち上げは始まった。
コンサートが終わった後、白井寿司に場所を移動して七根小のメンバーは集まった。
康弘と康弘の父が手際よくネタを握っていく。準備が出来るまで、康弘の母が用意した
つまみで、幼馴染達は盛り上がった。
「まっちゃん、お疲れ〜。でもあのポスターはやり過ぎだよね」
慎吾が壁に張られたポスターを指差して笑った。
「何がやりすぎなんだ。完璧な営業スマイルと言って欲しいね」
「うそ臭いよ」
「仕事だからな」
満は鼻で笑った。
「慎吾、お前こそ、学校の先生なんだって?」
たっぷりと笑いを含んで満は正面に座った慎吾に言った。
「そう、もう5年目だよ。今年なんて6年生担当して、もう大変なんだから」
「慎吾、堤先生と同じ学校なんだって」
悠が話に加わる。満は目を細めた。
「ふうん、それで、この打ち上げに堤先生も来るかもなんていう話だったんだ」
「結局都合が悪くて来られなくなっちゃったんだけどね」
「慎吾が堤っちと同じ学校で、同じ先生なんてねえ」
満の笑いは他の3人にも感染する。
「なんだよー」
「子どもと一緒に怒られてるに100円」
「まっちゃん!!」
慎吾の叫び声に笑いが上がった。
「みんな同じこと言うんだからさ・・・やんなっちゃうよ」
慎吾はビールジョッキを口に当てながらぼやいた。その姿を仕方ないといった視線で皆が
取り囲む。
小学生の頃、慎吾は身体が小さく、周りの子どもからも同級には思われていない節があった。
彼らが好きだった野球も探検も、同じように遊んでいたが、どこか弟と遊んでいる気分に
なることもあった。
そのもっと前は病弱な身体だったのだと慎吾はずっと後になって言っていた。その身体も
年を追うごとに、人に遅れながらも着実に成長した。
今では成人男性と変わらない。
「で、堤っちは元気なの?」
「え、ああ。うん。そりゃもう元気、元気。でもまあ、あの頃みたいに怒りまくったりは
してないよ」
「っていうか、皆が怒られすぎてたんだよ、あれは」
そう悠が言うと、他の4人が一斉に反論した。
「なんで、そこに自分は入ってないんだよ」
「そうそう、悠だってりっぱに怒られてた」
「悪ガキは6人だったって、堤先生も言ってたし」
「えー、僕は慎吾と満に引きずり込まれただけなのに」
「悠だけいい子でいようなんて、甘いな」
翔もあの頃と同じように軽快なしゃべりでその場を盛り上げた。
亮太がいないというだけで、翔は自然と子どもの頃に戻っていた。自分にも楽しい時は
あった。慎吾や亮太と馬鹿みたいに騒いだり、満とゲームで競ったり、誰にでもある小学生
時代を翔も過ごしてきた。
「そういえばさ、昔、皆でさんかく山に死体探しに行ったことあったよね」
慎吾が懐かしいとばかりに言う。
「夏休み入って直ぐだったな」
「そうそう、満が言いだしたくせに、結局、満は行けなくて・・・あれ、あの時、悠いなかった
んだっけ」
「僕、違うクラスだったから。あの時、僕皆と一緒じゃなくてよかったってホント思った。
・・・けどさ、あれってホントに死体見つけたの?」
悠が聞くと、カウンターから寿司を持って康弘がみんなの前に差し出しながら言った。
「あったよ、ホントに。さんかく山の向こうって川原があるだろ?あそこって、自殺の名所
でさ、山から崖下に落ちるんだよ。で、自殺した人を探しに行こうなんて満がいいだして、
俺達、まんまと満の罠に掛かったってわけ」
あの事件で、七根小の5人は有名になった。夏休みの注意事項の中に「さんかく山には立ち
入らないこと」という注意があったにも関わらず、彼らはそれを破った。それどころか、
発見した死体を前に、怯えてしまい、夜までその場で動けなくなっていたのだ。心配した
親たちが学校に連絡し、家にいた満に居場所を吐かせて、彼らは漸く発見された。
彼らは校内で一躍ヒーロー扱いされたが、学校側にはこっぴどく叱られたことも確かだった。
「大体、満がスタンドバイミーごっこなんてしようとするからいけないんだぞ」
「可愛い子どもの発想じゃないか」
翔が言うと、満は悪びれもせず首をすくめた。
「でも、あの時、一番初めに見つけたのって、亮太だったよね?」
慎吾は翔に向かって首をかしげる。
「・・・・・・」
慎吾の一言はいつも翔の心をかき乱す。亮太の話はこれ以上思い出したくないのに、平気で
その門を突破してきてしまう。
満はそんな翔の顔色に気づきながらも、慎吾の話に乗った。
「違う、翔だろ。お前、自慢してたもんな」
「そうだっけ。忘れた・・・・・・慎吾が死体みて大泣きしてたのは覚えてるけど」
「そうそう。あんとき、慎吾号泣して、大変だった」
康弘はうんうんと頷いて、自分の握った寿司を口に運ぶ。
「オ、オレ、泣いてた?」
「号泣して、宥めるの大変だったぜ」
「そうだっけ」
慎吾は恥ずかしそうに頭をかいた。
「あの時、一番冷静だったのは、意外と亮太だったんだよな。翔なんて放心してたし」
康弘の言葉に、満が頷いた。
「あの時、本物の死体を見たことあるの、亮太だけだったんだ。あいつの家、祖母ちゃん
が亡くなった後だったんだよ、確か。まあ、でも死体見ても、動じずに慎吾慰めるくらい
の大物っぷりは昔からあったってことだな」
「・・・・・・亮太、元気かなあ」
慎吾の一言に、周りが沈黙した。
思い出の中から一気に目が覚めた。
ここに亮太がいないことの、不自然さを誰もが感じていたのに、声に出したのは慎吾だけ
だった。
悠は気遣っていたはずだ。満は何を思っているのか翔には分からない。康弘は悠ほどでは
ないが、何かしら思うところがあるのだと思う。そういう目をしていた。
天真爛漫の言葉をほしいままにして育った慎吾は、未だにどろどろとした人間関係が
苦手だ。ましてや、幼馴染の中でそんなことが起きてるなどと、想像もしてないだろう。
「どうなの、亮太の様子」
満が翔に向かっていった。
「・・・・・・テレビで見る限り、いい感じだと思うけど」
「翔、会ってないの?」
慎吾が不思議そうな顔をした。
「あっちはプロだぜ?そうそう会う時間があるかってーの。俺だって仕事忙しいし」
「そっか。まあ、オレ達だって何年かに1回しかあってないもんね。でも、翔と亮太は何か
特別って感じしたからさー」
「特別?」
「うーん、なんか特別な幼馴染っていうか。何でも分かり合えていいなあって」
慎吾の言葉はそこに他意がないからこそ痛い。
「特別・・・」
呟く翔の顔が曇った。
「特別、ねえ」
満はそれを見て、ニヤニヤと笑う。悠が困った顔で2人を見つめた。
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