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はしま道中流離譚―俺とあなたに架ける橋―



 odyssey――ホメロスの作とされる古代ギリシアの叙事詩であり、英雄オデュッセウスの
貴種流離譚。また、それが転じて、長い放浪の旅の意味を持つ。



 何十台と僕の前を車が通り過ぎていく。もうかれこれ2時間近くこんな調子だ。昼間の
暑い太陽もそろそろ和らいできそうだ。
あー、腹減ったな。飯食いたいな。でも、金ないしな。
さっきコンビニで極太黒ペンを買ったら、所持金90円になった。これじゃ、ツナマヨ
おにぎりだって買えやしない。
 ・・・あ、あそこに落ちてるの、1円かな。100円だったら、おにぎり買えるな。でも、拾い
に行ってゴミだったら、虚しすぎる。やはり、ここからアレが1円か100円か、ゴミなのか
見極める必要がある。
 5メートルくらい先の溝の中に光る小さな金属から視線が外せなくなった。それでいて、
その場所から離れるのも、この体勢を崩すことも出来ない。
 だって、さっきから2時間、ずっとこのままだっていうのに、今コレ止めた瞬間、救いの
天使様とニアミスになったら、それこそ100円の騒ぎじゃなくなる。
 小島直哉、人生をかけた選択だ!


 僕は国道10号線の前で、ずっと手を上げている。掲げた手にはダンボール。そして、
そのダンボールには、さっきコンビニで買ったペンで


「神奈川まで乗せてください」


と書きなぐってあった。
 やっぱり、こんなのって無理なのかな。ヒッチハイクなんてした事もなければ、やり方
だってわからない。だけど、家には帰りたいし、金はない。おまけに、多分仕事もない。
 クビなのか退職扱いになるのか分からないけど、どっちだって同じ事。
もうあの会社には行けないのだから。

 ああ、あと車50台に無視されたら、あの溝の金属確かめにいこう。お金だったらソッコウ
コンビニ行きだ。
そう思ったら少しだけ元気になった。
1台、2台、3台・・・。トラックにセダン、ワンボックス。贅沢は言わない。この際、軽でも
軽トラでもいい。乗せてもらえるものならば、僕は何にも言いません。
 10台、11台、12台・・・。トラックが5割に「わ」ナンバーが2割。地元の「大分」ナンバー
が2割で、あとは九州の他県。本州のナンバーなんて、トラック以外でまず見ない。
 こんな日本の隅っこまで、車で来る東京人なんているわけがないんだけど。
頭上の看板を見上げれば「ようこそ、別府温泉へ」と書いてある。大分はどこに行っても
温泉だらけだ。街のあらゆるところから、蒸気が噴出していて、いかにも温泉天国ですと
言った感じだった。湯布院も相当温泉天国だったけど、あっちの方はもっと高級感に包まれて
たと思う。こっちは庶民的なイメージ。実際に入ったことはないけど、温泉の成分とかも
違ったりするんだろうか。
35台、36台、36台・・・。あ、余計なこと考えてたら、数え間違えた・・・まあいいや、37台、
38台・・・。
中には何台か車の中から目が合って、停まってくれそうな人もいたんだけど、停まりそう
になりながらも、後ろの車を気にして停まれなかったり、気が変わってそのまま行って
しまったり。
 47台、48台、49台・・・。はあ、やっぱり無理か。よし、あの金属を確かめに行こう。

「50台!休憩!」
やっぱりダメだ。アレがお金だったら、とりあえずコンビニ行っておにぎり買って休憩!
 そう思って、手を下ろした瞬間、目の前を通りすぎた黒いミニバンが5メートル先でハザード
を点灯しながら停車した。

「・・・!?」
え?真逆!?停まった?僕の為?僕のダンボール見てくれたから?
 ・・・どうしよう。お金もどきは逆方向なんだけど。金に賭けるか、あのミニバンに賭けるか。
 右足と左足が別方向に向かってしまいそうだ。・・・そうだ、例えばダッシュでお金を確かめた
あとで、ミニバンに近寄るってのは?
 でもお金もどきの方に行った瞬間に、怒って走り出しちゃったらどうしよう。2時間以上
待って初めて捉まえられた車なのに。
 固まって動けないでいると、助手席の窓が開いて、中から、腕だけがにょきっと出てきた。
運転席から無理矢理伸ばしてるその手が僕を呼ぶ。

 ああ!神様、女神様、救いの天使様!
僕ははじけるように、ミニバンに近づいた。
「あの、神奈川まで、本当に乗せていってくれるんで・・・」
窓の中に向かって叫んだ僕は、そこで固まった。
「うん、いいよ。急いでないのなら。乗りなよ」
「あ・・・」
「あ?」
見惚れていた・・・わけじゃないと思う。顔はまあそこそこだし、白いTシャツから伸びた腕
は健康そうに日焼けしている。好青年だ。けど。
「わ、若い・・・」
この顔はどう見ても、大学生だよな。僕よりも若いだろう。どう頑張っても30代には見え
ないし、25歳以上って言ったら、相当若作りだ。
 こんな自分よりも若い(推定)子にヒッチハイクなんて頼んでもいいんだろうか。今更
体裁整えてる場合じゃないけど、こんな3ナンバーのデカイ車に若造が乗ってるって言うの
も、怪しいし。
 僕がじりじり考えてると、運転席から、さっきよりも早口の声がする。
「乗るの、乗らないの?ここあんまり停まってると後ろ詰まるし」
ええい、考えるのはとりあえず乗ってからだ。さすがに取って食ったりする類の人間じゃ
ないだろう。金払えって言われたら、神奈川まで着いたら幾らでも払うさ。

 心は決まった。この車に乗って、神奈川に帰る。
「乗ります。乗ります。乗せてください。お願いします」
「うん、じゃあ、乗りなよ」
頭を下げると、車のドアに手を掛ける。そうして、ドアを開けようとしたとき、僕は人生
の選択中であったことを思い出した。
「・・・あ、でもちょっと待ってて!」
そういうと、コンビニで買ったマジックとダンボールを車の中に放り投げ、さっき来た方へ
猛ダッシュ。更に5メートル進んで、溝の中を確認。

「あー!500円!」
なんてこった。こりゃまいった。拾いに行ってよかった!
 二兎追う者、あきらめてはいかん!これ教訓。
ほくほくした気持ちで車に戻ると、今度は迷い無く乗り込んだ。順風満帆。きっと上手く
行く。無事、帰れる筈だ。




「んで、名前は?」
乗り込んで直ぐ、車は走り出した。乗り慣れない車に、お尻がモゾモゾして居心地が悪い。
しかし、当の運転手はそんな様子など、お構いも無く、鼻歌交じりに運転中だ。
「あ・・・小島直哉です」
「そう。俺、板橋カケル。あんた、大学生?」
「しゃ、社会人だよ。・・・一応」
「マジで?あんた幾つ」
「24歳。・・・多分、君よりも年上だと思うけど」
そう言うと板橋翔は運転中にも関わらず、こちらの顔をまじまじと見つめてきた。
「うひゃー。世の中に童顔っているって聞いてたけど、ホントにいるんだな」
どんな感想だそれは。確かに童顔だと思う。20歳って言ってもまだいける。女の子じゃない
んだから、それで得したことなんて殆どないけど。
「そういう君は・・・」
「俺?俺は21。Y大の3年。・・・なあ、社会人って事は、のんびり帰ってたらマズイのか?」
21!大学生!やっぱり年下か。かっこ悪いよな。年上なのに金なくてヒッチハイク。家に
帰るまで、所持金590円だし。きっとご飯とかもおごってもらわないといけない。この子
だって大学生なんだから、そうそうお金あるわけじゃないだろうし。ああ、申し訳ないな。
って、あれ、何か他にも聞かれてたよね?
「ん?」
そうやって聞き返したら、運転する横顔からため息が出た。
「・・・あんたさ、よく、人の話聞かない子だって言われない?」
・・・ハイ。よくいわれます。
「だからさ、俺、神奈川帰るけど、すっげえのんびりだぜ?何日かかるか分からない。
あんた、仕事とかいいのか?」
仕事、か。どうせ3日も有休取って、皆にブーイング喰らってるんだ。そのままフェード
アウトしちゃってもいいや。
 あの社長のことだ、勝手に辞表届けでもなんでも作って処理するに決まってる。
「うん。長い休みなんだ」
そう。どこまで行っても休み。きっと。
「じゃあ、いっかー。社会人なんて拾ったの初めてだから、急いで帰れなんていわれたら
どうしようかと思ってたけど」
なんだろう。そんなにゆっくり帰らなければいけない理由なんてあるんだろうか。確かに
ここから車で神奈川まで行くなんて、軽く2日は掛かりそうなもんだけど、1週間2週間も
掛かるわけじゃないだろう。
「どこかに、寄ってったりするの?」
「うん。いろいろね」
そう言って板橋は運転しながら上機嫌になった。どこに寄っていくんだろう。疑問に思って
いると、板橋は膝の上に置いてあったデジカメを手渡して中を見るように言った。

「・・・あの・・・」
「まあまあ、いいから見てよ」
「いや、そうじゃなくて・・・どうやってみるのかよく分かんないから」
実は極度の機械音痴な僕。恥ずかしながら、パソコンだってまともに触れやしない。
 板橋はシンジラレナーイという顔をしてデジカメを取り上げると、何やらボタンを幾つも
押して、こちらに返してくる。
「その、横矢印ののボタン押せば、次の写真が出てくるから」
「はい」
手渡された写真は風景写真だった。どこだろう。綺麗だけど、有名な景勝地でもなさそう
だった。
 そして、僕は言われたように、横向きの矢印がついているボタンを押した。すると次の
写真が表示され、それもまた風景写真。更にボタンを押すと、それもまた風景写真だった。
 ん?どういうことだ?
一枚一枚の写真などじっくり見ることもせず、ただ何か自分が分かるもの(例えば隣にいる
板橋がアップで写ってる写真とか)が出て来るまでボタンを押し続けたが、一向にその気配は
なく、それどころか、永遠に風景写真、しかもよく見ればどの写真にも橋が写っている。
「なあ、どうよこれ」
板橋は得意げに話しかけてきたけど、どうって言われてもどうってことない写真ばかりだった。
「橋、だね」
それ以外の感想はない。そう呟くと、板橋は嬉しそうに、ハンドルをばしっと叩いた。
「そう、橋なんだよ!橋!」
板橋はそこでいきなりテンションが変わった。小学生のガキみたいなはしゃぎっぷりで、橋
橋、叫んでいる。
「あの・・・?」
「いいだろ、俺の橋コレクション!神奈川に帰るまでに、更に増やすからさ」
「橋コレクション〜!?」
なんだ、こいつは。橋が好きなのか?世の中には変わった人もいるんだな。驚いて、何を
言っていいのか分からないけど、きっと板橋にとって、橋を見るのは至福の時なんだろう。
 っていうか今、神奈川帰るまでに増やすって言ってなかった?
それって、もしかして・・・。

「あのさ・・・ゆっくり帰るってひょっとして」
「あったりまえ。見れる限りの橋を写真に撮って帰る」
やっぱり!
 まあ、でもいっか。橋見て写真撮るだけなら、車に乗って待っていればいいだけだし。
急いで帰る必要もないから。趣味は絶対合わないけど、なんとかやっていけるだろう。
 僕はもう一度デジカメを眺めた。どれも様々な角度から撮られた橋。コンクリートのごつい
橋や、吊り橋、石の橋。丸いアーチ型の橋や三角がたくさん並んだ橋。
 どれも板橋の橋への思いが込められている気がした。

・・・・・・。
アレ。
変なボタンおしちゃった。なんか、画面にいっぱい出てきた。あれ、なんだ、これ。
うわ、マズイ。消さなきゃ。コレか?違う。あ、コレか。・・・あ、消えた。
 勝手に電源落ちちゃった。ま、いっか。


 そこから車の中で、橋の魅力について板橋は思う存分語った。僕はそれに相槌うったり
時々眠りこけたりして、板橋の話を聞いた(と思う)。
 車は九州を脱出する方向に向かっていると思っているけど、実際どこを走っているのか
分からなかった。
 別府の辺りは海沿いを走っていたけど、いつの間にか山間の道に変わっていた。
板橋は信号で停まると、後ろの座席から黒い薄いケースを引っ張り出した。
「?」
「あんたさ、隣で座ってるだけだろ?ちょっと俺の手伝いしてくれない?」
板橋は手にした黒いケースを渡してくる。
「手伝い?別にいいけど。でもこれ、何?」
「開けて、立ち上げて」
立ち上げる?何か立つのかな。橋の立体模型とか?

 僕の予想は全く違っていた。黒いクッション素材のケースの中身は僕の尤も恐れる物体
ノートパソコンだった。
 大体、立体模型をこんなところで組み立てるわけないよね。
「ノートパソコン・・・」
「そう。立ち上げて、これ差して、ネットに繋いで」
ひえぇ。ノートパソコンといえば、天敵だ。だけど、まあ、隣に座ってるだけだし、お礼
なんて出来やしないから、これくらいは手伝わないと。
 えっと、まずこれが電源ボタンだろ?・・・そんで、このカードみたいなのは、多分ココに
入れればよくて・・・。

 ノートパソコンと格闘している間に、車は道の駅に停まった。
「『いんない』?どこ?」
「この近くに、綺麗なメガネ橋がある。荒瀬橋っていう二連石造アーチ。足が長くて、
メガネ橋としては尤も整っているといわれる橋だ。今日のブログの写真はこれにするから」
「ブログ・・・?」
ブログってあの日記みたいなヤツ?この子もつけてるんだ。・・・ていうか、橋のブログ?!
「写真撮ったり、言葉考えたりするのは俺がやるからさ、あんた、俺の言ったこと、書いてよ」
「ええ?」
「別に、言葉まで考えろなんていってるわけじゃないんだから。文字打つだけでしょ。
それくらい出来るよね」
出来るよねっていわれて、出来ませんと答えるのは、社会人として恥ずかしいことだ。
イマドキ文字くらい小学生だって打てる。
 僕だって出来ないわけじゃないけど。・・・ええい、やればいいんだろ、やれば。
「わかったよ」
「ホント?じゃあ、ネット繋いで、ブログ立ち上げて。管理メニューのパスワード教える
から」

「あ、ネット繋がった!」
僕にしては奇跡的にインターネットに繋ぐことができた。内心ドッキドキだったけど。
「ブックマークの一番上の開いて」
言われた通りすると、画面には「俺とあなたに架ける橋」と題されたブログが表示される。
なんて題名なんだ。
「そこのさ、管理メニューの中にadminってあるだろ?・・・そうそう、それ」
恐る恐る言われたことをして、なんとか管理ページに辿りつく。記事を書き込むところを
理解したら板橋は、他の設定のところも見ててもいいよ、と言った。
「なんで?」
「これから、ブログの設定変えたりするとき、あんたも覚えててくれた方が楽だから」
記事を書き込むだけじゃないのか!
 荷が重い。無理だと告げようとしたら、板橋はエンジンを止めて車を降りてしまった。
トランクの方へ回り、荷物を取り出している。
僕はその間に、仕方なく画面上にリンクされている色んなところをとりあえずクリック
してみる。

 なんだこれ、あ、プロフィールだ。ふん、ちょっとくらい悪戯しても怒られないかな。
・・・あれ、これは何だろう?押してもいいのかな。適当に触れって言ったの板橋だし、
んー、なんか起きたみたいだけど・・・。

「どう?大体の仕組み分かった?」
板橋はトランクから三脚を取り出していた。
「うん。多分」
「よっしゃ。じゃあ、任せるよ。あ、デジカメ取って。ブログのページに戻りたかったら、
もう一回ブックマークから拾って」


 僕がブックマークからブログの画面を開いたのと、板橋がデジカメの画像を開いたのは
多分、同時だった。
「え〜〜〜〜!?」
「あ〜〜〜〜〜!!」
同時に叫んで、
「え?」
「あ?」
同時に顔を合わせる。そして、次に出た言葉もこれまた一緒だった。

「消えてる!」

 焦ったのは当然板橋の方だった。
「無い!デジカメの写真、一枚もない!・・・あんたさっき何したんだ!!!・・・って、ブログ
の記事も消えてるじゃん!!!」
「・・・・・・」
だから、僕に機械を触らせるなって言ったんだ。(いや、言ってはないけど)
「ごめん」
「・・・・・・なんだよ、あんた、ホントに機械音痴なのか。それとも破壊魔か」
板橋の泣きそうな声に、僕だって申し訳ないとは思うけど・・・。
「ごめん・・・」
それくらいしか、言う言葉は見つからない。


「・・・・・・もういい。ちょっとパソコン返して」
板橋は本当に涙ぐみながら、僕が消してしまったブログを見つめた。
 僕は手伝いすらまともに出来ない。情けないな。
隣で落ち込んでいると、板橋は誰かに電話して、ブログの復旧方法を聞き始めた。その
言葉のやり取りの殆どは僕には理解できなかったけど、たった一つ尤も重要な言葉だけは
理解した。
「じゃあ、もう元には戻らないっていうのかよ・・・」
電話を切った後、板橋は、恨めしそうに、僕を見て言った。
「あんた、二度と俺のパソコンもデジカメも触るな」
「・・・・・・はい」
「それから、この車についてるありとあらゆる機械も触るな。窓も勝手に開けるな。全部
俺がやるから!」
「・・・・・・」
板橋は、頭をガシガシ掻き毟って、にゃはーとかむきょーとか奇声をあげていたが、顔を
2回、ぺしぺし叩くと、此方を振り返って、頷いた。


「うっし」
「・・・」
「落ち込んでても仕方ない。なくしたものは返って来ないし、写真ならまた撮ればいい。
ブログもまた始めればいいし」
「ごめん・・・」
「それに、あんたを拾ったのは俺だし。自己責任。な、楽しくやろうぜ?」
「うん・・・」
落ち込む僕の頭を、板橋の大きな手が撫で回す。その手はとても暖かく、見上げた板橋の
顔は、優しかった。
 拾ってくれたのが、板橋でよかった。年下だし、橋オタクだし、言動もちょっと変わってる
けど、少なくとも、板橋は人を許す優しさを持っている青年だって事は分かった。
 いつかこの恩は必ず返すから!




 こうして、僕らのヘンテコで無茶苦茶で、だけど楽しくてちょっと切ない橋を巡る旅は
始まる事になった。
 自らを「長い旅路」と歌ったこの車と共に。




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