なかったことにしてください  memo  work  clap




 1年前、夏―――。



山下陽斗(やましたはると)はライトスタンドに繋がる階段をゆっくりと上っていた。
一歩足を動かすだけで体中から吹き出る汗を拭うこともせず、陽斗は光の出口を目指して
いた。
 汗に濡れたTシャツが背中に張り付く。ハーフパンツからはみ出した長い足は、こんがり
と小麦色に焼けていて、少年から青年になり始めた顔は、僅かに幼さを残していた。
 スタンドに響き渡る応援団の声とブラスバンドの軽快な音楽。陽斗はスタンドの眩しさに
目を細めた。
「まだ、前の試合やってたのか・・・」
スコアボードに目をやると、9回表で自分が立っているライト側の高校が2-1で勝っていた。
カウントはノーアウト1塁。マウンドのピッチャーは帽子を取って汗を拭った。陽斗のスタンド
とは反対のレフト側応援が激しくなる。
 こちら側の応援席は固唾の飲んで見守ってる人の方が多い。
「逆転の可能性もあり、か」
緊迫した試合だったが、陽斗にとってこの試合の行方はどうでもよかった。
 陽斗はこの次に行われる予定の優勝候補NO.1と言われるT高校の試合を見に来たのだ。
「今年、T高が優勝したら、俺、絶対あそこ行く」
友達にそう告げた一言。
 陽斗は県内でもそこそこ名の知れた中学生ピッチャーだ。速球が持ち味で、県大会を
ベスト4まで勝ち抜いた実力も持っている。
 そして3年になった陽斗は、T高の野球部に内々で誘われているのだ。
「是非、うちにおいで。即とは行かないかもしれないけど必ずエースピッチャーになれる」
関係者の熱い言葉に気持ちが揺れて、その気になった。
 ただ、T高とはまったく縁がなく、陽斗はその実情も知らない。T高は陽斗の自宅と同じ
県内にある高校だが、自宅から2時間近くも離れている。
 場所もそして野球スタイルも陽斗にとって未知な部分が多いのだ。陽斗の知るT高の情報
は、「強豪」というレッテルと、夏の甲子園特集のテレビ中継で、数十秒ほどそのプレー
を見たというものだけで、そんなところに進学を決めていいのかと、不安要素もある。
それで、実際に自分の目でT高の実力を確かめようと、地方大会の行われている球場まで
足を伸ばしたというわけだ。
 だから、こんな名も知らない他の高校の試合など熱くなるほど興味はない。せいぜい、
来年進学したときに対戦するかもしれない、くらいの視線でしか見ることができなかった。
 どちらが勝とうが、陽斗の知ったことではない。陽斗はこのスタンドの中で自分が一番
冷めた存在であるような気がしていた。
 次の打者がバッターボックスに立つ。打順は上位打線。絶好の逆転のチャンスに見えた。
陽斗はピッチャーの性から、必ず試合を見るときはピッチャー目線で見てしまう。
そうして、自分ならばどんな球を投げるのかそこに投影しているのだ。
 陽斗は目を細めてピッチャーを見据える。ここからでは顔も殆ど見えない。高校生にしては
小柄で、身体の線も細いピッチャーだった。
 名も知らない高校の、名も知らないピッチャーに自分を重ねて、陽斗はバッターを見る。
セットポジションからの第一球。

ズバッ

 ここまで響いてくるような心地のよい音がして、ボールがキャッチャーのミットの中に
収まった。
 インコースギリギリのボールに、審判がストライクの判定を下す。
「な・・・なんだ、あの球・・・」
途端、陽斗の体温は上昇した。身体の中の最も中心部分からグラグラと煮立ってくるような
感覚。心臓の鼓動がたった一球で速くなる。瞬間で、陽斗は虜になった。
 あのピッチャーから目が離せない。自分にないものを持ってるピッチャーなら、何人も
見てきたはずなのに、こんなに強く惹かれるのは何故だ。
 あんなピッチャー見たことがない。あんなに綺麗で、しなやかな腕の振り・・・・・・。
 こみ上げてくる感情が何なのか自分にも分らない。ただ、胸の中を引っ掻き回されたような
正常な状態ではないことだけは確かだ。
「なんだよ、これ・・・」
苦しい胸を押さえて、陽斗は次の球を待つ。
 マウンド上のピッチャーはキャッチャーの返球を受け取ると、もう一度帽子を取って
汗を拭った。
「次は、何で来る?」
 一塁を気にしながら、第二球。

ズバッ

 二球目も気持ちいいほど、綺麗にミットに収まる。コースは同じ、インコース。
打者は見逃した。
審判の手が上がって、二球目もストライクが入ったことを知る。
「二球連続で、インコースって・・・あのピッチャーどんだけ強心臓だよ・・・」
キャッチャーが強気なリードなのか、ピッチャーがそれを受け入れるだけの器があるのか
陽斗には想像できないが、この場面でこのコースを攻めるマウンドのピッチャーの気持ち
に陽斗は圧倒される。
 心臓が苦しい。胸の鼓動はもはや自分では制御できないほど速く波打っている。ドキドキ
しながら、陽斗は応援席の最前列まで駆け寄っていた。
「次は、一球見るか?」
最前列で、手すりから身を乗り出すように陽斗は見つめる。後ろから苦情が聞こえてくる
が、そんなものに構ってられなかった。
 そして三球目。

ズバッ

「落ちた・・・!」
ボールは打者の手元で僅かに落ちると、ミットの中に納まる。打者はフルスイングして
見事に空振った。
 審判がストライクを告げる。ピッチャーが小さく手元でガッツポーズを決めると、固唾
を飲んでいたスタンドが一気に歓喜に沸いた。
「さ、三球、三振・・・」
陽斗は呆然とピッチャーを見つめる。内野の部員に向かって僅かに笑いかけるその顔が
見えて、陽斗の頭は沸いた。
「うわあっ・・・・・・なんだ、コレ・・・」
胸が熱くなる。きゅん、と心臓がなった気がした。
こんなのは、まるで恋みたいじゃないか・・・・・・。
「恋!?」
自分で思って、その発想にぶっ飛んだ。
「イヤイヤイヤ、ありえないから!」
顔を熱くしながら、陽斗は自分に突っ込む。傍から見ればただのおかしな中学生だ。
 陽斗は震えながら次の打者を待った。
「あとアウト2つ!」
陽斗はもはや完全に、こちら側のスタンドと一体化していた。名も知らない高校の応援に
たった3球で、こんなにも熱くなっている。
 女子高生と同じように、がんばれと祈りを込めている自分にも気づかないほど、陽斗は
夢中だった。

 次の打者が出てくる。相手側の応援も必死だ。応援団の太いダミ声がこちらまで響いた。
 マウンドのピッチャーは一度、1塁を牽制すると、第一球を投げた。
 カキン、と金属音。
「打たれた・・・ぬ、抜ける・・・?!」
ボールはワンバウンドして一二塁間を抜けたように思えた。
 打者が走り出す。一塁走者も全力で二塁に駆けている。
 ピッチャーが振り返る。陽斗が抜けたと思った当たりは、何故かそこにセカンドがいて、
信じられないほど無駄のない動きで二塁に送った。
 二塁でショートがアウトにすると、すかさず一塁に送って、一塁もアウト。
「ゲッツー・・・・・・?!」
瞬間のダブルプレーに、陽斗は目を疑った。
 どちらのスタンドも、一瞬しん、と静まり返り何が起きたのか把握できてないようだった。
 審判のアウトのサインで、スタンドがどよめき、そしてそれは歓声に変わった。
「か、勝った・・・!」
陽斗の後ろからは悲鳴に近い叫び声が聞こえる。マウンドでは、ピッチャーが帽子を取って
周りの部員に大きく手を振って笑いかけていた。
 そして、その笑顔が一瞬スタンドの方を見る。
「あっ・・・・・・」
陽斗は今度こそ、心臓が止まったと思った。
 そして、若き感性はそれを確実に間違った方向へと解釈してしまったのだ。
「恋!?」
誰も止める人間がここにはいない。陽斗は自分の思い込みに暗示をかけて、そして勝手に
確信した。
「これが、恋なのか・・・!」
そこから、山下陽斗の暴走は始まる事になる。







 そして、現在―――。



ベンチに座る陽斗は、マウンドのピッチャーを見つめて、しまりのない顔をした。
「アユ先輩、かわええ・・・」
「は?!」
控えの選手が陽斗の呟きに、目をぎょっとさせて振り返る。
「お前、頭大丈夫か?」
「そこそこ、いいですよ」
「・・・・・・」
高校の練習試合で、陽斗はベンチの中で他の1年と同じように応援していた。
 結局あの後、陽斗は次のT高の試合も見ずに、スタンドを離れてしまった。そうして自分
が見た試合の高校が「豊山(ほうざん)南高校」である事を知ると、すぐさまその高校の
控え室を追いかけたのだ。
 けれど、控え室からバスに乗り込む部員の中にピッチャーを見つけることが出来なかった。
それから、陽斗の思いは日増しに募り、それは進路までも捻じ曲げるというドラマチック
な事まで成し遂げさせてしまったのだ。
「お前さ、T高が優勝したら、T高行くって言ってただろうが」
「いや、俺は豊山南に行く。間違いない!」
陽斗は、名も知らぬピッチャー目掛けて天下のT高の誘いを蹴って、豊山南高校に進学して
しまった。
 そこで、漸く陽斗が探していた運命の恋人(陽斗が勝手に命名している)に出会える事
となる。出会った瞬間、陽斗は思わずその運命の恋人に向かって叫んでいた。
「先輩を追いかけてきました!」
不思議と野球部に失笑が沸かなかった理由を陽斗は後々知ることとなるのだが、その時の
陽斗は自分がどんな問題発言をしていたのかすら気づかなかった。
「宝田ー!ツーアウト!後2人!がんばれ!」
控え選手がマウンドのピッチャーに声援を送った。
 そのピッチャーを陽斗も見つめる。宝田歩(たからだあゆむ)。まさに、陽斗が探していた
ピッチャーだ。

 試合は9回まで進んでいた。マウンドではあの時と同じようにワンアウト1塁。カウント
2-1とバッターを追い込んでいた。
 ただの練習試合といっても、勝ち負けがあるわけだから、自然と力が入る。
陽斗は入部して3ヶ月、練習試合でもマウンドにまだ一度もたったことはないが、気分は
グランドでプレーしている選手と、いやマウンド上の歩と同じ気持ちでいるつもりだった。
 セットポジションから歩が投げる。
バッターはその球を引っ掛けた。
球はワンバウンドして23塁の間を抜けようとしている。そこにすかさずショートが入り
セカンドが2塁をカバーする。
 更にセカンドは1塁に送ると、無駄のない動きでダブルプレーが決まった。
「ナイス!湧井!黒田!」
ベンチの3年が声を上げた。
「いつ見ても、湧井と黒田のプレーは気持ちがいいなあ!」
「先輩、ナイスプレー!!」
あの夏、最後のダブルプレーを決めたのもこの湧井大和と黒田倫太郎だったという事を、
陽斗は後になって知った。
 そして、その湧井と黒田が中学時代に県大会優勝に導いた二遊間コンビであることも。


挨拶をして試合は終わり、グランドでプレーしていた選手が次々とベンチに戻ってくる。
3年生が軽くハイタッチを交わし、ベンチ内は終始和やかだった。
「アユ先輩、お疲れ様!」
陽斗も歩にタオルを差し出すと、歩は目をグリグリさせたまま、陽斗のタオルを無言で
受け取った。
「アユ先輩?」
歩は陽斗の方など見ぶきもせず、じっとある人物を追っている。
「・・・・・・何見て・・・」
陽斗はその視線の先を追うと苦笑いを浮かべた。
 歩の視界にあるものはたった2つ。2人の人物。最後にダブルプレーを決めた湧井と黒田。
彼らの動きを口をポカンと開けたまま、歩は見つめていたのだ。
「アユ先輩・・・・・・」
その視線の強さに湧井が気づく。湧井は黒田と話を切り上げてこちらに向かってきた。
 自分が見つめていた事に気づかれても、歩は視線を外す事ができなかった。そして、近づ
いてくる湧井目掛けて、とんでもない事を口走ったのだ。
「湧井先輩と黒田先輩が、あんなに凄いコンビプレーが出来るのは、やっぱりデキてるから
なんだ・・・・・・」
歩の声は周囲にいたメンバーを瞬間で凍らせた。
 うわ、やべ・・・・・・。陽斗の声が微かにする。湧井は陽斗と歩の前までくると立ち止まった。
 湧井のその頬がプルプルと揺れる。湧井の耳にもしっかり届いていたのだ。
「た〜か〜ら〜!」
「はい」
湧井は引きつった笑みで歩を見ると、直ぐにあることに気づいて陽斗を振り返った。
「山下!お前か!」
「やんっ、先輩、違います!誤解です!」
湧井は汗まみれの身体で歩と陽斗を捕まえると、そのまま2人を両脇に抱えて、グランドの
方に走り出す。首を抱きかかえられて、歩も陽斗もバランスを崩しながら湧井に引き摺ら
れた。そして、湧井は意地の悪そうな顔で2人のコメカミを拳でグリグリと潰しはじめた。
「いやん、先輩、痛い」
「いてて・・・」
「山下!いくらお前がホモだろうが、タカラに恋してようが、俺を巻き込むなってあれほど
言っただろうが!」
湧井は陽斗の耳元で他の部員に聞こえないように小声で言う。
「・・・・・・だって、周りにホモが多ければ、アユ先輩もこっちの世界に足突っ込みやすくなる
かなって思って・・・」
「お前なあ!」
歩は汗まみれの湧井に張り付かれて、気持ち悪そうにもがいている。湧井は陽斗を離し、
歩と向き合うと、真顔で言った。
「タカラ、いいかそれは山下が吹き込んだでたらめだ。信じるなよ?この部にホモなんて
いないの!1人も!・・・・・・山下以外は」
湧井は最後の一言をつけたしの様に小声で言った。
「・・・・・・でたらめ?」
歩は相変わらず、ポカンとした顔でそれに答える。
「そう。コイツが吹き込んだたちの悪い悪戯なの、わかった?」
「陽斗そうなの?」
「ええ・・・まあ・・・」
陽斗は湧井に睨まれながら、歩に誤解であることを告げる。
 歩は途端、元の顔に戻って
「なーんだ、嘘だったんだ。俺、てっきり先輩達がそんな関係なんだと思って、試合中も
ずっとドキドキしっぱなしで、ボールにも集中できないし、大変だったんですよ。あー、
よかった」
「タカラ・・・」
「アユ先輩・・・・・・」
歩はすっきりした顔で1人ベンチに駆け戻っていくと、部員の前で「陽斗に騙された」と
照れ笑いを浮かべている。
 それを見て、湧井も陽斗も言いようのない溜息を吐いた。
「お前の恋は、前途多難だな・・・」
「先輩こそ」
陽斗は歩から視線を外し、黒田を見た。湧井は陽斗の頭をポンと叩く。
「俺は、違うって言ってるだろうが」
「素直じゃないなあ、先輩は」
「お前みたいな一直線もどうかと思うけどな」
乾いた笑いが2人を包む。


 白球を追いかけ、思い人を追いかけ、炎天下の中へろへろになりながらも、青春を送る彼ら。
持て余す、エネルギーを何にぶつけようか、溜まった熱情だけは他のどの部活よりも熱い。
 キラキラと輝く一ページに、自分を刻もうと、野球に恋に青春に大忙しの豊山南高校野球部
部員達。
 彼らの明日はどっちだ?



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