部室では、2回戦を次の日に控えたミーティングが開かれていた。
「2回戦先発は山下で行くからな」
「ウイッス」
顧問の藤木に指名されて、陽斗は一気に気分が昂揚した。また投げられる。試合に、しかも
今度は本番の試合に投げさせてもらえる。
T高の練習試合であんな無様なピッチングをした自分を躊躇わず起用してくれた事に、
陽斗は感動した。今度こそ勝つ、握り締めた拳は硬い。
「7回。よくても悪くても7回までは絶対行けよ。8回からは宝田をリリーフに使うつもり
だから。2人とも試合に慣れること。1、2回戦は試合に慣れる、そして勝つ。それが目標だ。
3回戦は確実にK高が出てくるはずだからな!2人とも貴重なピッチャーなんだから、絶対
体調だけは崩すなよ」
「はい!」
マウンド以外オーラゼロといわれる歩の声もいつもより張っていた。少しずつ緊張は高まって
行く。
初戦、2回戦は今の豊山南高校の戦力から言えば格下だ。事実初戦の相手はコールド勝ち。
2回戦の相手も、本来の野球が出来れば怖くない相手だ。
けれど、試合はやってみなければわからない。ほんの少しのズレ、たった一人の怪我や
ミスで試合が崩れてしまうことだってある。
勝負とはそういうものだ。
ここにいるメンバーの殆どが、負けることへの悔しさも、負け試合の流れも、味わって
いるし、藤木もその気持ちを理解しているから、敢てそのことには触れなかったが、豊山南
のメンバーは誰も驕った気持ちの人間はいない。
謙虚に、そして確実に勝つために自分が何をしなければならないのか、分っている。
湧井が徹底して作り上げたチーム内の雰囲気のおかげだろう。本人は大口叩くし、一見
無茶苦茶なことを言っているようにも見えるが、湧井は必ずやる男だ。
練習も、試合も確実に結果を残してきた。
藤木はその湧井に目をやると、軽く頷いてみせる。
「湧井、お前からはなんかあるか?」
「じゃあ、一言だけ」
湧井は立ち上がって部員を見渡すと、一呼吸した。そして気合の十分入った声でみんなに
檄を飛ばした。
「絶対勝つ!」
その言葉に誰もが熱く頷いた。
マウンド上で陽斗は絶好調だった。球が走ってる。自分でも分るほど調子がいい。20メートル
先の颯太のミットに気持ちよい音を立ててボールが収まっていく。
バッターとは直球勝負で、ぐいぐいと押していった。
「調子いいね、陽斗」
ベンチの中で歩が呟く。監督の藤木も陽斗のピッチングに目を見張っていた。
「こっちが本当の山下か。勝負強いのか弱いのか1,2試合見ただけじゃわからんなあ、あいつは」
「強いですよ、陽斗。前回のT高が特別だったんだと思います・・・・・・完封もいけるくらい
すごいピッチャーですよ」
歩は少しだけ悔しそうにマウンドを見つめた。ピッチャーの性だ。誰であろうと、あそこに
立っているのを見るのは悔しい。自分も早くあそこに立ちたい。そんな気持ちが疼いて、
歩は目を細めた。
「後輩に嫉妬してもしかたないよなあ・・・・・・」
ベンチの背もたれに寄りかかって、大きく伸びをする。調子が悪くて代えられたわけじゃ
ないし、この後自分も登板する。
けれど、1回から投げられないという気持ちは少しだけ歩の気持ちを萎えさせた。
「悠長に見てるのもあとちょっとだぞ。肩作っとけよ」
「ういっす」
振り遅れ、三振の山が築かれていく。陽斗は自分とはタイプの違うピッチャーだ。自分には
あれほどの球速は出せない。
コントロールでは勝ってると自負できても、あの速球は自分には無い。あそこまで打者
にプレッシャーを掛けられる投球が出来る陽斗が羨ましくもあった。
「陽斗、やるなあ・・・・・・」
凄いピッチャーなら他にもたくさん見てきた。歩よりも切れる変化球を投げるピッチャーを
甲子園で見たことがる。
県内にだって、目を見張るようなピッチャーがたくさんいる。
けれど、チーム内に強力なピッチャーがいるという経験は歩にとって初めてのことで、
この感情を上手くコントロールできないでいた。
今はまだいい。自分の方が経験もあるし、ピッチャーとしても上だ。でもいつか、陽斗
がライバルになって、あのマウンドを争う日がきたら・・・。
陽斗はイイヤツだ。自分にもよく懐いてくれるし、大袈裟すぎるスキンシップも飼い犬
を見ているようで可愛いらしい。
「俺ががんばるしかないか」
自分が卒業するまで、絶対的な力であのマウンドを、エースの座を死守するしかない。例え
相手がどんなに可愛い後輩であっても、歩の野球に対する姿勢は変わらない。
陽斗はきっちりと役目をこなした。7回失点ゼロで切り抜けると、残りの回を歩に託して
マウンドを降りた。
7回が終わってベンチに戻った陽斗は、投球練習をしている歩に近づくと、歩とハイタッチ
を交わす。
パチンと手の合わさる音がして、バトンは引き継がれた。
「アユ先輩、後は任せます!」
「うん。お疲れ。今日は凄いいい出来だったんじゃない?」
「そうっすか?・・・・・・ホント言うと、アユ先輩にイイトコ見せたくて、気合入りまくって
たんです」
「俺にイイトコみせても仕方ないよ!俺の為に試合してるわけじゃないんだからさ」
「気分の問題ですって」
陽斗は照れながら笑った。歩に認めてもらえる、歩に好きと思い続けてもらう為に、ほんの
少しだけ色気を出してしまった。
試合に勝つ、その気持ちは勿論ある。けれど、陽斗の中でそれと同じくらい「歩に見て
もらいたい」という気持ちが渦巻いているのだ。
ただ単純に歩が好きだから、その気持ちだけで。
「おい、陽斗!」
歩と陽斗がしゃべっていると、ベンチに戻ってきた颯太が不機嫌そうに声をかけた。
「颯太先輩?」
「お前、飛ばしすぎ。肩ちゃんとケアしとけよ?」
「はい」
「上出来だったけど、あんな投げ方して肩壊すなよ?」
「ういっす」
颯太にはすぐにばれてしまう。キャッチャーとして、ピッチャーの調子を知るのは不可欠
だろうけれど、颯太の洞察力に陽斗はひやりとした。
このままだと、自分と歩が両思いになったことも、何時ばれてもおかしくない。
この人だけには、まだ知られるわけにはいかないのだ。
陽斗にだってそれくらいの事は分っている。今チームに亀裂を入れるわけにはいかない。
ましてや自分とバッテリーを組む相手と敵意むき出しの状態で、コンビなんて組めるわけ
がないのだ。
陽斗は素直に頭を下げた。颯太が歩を振り返る。
「・・・・・・歩、調子は?いけるか?」
「うん。こっちも絶好調」
「あと2回。頼むぜ」
「うん」
スコアボードに並ぶゼロの数。勿論相手高校のスコアだ。
試合は2回戦もあっさりと片が付いた。4-0、9回を2人で投げきった豊山南は2回戦も完封
勝利を収めることに成功したのだ。
球場を後にした湧井と海野は、湧き上がる興奮を薄皮一枚で覆いながらしゃべっていた。
「勝ったな」
「ここまでは、一応計算できてるつもりだったから」
先ほど貰った連絡で、K高が3回戦に進んだ事を知った。
「次が勝負だな」
「とりあえず大きな山が待ってる。この前や今日みたいな楽な試合にはならないのは間違い
ない。あの2人のピッチャーが―――タカラがどれだけやってくれるか、だな」
「今日の球みてたら心配はないと思うけど」
「まあなあ・・・・・・あー、次は勝ちたい」
「湧井にしては弱気な発言じゃん」
「ん?そうか?」
「絶対勝つ、じゃないの?」
「K高相手にそれ言うと、空回りしそうで怖いんだよ」
湧井は珍しく自嘲した。
颯太の痛い視線を無理矢理切り抜けて、陽斗は歩と並んで帰った。
夕暮れはそれでもまだ暑くて、数分歩くだけで背中が汗ばんだ。
「アユ先輩今日のピッチングもキレキレでしたね」
「調子はよかったかな。・・・・・・陽斗にばっかりイイカッコさせておけないしさ」
歩は茶目っ気たっぷりに陽斗を見上げる。
その仕草に陽斗は胸がきゅんと高鳴った。なんてこんなにこの人は可愛いんだ!
思わず、陽斗は歩に擦り寄って思いを爆発させてしまう。
「アユ先輩、すげえ好きっす」
この人と両思いなのだ。自分が好きで、相手も自分が好きで。なんでこんなに嬉しいんだろう。
なんでこんなに幸せなんだろう。
小さくても、マウンド上ではかっこよくて、だけど自分の前ではこんなにも可愛くて。
そんな自分の憧れが手に入ったのだ。高ぶった感情はそのまま行動に出てしまう。
「あはは、陽斗暑いよ」
抱きつく陽斗に、歩はくすぐったそうに身をよじった。歩はまだ気づいてない、陽斗の本気に。
陽斗は歩のおでこにゆっくりと近づいて、歩の匂いを吸った。
好き、その気持ちをもう一度噛み締める。
陽斗はその瞬間まで幸せだと思っていた。歩と漸く心が繋がったのだから当たり前だろう。
流れるような動作で、陽斗は歩の唇に近づいていく。
10センチ、5センチ、息が掛かる。陽斗の唇が歩のそれに触れる、その時だった。
「ええっと!ちょ、ちょっと・・・・・・?!」
どん、と胸板を押されて陽斗は突き飛ばされた。よろけて二三歩後ろに下がる。
歩は目をクリクリさせて陽斗を見上げた。その行為に驚いている。そして、陽斗がどうして
そんなことをするのか全く理解してない様子だ。
「す、すんません・・・・・・あのっ」
「陽斗?」
「ダメ・・・・・・っすか?」
陽斗もまた気づいていない、歩の拒否の意味を。
出来るだけ自然にしたつもりだったけど、まだ早かったのかな、なんて悠長な事を思って
陽斗は頭を掻いた。
照れ笑いを浮かべて「突然驚かせて、すんません」なんて呟いている。
歩は呆然としながら、陽斗の様子を見ていたが、陽斗の次の台詞にはじけた様に身体を
振るわせた。
「こ、心の準備とか要りますよね、やっぱり・・・」
「!?」
拒絶された事はやっぱり陽斗にとってもショックで、笑ってはいるが心の中では溜息が出た。
そこに追い討ちをかけるように歩は言った。
「・・・・・・あのさ、陽斗」
歩の声のトーンが下がる。漸く気づいたのだ。陽斗の行為の意味に。
「何です?」
「ちょっと、聞いていい?」
「はい?」
「・・・・・・俺の事好きって・・・・・・好きって・・・・・・」
声が震えて、最後は尻つぼみになった。今まで自分が暢気に戯れていたことを振り返って
歩は背筋がさっと冷たくなる。
「はい。好きです」
きっぱりと答える陽斗に、歩は自分と陽斗のズレに眩暈がした。
「陽斗の好きって・・・・・・そ、そういう意味で好きって事だったの!?」
「!?」
その発言に、陽斗の身体が固まった。何を今更と、陽斗の顔が一気に曇る。
「アユ先輩は何だと思ってたんですか!?」
強張った声で思わず歩に詰め寄ると、歩は申し訳なさそうな顔で小さく呟いた。
「・・・・・・えっと、その、友達っていうか先輩として・・・?」
陽斗の方も眩暈を起しそうだ。
お互い、全然気持ちなんて通じてないじゃないか。
両思いなんてはしゃいでいた自分が情けなくて、恥ずかしい。陽斗は泣きたい気分になって
歩に怒鳴っていた。
「じゃ、じゃあ、この前なんで俺の事好きって言ったんですか!」
「だって、陽斗の事好きだもん。・・・・・・弟っていうか犬っていうか・・・・・・そう言う好きって
意味だったんだけど・・・・・・」
「そんな・・・・・・」
「ご、ごめん。陽斗の事、傷つけるつもりじゃなかったんだけど、真逆、そんな意味だった
なんて。俺、気づかなくって・・・・・・」
陽斗は泣きそうな顔で歩を見下ろしている。さっきまでの幸福な気持ちなんて綺麗さっぱり
吹っ飛んでしまった。
握り締めた拳が震えている。
別に歩が悪いわけじゃないし、責めるつもりはないけれど、どうしてこんな勘違いが
起きてしまったんだと、陽斗は何かに八つ当たりでもしないといられない気分になった。
「陽斗、ごめん、ごめんね。俺、そう言う風に好きっていうのは、ちょっと・・・・・・」
「・・・・・・」
「え?」
「・・・・・・もう、いいっす!全部忘れてください!何にも聞かなかった事にしてください!
アユ先輩の事、好きでも何でもないですから!」
陽斗は傷ついた顔一杯で歩に怒鳴りつけると、それだけ言って歩の前から走り去った。
「陽斗!」
歩の呼びかけにも、一度も振り返らず、陽斗の背中は暗闇に消えていく。
「陽斗・・・・・・」
歩は陽斗の傷ついた顔が焼きついたまま、その場から動けなくなっていた。
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