なかったことにしてください  memo  work  clap




 日曜日、朝早くから暑い風が吹いて、部屋の中は蒸していた。それでも陽斗はベッドから
起き上がる気になれず、ただ無駄に時間を過ごしている。
 額から汗が湧き出ていたがそれすら拭うのも気だるい。
 陽斗は遣り切れない気持ちをどこに向けていいのか分らないでいた。
歩がマウンドで崩れたのは間違いなく自分の所為だ。そして、あんな風に湧井に怒られた
のも元をただせば全部自分の所為。こんなときに歩を惑わせた。
 歩は悪くない。全部、全部自分が悪い。
このままでは自分も歩もどんどん自滅してしまう。ピッチャーとしても、2人が自滅して
仕舞えば、この先勝つことなど出来ない。これ以上チームの足を引っ張るわけにはいかない。
 彰吾に言われた言葉が頭を巡る。踏ん切りが必要だ。今必要なのは、ピッチャーとして
完全に復活している自分と歩だ。悩んで足を引っ張る人間など野球部は必要として無い。
 彰吾がくれたアドバイスは適切で一々正しいと、陽斗は自分でもそれは納得している。
 何とかしなければ・・・けれど、自分の中だけで、勝手に決着を付けるなんて、陽斗には出来
なかった。
 例え、一時的に忘れるにしても、陽斗はきちんと歩に謝罪したいと思う。自分だけ勝手に
この苦しみから逃げ出すなんて卑怯な事はしたくは無い。
 でも、歩は果たして自分の話を聞いてくれるだろうか。
 歩を振り回して、傷つけて、ピッチャーとしても致命傷を負わせて・・・・・・自分を許して
くれるだろうか。
「ああ、ダメだ。うじうじ悩んでるのは俺の性に合わない!」
陽斗はベッドの中で散々寝返りを打った後、思い切りベッドから飛び降りた。
「速球で攻める、俺の持ち味!」


 階段を駆け下りて、洗面所で顔を思い切り洗う。
「陽斗!もっと静かにできないの!」
母親の小言に適当に返事をすると、陽斗は豪快な足音を立てて部屋に戻った。
 着替えをしながら、祈るような気持ちでケータイを手にする。それから机の隅に挟んで
ある野球部の緊急連絡網から歩の連絡先を探した。







「急に呼び出してすみません」
「・・・・・・話って?」
自分の今の気持ちを全部吐露するつもりで、陽斗は学校近くの公園に歩を呼び出した。今日も
あと1時間もしないうちに部活が始まる。こうして話を出来るのは数分くらいだろう。
 数日振りに歩と2人きりで対面して、陽斗は少しばかり緊張した。
「あ、の・・・・・・」
「・・・・・・」
歩の方も、顔が強張ったままだ。
 陽斗は少ない時間を無駄にする気になれず、歩に切り出した。まずは謝罪、そう思って
始めの言葉は決めていた。
「すみませんでした」
陽斗は歩に向かって真っ直ぐ頭を下げる。
「陽斗・・・?」
「この前のK高戦。アユ先輩が調子崩したの、俺があんなことした所為ですよね」
「・・・・・・それは」
「俺が、勝手に告白して、勘違いして・・・なのに、自分だけ傷ついた気になってアユ先輩
のこと無視して・・・・・・大事な試合の前にアユ先輩のこと動揺させた・・・・・・俺の所為です。
本当にすみませんでした」
「陽斗・・・」
自分の前で直角に折れて頭を上げない陽斗に歩は戸惑った。
「もう、いいよ・・・陽斗の所為じゃない・・・・・・俺が弱かっただけ・・・・・・」
「でも、俺の所為です」
「・・・・・・とりあえず、頭上げてよ。なんか、こんな風に謝られると、陽斗がすごい悪い事
してるみたいじゃん」
「したんだと思ってます」
そう言って頑なに頭を上げようとしない陽斗。歩は真っ直ぐな後輩に胸が苦しくなった。
 マウンドを下ろされて、ベンチに戻った直後は、確かに陽斗に少なからず恨みは持った。
自分をかき乱して、調子を狂わされたと感じた。
 けれど、時間が経って、湧井に怒られ、自分でも冷静になるに連れて、そんなのは陽斗
の責任でもなんでもないことに気づく。
 自分が弱いだけだ。
「陽斗。いいから頭上げてって」
困惑する歩を前に、陽斗も迷いながら顔を上げた。目が合っても、お互いが動揺したように
焦点が定まらない。
 見詰め合っているようで、お互い別々の方向を見ているような状態が続いた。
 そうして、暫く沈黙が続いた後、陽斗は一呼吸置いてもう一度頭を下げた。
「調子のいいこと言って、アユ先輩は腹立つかもしれませんが、この前から俺がしたこと
今は忘れてください!お願いします」
「?!」
「忘れてって言って、簡単に忘れるなんてことできないかもしれないけど、今は試合に
だけ集中してください。俺も、忘れます。今一番大切なのは試合に勝つことです。アユ先輩
が試合にだけ向かえるように、俺の事は全部忘れてください」
「忘れる・・・・・・」
「はい。忘れてください。俺も、忘れます」
「・・・・・・」
歩はそれに対して、返事が出来なかった。
 陽斗にそんな言葉を掛けられるなど予想もしていなかったのだ。
嫌われたくない、そう思って悩んだ相手に忘れてくださいといわれて、歩の心はまた少し
暗くなる。
「・・・・・・話は、それだけです・・・・・・。部活前に呼び出したりして済みませんでした。お、俺
先に学校行ってますね」
陽斗は本当に自分の言いたい事だけを言って、その場を離れていってしまった。歩の気持ち
を置き去りにして。
「忘れろ、か・・・・・・。陽斗の優しさは分るけど、それはないよなあ。きっつい事言って
くれる。俺の気持ちなんて全然考えて無いんだろうな、陽斗は」
歩は去っていく陽斗の背中を見送りながら、憂いた瞳で呟いた。







 4回戦の先発は陽斗自身予想していなかったことが起きた。
「明日の先発は山下、お前で行くからな」
顧問の藤木に指名されて、3度も確認してしまったくらいだ。
 藤木はK高戦であんなピッチングをした歩をまだ信じてないのだろうか。せっかく心地よく
投げてもらう為に、歩に頭を下げて自分のことを忘れてくれといったのに、無駄になって
しまった。
 陽斗は気になって、歩の方を横目で見たが、その表情からは何を思っているのか全く読み
取れなかった。
 空回り気味の自分の心に、もう一度彰吾の言葉を浴びせる。
忘れろ。そして、試合に集中するんだ。





 4回戦の相手は実力から言えば、豊山南よりも格下だった。K高に勝利した豊山南ならば、
楽勝だろうと、周りは評価する。
 けれど、何が起こるかわからないのが試合だ。メンバーはもう気を緩めることはなかった。
試合が始まると、炎天下のグランドに球児たちの声が響く。試合を重ねるたびに応援は
増えて行き、豊山南高校も相手高校のスタンドも、活気で溢れていた。
「宝田」
藤木はベンチの隅で浮かない顔をしているように見えた歩の隣に座って言った。
「・・・・・・はい?」
やはり声は元気がなかった。先発を外された事によほど堪えているのだろうか。藤木は歩の
背中を軽く叩いた。
「腐るなよ」
「え?」
「俺はね、昨日の練習のピッチング見て、先発を外した」
「・・・・・・」
「お前の球には、まだ迷いがあるように見えた。前に進もうとしてるのはわかる。でも、
完全じゃない。山下と宝田、状態の良い方って言ったら、今は山下だ」
陽斗は、自分に宣言してそして立ち直ってしまったのだろうか。
 自分よりもずっと強いのかもしれない。
「よく見て、よく考えろ。その為に先発を外したんだから。お前を信用して無いなんて
これっぽっちも思うな。ただ、今の宝田に必要なのは、このベンチで自分の気持ちと向き合う
ことだ。山下のピッチングみて、自分の立場考えて、よく考えろ。次はT高なんだからな」
「先生・・・・・・」
「T高はエース同士の対決になるはずだ」
「・・・・・・」
「お前がエースなんだからな」
「先生、あの・・・」
歩は顔を上げた。藤木は頷いてみせる。次までになんとかしろよと、その顔が言う。
「T高で、最高のピッチング見せろ」
「はい」
藤木は歩の返事に満足して笑った。
「その為にはまず、絶対にこの試合に勝たなければならないな」
「そうですね」
「勝つためにお前がしなきゃならないことをしろ。いいな」
「・・・・・・はい」
歩は始まったばかりの試合に目をやって、気持ちを探す。
 野球、チームワーク、ピッチャーとしての自覚、陽斗への思い・・・・・・それら全てが、マウンド
のどこかに隠れているようで、歩は逸る気持ちを落ち着けながら試合を見つめた。







 陽斗は全てを忘れると誓った自分を貫き通した。
同じ失敗を繰り返す程、自分は愚かにはできていない。マウンドを任されたからこそ、
全力で行くのは当たり前なのだ。
 中学時代、自分は紛れも無くエースだった。そのときの気持ちは折れずに今でも自分の
中にしっかりと生きている。
 自分が引っ張ってきたチームがあった。そこで自分は絶対的信頼を貰って、自分もそれに
答える為に無心に投げてたはずだった。
「マウンドに上がったら投手は誰でも孤独と戦わなければならない」
彰吾に言われた一言が今なら理解できる。マウンドに立って肌で感じる孤独。「試合」を
共に戦うメンバーは確かにいるが、自分と向き合えるのは自分しかいない。
 戦わなくてはならないのは、目の前のバッターだけじゃない。自分自身とも戦わなくては
ならないのだ。
 陽斗は颯太のミットを目掛けて、サイン通りの球を投げた。
立ち上がりはまずまずの調子だった。






 一球、一球、球数が増えていくごとに、歩は不思議な感覚を味わっていた。
初めはベンチの中で、消極的な気持ちで見ていた。藤木に言われた言葉を噛み締めながらも
あそこに立っていない自分は少しだけ惨めに感じていた。
 マウンドに立ちたい。投げたい。自分だけの場所、そんな風に思いながら陽斗の投球を
見ていたはずだった。
 釘付けになったのは、6回の守備の時だ。
内野ゴロとキャッチャーフライで簡単にアウト二つを取って、迎えるバッターは4番。試合
は3-0で豊山南が勝っている。
陽斗はロージンを軽く叩いていた。
「俺なら、初球は変化球かな・・・・・・」
歩は思わず自分の球種を考えている。塁に走者はいない。4番バッターとの勝負は負けても
最悪1点だ。
 歩は自分の中で試合を組み立てた。
陽斗が振りかぶる。大きな投球モーションから繰り出されるのはストレート。ど真ん中
に近いアウトコースだったが、颯太のミットは動いていなかった。
 バスっという心地よい音と共に颯太のミットにボールが収まる。バッターは完全に振り
遅れて、金属バットが虚しく中を掻いた。
「速いっ!!」
この日、一番とも思えるような速球だった。
 歩の鼓動が急激に高まる。この高揚感は一体何なのだろう。歩は自分の組み立てた試合
など、あっさり手放して目の前の陽斗から目を離せなくなる。
 本気の陽斗がいる。真剣に、ひたむきに投げる姿に歩は胸が詰まった。
「陽斗・・・・・・こんなに、かっこよかったかな」
 陽斗の球をこんな風に見たことは無い。
2球目もストライクが決まると、ミットに収まるボールの音が、地響きのように歩の心に
響いた。
 ドクドクと心臓が逸る。純粋に陽斗を応援したい。陽斗の興奮が自分のもののように感じた。
陽斗との一体感。自分がマウンドに立っていなくても、こんなに興奮する事ってあるんだ。
 歩はいつか陽斗の言っていた台詞を思い出す。



『アユ先輩になら、マウンド譲っても悔いはありません。だって、ベンチでアユ先輩見てる
時だって、一緒に投げてるようなスリルと興奮を味わえるから』



 それって、こういう感覚なんだろうか。歩は握った拳の中が汗だくになっているのも
忘れて、思わず叫んでいた。
「あと1球!陽斗、がんばれ!」
陽斗は歩の応援には反応も示さなかったけれど、歩は構わなかった。思わず応援したくなる
程に、引き込まれる。
 自分は今まで陽斗の何を見てきたんだろうと不思議に思う。自分を慕ってくれる可愛い
後輩。そこそこ上手くて、信頼できるピッチャー。
 ・・・・・・いや、陽斗はそれだけじゃない。こんなにも強くてかっこいい。
3球目も直球勝負だった。
審判のストライクの声が響くと、応援席から歓喜の声が上がった。
「三球三振!!」
気持ちよいほどに決まったストライクに、歩も立ち上がって手を叩く。
 マウンドでは陽斗が小さくガッツポーズを決めていて、湧井が近づいて小突いている所
だった。
 藤木は、そんな歩の様子をベンチの隅から眺めて、小さく微笑んでいた。








 試合は結局4-1で、豊山南が勝った。楽勝といえなくも無いが、メンバーはK高戦以上に
真剣だった。
 次は準決勝。相手は次の試合で決まるのだが、まず間違いなくT高になるだろう。
メンバーは偵察を含めて、次の試合を観戦する為に球場に残った。
陽斗は他の部員と少し離れてベンチに座ると、暑い日ざしに溜息を吐く。真夏の太陽は
うんざりするほどだ。
 マウンドではあんなに暑くても我慢できたのに、スタンドでは今すぐにでも蕩けてしまい
そうだった。
 タオルで頭を覆っていると、陽斗の隣に影が出来た。
「隣、座ってもいい?」
見上げれば、歩がペットボトルのお茶を差し出しながら立っている。
「あ、はい」
歩は陽斗にペットボトルを差し出すと、隣に座った。
「お疲れ。いいピッチングだったね」
「あ、ありがとうございます」
陽斗はわざわざ隣に歩が来たことに狼狽した。今はもう、歩と話すことは何も無い。
「・・・・・・今日の陽斗、凄くかっこよかった」
「え?」
「悔しいくらい、凄かったよ」
歩が笑う。
 陽斗はその表情の意味を上手く理解できなかった。
「む、無心で・・・投げてただけです・・・・・・絶対勝たなきゃならないって思ったてから」
「無心かあ・・・・・・」
「は、い」
「陽斗は凄いな。ホント。・・・・・・俺ね、ベンチの中でずっとぐるぐる色んな気持ちになって
たの。マウンド譲ったこと悔しがってみたり、何で自分が投げて無いんだろうって思ったり」
「すみません、あの」
「ううん、いいんだ。それは、俺の弱さっていうか、俺、野球がチームってこと全然分って
なかったっていうか。ベンチにいても一緒に戦えるって陽斗のピッチングみて思ったんだ。
純粋に、陽斗の事かっこいいって思って見てたよ」
「アユ先輩・・・・・・」
「それから、やっぱりマウンドに立ちたいって思った。陽斗と真剣に勝負して、勝って、
あそこに立ちたい。陽斗のマウンド譲るのは、陽斗に負けたときだけだって思った」
歩の視線が陽斗と絡む。気がつけば二人とも真剣に見詰め合っていた。
「それくらい陽斗かっこよかった」
歩の台詞に陽斗の心臓もとくん、と跳ねる。封印した気持ちがむっくりと顔を上げそうに
なって、陽斗は焦った。
「それって、俺の事、認めてくれたってことですか・・・?」
歩が頷く。握ったペットボトルの蓋を開けて、陽斗はお茶を半分ほど飲み干した。
「俺、まだ陽斗に尊敬されるピッチャーでいられるかな」
「あ、当たり前じゃないですか!」
「・・・・・・俺の事、嫌いになったりしてない?」
「?!」
目を見開いて、陽斗は思わず声を上げていた。
「アユ先輩の気持ちをこれ以上、揺さぶるような事言いたくないんですけど・・・・・・一度好き
になった人を簡単に切り替えられるほど、俺、器用に出来て無いんです!」
「陽斗・・・・・・」
「だから、苦労して、アユ先輩のこと忘れようとして、無心になって投げてたんですよ!」
なんで、この人は、せっかくの俺の苦労を・・・・・・。
 陽斗は頭を抱えたい気分になった。歩の気持ちはどこに向かっているのか。何を期待して
そんな答えを求めているのか。陽斗には分らない。
「それ本当?ホントに俺の事、嫌いになったりしてない?」
「本当です!」
言い切ると、歩はやっと顔の緊張を解いて、ふにゃりとした笑顔を浮かべた。
「アユ先輩・・・?」
「ありがと、陽斗。俺・・・・・・」
瞬間、T高のスタンドから、大きな喝采が上がった。T高がいきなり先制点を叩き出したのだ。
歩の言葉は、歓声にまみれて陽斗には届くことはなかった。







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