神様はいる?
1、2年は早々に部室を後にした。誰もが無言だった。話す言葉が見つからなかったのだ。
陽斗も歩の後を追って、部室を出た。
部室を出ると丁度夕焼けがグラウンドに向かって落ちていくところだった。歩の髪の毛を
真っ赤に染めている。
陽斗は颯太に取られる前に、歩の横に並んだ。
「一緒にいいですか?」
「うん」
何か声を掛けなくては。未だ責任を感じている歩を思って、陽斗は言葉を捜す。同じピッチャー
として、こういう負け方をすると責任を自分1人で背負ってしまうのは分らない事ではない。
責める言葉はいくつもあるけど、歩を励ます適当な言葉が見つからない。
隣に並んだまま、陽斗は公園まで辿り着いてしまった。
「ちょっと、寄ってく?」
声を掛けたのは歩だった。
「はい」
その声に素直に従って付いていくと、歩はベンチに腰を下ろした。ポケットからボールを
取り出して、手の中で遊ぶ。
陽斗も隣に並んで座った。
「負けちゃった・・・・・・ね」
歩は大きな溜め息と共に、やっとその言葉を吐いた。
「残念でした。でも、まだ俺達には来年があります!」
「うん。・・・・・・湧井先輩、甲子園行きたかっただろうな、絶対」
横目で見ると歩は悔しそうな顔をしていた。マウンドで真っ赤にした瞳は未だに腫れぼったく
なっていて、いつもの歩とは別の顔をしている。
こんなときなのに、陽斗はそれがやけに色っぽく見えて後ろめたくなった。
「湧井先輩はああ言ってくれたけど、俺やっぱり責任感じる」
歩は手にしたボールを強く握った。
「ピッチャーってそう言うもんです。俺も負ければ俺の所為だって思うし。中学時代、さよなら
で負けたことが1度だけあったんですけど、そのときは悔しくて2日間誰とも口利きませんでした」
「あの最後の1球思い出すと、悔しくて暴れだしたくなるよ」
ピッチャーならば分かり合える。分かり合えるから、この傷の痛みが陽斗のところにもダイレクト
に飛んできて、苦しくなる。
自分があのマウンドに立っていて、歩と同じ立場だったら、きっともっと落ち込んでいた。
こんな風に後輩と言葉を交わすことも出来ないくらい。
「いつか報われる日が本当に来るのかな」
「来るって信じてないと、報われないですよ」
「そっか。・・・・・・それもそうだね」
歩の瞳がまた潤む。無理に涙を止めようとして歩は笑った。
「・・・・・・アユ先輩は、本当に甲子園行きたかったんですね」
「うん。・・・・・・湧井先輩達と一緒に、どうしても行きたかった」
夕焼け雲がゆっくりと暗くなっていくのを見つめて、歩ははっきりと言った。
「アユ先輩は、どこで湧井先輩を知ったんですか?」
「中学の時だよ。中学の県大会で湧井先輩達が優勝した時、俺達の中学、準優勝だったの」
「そうなんですか?!」
「うん。そうだったの。しかも、決勝だったのに、大差で負けてさ。悔しいというより、
唖然としちゃった」
目を細めると、昔の事が蘇る。懐かしさと切なさが同時に押し寄せてきた。
「湧井先輩と黒田先輩、凄かったんだよ。中学生には思えないグラブ裁きしてて」
「今でも凄いですけど」
「うん。あの頃も凄かったよ」
「アユ先輩が言うなら、相当インパクトがあったんでしょうね」
「ウチのチーム、守備がぼろぼろだったから、羨ましかった。自分の後ろで、あんな2人
が守ってくれたら、どんなに心強いだろうなって。内野ゴロをエラーしない守備で試合
したいってずっと思ってた。守備であれだけ魅せられる人を背中に担いでたらどんなに
楽しいかなって。勝負するボールも冒険できるでしょ?」
内野手が上手いと下手では、確かに戦略は変わっていくだろう。打たせて取るという技も
使えるし、1塁に走者がいてもゲッツー狙いだっていける。
「そんで決めたの。絶対に高校に入ったら同じチームでプレーしようって。それから1年、
どこの高校に進学したのかも知らないまま、その思いだけで中学時代過ごしたんだ」
「真逆、探して追いかけたんですか?」
「うん。湧井先輩、有名だったから直ぐに分るって思ったんだけどね。T高かK高辺りを
探せばいるって思ってた。3年の夏の予選の時、練習試合見にいったんだけど、見つから
なくて。T高もK高も部員多いから流石に即スタメンにはなれないかもしれないけど、ベンチ
くらいにはいると思ってたんだよね」
「そしたら、こんな無名高校にいた」
陽斗も歩もその経緯は知らない。無名の弱小チームに何故湧井が来たのか。K高に誘われて
いたのに断ったことも知らないが、その理由が黒田と一緒にプレーする為だということは、
2人には想像すら出来ない事だ。
「びっくりしたけど、迷わなかったよ。強豪じゃなくても、湧井先輩と黒田先輩がいる二遊間
でプレーできるなら絶対に行くって」
その気持ちは陽斗にもよくわかる。去年の夏、スタンドから見た歩は誰よりも輝いていて
あっさりと陽斗の人生を変えていったのだ。
「俺も、強豪じゃなくても、アユ先輩と一緒にいられるならって思って迷いませんでした」
熱っぽく伝えると歩は照れ笑いを浮かべた。
「野球の神様って、きっといるんだと思うよ。こうやって、俺を先輩の元に導いてくれたり
陽斗を俺のところに連れてきてくれたり・・・・・・」
野球の神様がいるのか陽斗には分らないけれど、運命の見えないバトンに引っ張られて
自分はここに来たような気がする。湧井から歩へ、そして歩から陽斗へつながれたバトン。
陽斗はそこでもう1人の人物を思い出す。
「颯太先輩もですよね」
「颯太?・・・・・・そうだね。うん。なんで颯太もここに進学したんだろう。俺が豊山南に行く
って言い出したときは無茶苦茶反対してたのに、最後には『歩の球取れるの俺だけだから』
って言って気がついたら颯太も一緒に進学してたんだよね。一緒の高校来れるなんて思って
なかったからそのときはびっくりしたけど、嬉しかった」
その「嬉しい」がただ単純に野球が一緒に出来ることへの「嬉しい」なのだから、颯太も
相当浮かばれない。
「なんで、颯太先輩は言わないんだろうな」
「ん?」
「いや、なんでもないです」
気持ちを伝えた自分を颯太はどう思っているんだろう。抜け駆け?横取り?
なんにしろ、自分にいい感情を持っていないことは確かだ。
「ねえ陽斗」
「はい?」
歩は薄暗くなっていく西の空を見あげる。陽は沈んで、夕焼けに燃えた雲も夜の暗闇に
飲み込まれ始めている。東の空には一番星が輝き始めていた。
歩は手にしたボールを上に投げた。手元に戻ってキャッチすると陽斗を振り向く。
「来年、絶対甲子園行こう」
「はい」
「そんで、スタンドで応援してる湧井先輩を胸張って甲子園連れて行こう」
「・・・・・・はい」
陽斗もその決意に頷く。歩が行きたかった甲子園に、来年は自分ももっと強くなって一緒
に行こう。
「・・・・・・陽斗がいてくれてよかった」
「はい?」
「陽斗が隣で笑っていてくれてよかった」
「アユ先輩?」
「陽斗がいなかったら、俺、今日で野球止めてたかもしれない」
「・・・・・・」
「マウンドは孤独だけど、俺は1人じゃないって陽斗が教えてくれた。よく考えれば、陽斗
は入部してきたときからずっと俺の事応援しててくれたんだよね」
「・・・・・・それはアユ先輩追いかけて来たから」
「うん。ありがと。今になって思えば、それがどれだけ力強い応援になってたかよくわかるよ」
自分の調子を崩していったのも陽斗だけど、ここまでモチベーションをあげられたのも
また陽斗のおかげだ。
歩は自分の中にある、その思いの根源に目を向けた。どうしてこんなにも自分の中で
陽斗の存在が大きいのか。
その訳にやっと辿り着く。歩は紅潮した頬を指で掻いた。
「・・・・・・これからも、俺の事応援し続けてくれる?」
「勿論ですよ!」
「きっと、来年は陽斗のライバルになるよ。陽斗、本当にいい球投げるし。エースの座を
簡単に譲る気はないけどね」
茶目っ気いっぱいに笑うと、陽斗は真剣に答えた。
「俺だってエースになりたいです。ピッチャーとして入部した限りは誰だってそう思います」
「うん」
「マウンド争うくらいの気持ちはあります。正々堂々とそのときは戦います。・・・・・・正直
まだアユ先輩に勝てる自信はありませんけど。今日のスライダーもストレートも自分より
数倍よかったから。ピッチャーとしては、アユ先輩は目標で、尊敬してて、ライバルに
なれたらいいなって思います。・・・・・・でも」
「でも?」
「アユ先輩の事はずっと好きです。その気持ちに変わりはありません」
きっぱりと宣言する陽斗を眩しそうに歩は見上げた。
「陽斗ってさ、陽斗の球とそっくりなんだね」
「どういう意味ですか」
「直球。ストレートでぐいぐい押してく」
苦笑いを含んだ言い方で歩は言う。
「お、押されちゃいましたか?」
「・・・・・・気がついたらね、差し込まれてた」
カウントツーエンドワン。無理矢理振らされたバットは陽斗の思い通りの内野ゴロで、あっさり
アウトを取られてしまう。
「陽斗の視線がいつの間にか、心地よくなってたんだよね」
「?!・・・・・・視線?!」
歩の言っている意味が分らなくて、陽斗は驚いて聞き返す。
「うん。俺の事、見てるときの陽斗の視線」
「お、俺・・・・・・相当イヤラシイ視線で見てますよ!?」
「うん。分ってる」
歩が小さく笑う。
「犬とか、弟とかそんな存在になんてなれないですよ?!」
「うん。分ってるって。そういうのじゃなくてもいいんだ」
そこまで言って、歩の顔がひどく赤くなっている事に漸く気づいた。
「それって・・・・・・」
「し、試合が終わったら、答え言うって、言ったでしょ!」
狼狽しながら、大袈裟な手振りで歩が喚く。その姿が愛らしくて、陽斗は耐え切れず歩に
飛びついていた。
「アユ先輩、むっちゃ好きです!」
「は、陽斗?!」
「それがアユ先輩の答えなんですよね?俺の事、恋愛の対象としてみてくれてるってこと
ですよね?!」
腕の中で小さくなっている歩から、溜め息笑いが漏れた。
「陽斗って、速球だねえ」
「俺中学の時についたあだ名、速球王子ですから」
「それつけた人、陽斗の事本当によくわかってる人だね」
クスクスと歩の笑い声が聞こえる。速球王子ってそう言う意味で言われてたのか?自分でも
振り返ると思い当たる節があって、苦笑いになる。
「速球ついでに、速球もう一発投げてもいいですか?」
「?」
歩を身体から少し離して、頬に手をかける。その意思を伝えたつもりだったけれど、陽斗は
不安になって言葉にしてしまった。
「もう、違うなんて言わないでくださいよ?」
「うん。分ってるって。・・・・・・俺も、陽斗のこと、ちゃんと好きだよ」
頬を引き寄せて自分の唇を歩に重ね合わせる。
ぴりっとした甘い痺れが陽斗にも歩にも走る。通電したみたいだ。
目を閉じて歩の唇の感触を楽しみながら、陽斗はこの瞬間をどれだけ夢見てきたか、思い
起していた。
気持ちが通じる自信はこれっぽっちもなかったけれど、どこかでこうなる予感はあった。
歩のあの球を見たときから、歩を追いかけ続けて、歩だけを欲していた自分。
その歩が腕の中にいる。必然のような運命のような。引き寄せられたタスキには、赤い
糸までくっついていたのかもしれない。
「・・・・・・当分、みんなには隠さないとなあ」
「隠し事は得意ですよ・・・・・・でもまあ、颯太先輩にぶん殴られる覚悟はできてますから」
「ん?なんで、そこで颯太が出てくるの?」
歩が首を傾げる。
陽斗は困った顔を向けた。颯太は颯太で決着をつけなければいけないときが必ず来るだろう。
でも、それは自分が言うべきことじゃない。
颯太には報告するつもりはないけれどバレた時は堂々勝負してやると、陽斗は胸の中に
ある歩を抱きしめながら思った。
「暗くなっちゃったね」
「まだ8月も来て無いのに、すっかり夏が終わった気分ですよ」
「・・・・・・ダメだよ、燃え尽き症候群は!」
「?」
「湧井先輩達の夏だって、まだこれからあるんだから、俺達の夏だってまだある。・・・・・・
っていうか、もう始まってるんだ、きっと」
「来年に向けて?」
「うん」
高校球児たちの夏は終わらない。
やがて来る次の夏に夢を馳せて、陽斗は隣で笑う歩と共に甲子園を投げ抜いている自分を
想像した。
「一緒に行きましょう。甲子園」
「うん。絶対にね」
頷いた歩の肩を引き寄せる。抵抗なく陽斗の胸に吸い寄せられると、歩は照れくさそうに
目を閉じた。
もう一度、陽斗はその形のいい唇に自分の唇を重ねると、小さな音を立てて吸った。
汗臭さの中に歩の甘い香りがする。それを堪能するように何時までも吸い付いていると
歩が身体を捩った。
「も、もう・・・・・・恥ずかしいから・・・・・・」
恋愛に関してはズブのド素人らしい歩の反応に、陽斗は自分色に染め上げる楽しみを感じて
興奮する。
「俺、いつでも速球勝負ですから!」
公園に響き渡るくらい大きな声で陽斗が叫ぶ。
「もう、陽斗!この速球王子!」
立ち上がって歩が陽斗にボールをぶつけた。陽斗は暗闇の中に浮かぶ白球を手で受けると
それを大切に胸に押し付ける。
繋がった気持ち。投げたボールはちゃんと返ってきた。
「アユ先輩、キャッチボール!」
「えー、もう真っ暗だよ」
「見えますって」
言葉では嫌そうな表情を作ったが、歩はバッグの中からグローブを探し始めてる。
陽斗もグローブを取り出すと、歩から受け取ったボールをグローブの中で転がした。
出来ればずっと、このキャッチボールが続けられるように、そう願いながら陽斗は歩
に向かって白球を投げる。
自分の思いを乗せたボールは、歩の中に届くだろうか。
暗闇の中で歩の白いシャツがぼんやりと浮かぶ。パシッとグローブに収まる音がして、歩
が声を出した。
「ナイスピッチング!」
暗くなった公園に、何時までもキャッチボールの音が響いていた。
了
2008/08/06
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