年の瀬が迫った頃、クラスに不穏な噂が流れていた。
「高城亜希が55キロまで減るか減らないかで賭けが流行っている」
その頃になると、亜希のダイエットは学年中に知れ渡り、バスケ部の鬼エースの真野が
ダイエットに協力していることもあって、亜希はちょっとした有名人になっていた。
だから、亜希が真面目にダイエットに励んでいても、後ろ指さして笑うヤツや、冷ややかな
目で見ていくヤツも当然出てくるし、他のクラスの真野ファンの女子に嫌味を言われた事
も何度かあった。
その噂も亜希の耳にも入って来たけれど、敦子達が「絶対周りを気にしちゃだめよ」と
しきりに言うので、亜希も深くは探らないようにした。
けれど、この噂の真相を確かめなかったことで、亜希のダイエットはターニングポイント
を迎えることになってしまったのだ。
□□亜希のダイエット記録□□
12月某日――ダイエット73日目
実行中のダイエット:豆腐ダイエット+レコーディングダイエット+
真野のスパルタダイエット(!)
朝食:ご飯、お味噌汁、目玉焼き、ヨーグルト
昼食:購買で買った惣菜パン4つ
夕食:豆腐、おからハンバーグ、海草サラダ
体重:74.2キロ。減らない!こんだけがんばってるのに〜!!
一言:そういう時期だ。諦めろ。諦めて運動しろ(真野)
この所、亜希の口癖は
「もうダイエット止めたい」
だ。
ダイエット初めて、2ヶ月と半月。急激な右下がりのグラフを描いていた体重は、緩やか
になり、そして停滞した。
前日と同じか、軽く100グラム増えていたり、そしてまた減ったりと、ジグザグ、ジグザグ
細かい波を打ちながら、亜希の体重のグラフは横線をたどっている。
それを見るたび、亜希はため息と共に、やる気を失くしていった。
「だって、どんだけやっても、もう減らないもん・・・」
「でも、亜希ちゃんダイエット始めてから6キロ近く減ったのよ?すごいじゃん。顔だって、
気持ちほっそりした気がするし〜!」
敦子が萎れる心に水をかけると、真野が
「だけど、お前4月の体重測定で75キロだったんだろ?やっと4月に戻っただけじゃねえか。
スタートラインにやっと立てたな」
と、心の折れそうになることを言った。
けれど、亜希の身体は4月当初の75キロとは違って、顔も身体も引き締まって見えている。
クラスメイトもそれを認めていて、「高城、やるじゃん」と感心してくれる友達もいた。
根がゲンキンな亜希はその言葉を聞けば、やっぱりもうちょっとがんばろうと思って、
ぐらぐらと揺れる体重を何とかその場で踏みとどまらせていた。
「高城!ボール行ったぞ!」
体育の授業がバスケからバレーに変わっても、亜希にとって、体育の授業が好きになる事
はない。苦痛だ、苦痛だと思いながらやる授業はやっぱりしんどくて、今日も後ろ向き100
パーセントの気分でコートに立っていた。
「トス上げろ!!」
真野が怒鳴りつけて、亜希は慌てて、ボールの下に入った。
「うぐっ」
6人制のゲームで、どうしてまたも真野と同じチームになるんだろう。
亜希はボールの下でトスを上げると、真野がアタックを決めた。見事な連携プレーに敵チーム
からも、おおっという歓声が上がって、真野は一瞬、亜希に対するいつもの口癖が止まって
しまった。
『動け、デブ』
亜希はちゃんと動いた。動けたのだ。
やるじゃん。真野は亜希には届かない小さな声で呟くと、
「一回くらい決まったからって、ニヤニヤすんな!」
とやっぱり亜希に厳しい口調で怒鳴りつけていた。
「亜希ちゃん、今日の体育の授業、ちょっとかっこよかったよ〜」
昼休み、亜希が購買のパンを頬張りながら雑誌を読んでいると、隣に座った敦子達が、亜希
に話しかけてきた。
「うんうん。見直したっていうか。やっぱりダイエットの効果出てるんじゃない?身体が
ちょっと軽くなったって、自分でも思うでしょ?」
「うーん、どうかな」
「絶対出てるって!今までだったらあんな俊敏に動けなかったもん」
それはそれで失礼な発言のようだけど、事実だから仕方ない。亜希は少しだけダイエット
の効果を信じた。
「でも、この所、体重全然落ちないんだよ」
「落ちなくても、引き締まってるならいいじゃない。今はきっとそういう時期なんだって。
よく言うじゃない、2,3ヶ月すると停滞する時が来るけど、それを超えればまた落ちて
行くって」
「・・・・・・そういうもん?」
「そうよ〜。だから、がんばってよ」
「う、うん・・・」
「そういえば、今度の豆腐ダイエットはどう?」
「スープもおいしかったけど、そろそろ飽きたから、目新しいのは丁度いいよ。しかも
一日1回、ご飯を豆腐に変えるだけだから、負担も少ないし・・・・・・効果があるのかよく分から
ないけど」
亜希がため息を吐くと、敦子達はうんうんと頷いて慰めた。
「大丈夫だって。効果出てくるよ、きっと」
「それに、スロトレ止めて、真野君の特別メニューこなしてるんでしょ?」
「はあっ!!」
亜希は真野の名前を聞いて豪快に声を上げた。
「どうしたの?」
「あの馬鹿!!むちゃくちゃなんだよ!!20分走れとかさ、腹筋20回を一日に5セットとか
いきなりそんなことできるかって」
「うわ〜きっつー」
「ありえないって!!俺をバスケ部員にでもするつもりかってーの!」
「でもやったの?」
「やったよ!だって、あいつ、やるまで家帰してくれないし・・・・・・」
暗くなるまで、亜希の筋トレに付き合った真野の心境を考えると、敦子達は少し複雑な気分
になった。
真野がそこまでやる理由を敦子達も気づいていないのだ。
「まあ、そこそこにねー」
そこそこで止めさせてもらえないような雰囲気を全面に出した真野を思い出して、亜希は
泣きそうになっていた。
□□亜希のダイエット記録□□
12月某日――ダイエット80日目
実行中のダイエット:豆腐ダイエット+レコーディングダイエット+
鬼真野のスパルタダイエット(俺を苛めてるだけにしか思えない!)
朝食:ご飯、お味噌汁、納豆、ヨーグルト
昼食:おにぎり3つ
夕食:豆腐、コロッケ、コーンスープ、サラダ
体重:74.0キロ。壁が・・・74キロには俺の超えられない壁がある!!もーヤダ!!
一言:腹筋を誤魔化すな!!(真野)
終業式が終わって、いよいよ明日から冬休みが始まるという時になっても、亜希は真野の
特製スパルタダイエットをさせられていた。
寒い体育館の隅で、何故だかバスケ部に混じって亜希は筋トレをしていた。
「む、無理・・・俺、腹筋が切れて死ぬんだ・・・」
亜希は、もう後一回も起き上がれないと、腹筋を止めて自分の身体を床に転がした。
どんだけ運動しても、体重が思うように落ちていかない。特にここ数日は、74キロに近づいて
は、また遠ざかっていて、74キロには透明の壁があって、亜希をこれ以上通さないように
しているようにしか思えなかった。
「高城!!休むな!!」
亜希が体育館の床と一体化していると、容赦なく真野の言葉が飛んできて、それどころか
マグロみたいに床を引き摺られて、一人隔離させられてしまったのだ。
「何すんだよ!」
「邪魔!今からゲーム!お前はここで腹筋の続きしろ!あと10回。絶対やれよ!」
「もう無理!!」
亜希が寝転がったまま叫ぶと、真野が冷ややかな目で亜希を見下ろした。
「やれよ」
「無理!俺、自分なりにすげえがんばった!!」
「がんばっても、痩せなきゃ意味ないだろうが」
真野に言われて、プチンと亜希の頭の線がはじけた。
「お前、結果ばっかり求めてるけど、俺ががんばってるの全然わかってくれないんだな!」
亜希は起き上がると、冬場なのに上気した身体で真野に食って掛かった。
「アホか!ダイエットなんて結果が全てだろ。痩せてないのに、何言ってんだ。過程が大事
なんて、どこのスポーツマンだ。そんなダイエット聞いたことないわ、この、どあほう」
真野に頭を叩かれて、亜希が叫ぶ。
「何すんだよ、馬鹿真野!!」
バスケ部のメンバーがそれに反応してこちらを見ていたが2人ともお構いなしだ。
「もう、いい!!俺、もう止める!」
亜希が泣きそうな顔で訴えると、真野が底意地の悪そうな顔をした。
「止めさせるか!お前が55キロまで痩せるまで、絶対やらせるからな」
「やだ!!もう止める!もういいんだ!!こんな辛い思いしてまで痩せたくない!!」
「勝手に決めてんじゃねえよ!」
顔つきが険しくなって、真野が亜希の胸倉を掴んだ。
「・・・・・・なんで、そこまでして俺の事痩せさせようとすんだよ!俺がもういいって言って
んのに。文化祭の約束ならミサちゃんだってもういいって言ってるし」
そんなことは、一言も言ってないけれど、美咲も分かってくれると、亜希は思った。
真野に掴まれたジャージを無理矢理解いて、睨み返す。真野はそんな亜希の、ほんの少し
だけスリムになった顔を見て、眉を顰めた。
今の亜希が痩せたら、どんな顔をするんだろう。
実は、真野の中には、遠足のバスの中で見たスリムな小学生の亜希がいつまでも心に
残ってるのだ。心に引っかかって、時々自分でも想像してしまう。
勿論、もう一度自分の前に現れて欲しいなんていう願望があることは、絶対の秘密だった。
真野を掻きたてる全ての――唯一の理由。
自分が亜希に惚れてるかどうか、実のところよく分からない。分からないからこそ、痩せた
亜希を見ればこの気持ちも確かめられるかもしれないと、真野には真野の自分勝手な理由
があって、亜希を痩せさせたいと、力を貸したのだ。
なんとしても、亜希を痩せさせて、スリムな美少年になるはずの亜希と対面したい。
そのときこそ自分に向き合える。このもやもやした気持ちにも決着が付けられるはずだ。
真野は自分の気持ちを隠したまま、威圧的に亜希に命令した。
「約束なんてどうでもいいから、とにかく痩せろ」
「なんでだよ!」
「なんでもいいから、痩せろ!俺の言った筋トレしろ!」
「嫌だ!もう、俺、止めるって!」
「止めさせないって言っただろ。死ぬ気でやれ!」
「何で!なんで真野は・・・・・・」
真野の真剣な顔に、亜希は怯んだ。そして、そこまで言って亜希はふと噂を思い出していた。
『高城亜希が55キロまで減るか減らないかで賭けが流行っている』
耳を塞いで立って、どうしても自分の噂は気になるし、何しろこの噂には続きがあったのだ。
『首謀者は真野で、真野だけが55キロに減る方に5万円も賭けてる』
わなわなと手が震えた。
「真野・・・・・・お前がそんなに真剣になる理由・・・まさか・・・・・・」
「ああん?」
「俺だって、馬鹿じゃないんだ!噂くらい知ってんだからな!!」
亜希に言われて、真野は自分の気持ちを隠すためにやったことを思い出した。
金儲けの為。そう言っておけば、真剣になっている自分を正当化できる。
「ああ、賭けのことか」
真野の軽い返事に、今度は亜希が真野の胸倉を掴んだ。
「ふざけんな!俺はお前のおもちゃじゃない!」
「俺にだってそれくらいのメリットがあってもいいだろうが。なんで善意で付き合って
やらなくちゃならないんだ?」
悪びれる様子もなく、真野は鼻で笑った。
「勝手に賭けの対象にしたり、お前は遊びのつもりかもしれないけど、俺は今までずっと
真剣にやってきたんだぞ!馬鹿にすんな!!」
頭に血が上って、そして悔しくなって、何故だか涙が浮かんだ。それを悟られる前に、亜希
は真野を突き飛ばす。真野がよろけている間に、
「やってられっか!!」
そう叫んで、体育館を飛び出した。
「ふざけんな・・・ふざけんな・・・!真野の馬鹿野郎!!」
亜希は極寒の北風が吹き荒れる中、思いっきり走って、真野から逃げ出した。
その日から、亜希が体育館に現れることは無かった。
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