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きょうの料理


 レシピ2: 腹黒ナスのデリカテッセン―前編



――新しい録音、一件デス。

『あ、綾真兄ちゃん?元気でやってる?最近連絡ないから心配してるよ、みんな。
来月、帰って来れるの?ってか帰ってきてよ。
ところでさ、お母さんが「綾真はいい人いないの?早く身を固めて欲しい」ってうるさいん
やけど〜。
私に言わんといてって感じ。帰ってきたら何とか言っといてよね。あ、後、帰ってきたら
おいしいもの作ってね。みんなそれ期待してるから〜。
・・・・・・じゃあ、学校がんばって〜』

留守電を聞いて、綾真はカレンダーを見た。溜息が出る。忘れていたわけではないけれど
もうそんな季節になるのかと時の早さに驚くばかりだ。
「・・・・・・やべっ!バイト遅れる!」
綾真は身支度を整えると慌ててアパートを飛び出した。





夕食時のピークを過ぎた頃、誠史がやってきた。今日はいつもより早い時間で、誠史の他
にも2,3組の客がいた。
「いらっしゃい」
高森の言葉にやや遅れて、綾真も営業用の声を上げた。
「……いらっしゃいませ」
「こんばんは」
誠史は先日のサラダの一件のことなどすっかりなかったかのように、いつも通りに入って
来て、いつも通りに「いつもの」を注文した。
あの後、綾真は何度も高森に頭を下げた。これが伯父の高森ではなく修行のために働いて
いる店だったとしたら、綾真は首になっていても仕方なかった。大切な常連客をないがしろ
にするような行為を高森が黙認してくれたのは、綾真の料理に対する真面目な気持ちが
痛いほど溢れていたからに過ぎない。綾真は申し訳ない気持ちの中に、それを認めてくれた
ことへ心から感謝した。
綾真は手際よくキムチ奴を作ると、ビールサーバーからジョッキにビールを注ぎ誠史の前
に運んだ。
「お待たせいたしました」
「うん。この前はどうもご馳走様」
「……」
「今日も、特別に何か作ってくれるの?」
誠史には珍しくニヤニヤと意地悪そうな笑いで話しかけられると、綾真は頬を硬くして首
を振った。
「きょ、今日は何にもしませんっ!」
「そうなの?綾真君が特別に作ってくれるの楽しみにしてたのに」
「ふ、普通に注文してくだされば、普通に作りますっ」
あの一件があるまで殆ど誠史と無駄口を利かなかった綾真が、随分と慣れてきたように
会話を繰り広げている。
そのやり取りが面白くて、高森がクククと喉を鳴らした。



誠史が「いつもの」でビールを楽しんでいると、次の客が店に入ってきた。
「いらっしゃいっ・・・・・・ああ、田所さん!久しぶりですね」
客の顔を見た途端、高森の顔がくしゃっと崩れた。年は高森よりもやや上で、ジャケットを
脱ぐと貫禄のある腹がその存在を主張していた。
「いや〜、よかった。よかった。まだ潰れてなくて」
「まだ、がんばってますよ・・・・・・もしかして、こちらに帰ってこられたんですか」
「やっとね」
田所と呼ばれた客が席に着くと、高森は厨房の奥から綾真を呼んだ。
「綾真!……綾真、ちょっと来い!」
「……はいっ」
奥から顔を出した綾真も田所の顔を見つけた途端に破顔した。
「あっ田所のおっちゃん!!」
「お!?久しぶりだな、綾真!」
「おっちゃんこそ」
綾真にとっても旧知の仲らしく、随分と表情が柔らかいなあと誠史はそのやり取りをぼんやり
と見ていた。
「コラ、綾真!お客様だぞ」
「あっ……ご無沙汰してます。いつ以来でしたっけ」
「あはは、いいよいいよ。俺は今でも綾真のおっちゃんや。しかし7年ぶりだよ。漸く単身
赴任から解放された」
「それはそれは、お疲れ様でした」
「綾真はあれからずっとここなのか」
「いや……あの時のバイトは高校卒業で辞めたんだ。それで普通に就職したんだけどね」
綾真は照れくさそうに頬を掻いて、経緯を話すと田所は驚いて目をぱちくりさせた。
「そりゃまた大変な体験をしたなあ。最近はどこも景気悪いから、大丈夫だって会社は
どこにも存在しない。呑喜と縁があってよかったなあ」
「こいつにリタイアしたら店やるなんてデカイこと言っちゃったもんだから」
「いやいや、綾真の料理はあの頃から旨かったから。期待してるよ」
「ありがとう……何でも注文してよ。あの頃よりは少しはマシになってるから!」
自分と接するときには絶対に出てこないはにかんだ笑いが妙に可愛いなあと誠史は思いながら
カウンターで一人酒を進めていた。
「それにしても、綾真は益々伯父の方に似てきたな」
「え?そう?」
「高森家の遺伝はクロスなのかね。顔も料理の腕も」
田所がそういうと、高森が僅かに眉間に皺を寄せて頷いた。
「あいつは……何時まで経っても子どもの舌でしたから。こればっかりは俺に似て正解
だったと思いますよ。顔の方はなんとも言えませんけどね」
「顔はどっちに似てもお得だからいいじゃないの」
「俺と父さんってそんなにタイプ違うかなあ?」
綾真が頬を押さえる。けして大人びてない顔立ちだが、とぼけると益々子どもっぽく写った。
「違うなあ。だって伯父さんと綾真の父さん、おんなじ兄弟なのに全然違うだろ?」
「確かに伯父さんと父さんの顔は全然似てないけど……」
田所は笑って店内を見渡した。ふと目が止まったのが誠史で、田所は妙に納得した顔で
首を縦に振った。
「俺の記憶では、お前の父さんは、どっちかって言うとこの方みたいだよ」
「ん?俺ですか?」
突然話を振られて誠史は驚いた。
「いやいや、こんな若い方を引っ張り出したら失礼ですよ、田所さん」
「……そうだな。まあそんなことより、旨いもの食わせてくれる?」
田所は話を強制終了して高森に振った。
「そうですねえ……綾真、今日仕入れてきた賀茂茄子、まだ残ってる?」
「……あ、はい。あります。……おっちゃん、揚げ茄子の煮浸し好きだったもんなあ」
「綾真、作って差し上げて」
「お!嬉しいねえ」





田所が揚げ茄子の煮浸しを食べきったところで、ポケットのケータイが音を立てた。
「……ちっ!呼ばれたか。すまん、召集だ。実は今日は、久々に帰ってきて、みんな元気で
やってるか顔出しただけなんだ。また今度ゆっくり来るよ」
「そうだったんですか。じゃあ、またゆっくり来て下さい。お代は結構ですんで!」
「お、嬉しいね」

「旨いもん作って待ってるよ」
「そりゃあ楽しみだ」
田所はスーツを鷲づかみにすると、慌てて店を出て行った。
急に店内が静まり返って、息苦しくなると誠史は珍しく他人のプライベートを口にした。
「昔の常連さんですか」
「常連でもあるけど、その前に親戚なんですよ。俺とは従兄になるんですけどね、綾真
からしたら、なんていうんでしょうね。それほど近い縁ではないけど昔から綾真は田所さん
に懐いてて……お見苦しいところ見せてしまってすみませんね」
「いえ、全然構いませんよ。綾真君の別の一面が見れて楽しかったです」
「……田所のおっちゃんって、昔からあの体型だったんです。俺、初めて会った時、本物の
ケンタッキーのおじさんが来たってすっごく嬉しくてあのお腹触りまくってて。おっちゃん
全然怒らないどころか、クリスマスの時なんて本当にサンタの格好して家に来てくれたり
して……。だからバイトとお客様っていう立場になっても中々けじめがつけれなくて」
綾真は照れたように昔の話をした。
「綾真君って昔もここでバイトしてたんだ?」
「ええ、まあ……」
綾真は一瞬寂しそうな顔を見せた。
「伯父さんの好意で、14のときからやってるんです。初めのうちはバイトというより家事
の手伝いって感じでしたけどね。掃除と洗い物と・・・・・・米研ぐくらいだったから」
「そんな昔から?」
「・・・・・・働かないとやってられなかったんです。あ、金銭的なことよりも精神的にって
ことですけどね。今は金銭的な部分も多いですけど」
「そうなんだ」
精神的な事がどんなことだったのかは流石に突っ込めなかったが、誠史が疑問に感じていた
ことは解決した。
誠史が呑喜に通いだしたのは今から4年ほど前。丁度綾真が就職していなくなった頃で、
入れ違いで常連になった。「新しく入ったバイトの子」がそれにしては慣れていると感じた
のはそういう経緯があったからだ。
昔話をしたのが照れくさかったのか、綾真は落ち着かないでいた。
「あ、誠史さんナス食べます?田所さんに作った煮浸しがあるんですけど……」
ふいに振った食べ物の話に誠史のオーラが変わった。
「ごめんね、俺、ナス嫌いなの」
「またですか!?」
「またでごめんね。生まれて37年、ナスなんて一度も食べたことないよ」
「は!?」
綾真は驚き半分、軽蔑の目で誠史を見ていた。
「食べたことない!?それでよく嫌いなんていいますね」
「だって、見た目からしてやばいでしょう。黒いんだよ?黒い食材が旨いなんてありえないね」
それが正論だとでも言うように誠史はふんと鼻を鳴らした。
「食べたこともないのに嫌いなんて、そっちの方がどうかしてると思います」
食べ物の悪口になると綾真も黙っていられない。子ども染みた喧嘩が始まる前に高森が
割って入った。
「なんや、誠史君は未だにナス食べられへんのか」
「……貫き通してます。あんな黒いもの食べるくらいなら絶食したほうがマシです」
そこまでナスを侮辱する人間に綾真は会ったことがない。一気に沸点まで達した頭で綾真は
誠史にメンチを切ってしまった。
「そない言うなら俺、絶対誠史さんにナス食わせて見せます!」
「ふうん?」
誠史はまたも面白そうな顔を覗かせてそんな綾真の様子を眺めていた。





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