「吉沢課長〜、おっはようございまーす」
今朝も営業1課に、無駄にでかい声が響いた。
「出たな、この大馬鹿社員。吉沢課長に近寄るな。馬鹿がうつる」
「深海先輩、ひどいっす。そんなことないっすよねえ、吉沢課長〜?」
1課のブースに現れた吉沢さんに、何故だかこぞって挨拶をしてる俺と新井を見て、後ろから
失笑がした。
「大きな飼い犬2匹が主人の取り合いしてるみたい」
「課長モテモテですね」
「ちょっと、俺と新井を同列扱いするのやめてくださいよ」
振り返って反論すると、斉藤さんがおどけたように「同じじゃないのか」と言い、それを
受けた吉沢さんまでもが、「大して変わんないな」とわざとらしくため息を吐いた。
さらにその台詞を聞いてブース内に笑いが起きる。
声に出して「とほほ」と言いたい気分だ。新井が入ってきてからというもの、俺の1課内
での評価は更に落ちて、今や新井と同類なんて思われてるんだから、ホント情けない。
もう少し出来る男なところを見せたいんだけど、事ある毎に新井に邪魔されて、全然
ぱっとしないし、この不景気で営業成績も思ったような数字はでないし、いいとこなしだ。
まあ、他の人にどう思われてても、吉沢さんだけに分かってもらえればいいんだけどさ。
その肝心の吉沢さんの評価がこれだから切ない。(みんなの手前そう言ってると信じたいけど)
「深海も新井も、今日は午後イチで会議だから遅れるなよ。新井は資料まとまってるのか?」
「はい!ばっちり出来てます!」
「・・・・・・そうか。深海がお前のこと元気がなくて仕事が手についてないみたいって言って
たけど、大丈夫そうだな」
「吉沢課長〜〜〜!!!」
「何だ?」
「俺のこと・・・心配してくれてたんっすね!大丈夫っす!俺、元気出ました!!」
新井は子どもみたいに「元気もりもり」と体中で表すとニッカリ笑って見せた。
「そう・・・」
俺、新井の尻に尻尾が見える・・・。しかも、全開でぶんぶん振り回してるヤツが。
俺、あそこまで露骨じゃないと思うんだけどなあ。吉沢さんもその態度には半ば呆れ
返っている。
大体、新井の「吉沢課長好き」の根本が俺と同じかどうかっていうのもいまいち分からない。
恋しただの、好き好き言ってる割に、どう見てもゲイって感じじゃないし、かといって、
そのまま放っておくのも、癪に障るし。
触らぬ新井に祟りなしだから、自ら泥沼引き起こすようなことはしないけど。
新井を通り越して俺と視線が合うと、吉沢さんは苦笑いを見せた。
「あんまり深海にも迷惑かけるなよ」
さりげないフォローが身に沁みて嬉しい。
「はいっす!」
1課のブースに新井の馬鹿でかい声が響いて、今日も相変わらずな一日が始まった。
仕事終わりに、俺はレストランに向かっていた。
3ヶ月に一度くらいのペースで仲のいい同期の飲み会があるのだけれど、この日の飲み会
は珍しく同期の女の子が5人も参加するという大盛況で、行きつけの小汚い居酒屋ではなく、
落ち着いたイタリアン系のダイニングレストランに集まることになった。
全員が揃うまで、俺はタバコを加えながら一番隅に座って、ケータイにメールを送っていた。
『飲み会終わったら、帰りに寄ります』
退社するときに、吉沢さんにそう送ったメールの返事は
『ジム行ってるから、いないかもしれないぞ。同期の飲み会なんだからゆっくりして来い。
同期は大切にしろよ』
だったから、俺はありがたく今日はゆっくり同期と飲むことに決めて、吉沢さんに今日は
寄らないことをもう一度メールした。
毎日会いたいっていう気持ちはあるけれど、自分の時間も大切にしたい。べたべたいちゃ
いちゃする時間も楽しいけど、それだけじゃダメになってく。
吉沢さんと付き合い始めて2年。やっと自分たちの距離が落ち着いてきたような気がする。
付き合い始めた頃の、毎日ヤっても飽きないっていう確変みたいな状況は、そうそう
いつまでも続くはずはない。大体、そんなやりまくってたら、俺の身体持たないっつーのな。
いいんだ、それで。セックスの回数が減っても愛情が減るわけじゃないんだし。それを
俺も吉沢さんも分かってるから、相手の愛情をむやみに疑うことはしてないはずだ。
でもなー、一緒に暮らせたらどんな生活になるんだろうな。
その夢は諦めきれない。吉沢さんの部屋にあったマンションのパンフレットが頭に浮かんで
モデルルームの写真の中に俺と吉沢さんを置いてみた。
ソファに座って、肩寄せあって、そのまま眠りこけて・・・・・・今と変わりないけど。でも
「吉沢さんの部屋」と「俺と吉沢さんの家」じゃ大違いだ。
吉沢さん、本当にマンション買うつもりなのかな。
ふと、この前会ったときの態度がちょっとおかしかったことを思い出した。あれから、
取り立てて、マンションのことを話題にしたりしないし、あの不審な態度の原因も分からず
じまいだし・・・・・・。
そんなことを考えていたら、正面に座った同期の中でも一番気が合う三ツ矢が、俺のため息
を指さして苦笑いした。
「深海、なんか顔疲れてるじゃん」
「・・・そりゃあ、もう!疲れることだらけだって」
「ああ。あれ?前に言ってたアホな後輩か?」
吉沢課長という恋人のことで頭がいっぱいなんて言えるはずもないから、俺は切り替えて
三ツ矢の話にあわせた。
「そう!あいつ、ホントに勘弁してほしいよ。今回だって、兄貴が結婚するから心配で
仕事にならないとか、ありえないっつーの!」
「なんだそれはー。相変わらず大変だなあ、深海んトコのは」
「新入社員の頃は、1年我慢すればなんとかなるって思ってたけどさー、1年経っても全然
成長してないんだもん、参るわ」
残り少なくなったタバコを灰皿にぐりぐりっと押し付けて、俺は大きく伸びをする。
「深海君、お疲れー」
間抜けな顔で伸びてるところに、同期の女の子達がやってきて、俺はそのままの体勢で
適当な返事をした。
「うっすー」
「三ツ矢君もお疲れ様!・・・・・・みんな疲れた顔してるよー」
「女の子達は元気だなあ」
「だって、久しぶりに合コンじゃない飲み会なんだもん」
「なんだそれ」
「男の目気にせず、がつがつ食べられるでしょ。・・・・・・あー疲れた!早くビールビール!」
「あ、あたしもビールください〜」
「まだ注文通してないって」
女の子達が集まって一気に場が華やいだ。いや、実際は華やいだどころではなく、店の
雰囲気などお構いないといった感じでしゃべりだしている。
女の子達のパワフルさに半ば圧倒されながら、飲み会は始まった。
女子5人に男子4人。大所帯の飲み会だ。合コンでもないから、腹の探りあいも無いし、
あっけらかんとしてる。共通の仕事の愚痴から始まって、同期の結婚の話に広がって、
そして女の子達の「あたしも結婚したーい」のオチは形式美みたいになっている。
今回の飲み会はその女の子がいつもより多い所為で、話は色恋沙汰の割合が多くなって
いて、俺は内心気が気じゃなかった。
だって、
「ねえねえ、深海君は結婚どうなのよ」
ほら。これ。着実に既婚者が増えていく年齢になって、俺の立場もだんだんと狭くなって
いる。
「まだまだって。30過ぎてからでもいいかなあ、俺は」
「そんな事言ってると、婚期逃すよ」
「深海君って付き合ってる人いるんだっけ?」
「あたしの友達、紹介してあげようか?」
女の子のありがた迷惑なパワーに負けて、ポロリと本音。
「・・・・・・いいよ、つ、付き合ってる人・・・いるし」
「ええ!?そうなの!?初耳!!」
しまったなあ、そう思ったときは遅くて、みんなの視線が一気に集まっていた。
「い、いるだろ。普通。恋人の一人や二人くらい・・・」
逃げるように、タバコを咥えて、みんなの輪から顔を逸らした。
これだから・・・俺の口は危険なんだ。口は災いの元。吉沢さんに叩き込まれてる教訓を
ぎりぎりのところで保って俺はビールと一緒に飲み込んだ。
女の子達の声を聞き流して、顔を逸らした先、すぐ隣のテーブルに、どこかで見た事の
ある顔にぶつかった。
スーツ姿のサラリーマンで、35歳くらいのガタイのいい男だ。ツレを待っているのか、
テーブルに一人で座ってタバコをふかしていた。
どこかで見た。・・・どこだったっけ?
そう思っていると、ウエイターが水を持ってやってきて、その男の前においた。
「ツレが来るので注文は後でお願いします」そう言ってにこやかに笑った途端、俺は思わず
声に出して、その名前をあげていた。
「あっ・・・前園さん!」
吉沢さんの家で見た、名刺の男だ。名刺の写真と同じようにニコリと笑っている。
「?!」
ぽろっと出した声に、その視線の先にいる男ともばっちりと目が合ってしまった。
「何か?」
人当たりのよさそうな顔。そのくせ逃がしてはもらえなそうなオーラを放って、男は俺を
見つめる。
そりゃあ、そうだ。見ず知らずの人間にいきなり名前を呼ばれれば、不審にもなるだろう。
俺は頭を掻いて、ぺこぺこと謝った。
「あ、いや・・・すんません。・・・・・・どっかで見たことあるなあって思って・・・・・・知人の家で
マンションのパンフレット見て・・・・・・名刺にあなたの顔があったの思い出して、それで・・・・・・」
思わず叫んでしまいました、と。
下手くそな日本語で説明していると、相手のオーラが一気に柔らかくなって、顔つきも
急に営業マンっぽくなる。
「そうだったんですね。ありがとうございます。ギャラリーにお越しくださった方でしょう
かね?」
同期の手前、吉沢さんの家に行ったなんてことは知られたくなかったから、俺は、適当に
ごまかした。
「さあ・・・多分ちょっと寄ってパンフレットだけもらってきたみたいなこと、言ってました
けど・・・・・・」
「そうですか。また是非いらしてくださいとお伝えくださいね」
「はい・・・」
実物で見る前園さんは出来そうなサラリーマンだ。物腰としゃべり方で、わかる。営業に
とって第一印象は一番大事だ。どんなにトークが上手くても、初めにずっこけると、後から
巻き返すのは、大変なんだ。それは身に沁みてる。
前園さんは、一見すると体育会系みたいな身体だけど、柔軟さを持っていると思わせる
オーラが出ていた。
きっと、この不景気にも負けないくらい営業成績いいんじゃないのか?友人のマンション
業界の話だと、今はどこも厳しいらしいけど、きっとこの人は上手くやってるんだろうな。
羨ましい限りだ。
「あなたも、よかったら見に来てくださいね」
ラグビーでもやってたようながっしりした身体に優しそうな笑顔が浮かんだ。ああ、そうか。
この人に合う言葉は「実直」だ。
「あはは、俺は先立つものがないっすよ・・・」
俺が前園さんと当たり障りのない会話をしていると、女の子達が俺を飛び越えて会話に
加わってきた。
「深海君のお知り合いですか〜?」
もう俺の付き合ってる人の話なんてどっかに消えてしまったらしい。切り替えが早いって
すばらしいよね。
「マンションの営業さん?どちらの?」
「えー!あの駅前の!あのマンション素敵だと思ってたのよねー」
見れば女の子達の視線がほんのりと色づき始めている。・・・・・・こういう男がタイプなのか?
「見学だけでも結構ですよ、一度いらしてくださいね」
「きゃあ。いきたーい!」
「あたしもー!」
黄色い声に押されて、俺は思わず席を立って、トイレに逃げ込んでしまった。
「あー、なんだ、前園さんもうすぐ結婚するんですかぁ」
「羨ましい〜」
トイレから帰ってくると、俺の居場所がないくらい女の子達は前園さんに迫ってしゃべり
込んでいた。
「俺、向こう行こうか?」
テーブルからタバコをつかんで空いている席に移動しようとしたら、女の子達は、はっと
したように身体を下げた。
がっついているように見えるのは女の子としては不本意らしい。よく分からんないなあ
女の子ってヤツは。
俺は自分の席に座って、女の子達と前園さんを見比べた。
「結婚するんですか」
「聞こえてました?」
「ええ、そこだけ」
「まだ式の日取りが決まっただけですけどね」
「へえ、おめでとうございます」
なんだか最近多いなあ、結婚。流行ってるんか?アホの新井の兄貴も結婚とか言ってたし。
「深海君は、どうなのよ」
「俺は、まだまだぜーんぜんだって!」
うわ、墓穴。せっかく飛び越えてきた穴を、一周して落ちてしまった。
吉沢さんとつきあってく限り、結婚とは無縁だからなあ。
「いやいや、焦る必要なんてないですよ。それに、いざ結婚ってなると、いろいろあるし」
前園はニコニコと笑いながら言った。
それに答えるように、女の子が楽しそうに笑う。
「いろいろって、なんです〜?」
「あ!分かった。昔の彼女に偶然再会しちゃったとか」
「女の人って、勘がいいんですねえ」
「やっぱりー!そうなんだ。再熱しちゃいそうで、困っちゃってるとか」
きゃっきゃした声が飛び交う。女の子ってどうして他人の「恋ばな」ですらこんなに盛り
上がれるのか不思議だ。
「再熱はしてないですけどね。相手は、もう昔のことって思ってるみたいだし」
「あー、わかるー。女って恋が終われば、それはもう過去の話って片付けちゃう子、多い
もんね。新しい恋が始まれば、昔好きだった人は、今は好きじゃないもの。でも、男の人
ってそうじゃないんでしょ?」
そう振られて、俺も前園さんも口篭った。俺は昔の恋人のことなんていちいち思い出さない
けど、自分が振った子は、いまでも俺のこと好きかもしれないって思ったことはある。
そんなこと言うと女の子に「絶対ありえない」っていわれるに決まってるから、口には
出さないけど。
「・・・・・・まあ、再会したのは彼女じゃないんですけど、久しぶりに会ってぐらぐらしちゃって
ね。あ、これは秘密ですよ」
絵に描いた実直が歪んだ。
所詮男だ。
「結婚前のラブロマンスか〜。結ばれないから余計に燃えちゃうとか!」
「結婚式で奪っちゃうとか!」
全く、どこまで本気なのか分からないトークだ。俺も前園さんも苦笑いでその話を聞いていた。
飲み会は11時近くまで続いて、それからみんな1次会で解散になった。次の日も仕事だし、
所帯持ちもいるし、俺も進んでもう一軒という気分にはならなかったから、久しぶりに
素直に自分のアパートへと帰った。
電車を降りて、湿っぽい空気の中を歩きながら、ふと、新井の言葉が頭に浮かんだ。
『兄ちゃん、どうも未練がある人がいるみたいなんっすよ。昔の恋人っぽいんすけど、その
人ともう一度ちゃんと話したいとかなんとか・・・・・・』
あれ・・・?なんだ、これ。
恋人と再会ってのも流行ってるのか?
心に引っかかる糸は、まだもつれたままどこにつながっているのか見えていなかった。
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