なかったことにしてください  memo  work  clap




「今日はお先です。お疲れさんでした」
6時になると吉沢さんがブースに顔を出して一言そう言った。それに反応して、メンバーが
驚愕の声を出す。
「珍しく定時に帰るんですね」
「何かあったんですか?」
「明日雪降るんじゃないの?」
「ちょっと用事だって。たまにはノー残業デイがあったっていいだろ?」
散々驚かれて、吉沢さんは6時きっかりに退社していった。
 その用事とは、俺への最後の言葉を伝えること・・・・・・なんだ、きっと。
俺は吉沢さんに遅れること1時間、適当に仕事を片付けて、吉沢さんのマンションへと
向かった。
「お疲れさん」
玄関を開けると、疲れ気味の吉沢さんの顔と見覚えの無い男物の靴が目に飛び込んできた。
「誰かいるんですか?」
「前園さんがな」
「!!」
ああ、やっぱり・・・・・・。帰りたい。聞きたくない。別れ話なんて・・・・・・。
「そんなところに突っ立ってないで、早く入りな」
「・・・・・・はい」
吉沢さんは微妙に目を逸らせたまま、俺を中へと誘った。
 リビングにはスーツ姿の前園さんがソファでコーヒーを飲んでいて、俺を見つけると、
どうもお世話になりますと、営業用の顔を作って挨拶をした。
「・・・・・・どーも」
ぼそぼそと呟くと、後ろから吉沢さんに背中を押された。
「ほら、座って・・・・・・」
「はい」
2人がけのソファに俺と吉沢さん。それからガラスのローテーブルを挟んで対面に前園さん
が座った。なんだか微妙な位置取りだ。
「じゃあ、始めますか」
そんな合図で別れ話を始められても困るんですが・・・・・・。
 前園さんは鞄から数枚の紙を取り出すと、テーブルの前に並べ始める。
何をするつもりだ?
 資料を並べてる間に、吉沢さんに頭をつかまれて無理矢理頭を下げさせられた。
「えっと、なんだか2人は知り合いみたいですけど・・・・・・これが深海です。よろしくお願い
します」
「ええ、まあまあ存じてますよ。最近ちょっと様子のおかしい深海君ですよね」
「!?」
びっくりして思わず吉沢さんを振り向くと、扱いに困った子どもを見るような目で俺を
見ていた。
「深海の心はどこで迷子になってるんだろうな」
「・・・・・・」
吉沢さんはどこまで俺のことを前園さんに話してるんだろう。2人はそんな密な仲なのか。
 2人で俺の事苦笑いしてる、そんな被害妄想みたいな想像してまた落ち込む。
「では、改めて。こちらが吉沢さんのご希望いただいているお部屋の間取りになります」
何が始まるのかと思ったら、いきなりマンションの資料が出てきて、俺は軽いパニックに
なった。別れ話じゃないのか?
 吉沢さんは間取りの載っている紙を俺に手渡してくる。
「深海、どう思う?」
渡された間取りをぞんざいにそれを見た。3LDKの8階角部屋。
「いいんじゃないっすか?」
「2人で住むなら十分な広さだと思うけど、狭い?気になるところある?」
2人?ああ、もうこの2人はそんな話までしちゃってる状態なのか。俺の付け入る隙なし!
 前園さんを見ると、前園さんは表情一つ崩さずに営業マンらしい顔で俺達のやり取りを
聞いている。
「あー、それで、前園さんと2人で住んじゃったりするんですね。いいっすね」
投げやりな態度で返答すると、吉沢さんが怪訝な顔をした。
「なんで俺と前園さんが一緒に住まなきゃならないんだ」
「じゃあ誰と一緒に住むって言うんですか!」
「お前以外いないだろ!」
「え?」
俺?驚いて自分を指さすと、吉沢さんはむすっとした顔になった。
「やっぱり嫌なのか」
「ええ?」
俺?は、話が・・・・・・よく見えない。今日は一体なんで呼ばれたんだ、俺?
「・・・・・・そうか、分かった」
あからさまにため息を吐いて、吉沢さんが広げた資料をかき集め始める。
「すみません、前園さん。やっぱりこの話はなかったことにしてください」
「いいんですか?」
「だって、本人が望んでないですから」
言い切った吉沢さんに、眉間に皺を寄せて前園さんが俺に言う。
「深海さんは、吉沢さんと一緒に住みたくないんですか?」
悲しそうな顔をぎりぎりのポーカーフェイスで隠そうとしてる吉沢さんを見て俺は慌てた。
「違います、違いますって!そうじゃなくて、俺は、吉沢さんは俺と別れて、前園さんと
一緒に暮らすんだと思ってて・・・今日だって別れ話されるんだと思ってたくらいなんです!」
そう正直に白状すると、吉沢さんは切れ長の目をグリグリに見開いて、立ち上がった。
「ちょ、ちょっと!ちょっと待て!深海!お前何言ってんの!?」
心底驚いた声を上げて、そのまま固まっている。
「だって、前園さんが・・・・・・」
「前園さんが?」
2人同時に前園さんを見ると、前園さんはおどけたように、片手を上げて「はい」と返事
をした。
「・・・・・・吉沢さんと前園さんはそういう関係だったんですよね」
「はあ?そういうってどういう関係だよ!」
「前園さんが、『一度たりとも遊びで抱いたことはない』って」
言った途端、吉沢さんが顔を真っ赤にして前園さんを睨み付けた。
「前園さん!!深海に何言ってるんですか!」
やっぱり知られたくない過去だったんだ、そう納得しかけると、前園さんの営業スマイル
が徐に壊れて、軽い笑いが漏れてきた。
「くくっ・・・」
「??」
「あはは、もう限界だなー」
「限界?!」
「前園さん!深海に変なこと教え込まないでください!」
ふるふると吉沢さんの頬が揺れた。それから暫く黙り込んで、パズルの最後のピースが
見つかったみたいな顔をする。
「・・・・・・ああ、そうか。ああ!ああ!分かった。深海がここ数日おかしくなってたのは、
これか。ったく、また馬鹿な勘違いして・・・・・・ああ、もう。深海の馬鹿。大馬鹿野郎!!」
「あのう、そんな馬鹿とかいきなり怒られても何のことだか」
前園さんは俺達のそんな様子を余裕の表情で眺めて、一通り笑った後で俺に言った。
「吉沢君、そんな馬鹿馬鹿言ったらかわいそうだよ。深海君、君ももう少し裏を取ってから
落ち込みなさいな。俺、「抱いたことある」なんて言った?」
「は?」
「はいはい、ごめん。吉沢君を遊びで抱いたことなんて一度も無いけど、遊びでも一度も
無いんだよね」
「え?」
「だからさ、そんなことしたこと一度たりともないってこと」
「ええーーっ!?」
無いって、嘘って事?そういう関係じゃなかったってこと?
何だそれは!俺は騙されたってことか?!何で、何のために!?
 困惑する俺に、頭を抱えてる吉沢さん。それを面白がって笑う前園さんに、俺達は同時に
叫んでいた。
「前園さん!!」
「はーい。はい。ごめん、ごめん。ちょっとした冗談だったんだけどなあ・・・・・・深海君が
ここまで真に受けるなんて思わなくて」
吉沢さんが疲れ果てた顔で俺を指した。
「深海は単純でそういう冗談は通じないんです!こいつは、あなたのトコの弟さんと同じ
くらい大馬鹿なんです!」
「吉沢さんそれひどい・・・・・・って、あれ?新井の兄貴って知ってたんですか」
「普通、弟が世話になってるって分かれば挨拶の一つもするでしょ」
「そりゃそうですね・・・・・・じゃあ、前園さんが結婚することも知ってたんですか?」
「知ってたよ。前園さんも結婚を期に、マンション購入予定だったからいろいろとアドバイス
もらってたんだから」
うわあっ!もう何これ。俺、一人でくるっくる踊らされてたってこと!?
 前園さんの掌で間抜けなダンスを踊る俺。釈迦の指に戯れてた孫悟空もびっくりだ。
「そういうことでした。なかなか面白かったよ、深海君」
疲れが大波のようにやってきて、ザッパーンと俺を飲み込んだ。文字通り「orz」こんな
状態になって、盛大に蹲った。
「具体的な話はまた今度の方がよさそうだね。2人できちんと話し合っておいて。また
出直して来るよ」
前園さんは、一呼吸置いて、また営業マンの顔に戻ると、俺を客扱いしはじめる。
「資料は置いていきますので、深海さんも一度目を通して置いてくださいね。では、また
ご都合のよい日、連絡ください」
そう言って立ち上がると、唖然としている俺達2人を置いて、さっさと部屋を出て行って
しまった。
 どうしてこの人はこうも勝手なんだ!





「待って!・・・・・・待ってください!前園さん!!」
話があるからと言って吉沢さんを部屋に残したまま、俺は前園さんを追いかけた。
 吉沢さんのマンションを出て、近くの公園の前を歩いている所を見つけると、俺は大声
で前園さんを呼び止めた。
「ちょっと!待ってください!」
「・・・・・・深海君、わざわざ追いかけてきて何?忘れ物?」
肩で息を整える。
「前園さん、何で、あんなこと・・・・・・」
不安げな顔で見ると、まだその話?と眉をしかめられた。
「だから、冗談だったって言ってるでしょう。ちょっと意地悪したかっただけ」
「何で・・・・・・」
「だってさー。久しぶりにあった後輩に、あんなに惚気られちゃったら意地悪したくなる
ってもんだよ」
「惚気?」
「・・・・・・悔しいから教えるつもりは無かったけど、吉沢君はね、深海君と一緒に住むこと
前提で部屋探してたの。まあそれがすっごく楽しそうだったわけよ。二人で住むにはこれ
くらいリビングが広いほうがいいとか、洗面所は並んで使えるかとか。どこの新婚さんか
って思わせる勢いでね。そのくせ、本当に一緒に住めるか分からないなんて、変なトコで
悩んでて。深海君に話した過去の男の話は本当なんだけど、あれで吉沢君、ちょっとした
トラウマになってるみたいでね。一緒に住みたいけど、深海君が当時の自分と同じ気持ち
だったらって思ったんじゃないのかな。それ見ててさー、あの吉沢君が一緒に住みたいと
まで思わせる相手って誰だろうって、覗いて見たくなってね」
「そんな・・・・・・」
吉沢さんのそんな姿想像できなくて、俺は軽く眩暈がした。
「じゃ、じゃあ、本当に嘘なんですか」
「嘘って?」
「吉沢さんを遊びで抱いたことなんて一度も無いっていうあの発言!」
「当たり前でしょ。吉沢君の性格考えなさい。あの潔癖な人間が、いくら世話になったから
って関係のあった男と自分の恋人引き合わせたりしないだろ。それに俺は、生まれてこの方
一度たりとも男を抱いたことなんてないよ」
このため息は、安堵なのか、気疲れなのか。全身の力が抜けてよろめいた。
「俺の独り相撲・・・・・・」
「そゆこと。吉沢君は一秒たりとも俺の方に傾いたりしてないから、安心しなさい」
「はい・・・・・・」
俺の勘違いは漸く解決された。・・・・・・ん?でも、ちょっと待てよ?
「でも、前園さん、ちょっと本気でしたよね!?」
「ん?」
「だって、初めて会ったとき、あの飲み会のとき、偶然隣に前園さんが座ってて、女の子
としゃべった時、吉沢さんと付き合ってるのが俺って知らなかったのに、昔の思い出の人
に出会ったとか言ってたじゃないですか。あれは吉沢さんの事ですよね?!」
参ったねと、前園は肩を竦めて苦笑いした。
「吉沢君、自分の方向に向かってくる気持ちには鈍感っぽいからね」
「じゃあ、やっぱり!」
パクパクする俺に前園さんは人差し指を口にして「しぃ」のポーズをとる。
「今後の平和を願うならオフレコにしとけよ。深海君」
「・・・・・・」
「あの当時、確かにぐらぐらしちゃった瞬間もあるし、久しぶりに再会して、その思い出が
ちょっと蘇っちゃったこともある」
「・・・・・・」
「けどね、俺は結婚するの。10年も付き合った、かわい〜い彼女とね。ベタ惚れしてる男
がいるような人間をわざわざ掻っ攫おうなんて、そんな酔狂なこと誰がするかい」
ベタ惚れ・・・・・・
 吉沢さんが俺をそんな風に惚れてるようには思えないけど。
「大切にしてやりなさいよ、吉沢君のこと」
「・・・・・・言われなくてもしますよ」
「うんうん。そうして。じゃあおやすみ。また会いに行きますよ。契約書持ってね」
そう言うと、前園さんは颯爽と闇夜に消えていった。
 俺は、遠く吉沢さんの部屋を見上げて、その明かりに吸い込まれるように歩き出す。
「・・・・・・帰ろう」
頭の中はまだぐちゃぐちゃのままだったけど、俺は迷わず吉沢さんの部屋へと向かった。



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