なかったことにしてください  memo  work  clap



 昔の浮気相手ほど厄介なものはない。
しかも、浮気の終わりが「ただの疎遠」になったからという理由になると、元カノよりも
数百倍もややこしくなる。
 彼女だったら「好き」があって「恋愛」があって「別れ」があるわけだけど、浮気相手
の場合はそんな感情は「どうでもいい」のだ。
 少なくとも浮気が浮気であるうちは、感情なんてなんでもいい。遊びやちょっとした息抜き
そんな程度でしかない。
 けれど、そこには列記とした感情が存在していることも確かだ。
嫌いな女と寝るほど悪趣味じゃないし、少なからず好意を持っていたのだからそういう
関係になったんだ。
 優花に対しても、あの頃は好意はあったんだろうと思う。付き合ってた彼女に対して嫌気
が差していたっていうのもあるけど、優花に気持ちがあったのもまた事実で、それは優花も
同じだった。
 だからと言って彼女を捨てて優花と付き合う気にはなれなかったし、優花も俺を「恋人」
として迎える気はなさそうだった。(優花も当時付き合ってた彼氏がいたわけだし)
 そういう曖昧な感情をチラつかせながら関係が続いて、就職を機に俺は優花とぷつりと
切れた。
 そういう余裕がなかったんだ、お互い。新しい生活で精一杯だったし、その疲れを癒して
貰いたい相手でもない。
 恋人じゃないから「別れ」はないし、自然消滅というより「ずっと連絡をとってない友人」
というくくりで、俺は優花を記憶の隅に追いやっていた。
「今更、現れてくれても、困るんだよなあ・・・」
自分のアパートで、ベッドに転がりながら、天井を見上げる。結局あの後、吉沢さんの
マンションには入れてもらえなかった。
 妙なところで潔癖なんだよなあ、あの人。浮気した事ないなんて、どこの純潔乙女だ、と
思ってしまうわけだけど、そんな事言おうもんならゴミ溜めに捨てられてしまう。
 俺は手にしたケータイを見つめた。ケータイには早速のメール。

『偶然だったけど、逢えて嬉しかったよ〜。また遊ぼうね』

送信元には桜井優花の名前。アドレスはやっぱり消してなかったらしい。わざわざ消す必要
がなかったのだから、残っていて当然だ。元カノのはあっさり消したのに。
「なんて返せっていうんだよ・・・・・・」
返信の言葉に困って、唸り続ける事1時間。
  浮気相手が厄介なのは、こうやって再会したときだ。例えばこれが元カノだとすると、
気まずい再会になるか、もしかしたらリセットしてまた一からはじめるなんてことはある
のかも知れないけど、それでも元のように盛り上がるまでにはそれなりの時間を要するだろう。
 でも、浮気相手はちがう。あの時の状態でセーブされたままだから、そこからリロード
すれば直ぐにでも話が進められてしまうんだ。
 吉沢さんと付き合う前なら、そのセーブデータを引き出して俺もまた同じ過ちを犯して
いたかもしれない。それくらいのリスクを背負ってもいいくらいの感情は残っていたと
思う。
だけど、今はそんな気にはなれないんだ。彼女には好意も何も感じない。それどころか
彼女は伏兵みたいな存在なんだ。
 俺と吉沢さんの平穏な生活に忍び寄る伏兵。水面を揺らすように俺を脅かす存在。
・・・・・・蒔いた種は俺なんだから、俺が悪いんだろうけど。
ああ、後悔先に立たずってこう言う事をいうんだな。浮気なんてそのときの恋人にさえ
ばれなければ何とでもなると思ってたんだけど、そうじゃなかったらしい。
 会いたくないなあ・・・。でも、恋人でもないのに、「もう会えない」なんていうのは、
変な気がするんだよな。友達にわざわざ言う台詞じゃないんだけど、優花はもうただの
友達でもない。
 嫌いじゃないけど、あの頃と同じような感情にはならない。勿論会って浮気するなんて
絶対ありえないし、第一、面倒くさいから会いたくない。
 だけど、「会いたくない」ってメールに素直に返信できないのは、逃げてるのか、いい
人ぶってるのか、それとも良心の呵責なのか。

 結局そのメールには返信せずに、俺はまどろみの中に引き込まれていった。






 口は利いてくれる。仕事も普通にするし、会社で会えばいつも通りに接してくる。
大人として当たり前なんだろうけれど、そう言うところだけ見てれば、特別に代わり映え
のしない日常。
 ・・・・・・だけど、俺と吉沢さんはあの一件以来まともに恋人として付き合っていない。
格別怒ってるようには見えないところが、また怖い。どうも吉沢さんにとって、浮気は
最大のタブーらしいのだ。
 そりゃあ俺だって、吉沢さんが今浮気してたら、それこそ許せないと思うだろうけど
過去の話なんだから、もう少し多めに見てくれたっていいじゃないか。
「今日はもう一件、回ったら帰社するからな」
「あ、はい」
社用車の中だって普通にこうやって話しかけてくれるけど、ビジネスの話しか会話は続かない。
恋人の会話をしようとすれば、無視されるか、話題をすりかえられてしまうんだ。
「そういえば、昨日頼んでおいた資料はもう出来てる?」
「あと纏めたら出来ます。会社に帰ったら、吉沢さんのところに持って・・・・・・」
穏やかに(表面上だけど)しゃべっていると、ダッシュボードに置いたケータイが震え
出した。バイブでケータイが揺れて慌ててそれを手にする。
 見ると相手は優花だった。
(参ったなあ・・・)
あれから、もう一度メールが来て俺は曖昧な返事をした。「時間があったら」とか「都合
が付いたら」なんて体裁のいい断り文句なはずなのに、優花はどうもそうは取ってくれな
かったらしい。
 バイブは震え続けている。着信を見つめて俺は溜息を吐いた。
「・・・・・・出れば?」
「いや、いいんです!仕事中だし・・・・・・」
俺は躊躇いながらもケータイの電源を切った。それと同時に後でフォローの電話の一つ
でも入れればいいかと曖昧な事も思って、ダメなヤツだなあと自分でも呆れてしまう。
 嫌なら嫌と言えばいいのに、それが男のダメなところなんだろう。本来、長いものには
巻かれるタイプだし、流されるのには弱い。
 吉沢さんがハンドルを握ったままボソリと呟く。
「会うのか?」
俺を非難しているような、ちょっとだけ拗ねているような口調。吉沢さんにも電話の相手
が誰なのか気づいているらしい。
 俺ってそんなに分りやすい人間?
 ううん、そんなことで凹んでる場合じゃない。ここで失敗しちゃダメなわけで、俺は本気
で吉沢さんの台詞を否定した。
「いえ、絶対会いません!もうそう言う関係じゃないし!」
ぶるぶる首を振って吉沢さんに縋る。吉沢さんの心をこれ以上離しちゃいけない!
「絶対、絶対、会いません!浮気も二度としません!吉沢さんとの愛に誓って、絶対しない
っすよ〜」
「・・・・・・」
「信じてください。俺の一発に賭けて誓いますから」
誠意を込めて誓うと吉沢さんは軽く笑った。
「ばーか」
「はい?」
「もういいよ、別に怒ってるわけじゃないし。・・・・・・ただちょっと深海の事分んなくなっ
てただけ。俺は浮気した事ないからそういう気持ちわかんないから・・・」
「すみません・・・・・・。あ、でももう二度としませんよ!」
「当たり前だ」
車の中は一気に穏やかになった。
 コレでなんとか乗り切った、そのときは確かにそう思ってたわけだけど・・・・・・。






 あれから優花にはメールで「仕事中だったから電話切ってゴメン」と一言だけメールを
返した。
 今思えば、あそこでメールを送信しなければ、ぷちんと切れていたのかもしれないのに。
あれは絶好のチャンスだったかもしれないのに。
 俺と優花のメールのやり取りは、そのままずるずると何日か続いた。他愛のない会話。
返事を返すときもあれば、面倒くさくて返さない日もある。
 そのいい加減さがいけないんだろうなって後になってから思ったのだけど、そのときは
もう遅かった。
そうして、幾度となくメールをやり取りしていると、少しずつお互いのプライベートに
も入り込んでくるわけで、俺も優花もお互いの恋人の存在を白状していく事になった。
 当然相手が吉沢さんって事は黙っていたし、俺の方は普通に仲良くやってることしか
言わなかったけれど、優花の方はそうでもなかった。
 彼女の愚痴相談そう言うのを通して、大して興味もないのに出会いから現状まで、俺は
色々と知る羽目になってしまった。
 要するに彼氏と上手くいっていないのだ。
やっと繋がる。優花の執拗なメール攻撃。優花は上手くいってない彼氏の代わりに俺に
慰めて欲しいのだ。昔はその逆をやっていたわけだから、彼女にとってそれは当然の権利
なんだろう。
 俺が前の彼女とギクシャクしていた時、散々発散させてもらったわけだから・・・・・・。
都合がいいのはお互い様で、優花が俺を利用しようとしている事に腹は立たない。だけど
迷惑ではある。しかも、ものすごく。
 自分の時は相手の都合なんてお構いなく誘っておきながら、自分の時はダメなんて、俺
なんて身勝手なんだろうな。
 だけど、彼女の欲望を満たす事は絶対出来ない。はっきり言って今の彼女に魅力を感じ
ないし、吉沢さん以外の人間を抱くなんて考えただけで萎える。
 そうやって心の中で彼女を拒否しながらも、面倒くさがりながらメールに返事してる
この矛盾。
 そんなことしてるから、こういう決定的なメールが来てしまうんだ。
ディスプレイを見つめて、うがあっと叫んだ。

『深海君、明日の夜会えない?』

どうすんの!どうすんの、俺は!
 約束した。誓った。吉沢さんにもう二度と会わないと言った。
例えここで、「明日は無理」と言っても彼女は諦めないだろう。必ず次の日程を探すに
決まっている。
 浮気相手が欲しいのなら新しい男でも見つければいいのに、なんて思うのはずるい。
俺のしたことを思えば、そんな拒否はずるいんだ。
「はあっ・・・・・・そうだよな。それしかないよな・・・・・・」
唇を噛み締めて、ぐっと身体に力を込める。
「うっし」
そうして、俺は優花のメールに返信をした。






「吉沢課長!深海先輩!」
朝から新井の馬鹿デカイ声で呼び止められた。新井はニタニタしながら近づいてきて、俺
の隣に並ぶ。
「・・・はよう」
「吉沢課長、おはようございます」
「おはよう。新井は朝から元気だなあ」
吉沢さんが久しぶりに柔らかい笑顔を見せている。漸く機嫌が直ってきたようで、これなら
もう一息で吉沢さんのマンションにも入れてもらえるような気がする。
 新井は俺を見ると、そのアホ面を一層台無しにした。
「なんだよ、ニヤニヤして気持ち悪いヤツだなあ」
「ぐふっ」
「何だあ?」
「俺、昨日いいもの見ちゃったんすよ!」
「いいもの?」
聞き返せば、新井は俺のわき腹をコツいてくる。先輩にやることじゃないけど、いちいち
怒るのも面倒くさくて俺はそれを無視した。
「惚けなくたっていいんですよ!」
「はあ?」
新井は含み笑いでたっぷり笑った後、
「隠さなくたっていいっすよ!」
と言った。
「だから、何の事だよ」
「やだなあ、吉沢課長に美人で優秀な彼女がいるなんて言っておきながら、美人の彼女が
いるのは深海先輩だったんじゃないっすか!」
「はあ?!」
そんな事実、ナイナイ!・・・・・・いや、まてよ。昨日見たって・・・それって・・・

this is ま・ず・い

背筋が凍る。不穏な空気が漂って、右側にいる吉沢さんの表情が一気に曇り始めた。
 ついこの前、絶対二度と会わないって誓ったばっかりなのに、吉沢さんにしてみれば最大
の俺の裏切り・・・・・・にしか見えない・・・・・・よな、やっぱり・・・・・・。
「へえ、深海、そんな人がいたのか」
吉沢さんが引きつった笑いで会話にまぎれてくる。
 まずい。新井、いいからもうこれ以上しゃべるな!!
「はい。俺、昨日ちゃんと見ましたよ。あれは間違いなく深海先輩と彼女さんでした」
「ち、違う。人違いだって。俺昨日、仕事終わってソッコー家帰ったんだから」
右側から絶対零度の冷たい空気が轟々と吹き荒れてる、気がするんだけど・・・・・・振り向いたら
凍る。いや、もう右腕なんて凍ってる。
 新井空気を読め!いや、読めなくてもいい。この場から立ち去れ!
「えー、絶対深海先輩でしたよ〜。全く、深海先輩あんな綺麗な彼女隠してるんだから、
いいなあ・・・。俺もあんな綺麗な女の人、隣に並んで歩きたいっすよ」
死ね。新井、今すぐ死ね。そのへらへらした口を閉じろ!なんなら、いっそこの場で首絞めて
殺してやる。
 無意識のうちに新井に手が伸びる。新井の口を閉じるためなら、俺は殺人鬼にだって
なれるんだぜ!ってもう後の祭りなんだけど・・・。
「うげっ、苦しいっすよ。先輩」
「黙れっつーの、お前は!」
勿論新井が見たのは間違いなく俺。俺と優花。だけど・・・・・・それは・・・・・・
「そんな、照れなくたっていいじゃないっすかあ」
「この、ばかちんがーっ」
首を絞めながら新井にありったけの文句を言っていると、吉沢さんが俺達を置いて歩き
出してしまった。
 後に残るのは氷の刃が刺さりまくって再起不能の俺と、馬鹿面の新井。
「ああっ・・・・・・」
この調子だと言い訳も聞いてくれないだろう。
 今度こそ、終わった・・・・・・。



「新井ーーーっ」
「な、なんすか」
「お前なんて、七代祟ってやるっ!!」



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