「馬鹿が風邪引きよった」
「何言うて・・・ゲホゲホ・・・ぶえっくしょんっ」
「うぎゃ、汚ねえモン飛ばすな」
毬谷さんが風邪を引いた。
案の定というのか、自業自得というのか。
あの飲み会の後で、ベロベロになった毬谷さんを押し付けられて(上嶋はいつの間にか
女の子数人と消えていた!)
「送り狼になったらあかんよ」
なんてニヤニヤして女の子に見送られてJRに乗り込んだ。
それから高槻の駅で毬谷さんを押し出して俺は寮に帰ったんだけど、どうも毬谷さんは
そこで力尽きたらしく、駅員に起こされるまで駅構内のベンチで眠ってしまったらしい。
この真冬の夜中に、だ。
当然毬谷さんは風邪を引いた。
俺の前の席で他の営業と毬谷さんがしゃべっている。毬谷さんは何度もティッシュで鼻を
かみながら、涙目になって言った。
「日下があんなトコに捨てていくからや、このボケェ」
「だって、毬谷さんちゃんと帰れるって言ったから・・・」
「駅まで送るんなら、家まで送れ!」
「だって毬谷さんがココでええって言ったんですよ!」
本当は家まで押しかけてみたかったんだけど、毬谷さんは本能的に(?)それを断ったんだ。
「あー、もうええ、こんなトコで夫婦喧嘩すんな」
「なんや・・・て・・・・・・ゲホゲホっ」
毬谷さんの叫び声も咳と共に弱々しく消えた。
「馬鹿が風邪うつりよった」
「えっと、その・・・ゲホゲホ・・・ぶえっくしょんっ」
「うぎゃ、汚ねえモン飛ばすな」
毬谷さんの風邪がうつった。
案の定というのか・・・・・・いや、まて!何で!?何で俺、毬谷さんの風邪なんてうつってる
んだ?!
確かに社用車の中でゲホゲホやってたけど、それでうつるかな普通。いやうつるか。
「うつるようなこと、したんやろ」
営業さんがニヤニヤして俺と毬谷さんを眺めた。
「どんなことやねん」
俺にうつした毬谷さんはすっかり元気になって、何時ものように無駄口100%で社内をうろ
うろしてる。
「・・・一緒に社用車乗ってただけですけど」
「毬谷のモンなら何でも貰うんやな、日下は」
「いやーん、毬谷さん愛されとるやないの」
「アホか、日下になんか髪の毛1本やらんわ!」
「酷いです・・・ゲホっ・・・俺、髪の毛貰ったら、就職したときに妹に貰った家内安全のお守り
の中入れて肌身離さず持ち歩くのに」
「アホやろ、お前。ホンマにアホやろ」
「うわ、痛て。やめて、毬谷さん。マジで痛・・・ぶえっっくしょん・・・」
「汚ねえーーー、お前半径3メートル以上近づくな!!」
毬谷さんは近くにあった30センチ定規で俺を叩くと、その定規ごと俺を吹っ飛ばした。
俺はゴキブリですか!
脅威の回復力を見せた毬谷さんとは裏腹に、俺に乗り移った風邪菌(@毬谷さん)は俺の
中で増殖を続け、更に凶暴化し、そして俺は日に日に衰えていった。
「日下、お前ホンマに大丈夫か?」
「はあ、まあ・・・あんまり大丈夫とは言えないですが・・・・・・」
流石に1週間も風邪を引き摺っていると毬谷さんも原因が自分にあるだけに、少しは心配
してくれているらしく、普段より俺に押し付ける仕事量が減った。
「カオルちゃん今日はもうあがりー。毬谷さんに頼まれた見積もりなら私が作ってあげるし。
はよ帰って病院行きー」
「ゲホっ・・・ありがとう、ございます・・・ゴホっゴホっ、ゲホっ」
「大丈夫かいな・・・」
上司も呆れるほど咳と鼻水を撒き散らして、俺は今日中のデスクワークを何とか片付けよう
と残りの資料に手を掛ける。
正直しんどくて寮に帰って今すぐにでも眠りたかったけど、それができないのが哀しい
サラリーマンの性というか宿命というか。無理をするなと言われてもここでこの仕事を片
付けておかなければ、後でどんだけ大変なことになるかとか、どれだけの人に迷惑を掛ける
かとか、そんなことを考えてしまい自分の体調のことは後回しにしてしまう。
それって全然かっこよくないのに、周りの人がそうしているのを見ると自分もそうしな
ければいけない気分になって、結局体調はどんどん悪化した。
体中に力が入らない。熱もあるらしくキーボードの上で手を動かすだけで関節がギシギシ
鳴って痛い。自然と吐き出す息も荒くなるから、はあはあ言ってる変質者みたいだ。
「すんませーん・・・見積もり・・・検算お願い・・・します・・・」
「はあい。・・・日下さん大丈夫?目真っ赤」
「熱あるんだと思うんですけど、ウチ体温計ないし」
「計ってないん?」
「熱あるの見たら、ソッコウ倒れそう・・・」
「カオルちゃん軟弱やわー。毬谷さんなんてあんなにピンピンしてはるのに」
「毬谷さんの菌は強烈なんです・・・・・・」
「愛の重さやね」
俺の周りは、相変わらず俺の体調より、からかって楽しむ方が優先らしい。風邪が重く
なる度に、毬谷さんに看病してもらえだとか毬谷さんにうつし返せだとかのん気なこと
ばかり言ってる。
初めはその冗談にも笑って返せたけど、さすがに今は言い返す気にもならない。
歩くたび関節が悲鳴を上げるみたいに痛い。椅子から立ち上がるのですら辛い。
俺は検算してもらった見積書をそのまま事務の子にファックスで送ってもらえるよう
頼んだ。
「すんません、その見積もり・・・ファックスで送っといて・・・もらえ・・・・・・」
送付原稿を渡そうとして一歩前に足を踏み出した途端、身体中の筋肉が軟体動物みたいに
ぐにゃりと曲がった。
スローモーションで俺の身体が骨抜きにされていくみたいだった。
「あ、れ・・・・・・」
膝から下の感覚はない。もはや床と一体化しているようだ。
「・・・・・・!?」
「日下ぁ!」
「カオルちゃん!!」
「あ・・・・・・」
床が近づいてくる。そこで俺の意識は途切れた。
「日下ぁ・・・・・・勘弁してや」
次に気がついたときは、見慣れた天井と見慣れない毬谷さんのドアップ。しかも今日は
ちょっと心配顔バージョン。
ここ、寮?・・・・・・俺の部屋?
「ん・・・・・・?」
ポカンと口を開けて毬谷さんを見上げると、毬谷さんは珍しく優しい声を掛けてきた。
「お前、倒れたんや会社で。倒れるまで働くな。倒れられたらその方が迷惑やで?」
「・・・・・・すいません」
「あら、気い付いた?」
「え?」
少し顔を動かしてみると、毬谷さんの他に営業さんと事務の女の子が2人毬谷さんの後ろから
俺を覗いていた。
「な、んで・・・?」
「なんやお前は毬谷と二人きりじゃなくてがっくりしとるんか」
「いえ、その・・・」
「こんなヤワなヤツが日下を1人で運べるわけないやろ」
「そーや。倒れたカオルちゃん、ウチらでココまで運んできたんよ」
「そうだった・・・んですか・・・ご迷惑、ゴホゴホっ・・・かけて・・・」
「えーて、えーて。目ぇ覚めたんなら体温計り」
事務の女の子が鞄から体温計を取り出して俺の身体に突っ込んできた。よく見れば俺の頭
の下にはアイスノンがタオルに捲かれて敷いてあるし、ハンガーには着ていたスーツが
きちっと掛けてある。もぞっと動いたら自分がTシャツとスウェット姿なことに気づいた。
「着替えてる・・・俺」
毬谷さん以外の見上げた顔がニタァっと笑った。
「ぶっ・・・カオルちゃん、セクシィやったで!」
「そうそう。毬谷さんに脱がされて、はあって溜息吐いとった」
「ぇえぇー?!」
お、俺の着替え、毬谷さんがやったのー?!
「お前等うっさい。余計な事言わんでええ!」
「でも、随分手馴れた手つきやったなあ」
「そんなん、子ども着替えさせるのと同じやろ!」
「こんなデカイ子ども見たことないわ」
毬谷さんがからかわれて、俺はなんて言っていいのか困った。ありがとうございますって
呟いたら顔赤くして「礼なんて言うな」て怒ってしまった。
毬谷さんってなんで一々可愛いんだろう。
見上げたらぷいっと顔を逸らすその仕草すら可愛く見えてきた。
ピピ・・・と体温計が計測を終えた合図を知らせる。抜き出して見てみると身体の関節が急に
痛み出す。
「39度・・・」
なんだーこの熱!見たことねえ・・・って体温計った記憶もないけど。
「こーらー、体温見て怯えない」
「まあ、安静に寝とれ。明日は休んで、その代わり病院行って来いや」
「・・・・・・はい」
急に寒気がして、もぞりと布団を引き上げる。
「ほな、ウチら会社に仕事残してるし帰るわ」
「すんません・・・ありがとう・・・ゲホっ・・・ございます」
営業さんと事務の女の子が立ち上がって、そして最後に毬谷さんが立とうとしたそのとき、
毬谷さんは3人に肩を押さえつけられた。
「毬谷はココで日下の看病や」
「はあ?」
「直帰でええよ。どうせ仕事残ってないんやろ?」
「せやけど、看病て!何やそれ!」
「元は毬谷がうつした風邪や。責任とったれ」
「意味分からんわ!」
3人はニヤ付いた顔で毬谷さんを無理矢理部屋に残すと俺の部屋を出て行ってしまった。
一瞬でしんとした空間が出来る。暫くすると窓の外でエンジンの音がして彼等が完全に
毬谷さんを置いていったことを知った。
嬉しいんだか気まずいんだか。
「あ・・・の・・・」
見上げると毬谷さんは不貞腐れたようにふいっと立ち上がって、備え付けのミニキッチン
の方へと行ってしまった。
「お前は寝とけ。・・・粥くらい作ってやる」
「ま、毬谷・・・さん・・・」
大阪に来て初めて毬谷さんがホンモノのマリア様に見えた瞬間だった。
じぃーんとする甘い痺れを噛み締めて目を閉じると、毬谷さんがキッチンで何か作って
いる音が聞こえる。
何このいきなり彼女モード。毬谷さんのどこにそんなスイッチあったんだぁ?!
毬谷さんの手料理。(粥でも立派な手料理!)俺の部屋で二人きり。病気の俺を看病
してくれて、おまけに手料理まで作ってくれるなんて・・・!
毬谷さんの風邪菌もらっといてよかったーーーー!
貰えるモノはなんでも貰っておいて正解だった。身体はギシギシ痛いけど、このシチュ
はたまらんです。怪我の功名とかいうのですよね?!
毬谷さんは相変わらずキッチンで独り言を言いながら乱暴に水道の蛇口捻ったり棚を
開けたりしてる。
バタンバタンとうるさいけどそれも俺には祝福のクラッカー代わりだ。
俺の恋、一歩前進じゃねえのコレは。
そう思って布団の中でうふふと笑っていたら、一際うるさい声が響いた。
「日下ぁ〜!!なんだこりゃー!」
「・・・・・・?」
ずかずか歩いてくる毬谷さんが手にしているのはチューブ。
ぐいっと俺の前に出すと
「お前の冷蔵庫、なんで調味料がこれしかないんや!」
「えっと・・・そんなこと・・・いわれても・・・」
「つけてミソ!なんやそれ!」
「なんやそれ・・・と言われても・・・味付け味噌です・・・ゲホゲホっ」
毬谷さんが手にしてるのは俺の大好物「つけてミソ♪かけてミソ♪」というチューブ入りの
赤味噌で、正月に帰ったときに母さんが「お前はこれが好きだから沢山もって行きなさい」と
鞄の中に6本もねじ込んできたものだ。
「うわ、出よった!なんでも味噌文化!」
「え?・・・ダメっすか・・・?」
「味噌、味噌!お前もアレか、トンカツやらに味噌掛けて喰うヤツか」
「・・・トンカツどころか、ゴホっ・・・キャベツにだってそれ掛けますよ・・・」
「うげっ」
毬谷さんはむちゃくちゃ嫌そうな顔をして俺と「つけてミソ」を見比べる。
「お前等の舌はおかしいんちゃうか」
「おかしくないですよ・・・毬谷さんも食べてみたら・・・ゲホゲホ、分かりますって。これ
なんにでも合うんですって」
「こんな濃いぃモン、よう喰わんわ!・・・・・・てか塩!塩はどこあんねん!」
「ああ・・・右側の引き出しん中です・・・」
毬谷さんは赤味噌の悪態を散々つきながら、塩を取りに戻る。
マリア様降臨時間ははウルトラマン並にあっけなく終わってしまった。
フィ〜バ〜終了〜。鳴り響いていたサンバのリズムがどんどんと遠ざかっていく。
うわーん、待って俺のマリア様。(俺のマリア様はサンバのリズムで踊ってくれるらしい)
「日下ぁ?」
ひんやりとした感覚が伝わってくる。
どうやらあれからまた眠ってしまったらしい。ぼんやりとしながら目を開けると頭に
冷たいタオルが乗っていて、身体を起こすと布団の上に落ちた。
「お粥さん作ったけど、食えるか?」
「あ、はい・・・・・・」
差し出された茶碗にはいい照りのお粥が湯気を上げている。一口、口に含むと甘い味が
口の中を満たしていく。
「美味しいです」
「ミソ掛けたろか」
ニタっと笑う毬谷さんに苦笑いで首を振る。
「・・・・・・遠慮します」
流石に今は濃い味噌味は勘弁だ。それにしても意外。毬谷さん料理できるんだ。
「自炊してん、これくらい当たり前や」
そういうと、毬谷さんはちょっと不貞腐れ気味に顔を掻いた。照れてるんだろうな。
「ホント、旨いです・・・これ食べたらすぐ元気になりますよ」
「アホか。・・・・・・お前ホンマに明日病院行けよ」
「え?あ、はい」
頷くと、毬谷さんは言いよどんで俯いた。
「・・・・・・?」
「さっき、お前寝とるときな、よううなされとった・・・・・・」
「・・・・・・」
「うつして、悪かったな」
「毬谷さん・・・」
毬谷さんが伏し目がちな顔をする。ぎゅうっとまた体温が上がった気がした。
こっ、この生物を抱きしめたいっ・・・!
沈黙から逃げるように毬谷さんは俺から食べ終わった茶碗を分捕ると、市販の風邪薬と
湯冷ましを差し出す。
「はよう飲め。飲んで寝ろ」
言われたまま薬を口にする。粉薬は嫌いだ。口の中に苦い味が広がって思わず顔を顰めた。
「不味っ」
「お前は子どもか」
毬谷さんが珍しく笑った。いつも怒ってばかりの人の笑顔ってそれだけで反則技だと思う。
「昔、粉薬の喉に咽るカンジが大嫌いで、お湯の中に溶かして飲んだことがあるんですけど
あれは最悪でしたね。お湯は苦いし、溶け残った薬がドロドロになってるし。こっそり捨て
ようとしたら、母親に見つかって泣きながら飲んだ記憶があります」
「お前は昔からアホやったんやな」
毬谷さんが俺から湯飲みを取ってサイドテーブルに置く。俺は何の気なしに毬谷さんの行動
をボケっと見つめていた。
毬谷さんの細い腕が伸びる。そしてそれは俺の前髪を掻き揚げると、今度は毬谷さんの
顔が近づいてきた。
「ん?」
毬谷さんのデコが俺のデコに当たる。
「・・・・・・!?」
「熱、大分ええな」
「・・・・・・」
「・・・・・・?」
「・・・・・・あの、普通こんな風に、計りませんよ・・・ね?」
「!!・・・お前なんてガキやから、これでええんや!」
デコを引っ付けたまま、毬谷さんの口が動く。つやつやで綺麗な唇。息が掛かるとぶわっと
身体に痺れがくる。
毬谷さんの唇まであと5センチ。・・・4センチ・・・2センチ・・・。
その唇の近さに俺は未知のゾーンへと吸い込まれてしまった。
あ・・・・。
毬谷さんの唇が、吸い付いてる。
柔らかい。タバコ臭い。でも、なんだろうこの幸せな気分・・・って・・・・・・
えーー!えーーーー!えーーーーー!?
お、俺!キス!毬谷さんとキス!?何それ!!ちょーきもちー!ちょーラッキー!?
唇を貼り付けたまま、毬谷さんと目が合う。毬谷さんも相当驚いてるけど、俺なんて
もっと驚いた。
驚きすぎて血液が10秒で体内循環するくらい血がざわついて、沸騰して、高騰して
ぐるぐるどっかーん、爆発した。
興奮しすぎた俺はそのまま後ろの倒れると、そこで意識をなくしてしまったのだ。
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