なかったことにしてください  memo  work  clap






 肝心な物を幾つかすっ飛ばしている。何かがすっ飛んでいるコトはよく分かってるんだ
けど、何が肝心な物なのかがイマイチよく分からなくて、結局まあいいかで突き進む。
 だって俺だってよく分かんない。
この沸き上がって来る衝動が何かなんて。
ただ、運命だと思ったんだ。あの占いのおばちゃんの言葉は本当に当たってるんだって
直感で思っただけなんだ。





 毬谷さんのお粥を食べたからってわけじゃあないだろうけど、土日ぐっすり眠ったおかげ
で、俺の風邪はほぼ完治していた。
 咳が幾分出るものの、熱も頭痛もすっかりよくなり月曜の朝はそれなりに元気に出勤した。
「おはようございます、先週はご迷惑掛けました」
「おはよう。もうええの?」
「はい・・・ゲホっ・・・まだちょっと咳は出ますけど、大丈夫です」
事務所の入り口で事務のお姉さんとしゃべっていると、出社時刻ギリギリで毬谷さんが
歩いてきた。
「やべっ、遅刻や」
タイムカードに打刻すると今日の日付に8:59の時間が見えた。ホントギリギリで来る人だな。
俺も大して人の事は言えないけど。
「毬谷さん、おはようございます!」
休みの間中、俺の頭の中で妄想が膨らんでいた所為で生の毬谷さんを見るとドキっとする。
「・・・でよったな、この風邪菌保有者が!」
「もう治りましたよー、毬谷さんの特製お粥のおかげで」
そう言うと、毬谷さんはイヤな顔をして、手でしっしと俺を追い払う動作をした。あの時
のマリア様はどこへ行っちまったんだよ・・・
「お前なんて、あのまま死ねばいいのに」
「酷!部屋では、あんなに優しくしてくれたのに・・・」
ぼろっと零した言葉に後ろにいた事務のお姉さんが首を突っ込んでくる。
「いやだあ、何その意味深な発言ー」
「ええ?」
振り返るとお姉さんがニヤニヤして、俺と毬谷さんを交互に見ていた。
「毬谷さん、ついに落ちちゃったん?」
「んなことあるかあ!!なんもあらへん!」
毬谷さんはお姉さんの視線から逃げる。それから俺を睨みつけて、ぺっぺと言いながら足早
に俺の前を通り過ぎていってしまった。
 なんだよー、全然進展なしかよ。ガックシ。
ちょっとは期待してたのに。だって、キス・・・そう、キスだってしちゃったんだ。お互い
照れて意識とかして、会ったらこう微妙な空気が流れて、あははなんて言いながら頭掻いて
・・・・・・なんて淡い想像してた俺は一体何?!
 アホちゃうか?
じゃあ、あのキスは毬谷さんにとってなんだったんだ?
気まぐれ?勢い?雰囲気?・・・・・・まさか事故?
ガクリと肩を落とし朝のすがすがしさを失ったまま、俺の1日は始まる。
しかし、にぶちんな俺は、実はこの時、毬谷さんの頬が僅かにピンク色だったことに
全然気づけなかったらしい。
 気づいていれば、あんなことにはならなかったかもしれないのに・・・・・・。










 新年明けてから仕事はスムーズだ。本業の方は大きな動きがないし、上からの命令だった
プロモも着々と進んでいる。
 こうして仕事をしてみると、上嶋の有能ぶりを改めて感じる。顔がよくてかっこよくて、
しかも仕事ができるなんて、あの人には欠点というものがないんだろうか。
 仕事も私生活もそつなくこなしてそうだもんなあ・・・。ああ言う人って入社1年目だって
苦労したりしないんだろうな。
 苦心して泣きそうな上嶋なんて想像付かないしな。
あれから何度か打ち合わせが入って、プロモも最終段階に入っている。このあたりから
俺なんて殆ど役に立たず、毬谷さんと上嶋が中心となって話を進めていた。
「それじゃ、テロップはこっちじゃなくて、こっちでいいですね?」
「そやな、そっちで頼むわ」
「後はBGMくらいか・・・・・・」
「サンプルがあるんやろ?適当に合わせてもって来てくれへん?」
「ええ、いいですよ」
こういう何気ない会話を繰り返し聞いていて気づいたことがある。
・・・・・・なんか、毬谷さんと上嶋の距離がどんどん近くなっている気がするんだけど!
 初めは気のせいかなと思っていたんだけど、どうも気になって毬谷さんにそれとなく
聞いてみたら
「飲み友達やし」
と、あっさり返されてしまった。
 も、も、も、勿論嫉妬なんてしないけどね!そんな度量の狭い男なんて・・・(正直羨まし
過ぎて涙が出たけど)
 時々二人で飲みに行く上嶋と毬谷さん。いつまでたっても何の進展もしない俺と毬谷さん。
し、し、し、嫉妬なんてしてないけどね!(いじけてふて寝はしたけど)
 でも、まあ、あの人にはそんなつもりはないのだろうけど、絶対俺の方が分が悪い。
 何がいけないんだろうなあ・・・。結構紳士的に迫ってるつもりなんだけど。
この日も俺をのけ者にして(被害妄想)二人で仕様について話し合ってるし。俺中入れ
ない。この疎外感、たまんねえよなあ。
 今日も二人で飲みに行っちゃうのかなあ・・・・・・そんなコトで凹む俺、かっこ悪い。








 久しぶりに毬谷さんと営業周りで二人きりになった。最近漸く仕事を覚えてきたと言って
も、やっぱり持ってる物件も少なければ、営業技術だってそれほどあるわけでもない。
 だから毬谷さんから少しずつ物件を分けてもらったりしてる。毬谷さんは普段から適当
だし口ばかりだけど、それだからなのか営業成績だけはいい。
「営業なんて、しゃべってナンボやろ」
その通りなんだろう。見積もりがちょっとくらい適当でも(いや、これは適当じゃマズイ
だろう・・・あとで平謝りするのは自分な訳だし)、他の仕事ができなくても、しゃべること
に関しては毬谷さんに勝てる人なんていない。
 尊敬できるのかそのあたりは微妙だけど、少なくとも俺よりは営業としては凄い人だから
盗める技は盗まないとな。

「・・・せやから、あそこの部長はああいうノリやから、お前もあんまり固くなるな」
「あ、はい」
俺達は営業周りも一通り済んで、社用車で退社するところだ。周った最後の会社の部長の
前で、毬谷さんがあまりにフランクなノリでしゃべっているから、正直引いてしまった
のを毬谷さんは苦笑いで見ていたのだ。
「大阪やからて、みんなあんなわけやないし、もっとフランクな営業もおる。懐入ったモン
の勝ちなんや。日下ももっと空気読んでみいや」
「はあ・・・まあ、そうなんですけどね・・・やっぱり関西弁でああいうノリをされるとちょっと
驚いてしまって」
「ああ言う心開いてるおっちゃんは、飛び込んだモン勝ちやん」
「でも、あんな風にはしゃべれませんよ」
「日下は変なトコで真面目やからなあ・・・・・・・・・あ、なあ今何時や!?」
「え?2時半ですけど」
突然振られて慌てて時計を見ると、毬谷さんはいきなりブレーキを踏んだ。
「おわっ」
「ちょっと銀行寄ってってええ?」
毬谷さんはいきなりウィンカーを出すと銀行の駐車場へと入って行く。
 ええもなにもない。運転してるのは毬谷さんで、俺の答えなんて初めから待ってない
のだ。その行動に苦笑い。
「ちいと、待っとって」
「はあ・・・」
毬谷さんは駐車場に車を止めるとエンジンを掛けたまま外に飛び出していった。
 車を降りるときに入ってきた冷たい風が瞬間的に身体を冷やす。2月の風は身体の芯から
冷やしていく。おれは車のエアコンの温度を一気に30度まで上げた。

 毬谷さんはすぐに戻ってきた。
「すまん、すまん。振込み3時までって時間なくて、すぐ忘れてまう」
「あはは、駐車場か家賃ですか?」
振り向いた俺に、毬谷さんは少し困った顔で笑った。
「いや、養育費」
「はあ?」
いま、なんとおっしゃった?
「・・・・・・養育費や、養育費!」
「ちょ、ちょっと、まって。それって・・・」
「そうや、子どもの養育費。俺バツ一」
「えーーーーっ!」
なんだそれーーーー!
 聞いた途端、口があんぐり。そのまま俺は固まってしまった。
だって、そんな情報知らない。誰が?何時結婚したって?んで?離婚?子持ちだって?!
「うっそ・・・」
「こんなん、嘘付いてどーすんねん」
毬谷さんも真面目な顔つきで反論する。
 待ってよこの展開。ショック?・・・いや別に、毬谷さんが今までどんな人生を歩んできた
かって、俺には重大な問題じゃない。
 今が大丈夫なら、過去に何度結婚してようが子どもがいようが一向に構わないわけだ
けど。
 でも・・・・・・っ!
「子ども・・・」
子どもがいるのか、このチャランポランな人に。
「おるで。めっちゃ可愛いのが」
未だ呆然とする俺を見捨てて、毬谷さんは車を走らせ始めた。
 何を言っていいのか自分でも分からなくて、車の中は重い沈黙が訪れる。声の掛け方が
分からない。
 知りたいと思う気持ちと、触れてはいけないと思う自制心。天秤に掛けて心はぐらぐら。
窓の外なんて眺めてウジウジ悩んでいたら、隣から馬鹿デカイ溜息が聞こえた。
「お前なあ、そうあからさまに悩むな!」
「・・・・・・」
「知りたいのに、聞けませんて。お前はどこの乙女や!」
「・・・・・・聞いてもいいんですか?」
「ええよ、別に。隠してるわけやない。会社のヤツも殆ど知っとるし」
「そうなんですか!?」
「俺の結婚式、呼んだからな」
「マジですか・・・・・・」
そうだよなあ。結婚や離婚やら扶養とかって会社に報告するだろうし、入社後に結婚して
るなら、会社の人、結婚式に呼んだっておかしくないし。
・・・・・・なんで誰も教えてくれなかったんだろう。
「他人のプライベート、べらべらしゃべるヤツなんておらんやろ」
「そうですかねえ・・・」
うちの会社にそんなデリケートな人がいるようには思えないんだけど。
 毬谷さんは俺が上げたエアコンの温度を下げると、僅かに窓を開けた。スーツの胸ポケット
からマルメンを取り出すと、それを咥えて火をつける。
 窓から入ってくる風が煙を全て俺の方へと追いやる。煙で毬谷さんの顔から思わず目を
逸らすと、毬谷さんはポツリと話し始めた。
「入社した次の年に結婚してな、その次の年に子どもが生まれてん。全部順調、幸せな
家庭を築けてたはずやった・・・・・・」
信号で停まると、窓の外に灰を指で弾いて落とす。横目で見ると毬谷さんは珍しく目を
伏せて憂いそうな顔を見せていた。
「幸せなんてな、壊れるときはあっという間やで。・・・・・・崩れる砂山が止まらんのと同じ。
なんぼ補強したってな、止まらんねん」
「毬谷さん?」
伏せた瞳を真っ直ぐ見やってハンドルを握る。その手が微かに震えているようにも見えた。
「悪いことは出来ひん」
「え?」
「どうすることも出来ひんかった。俺もアイツもあの子も・・・・・・」
って、何?さ、三角関係?!ええ?浮気?不倫?・・・・・・浮気と不倫ってどう違うんだ?
いや、今はそんなことは関係ねぇ!
 聞きたいけど、次の言葉が怖い。
「ただの浮気なら、あの子も許してくれてたんやろうけどな」
「ただの?・・・・・・ひょっとして結婚する前から続いとったんですか?」
地元のツレで、セフレとずっと切れてないやつがいて、それが彼女に見つかって大喧嘩の
末に別れたやつがいる。
 正月休みにえらく凹んでいたけど、自業自得だと皆から詰られていた。
 毬谷さんは俺をちらっと振り返って軽く頷いた。
「まあ、それもある」
「それもある?!」
「確かに、アイツとは結婚する前から繋がってて・・・・・・」
ふうっと吐く息が重い空気になって車の中に沈下していくようだ。毬谷さんの泥沼な過去
を聞くのも、そんな表情を見るのも初めてで、自分まで息苦しくなる。
 なんだろう、この嫌な鼓動。
「お前には、だまっとこと思ってたんやけどな・・・」
「はい?」
「・・・・・・アイツはな、大学時代の友人やった。めっちゃおもろいヤツで、優しくて、かっこ
よかった。よう2人で出かけた。このままずっとコイツと一緒におれたらって、思ったわ」
「じゃあ、なんでその人と結婚しなかったんですか?」
「したくても出来ひんかったんや」
「なんかあったんですか?」
「・・・・・・日本の法律は、同性同士は結婚出来ひん」
「ええ!?」
ま、さ、か・・・。
「そや。俺もアイツも男やったんや!」
後ろから鈍器で殴られるってこういうことを言うんだろうか。何もされてないはずなのに
頭がぐわぐわ揺れる。
「初めての男やった。・・・・・・あんなに辛い思いして身体繋げて、やっと心も繋がったと
思うとったんやけど。俺には生理的に受け付けられへんかった。身体が切り裂かれるたび
心も切り裂かれてくようやった。それで、次第に心が離れてって・・・・・・」
そんな時に、奥さんとなる人と出会ったのだと毬谷さんは続けた。
 毬谷さんは奥さんに惹かれてたのは確かだった。だけど、結婚を決めたのは深く愛し
合った結果などではなく、毬谷さんにとっては最悪の「出来婚」だったというのだ。
 次第に心が離れていっても、好きだった人とはやっぱりすっぱり切ることが出来ずに
結婚後もだらだらと細く長く続いた。
 そして、最悪はやって来た。
「奥さんにばれた?」
「ビンゴ」
「うわあ・・・最悪・・・」
「ホンマ最悪。あんなに切れられたの生まれて初めてやったし、次の日には問答無用で
離婚届が置いてあった」
灰皿にタバコを押し付けると、毬谷さんは僅かに空けていた窓を閉めた。
「離婚成立と同時に、今度こそアイツともすっぱり切れた。全部忘れたかったんや。もう
こんなのは勘弁。男は二度とごめんやわ。男と恋愛なんて、考えただけで頭痛ぁなる」
胸がズキンと締め付けられる。言うな、その先は言わないで・・・・・・
「せやから、日下。お前の気持ちには答えられへん。どんなことがあっても」

目の前が黒く染まっていく。
 俺の聖母は目の前で俺を素通りしていく。
そして振り返った瞬間、一気に砕け散って粉々になってしまったのだ。






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