マリア様なんて、ホントはどうでもよかった。
ただ自分に支えがほしかっただけだ。この知らない大阪の空の下で、自分がちゃんとやって
いける自信が欲しかったんだ。
見つけたというより、自分の欲から見出してしまった人。
自分のエゴだ。悪いのは毬谷さんじゃない。だから、毬谷さんが上嶋を選ぶのなら俺は
身を引くのが筋な気がする。
毬谷さんにだって選ぶ権利はあるのだから・・・・・・。
不自然な状態を自然に見せるというのは、やっぱり不自然なわけで。
あの日から、極力毬谷さんと顔を合わせないようにしているのは社内にバレバレだった。
毬谷さんが内勤の日にここぞとばかりに外回りに出かけたり出張に出たりと、周りが唖然
とするくらい避けていた。
「忙しいだけですって」
そんな言い訳すらも虚しいけど、それ以外どうしていいのか俺だって分からない。真逆、
自分が諦めることになるとは思ってもみなかった。
あの日、ここで出会ったあの瞬間から俺の恋人になるに違いないってよく分からない自信
を頑なに信じてた。今思えばあの自信は一体どこから来てたんだろう。
でも、今はそんな気持ちも萎えた。
大体、俺と上嶋比べたらどこをどう取ったって負けるに決まってる。あんなかっこよくて、
出来る男で、プライベートだって充実してそうな男。勝てるわけない。
不自由なんてしてないんだろ?だったら、綺麗な姉ちゃんでも引っ掛けてくれればいい
のに。なんで毬谷さんなんだ!・・・って未練だらだらやな、俺。
「・・・日下」
デスクで今日1日をどうやって乗り切るか考えていたら、後ろから毬谷さんに呼ばれた。
今日は毬谷さんも内勤なのか・・・?ここ数日まともに会話すらしていない。
極めて自然に振り返ろうとして、引きつったままの笑顔になってばちりと目が合う。
「お、はようございます」
毬谷さんのテンションは相変わらずだったが、それでも俺と話すときには声が上ずっていて
その緊張が伝わってきた。
「・・・・・・日下、今日予定空いとるか?」
「えっ・・・」
「こ、この前行ったお得意さんとこな、今日行くんやけど・・・」
そこまで言われて俺は立ち上がった。
「すんません、今日は別のアポが取ってあって・・・!」
今、一緒にいるわけにはいかない。こんな状況で二人きりにだけはなりたくない。自分の
口が何を言い出すか、俺には止める自信がない。
咄嗟に出た嘘は気まずく二人の間の溝の中へと落ちていく。乾いた笑いで頭を下げると、
毬谷さんは一瞬眉を顰めた。けれど直ぐにもとの顔に戻って、
「そうか」
と一言呟いただけだった。
「すんません・・・」
「ええよ、俺1人で行って来るから」
毬谷さんはそう言って俺に背を向けた。猫背の背中がさらに丸くなる。
俺の前を去っていく毬谷さんの背中を思わず抱きしめたくなるけど、拳を握ってぐっと
我慢した。諦めるって作業は意外と大変なんだな。
結局、嘘から出た何とかで、俺はアポもないのに外回りするはめになって、平日の昼間
に、時間潰しで梅田のあたりを意味もなく歩いた。
商店街は流石に休日よりは人は少なく、観光客がキョロキョロと珍しそうにお店を見て
歩いている。
地下に降りてコーヒーショップに入ると、通りすがる人をぼうっと眺めて時間を潰した。
この時間に歩いてる人って一体どんな人たちなんだろう。
スーツ姿のサラリーマンは営業周りか俺と同じ様にサボりか・・・。あとは主婦か。
ポケットから取り出したタバコに火をつけたところで、コーヒーショップに入ってくる
客と目が合った。
途端、口からあっと声が漏れる。その声に反応して客の方も眉を顰めた。
「上嶋さん・・・」
上嶋はスーツ姿で隣に女を連れていた。20代半ばのキャリアウーマンみたいな人で、上嶋
の隣に並んでも自分が負けてないと思っていそうなオーラが出ている。
実際綺麗で、上嶋と並ぶと美男美女カップルのようにも見える。
上嶋は俺の方を振り返ると、苦笑いで近づいてきた。
「なんでココで会うかなあ」
「上嶋さんこそ、何してるんですか」
「見れば分かるでしょ」
「・・・・・・デートですか」
「打ち合わせ。平日の昼間からデートなんてするわけないでしょ」
ニヤリと笑うその口に、俺は唖然とした。
こんなところで仕事の打ち合わせなんてするわけないだろう!
「綿密な打ち合わせでもするんですかね、こんなところで」
俺の精一杯の厭味にも上嶋はしれっと答えた。
「まあ、そんなところ」
デート!デートかよ。はっ、モテる男はいいね。俺の毬谷さん引っ掛けておいて、他の女
とも仲良くデート。しかもこんな平日の真昼間に仕事サボって。
ふん、いい身分だな。
付き合ってるわけでもなければ、結婚してるわけでもないんだから上嶋が誰とデートしよう
が、全く構わないし俺にも関係ない。こいつが何時仕事をサボろうが、営業成績が落ちよ
うが、そんなことはどうでもいいことだ。会社の損益に関わることでもない。ただの他人。
そんなことに一々突っかかることなんてない、筈なのに!
何だ!このムズムズ感は。
ムズムズを通り越えてムカムカだ。ぶん殴ってやりたい気持ちは全て脳内で処理して
(俺の頭の中の上嶋はフルボッコでダウン中)ギリギリのラインで笑顔を作る。
「こんな人通りの目立つところで、上嶋さんみたいなカッコいい人が綺麗な女の人と会っ
てたら、直ぐに噂になっちゃいますよ」
「別に構わないけど?」
「耳に入ると困る人とか居るんじゃないんですか?」
「いないよ、なんで?」
そう言いながら上嶋はさりげなく一緒にいた女に奥の席に行くように促す。彼女は一瞬目
を見開いて俺を見たが、何も言わずに店の奥へと入っていった。
「聞かれたらマズイ話題でしたね」
「入り口で、何時までも立ち話ってわけにも行かないでしょ?」
どこまでもポーカーフェイスを崩さない上嶋に不快感が募る。いい男だろうけど、敵に
なったらどこまでも嫌な男だ。
沈黙になりそうなところで先に仕掛けてきたのは上嶋だった。
「毬谷さんは元気?」
「普通っすよ」
「棘があるな、それ」
今置かれた立場を考えると上嶋の方が絶対不利なはずなのに、上嶋のこの余裕っぷりはどこ
から来てるんだろう。
俺の方が萎縮してしまいそうになる。だけどどうせ丸め込まれるのなら腹に針の1本でも
いいから刺してやりたいって思うじゃん?
報われなくても、自分がもがいたって言う証明くらいにはなる。上嶋と直接戦って負け
れば失恋の自分も納得させられるんじゃないか。
だから、せめて上嶋から毬谷さんへの気持ちが聞ければ俺も踏ん切りがつく気がした。
「・・・・・・上嶋さんは、毬谷さんのどこが好きなんですか?」
その質問に上嶋は眉をぴくりと動かした。
「日下さん、あんたさ物語の補完を妄想に頼るの止めた方がいいよ」
「はい?」
「どうせ、うじうじ悩んでるんだろ?」
「はあ!?」
見上げた上嶋は不敵な笑みを浮かべている。・・・・・・上嶋ってこんな性格のヤツなのか?!
腹黒だ、絶対。なんで毬谷さんはこんなヤツに惹かれたんだ!あれか、騙されてるのか!
「俺と毬谷さんの事、気になる?」
「別に・・・・・・」
「日下さん結構本気なんだ」
「!?」
「じゃあ、この前のコト傷ついちゃった?」
「傷ついたって・・・」
「折角狙ってた人が目の前で奪われちゃうって気持ち、やられるほうはムカッとするけど
やった方は爽快だね」
「・・・・・・あんたさ!何が目的で毬谷さんに近づいたの?好きだからじゃないのかよ?!」
店の中にも関わらず思わず大声を出してしまう。周りの客がざわついた。
睨みつけたら、その視線をかわされた。
「勿論好きだけど」
「だけど?」
「暇だったから」
「!?」
自分ってこんなに切れやすい人間だったかな、それが最後に思った理性だった。
「毬谷さんのこと振り回して・・・責任取れよ!」
立ち上がってスーツの胸ぐらを掴みかかると、それと同時に店員が慌てて止めに来た。
「お客様・・・」
「うるさい、こいつを一発殴らせろ」
「日下さんお客さん見てるよ」
その余裕は何だ!?
殴りかかろうとして、男の店員に羽交い絞めにされた。
「うぐっ・・・離せ、離してくれっ!あいつを、一発殴らせろっ・・・!」
「お客様、落ち着いて」
「落ち着いてるよ!だから殴らせろ!」
言ってることメチャメチャだけど、どうしても我慢できなかった。
コイツ、今なんつった?暇だから?暇だから、毬谷さんをたぶらかすのか!その気まぐれ
で落とされた毬谷さんはどうなるんだよ!
入り口近くの席で俺達がもみ合ってると、店の奥から上嶋のツレの女が出てきて、俺を
睨みつけた。
「ねえ、何この人」
「さあねえ」
「あたし、こんな所じゃ落ち着けないんだけど?」
「じゃあ、外で待ってて。直ぐ行くから」
直ぐになんて行かせるもんか!その綺麗な顔をボッコボコにして、人前に出られなくさせて
やる!
くそっ、この店員馬鹿力だな。ってか離せ、クソ店員!!
「アンタの所為で毬谷さんが傷ついたら、絶対許さないからな!」
「・・・・・・多分、彼が傷つくことはないよ」
「そんな中途半端な気持ちのくせに、えらい自信だな」
「まあね」
そこで、俺は店員に無理矢理引き摺られて、上嶋のスーツを離してしまった。羽交い絞め
のまま肩で息をする俺と、何食わぬ顔でスーツの皺を伸ばす上嶋。
そして興味深そうに俺達を見るギャラリー。
最後まで冷静だった上嶋は
「じゃあ、毬谷さんによろしく」
と言うとあっさりと店を出て行ってしまった。
残された俺は全ての気まずい空気を1人で背負う羽目になってしまった。
ここのコーヒーショップ、二度と来れないじゃないか・・・・・・。
ぐだぐだとした日々は続き、気づけば春の匂いがしている。冬のコートをそろそろ止め
ようかと悩むような気候になっても、俺と毬谷さんの関係はおかしなままだった。
いや、これが普通の社会人の関係なのかもしれない。
俺は必要以上に話しかけないし、毬谷さんも仕事以外のことで俺に話しかけなくなった。
ただ、二人で出かけたときに、急に出来る沈黙をどうしていいのか未だに分からないの
だけど。
俺は諦めることを諦めた。
そんなのは到底無理だ。毬谷さんを諦めるなんてイヤだ。でも上嶋に勝てるなんて思え
なくて、結局言いたいことは胸にしまったまま普通のサラリーマンの関係を演じている。
人間の順応性っていうのは怖いもので、不幸の中でもそれを毎日繰り返していくとやがて
それが普通に感じてしまうってことだ。
こんな状況でも俺は普通に暮らしてることが何よりの証拠。
ただ一つ違うのは、毬谷さんが何時も俺に対して何か一言を飲み込んでるってことくらいで。
それが何なのか俺は聞くわけにもいかず、こうして今日も隣に大人しく並んでいる。
状況が変わったのは、外回りで出かけた先で、観光客で行列の出来ていたタコ焼き屋の
前で俺がぼそりと呟いた一言からだった。
「そういえば、こっちに来てからタコ焼き食べてない」
「ホンマに?・・・じゃあ久しぶりに喰いに行こか?」
「いいんすか?」
「ええよ。今日は早く終わるし」
思ってもみなかった返事に心が躍った。けど、それはもう警戒する存在ですらないという
意味のも捉えられて、毬谷さんの心が見えないうちはなんともいい難い居心地の悪さにも
繋がっていく。
仕事以外で二人きりになる。それが何を意味しているのか。少なくとも、良い方にも悪
い方にも、転がることには間違いない。
この俺の口が黙ってないわけがない。上嶋の事、毬谷さんの気持ち、自分の思い、語らず
にはいられない。
今だって、本当なら口に出して問いたいくらいだけど、毬谷さんのオーラがそれを許さ
ないでいるから俺はずっと我慢してるんだ。
仕事以外で一緒にいてもいいってことは、俺のその衝動を許してくれたってことだ。
隣で運転している毬谷さんの顔は微かに笑っていた。
「毬谷さん・・・?」
「なんや」
「・・・いえ、なんでも」
「おかしなやっちゃなあ」
何かが変わる。そのとき確実に分かったのはそれだけだった。
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