なかったことにしてください  memo  work  clap
Re:不在届け預かってます


 Re:また、ですか




「蛍琉・・・・・・」
名前を呼んだ瞬間、蛍琉の無表情がぐにゃりと歪んだ。明らかに不機嫌なオーラに変わって
智優は蛍琉が怒っていることを肌で感じる。それから、その原因が自分にあることも、智優
は分かっていた。
 いつからそこにいた?いつから見ていた?
 弁解しなくてはそう思った先で、弁解する必要は何処にもないとも思う。浮気をしたわけ
ではないし、ただ、コンパで一緒になった女の子を駅まで送り届けただけだ。手も握って
なければ、告白されたわけでもない。
 蛍琉に後ろめたいことなんて何一つ起きてないのだ。
躊躇ったら自分が悪くなる、智優は蛍琉の不機嫌なオーラに押されていた自分を立て
直した。
「どうしたの、こんなトコで」
「・・・・・・パチンコの帰り」
「打ってたんか。どうだった」
「ぼちぼち」
「そう」
「・・・・・・ねえ」
「何」
「智優の隣に歩いてたの、原田さんだよね」
「・・・・・・!?」
驚いて、思わず蛍琉を見上げると、がっちりとその視線を掴まれ、智優は逃げられなく
なった。
「なんで・・・・・・」
「見てたから」
「・・・・・・なんで、原田さんって・・・・・・」
激しく動揺して言葉が続かない。どうして、蛍琉は一花のことを知ってるんだろう。焦る
気持ちはまともな思考をさせてくれなかった。
「だって、同じ学校だったでしょ。俺も智優も原田さんも・・・・・・穂香ちゃんも」
穂香の名前が出てきて、智優は更に動揺した。自分でも言われなければ思い出さないような
名前を、どうして蛍琉はすらすら出てくるんだろう。
「原田さんと面識あるのかよ・・・」
「同じクラスだったことがあるからね、しゃべったことは何度かあるよ。高校卒業して
からは、一度もないけど」
「・・・・・・よく分かったな」
「智優は気づかなかったの?」
「・・・・・・言われるまで」
「ふうん」
蛍琉は呆れたように、智優を見下ろした。威圧的な態度に智優は焦りから少しずつ怒りが
生まれ始める。
「ふうんって、何だよ」
「智優は、昔から、自分に向かってくる視線には鈍感だからね」
「どういう意味だよ!」
「彼女が高校のときも、智優のことずっと見てたとか、全然知らないでしょってこと」
「えっ・・・・・・」
心底驚いて蛍琉を見返すと、蛍琉は首を振った。
「まあ、いいよ。で、その原田さんとなんで智優は歩いてたの?」
「え、駅まで送ってったから」
「なんで?」
質問というより、詰問だ。これ以上嘘を吐くのは自分でも辛くて、智優は素直に白状した。
「・・・・・・一緒に飲んでたから」
「なんで?」
「・・・・・・こ、コンパだったんだ、今日は」
歯切れの悪い台詞に蛍琉は盛大に溜息を吐いた。それから、軽蔑に近い視線で智優を見る。
「会社の飲み会じゃなかったんだ」
「かっ・・・会社の同僚に、どうしても人数が足りないから、来て欲しいって。別に疾しい事
なんて何にもしてないし、原田さんだって、駅に送ってっただけだし!」
智優は早口で弁解した。浮気がばれて弁解してる夫よりも、自分の罪はずっと軽いはずだ。
内心はそう思ってるのに、蛍琉が醸し出す重たい空気に、自分が大罪でも犯したような
気分になった。
「俺だって、本当は行きたくなかったんだけど、同僚が、今日のコンパが上手く行けば
彼女が落ちそうっていうから、俺は仕方なく・・・・・・」
言い訳を並べる智優に、蛍琉はポケットに手を突っ込んで智優から視線を外した。そして
「智優が分かんないよ」
そう捨て台詞をして、歩き出してしまった。
 ぽつりと置いてかれた智優は、何事かと頭が真っ白になる。蛍琉の背中が暗闇に消え
掛かるのをぼんやり見つめて、慌てて追いかけた。
「待ってって・・・・・・」
「・・・・・・」
「待てよ!」
智優が声を掛けても、蛍琉は振り返らないし、返事もしない。
「なあ!なんで、怒ってるんだよ!」
何度もその背中に声を掛けていると、蛍琉がイライラして漸く振り返った。
「智優はなんで俺が怒ってるのか分かんないんだ」
「何でだよ、浮気も何にもしてないだろ!原田さん連れてきて証明でもすればいいのかよ!」
「俺が怒ってるのは、そんなことじゃない。俺は智優が浮気してるなんてこれっぽっちも
思ってないし、今だって信じてるよ」
「じゃあ!」
声を荒げた智優に、蛍琉は急に悲しそうな表情を作った。
「なんで智優は俺に嘘なんてついたの?」
「・・・・・・」
「嘘までついてコンパに行く必要があったの?」
「それは・・・・・・」
「それは?」
「お前に、余計な事勘繰られたくないって言うか、心配掛けたくなくて・・・・・・」
「何にも無いなら、素直に言ってくれれば、俺だって気にしないよ」
「俺は、何にも無くても蛍琉がコンパに行ったら気にするんだよ!だから、何にもないなら
黙ってた方が、お前のためだって」
根本的なところでそういう差があるから、すれ違うんだろう。友達だからと言って智優の
感情を考えもせず、土足で智優の領域まで上げてしまう蛍琉と、何にも無くても、蛍琉の
目の触れるところには影一つ落とさないでいようとする智優。
 どちらが悪いわけでもないけれど、根本的な差が縮まらなければ、どこまで行っても2人
は平行線だ。
 譲れない一線で、智優と蛍琉はグラグラと揺れていた。見詰め合って、蛍琉が深い息を
吐いた。
「そうやって、今までどれだけ俺に嘘吐いてきたの?」
「どれだけって・・・・・・そんなひどい嘘吐いてないだろ」
「ひどくなくても、小さい嘘でも、嘘は嘘でしょ。智優はそうやって、平然として、俺を
騙してきたんだなって思ったら、すごいショックだった」
蛍琉が被害者の顔をして智優を見ると、智優もその顔にムカっとした。
「お前だって、嫌なことしてきただろ」
「どんな?」
「夜遅くに、俺の知らないやつ勝手に部屋に入れたり」
「でも、俺は智優に嘘なんてついてないよね?」
「嘘は吐いてないけど、俺にはそっちの方がずっと嫌なことだったけど!」
「なんで?俺は何にも無いからちゃんと智優に紹介したんじゃない」
自分のしてきたことは当然許されることで、智優がしたことには当たり前に怒る。智優も
譲れないところがあるし、2人は結局ぶつかってしまうのだ。
「お前に黙って行ったのは悪かったけど、お前がそこまで怒ることか?!」
智優が吹っ切れると、蛍琉は一瞬目を丸くして、智優を見つめ返した。
「・・・・・・俺は、智優が分かんないよ」
「俺も、お前が全然わかんない!」
2人の隙間に出来た距離は今ここに立っている距離よりも遥かに遠いと、智優は思った。
 声が途切れた途端、しんとした夜の闇が2人の音を奪っていった。
暗闇の中で、怒りがぶつかり合う。先に視線を外したのは蛍琉で、逃げ出したのは智優
だった。
 智優は、自宅とは反対方向に走り出していた。





 革靴にスーツ姿で大通りを駆け抜ける自分の姿に智優はうんざりして立ち止まった。
「はぁっ、はぁっ・・・・・・」
肩で息を整え、ウィンドウに映る自分の姿を見る。蛍琉の事を詰りながら、その一方で
蛍琉の気持ちが全然分からない自分にも腹が立った。
 自分と蛍琉は違う人間で、ゲイとかノンケとかそういう事の前に、恋愛そのものに対する
考えが違って、仲良く笑いあってるときは、我慢できるのに、一瞬でも風が吹けば、脆い
砂の塔はあっという間に崩れ去ってしまう。足元を奪われて、さらさらと崩れ落ちていく砂
の中に、智優は埋もれている気分だった。
「どうしろって言うんだ・・・・・・」
逃げ出して、このまま家に帰る気分ではなかった。こんなとき、同棲っていうのは辛い。
一人になりたい場所にたどり着けないなんて、と自虐的に笑った。
 それから、一息ついて智優はポケットから携帯電話を取り出した。
 自分が逃げ込めるところは決まっている。掛け値なしで頼れるのは、高藤でも他のセフレ
でもない。智優は画面を開くと、迷わず幼馴染にメールしていた。
 独り身の親友からは直ぐに返事が返ってきて、智優はとりあえず向かう方向が決まった
だけ、ほっと胸をなでおろした。



from:奈央
sub:また、ですか
  ウチに来るのはいいけど・・・
お前ら、また喧嘩
してんの?!
飽きないなあ[^_^;



 こっちだって、好きで喧嘩してるわけじゃないし、出来れば穏やかな生活を送りたいのだ。
反論をメールに書く気にはなれなくて、智優は文句を言いながらも、奈央のアパートへと
向かっていた。





 携帯電話に目を落としたまま歩いていると、左肩を思いっきりぶつけた。跳ね返って、
よろけながら前を見ると、それが通行人であったことを知る。随分とガタイのいい男だった。
「痛っ」
「あ、ごめんね」
智優がふらついたのを気にしてか、ぶつかった男は手を差し出した。
「・・・・・・いえ、こちらこそ、よく前見てなかったんで・・・・・・」
智優はその手をやんわりと断り、体勢を立て直すと、次の瞬間には立ち去ろうと一歩前に
足を出す。けれど、予想外に男の手が肩に乗り、智優は再びバランスを崩した。
「ねえ」
「うわっ、何?!」
男は再び身体を支えようと手を伸ばし、智優は不審に思いながら一歩引いた。
「あ、ごめんね。ちょっと見たことあった顔だったから、思わず引き止めちゃった」
「はい?」
長身の身体で見下ろされ、智優は眉をしかめた。
「ごめんごめん、そんなに警戒しないで。キミ、『いっちゃん』のトコに来てなかった?」
「・・・・・・」
「えっと・・・・・・成岡蛍琉君の友達?ああ、友達っていうか恋人?」
「・・・・・・あんた、誰」
途端に智優の身体から警戒オーラが吹き出て、男は苦笑いした。
「あ、不審がらせちゃった?俺もいっちゃんところの常連だからさ」
「・・・・・・そうですか」
「うん。そこで、何度かキミの顔も見たことあるなあって。成岡蛍琉君とは、何度か話を
したことはあるんだけど」
こんなところで、蛍琉の名前を聞くとは思わなかった。智優の眉間の皺は取れないまま、
男を見上げた。
「どうしたの、浮かない顔して?」
「いえ、まあ・・・・・・」
傍から見ても、自分は浮かない顔をしているのかと、智優は苦笑いする。
「何かあったなら、話相手にでもなるよ?」
ゲイバーで顔を見たことあるっていうだけの相手に、なんでこの男はこんなにも話しかけて
くるんだろう。親切なのか、余程の暇人なんだろうなと、智優は見当違いの事を思っていた。
智優は自分がナンパされているなどと、微塵も思っていないのだ。大体、智優の中に、男に
ナンパされるなんて状況は全く想定されていない。相手がゲイバーにいたというのに、この
男がゲイであることを、智優はどこかで失念しているようだった。
「いえ・・・・・・俺、これから行くところあるんで」
「そっか」
智優が断ると、男はあっさりと引き下がった。ここで少しでもこの男がしつこく迫っていたら
智優も気づいていたかもしれない。男は戦術を心得ているのか、一度引き下がった上で、
「じゃあなんかあったら、連絡してよ」
そう言って、胸ポケットから名刺を取り出して智優に渡してきた。
「はあ・・・」
展開がよく理解できない智優は、何となく目を通して、ポケットに仕舞った。
 今の智優には、例え芸能人がぶつかって来ても心を奪われることは無いだろう。頭の中は
蛍琉との喧嘩で一杯で、他の事を考える余裕は何一つ無かった。
 だから、智優が歩き出しても、その男がじっと智優の姿を見つめていたことを、全く気づく
ことは出来なかったのだ。





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