物欲の天使さま
壱琉は巽樹の後ろを無言で歩いた。二人とも何もしゃべらなかったけれど、今までの想いを
思う存分噛み締めていたので居心地は悪くなかった。
巽樹が告白した衝撃的な事実に壱琉は言葉を返せなかった。学ラン着てた頃から自分を好き
でいたなんて、壱琉は想像もしていなかったのだ。
けれど戸惑いの中に嬉しさが染み渡って、そして苦しかった。
隣で自分の恋愛を聞かされて、巽樹はどんな想いだったのだろう。見抜けなかったのは
自分の目が節穴だったのか、巽樹が自分より上手だったのか。分からないけど、今はただ
切なかった。
巽樹は振り返らない。ただ、いつもの歩調よりも緩やかに、壱琉の速度に合わせながら歩いて
いることは確かだ。長い足がゆったりとしたリズムで歩幅を刻んだ。
壱琉はそんな巽樹が急に別人に見えて、その広い背中に抱きつきたくなった。早く巽樹の
マンションに辿り着きたくて、壱琉の足は速くなった。巽樹に追いつき、そして巽樹の横を
すり抜ける。
「……壱琉?」
「……うっさい。ごちゃごちゃ言わずに、さっさと歩け!」
突っぱねていないと、涙が零れそうだ。壱琉は巽樹の腕を引っ張って家路を急いだ。
「壱琉」
「……何だよ」
「この妙な緊張感、止めない?」
巽樹のマンションにたどり着いて、ソファに座り込んだにもかかわらず、壱琉のドキドキは
止まることが無かった。それどころか益々心拍数が上がって、巽樹の顔がまともに見られ
ないほどだ。
一方の巽樹は余裕は表情を見せ暢気にお茶なんて飲んでいる。
「お前は、昔からなんでもそつなくこなすんだよな」
「そう?」
梶の前でとんでもなく凹んでいた自分を壱琉は知らない。壱琉に対して強気でいられるのは
自分の手駒がちゃんと揃っていたからだ。
巽樹は二人分のお茶を抱えてソファに移動すると壱琉の隣に座った。
「お茶、飲む?」
「……うん」
緊張している所為で喉がカラカラだった。受け取ったお茶を一気に飲み干すと壱琉は大きく
息を吐いた。
「頭ん中、ぐっちゃぐちゃ」
「あんまり色んな事、一気に考えない方がいいと思うよ」
「じゃあ、この状況どうやって飲み込めばいいんだよ」
「そうだねえ……。壱琉が俺の事好きになって、俺は元々壱琉の事好きだった。だから
両想いってことでいいんじゃない?」
巽樹は壱琉の手の中からお茶を取り上げてテーブルに戻すと、壱琉の身体を抱き寄せた。
自分の胸の中にすっぽりと収めて優しく頭を撫でる。手に入れたくても入れることの出来
なかった壱琉の想いをやっと丸ごと自分のものにすることが出来た。
「巽樹…」
「何にも変わらないよ。俺と壱琉は」
巽樹の指が壱琉の頬を辿り顎を持ち上げる。緊張はほぐれなかったけど、不快ではなかった。
むしろ巽樹の柔らかそうな下唇を早く自分のものにしたくて強請っていたように思う。
薄っすらと開いた壱琉の唇に巽樹の唇がぴたりと重なると、壱琉は巽樹のYシャツをぎゅう
っと掴んで目を閉じた。
「んっ……」
キスすると気持ちが流れ込んでくるのはきっと本当だと壱琉は思う。
巽樹の想いが熱く苦しいほど愛おしい。この前セックスしたときになんでキスしなかった
んだろうと半分後悔していたけれど、こんなに苦しくなるのなら出来なくて当然だ。
そして、唇を重ねていたらあんな風に離れ離れになる前に想いが通じ合っていたかもしれ
ないとも思った。
「壱琉?」
僅かに唇を離して巽樹が名前を呼ぶ。掠れた声が色っぽさを増して、名前を呼ばれただけで
身体が熱くなった。
「……もっと、して」
「気の済むまでするよ」
巽樹は妖しく笑い、壱琉の下唇をぱくっと食いついた。口の中で舌を這わせ、壱琉の唇を
緩やかになぞる。そのたび壱琉はぴくりぴくりと身体を小さく震わせた。
何度もそうやって遊んだ後、引っ張りながら唇を離すと壱琉の唇はてらてらにてかって
腫れぼったくなっていた。
巽樹は唾液で濡れた壱琉の唇を親指で優しく押した。
「気持ちいいなあ、壱琉のココ」
「それだけで満足すんなって」
「してないよ。じわじわと楽しんでるの。やっと俺のものになったんだもん。じっくり
堪能したいじゃん?それに十何年分の想いを全力でぶつけられたら壱琉、壊れちゃうよ」
笑いながら巽樹が言うが、その言葉に壱琉はぞくりとした。
「……乱暴に抱かれるのも悪くないけど」
「壱琉〜、煽らないでよ」
巽樹は今度はがぶりと食いついて、壱琉の唇を塞いだ。舌で歯をこじ開けて壱琉の舌を
引っ張り出す。壱琉もすぐに応戦してねっとりと舌を絡ませ合った。
「んんっ…」
性別は違えど、お互いそれなりの経験はあるし、今更キス一つでうろたえるようなこと
などないはずなのに、長年友人として隣にいた相手とこんな熱い口付けを交わすことに
なるなんて思いもしなかった所為か、絡ませた舌からビリビリと痺れて、巽樹も壱琉も
余裕がなくなってしまった。
巽樹の舌は壱琉の口の中を乱暴に動き回った。上あごを舐め、歯の裏側を辿って、舌の
裏側を攻めると、壱琉の呼吸が速くなった。
開いた口からは二人分の唾液があふれ出し、頬を伝ってシャツに落ちた。
「あーあ、落ちちゃった」
一度口を離すと残りの唾液を飲み干して、壱琉は荒い息の間に言った。
「服くらい、洗えばいいだろっ」
「もったいない」
「は?」
「壱琉の唾液がもったいない」
巽樹は頬に伝っていた唾液を指で掬うとぺろっと舐めた。
「……馬鹿だろ」
「そうだね」
巽樹は笑いながら再び唇を近づける。その隙に、さっきから壱琉の顔に何度も当たって、
邪魔になっていた巽樹の眼鏡を壱琉は外しに掛かった。
「眼鏡取ったら、超かっこいい男子に変身するって少女マンガのセオリーなのになあ」
「元からかっこいいから困っちゃう?」
図星だから困るのは壱琉の方だ。壱琉はむうっと拗ねた顔で巽樹を見上げた。
「あれだ、のびたみたいに眼鏡、眼鏡ってやればいいか」
「色気のない会話だなあ」
「いつもどおりの会話だろ」
「まあね。……でも、実際この距離じゃないと壱琉の顔、ちゃんと見えないんだ。だから
よくみせてね?」
巽樹はぎりぎりまで顔を寄せると、壱琉の目に唇を落とした。確認するように、反対の目
鼻筋に3回、唇の端に音を立てて1回。
頬を通って、耳朶にちゅうっとキスをした。
耳の後ろを撫でながら、耳朶を口に含む。歯で軽く噛むとぴくんと壱琉の身体が揺れた。
噛みながら側部に舌を這わす。口を開けて、舌だけで耳の輪郭を辿りながら最後は耳の穴
の中をべろりと舐めた。
「巽樹っ…」
壱琉の掴んだシャツの皺が濃くなる。何かを我慢しているように震えながらも耐えていた。
「大丈夫?」
「そういう事しておいて、その質問はないだろ」
「じゃあ我慢しなくてもいいよ」
「襲ってもいいってこと?」
「乱れてもいいってこと」
巽樹は意地悪く首筋をきつく吸い上げると、壱琉は我慢できずに「ああっ」と叫んだ。
くっきりと付いた赤い痣は壱琉を手に入れたことへの証拠みたいに、生々しく浮かんで
暫くの間消えることはなかった。
サイドテーブルの時計は午前2時を少し回っていた。とろとろに溶けて二人ともぐちょ
ぐちょになりながら果てたのが30分前。二人でシャワーを浴びて裸のままベッドの中に
潜り込んだ。
ベッドの上で寝そべりながら巽樹は壱琉を見下ろした。
随分すっきりとした顔がじょじょに惚け出して、最後にはにへっと口元を緩めた。
「気持ちよさそうだね」
「だって、この2週間、毎日毎日ストレスたまりまくりだったもん」
巽樹は壱琉が出て行ってからのことを思い出す。巽樹だってこの2週間はストレスとの
戦いだった。
「でも、なんで梶のとこにいたの?」
「セフレのとこにいればよかった?」
「そうじゃなくて、梶以外にも壱琉のこと『友人』として受け入れてくれる人いるでしょ?」
「だって巽樹が駄目なら梶しかいないから」
「?」
「梶以外のヤツは、ストレス溜まって襲っちゃうかもしれない」
「随分獰猛な天使だなあ」
「あ?天使ってなんだ?」
眉を顰める壱琉を巽樹は敢えて無視した。
「梶もゲイだよね」
「もしかして俺と梶の関係疑ってる?」
「疑っては無いけど、なんで梶にはそういう気持ちにならなかったのかなあって」
「はは、ないない。俺も梶も、中学時代から知ってる相手は無理っていう意見の一致が
あるから、そこを超えることはないなあ」
「……そういうもん?」
「疑い深いヤツ。……一つ教えてやるよ。梶はね、俺よりも巽樹の方がタイプなんだ」
「え?」
「アイツの彼氏、何人か知ってるけどみんなどこか巽樹に似てるんだよなあ」
「ふぅん……?」
「梶のタイプの中にたまたま巽樹が含まれてるのか、巽樹がタイプだけど手が出せない
から他の男に走ってるのかは知らないけどさ。まあ、さっきも言ったように、中学時代から
知ってる人には手を出さないって決めてるからさ。巽樹に仕掛ける気もないみたいだから
別にいいけど」
最後は照れ隠しみたいにぷいっとそっぽを向いた。手に入ってしまった今でもやっぱり
その顔は綺麗で可愛く見える。愛おしい。もうこの存在を誰にも手渡したくない。
巽樹は壱琉の髪を掬いながら見下ろした。
「そっちの心配はしてないけど」
「ん?」
「壱琉が俺の以外のところに行ってしまう心配はしてない」
「自信家〜」
「そりゃあ、伊達に社長なんてやってないからね。でも、まず壱琉は買い物依存症を治す
こと。こっちの心配は尽きないよ」
「そこに来るか」
「当たり前デショ。金は無尽蔵にあるわけじゃないんだよ。今度はちゃんと治るまで
付き合うから」
「……うん」
「借金、もうしないでよ」
「わかってるって」
「俺にもだよ」
「……分かってるって」
「欲しいものは俺に言って?何でもあげられるとは限らないけど」
まっすぐに見詰めると、壱琉も真面目な顔になって巽樹を見上げた。暫くの沈黙がお互い
の胸の内を探り合っている。やがて壱琉が緊張した声で言った。
「俺、お前以外なんにもいらない」
「!?」
驚きの顔を見せた巽樹に壱琉は鼻を鳴らす。
「……とか言うと思ったら大間違いだからな」
「そんなこと言うと、壱琉の事、俺依存症にしちゃうよ」
「馬鹿か!」
本当のことを言えば、もう巽樹依存症になりかけてるような気がする。けれど、それは
壱琉がもっと巽樹でめろめろに溶かされてからじゃなければ言いたくないと、小さなプライド
が死守した。
そのかわり天使は満更でもない顔をして笑っていた。
了
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