なかったことにしてください  memo  work  clap





 確かに、今から4年前までは、亜希は驚くほどスリムで色白な美少年だった。クラスでは
「かっこいい男子」の中に混じって必ず一目置かれていたし、保護者の間でも、亜希の
美少年っぷりは有名だった。
 美少年だったのだ。4年前までは。
 そのスリムで美少年だった亜希少年をこんな姿にしたのは、全てちゃんとした訳がある。
それを亜希は
「ムーンウッドのケーキの呪い」
といい、美咲は
「運動部に入らずに、小学校の頃と同じように食べ続けてきた亜希ちゃんの自業自得」
と言った。
 ようするに、亜希の体重の源は月森家のケーキにあるのだ。
小学生の頃は、強制的に参加させられていた部活や放課後走り回っていたおかげで、どれ
だけケーキを食べても太らなかったのに、中学に入学して、部活もせずぐうたらと過ごし、
そのくせケーキだけはコンスタンスに食べ続けた結果、亜希の体重は倍増してしまった。
 母親もムーンウッドの店長美咲の父親も、小学校からの友人もみんな、少しずつ増えて
いく体重の所為で、その変化になかなか気づけず、あっと思ったときは遅かった。
「どうして、あのスリムな美少年が・・・・・・」
一同、嘆きの溜め息を吐いたが、後の祭りで、亜希は前も後ろもどこをどう取っても、
立派なデブに成長してしまっていたのだった。





 高校生一同を乗せたバスはテーマパークの前で停車すると、エネルギーを溜め込んだ
生徒達を一気に吐き出した。
「ついたー」
「なんだよ、ここ。小学生の遠足みてえだな!」
ゲラゲラと笑いながら生徒達はテーマパークの入園門の前に集まっている。ゲートには
『ようこそ、サイエンスワールドへ』という看板が掲げられていた。
「こら、お前達!ダラダラしない!遠足は遊びじゃないんだぞ!」
「センセー、サイエンスワールドって何よー?ここで、何学んで行けってーの」
「物理の原理、化学の基礎、なんでも学べるだろう」
「めんどくせえー」
「はいはい、さっさと中入れー。昼にセンターブースに集合。センターブースには先生の
誰か1人はいるから、緊急の時はそこに来るように。はい、解散」
学べと言いながらも、当の教師もそんなことは期待していない口調だ。
「あーい」
「行こうぜー」
高校生の集団は更に学習する気など無い雰囲気でゲートの中に飲み込まれていった。



 正午になると、続々と高校生達がセンターブースに集まりだした。それほど大きくない
テーマパークは殆ど亜希たち高校生で埋まってしまい、センターブースは貸しきり状態に
なっている。
 亜希も仲のいいメンバーと歩きながらセンターブースを目指した。
センターブースへの入り口は、まるで遊園地にあるビックリハウスのようなミラーゾーン
になっていて、凸面鏡や凹面鏡の他、数枚の合わせ鏡やマジックミラーなど様々なミラーが
設置してあった。
 生徒達はそこに映し出される自分や友人の顔を指をさして笑いあっている。
「うはは、お前すげーがりがり、変な顔」
「いやん。アッコちゃん細い〜」
「細すぎだってば」
「ぶはっ、お前ちょーデブ」
凹凸面鏡の前を通り過ぎながら、クラスメイトがゲラゲラと笑った。亜希も仲のいい生徒
と一緒にその道を歩きながら、自分達の姿を横目で追った。
「ちょっと亜希ちゃん!」
後ろからクラスの女子が悲鳴に近い驚きの声を上げた。
「あ?」
「いや〜ん、亜希ちゃんスリム!ちょーかっこいい!」
「へえ?」
亜希が鏡の前で立ち止まると、周りのクラスメイトもその声に振り返る。
 そして、亜希の周りはいきなり人だかりとなって、感嘆の声が上がった。
「高城〜!お前ホントに本当は、美少年だったのか」
表面が湾曲した鏡の前に亜希達数人の生徒が映し出されている。この鏡の前ではみんな
不自然にひょろ長く映って、細身女子生徒は痩せこけて、かわいらしさのかけらもないの
だが、その中で、亜希だけはみごとに「スリムで長身の美少年」として映し出されていたのだ。
「痩せろよ、高城、痩せたら絶対もてるぜ」
「あの卒業アルバムの写真、嘘じゃなかったんだね」
「痩せたら亜希ちゃんと付き合ってもいいかも」
生徒達は言いたい放題で亜希を取り囲んだ。
 その言葉が果たして褒め言葉なのか疑問は残るが、それでも亜希は満更でもないような
笑みを浮かべて、鏡に映った細身の自分を見詰める。
(俺、痩せたらやっぱりかっこいいんじゃん・・・・・・これなら、真野だって惚れるかも!)
あれからダイエットは一向に進んでいないのに、無謀な事を思っていると、当の本人、真野が
やってきて、やはりクラスメイトに呼び止められた。
「真野も見ろよ」
「なんだよ」
真野は面倒くさそうに人だかりの中を見下ろすと、顔を固まらせた。
「真野?!」
この姿、真野が見たらどう思うんだろう。急に心拍数が上がって鏡の中の亜希の顔も硬直
した。
「高城・・・・・・?」
鏡の中の亜希と目が合う。真野の顔も、他の生徒同様、鏡の中では不細工な程縦に細長く
伸びきって、かっこよさの欠片もない。その不細工な真野の唇がぷるっと動いて、悪態でも
吐かれるのかもと覚悟した瞬間、普段では絶対見られないような潤んだ瞳をした。
「え?」
亜希はその反応に戸惑う。
「何・・・・・・?」
数秒間見詰め合っていると、周りがその視線に気づいて、真野は背中を叩かれた。
「やべえ、真野が見とれてるぜ」
「ば、馬鹿じゃねえの・・・・・・そんなことあるか」
真野は瞬間顔を赤らめてぷいっと視線を外すと、そのまま立ち去ってしまった。
(な、な、な・・・・・・なんなんだ、今のは・・・・・・)
亜希は真野の背中を見送りながら、妙に心拍数が上がっていくのを抑えられずにいた。





 ミイラ取りがミイラになるとはよく言ったもので、真野に惚れされると意気込んでいた
亜希は、いつの間にか寝ても冷めても真野のことばかり考えているようになっていた。
「だから!俺が惚れてるんじゃないの!真野に俺の事惚れさせるんだって!」
ぶつぶつと独り言を言いながら、学校帰り駅へと続く商店街を抜けていると、いきなり
他校の生徒に囲まれてしまった。
「なあ、そこのデブちゃん」
「なんだよ」
「俺達さー、ちょっとゲーセンで遊びたいんだけど」
見るからにガラの悪そうな生徒が4人、くちゃくちゃとガムを噛みながら亜希の周りを取り
囲んでいる。
 この体格になってから、絡まれる事もカツアゲされることにも慣れてしまった亜希は、
またかと内心溜め息を吐いた。
 頭の中で財布の中身を思い出す。電車の定期を買うために今朝親から貰ったばかりの
1万円札が入っていたはずだ。
「だから何?」
「わかってんだろ?」
「ちょっと、お金かして欲しいなーなんて」
ニタニタと笑ってなれなれしく手を出してくるヤツに、肩にまで手を回して来るヤツ。
こっちは馴れ馴れしいというよりも逃げ出さないように押さえ込んでいる様にも思える。
 亜希は逃げるか払うか悩んだ。周りを見回しても、素通りしていく高校生ばかりで、助け
てくれそうな人間はいない。ここはどの商店からも死角になっていて、店主も亜希の存在
には気づいていないらしい。店先に逃げ込むとしても、どこの店に逃げ込めるか、亜希の
位置からも分らなかった。
 この1万円を払うのは正直キツイ。母親にもう1万円もらうにしたって、理由を言わなければ
くれるはずはないし、そんなことかっこ悪くて言いたくない。
 太ってたって男としてのプライドはある。カツアゲされたなんて親に知られたら、それこそ
引きこもりになってしまいそうだ。
「持ってんだろ?」
「ちょっと貸してくれるだけでいいんだからさ」
亜希を取り囲んだ生徒達は、その口調とは裏腹に無理矢理亜希のポケットをまさぐって、
財布を取り出した。
「嫌だっ、ちょっと止めろって」
太っているからって苛められているわけじゃない。そもそも亜希の性格は明るいし、勝気
で、思考が乙女チックなのは美咲だけが知っている亜希の秘密だけど、人前では強気な発言
ばかりしてる。反射神経は少々鈍いけど、口では負けるつもりは無い。
 けれど、不良高校生を4人も相手にして、勝てる自信はさすがになかった。
「お、1万円はっけーん」
財布の中身を覗いていた生徒がぴらりと1万円札を掲げた。
「止めろよ、返せよ!」
亜希が手を伸ばすと、腹に肘テツが入って、亜希は後ろによろけた。
「はいはい、返すって。今度会ったら返すからさ」
「お前ら、返す気無いくせに!」
「そんなことないぜ〜?ちゃんとウチまで取りに来てくれたら返すって。なあ?」
返す気などさらさら無い口調だ。
「じゃあ、ありがとな!」
ゲラゲラと笑って4人が亜希から離れていこうとしたとき、4人のウチの1万円札を手にして
いた生徒がいきなり後ろにすっころんだ。
「うおっ!痛てぇ!・・・・・・なんだ?!」
しりもちをついて、上を眺めると、仏頂面の長身の生徒に睨みつけられていた。
 その生徒は手から1万円札を抜き取ると履き捨てるように言った。
「そいつ苛めていいの、俺だけなの」
「真野!?」
突然現れた真野に、亜希は驚いて声を上げていた。
「ああ?なんだ、お前?」
倒れた生徒が飛びかかってくる前に、真野は長い足でその生徒の腹を蹴る。
「うぐっ・・・」
「てめえ!」
カツアゲをしていた他の仲間も一瞬にして目つきが変わり、喧嘩モードになった。殴り掛かって
来る前に、真野は腹に拳を突き刺して、あっという間に2人をのしてしまった。
「真野?!」
その素早さとかっこよさに、亜希は震えてしまう。
 これじゃあまるで囚われのお姫様を助けに来た勇敢な王子様だ。
(俺、お姫さんってガラじゃないけど・・・・・・真野、かっこいい・・・・・・)
真野が急に王子様に見え出して、亜希ビジョンでは真野のバックには花が踊っている。
 惚れるのは真野であって、自分じゃないと言い聞かせていたさっきまでの戒めなど、
どっかに行ってしまった様だった。
「こんな事して、ただで済むと思ってんのかよ?学校通報したらお前停学だろ」
「俺は友達助けただけだぜ?お前らこそ、カツアゲしてただで済むと思ってんのか。被害届
出せばお前ら捕まるんじゃないのか?」
「う・・・・・・」
3人は真野に蹴られたり殴られたりしたところを抑えながらよろよろと立ち上がる。見れば
彼らを囲むようにギャラリーが出来上がっていて、学校帰りの高校生や買い物途中の主婦が
訝しげに彼らを見ていた。
「・・・・・・けっ、もういい、めんどくせえから行こうぜ」
残りの1人は立場が不味くなってきたことを悟って、3人が歩けるのを確認するとその場を
立ち去っていった。



 不良高校生が去っていくとギャラリーもいつの間にか無くなっていった。
亜希と真野は2人の姿に誰も足を止める事がなくなるまで、そこでぼうっと突っ立っていた。
「あの・・・・・・」
「なんだよ」
「ありがと」
「別にお前の事助けたわけじゃない」
「え?」
「言ったろ?苛めていいのは俺だけだって。だからこの1万円は、俺が貰っとく」
真野はニヤリと笑って亜希の1万円をピラピラと振った。
「あ、ちょっと、返せよ!」
亜希が手を伸ばすと真野はフットワークの軽い体で亜希を避ける。
「俺の金、返せー!」
ぷっくりとした手を伸ばして1万円札を追いかけるけれど、真野は遊んでいるのか、本気
で貰おうとしているのか、亜希の手元にはいつになっても1万円札が戻ってくる気配が
しない。
「真野!いい加減にしろよ!俺の金返せ!」
「・・・・・・じゃあ、痩せたら返してやるよ」
「何!?」
「お前が痩せたら、倍にして返してやる。そんでもってお前のいう事なんでも聞いてやるさ」
馬鹿にした口調に亜希はキレ気味に叫んだ。
「倍にして返す?!絶対だな!?」
「まあ無理だろうけどな、お前が痩せるなんて」
「絶対やってやる!痩せて真野に・・・・・・」
俺の事、惚れさせてやる!
「俺に?」
「・・・・・・真野に2万円払わせてやる!」
「言ってろ、言ってろ。2万でもなんでもやってやる」
「絶対だからな!約束しろよ!」
亜希は真野に1万円取られたことなど、既にどうでもよくなっているのか、真野の話術に
はまってしまっているのか、真野がポケットに1万円をねじ込んでいるのに、約束しろなど
と叫んでいた。
「はいはい、約束してやるよ」
真野は不敵な笑いを見せると、亜希の肩を引き寄せた。
「!?」
それから恋人みたいに体が密着して、亜希は真野の唇をおでこに感じていた。
「・・・・・・」
「コレに誓って、約束覚えててやるよ」
匂いを残して、真野が離れる。亜希は白い体が茹蛸みたいに真っ赤になった。
「ぜ、ぜ、絶対だぞ・・・!」
「なんでもやってやる。痩せればの話だけどな」
痩せたら、なんでもする・・・・・・その言葉に亜希は目の前がクラクラした。
 それからデコを抑えて、真野を見上げると
「痩せたら、デコじゃないところにしろ!」
そう言い放って、その場から逃げ出していた。





「で?亜希ちゃんはやっぱり真野って人に惚れちゃったわけだ」
「まだ惚れたわけじゃないって」
ムーンウッドの2階、美咲の部屋では、茹蛸のまま駆け込んできた亜希と美咲がいつもの
ようにケーキを囲んでいた。
「でもさ、亜希ちゃん、痩せておデコ以外のところにキスしてもらうんでしょ?」
「!!」
思わず口走ってしまったその一言に亜希は咽る。ムーンウッドの秋の新作、フルーツゼリー
を噴出しそうになって、慌ててアイスカフェオレで流し込む。
「それは、売り言葉に買い言葉みたいなもんで・・・」
「もう、亜希ちゃん認めちゃったら?」
美咲は呆れ気味にホットコーヒーに口を付ける。亜希は不貞腐れながらフルーツゼリーを
再び口に運んだ。
「別に、好きってわけじゃないけど・・・・・・それに、アイツが俺に惚れるっていう作戦で
俺がアイツに惚れるっておかしくない?」
「いいじゃん、痩せて両思いになっちゃえば」
「そ、そうかな・・・・・・」
両思いの言葉に何故か胸がキュンとする亜希を見て、美咲はやっぱり苦笑いした。

「ところでさあ、亜希ちゃん」
「ん?」
フルーツゼリーの底に入っていた巨峰を口の中に入れて亜希が顔を上げる。
「あんた・・・・・・痩せる気あんの!?」

「え・・・あっ・・・あ、明日から!明日から頑張る!」

残りのゼリーも口に運んで、亜希はガッツポーズを決めた。美咲は先が思いやられそうだ
と深い溜め息を吐く。
 亜希のダイエットが成功するのは一体いつになるのか。
恋もダイエットも、亜希がにっこり笑える日はまだまだ当分先になりそうだ。










2009/4/28





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