なかったことにしてください  memo  work  clap
天 球 座 標 系



 赤平の事件でごたついている間に、粕谷は要の部屋を後にしていた。
 春樹が要と共に、要の部屋を訪れたときは、宇宙が1人帰りの荷作りをしているところだった。
「宇宙、帰るの?」
要の問いかけに、宇宙はにこっと笑って顔を上げた。
「うん。兄ちゃん、今までありがとう」
「大丈夫?」
要が不安げに顔を覗く。しかし、宇宙のその顔は前より少しだけ大人びたように見えた。
「徹先輩と、色々話し合った。僕の気持ちも徹先輩の気持ちも、ぶつけられるだけぶつけたと思う。
徹先輩はやっぱり、あの火事は許せないと言ってたけど、僕を恨むのは筋違いだって言ってくれた。
数少ない肉親なんだから、恨むのはもう止めるって・・・」
宇宙の思いが粕谷の心を浄化したのだろう。荒んだ心に、宇宙の思いが染みて、潤い始める。いつか
そこには豊かな感情が芽生えることだろう。
 宇宙は少し躊躇した後に、要に照れくさそうに言った。
「今度、徹先輩とお墓参り行くんだ」
「え?」
「・・・徹先輩のお父さんの・・・一緒に来いって言ってくれた」
その言葉は、粕谷の宇宙に対する最高の「許し」だ。粕谷は宇宙を父に逢わせようとしている。母が
違えど、宇宙もまた杉下の血を引く人間。減っていくばかりの粕谷の家族にたった一人現れた新しい
家族。勿論、わだかまりは沢山ある。すぐには消えない傷を宇宙も粕谷も抱えているのだ。けれど、
この幼い2人もまた、必死にもがいて、前に歩いている。
「あ、徹先輩のばあちゃん達には秘密だけどね。2人でこっそり行くならいいって」
10年ぶりの父との再会。宇宙は父に何を告げるのだろう。
 粕谷との出会いを悔いてはいないだろうか。要はそう思ったが、宇宙の顔をみて、悔いなど吹っ飛ぶ
くらいの感情を抱いていることに気づく。
 この先、長い人生の中で自分が宇宙の役に立つことは少ないだろう。正直自分と宇宙の間にある薄っ
ぺらな絆など、宇宙と粕谷の間にあるそれよりも霞んでしまうほど役に立たない。自分が宇宙の兄と
して、期待されていないことに淋しさや虚しさを感じなくもないが、それよりも、粕谷という人間が
宇宙の心の支えになることが出来るように願いたいと、要は思う。
「気をつけて帰れよ」
春樹が宇宙の頭をぐりぐり撫でて言った。
「うん」
宇宙の屈託ない笑が春樹と要の前に咲く。要は晴れ晴れとした淋しさでそれを見つめていた。


「家に着いたら、連絡してよ」
1人で行けると言った宇宙に、心配だから送っていくと春樹と要は半ば強引に宇宙を新幹線のホーム
まで見送った。
 新幹線のホームに立つ宇宙は、初めて要の前に現れたときよりも、遥かに子どもらしく見え、そして
前よりもずっと大人になっていた。
「うん。連絡する。・・・あと・・・あの・・・お父さんにもありがとうって」
お父さん、その響きに要は微かに笑った。要の父は宇宙の父だ。要は胸にこみ上げてくる暖かさに、
宇宙から顔を逸らしてしまった。
「また、遊び来いよ。これから、ちょっと忙しくなるけどさ。春休みにでも、粕谷と一緒に来いよ」
「うん!」
宇宙が頷くと同時に新幹線の出発を告げるベルが鳴る。
「乗り遅れるよ」
急かされて、宇宙は慌ててデッキに飛び乗った。そして、くるっと振り返ると、照れくさそうに笑いを
浮かべて、要を見た。
「あのさ、兄ちゃん。火事の時助けてくれてありがとう」
「・・・!?」
「ホントは、会ったらすぐ、言おうと思ってたんだけど・・・」
「宇宙・・・」
「ばあちゃんも、ずっと会いたがってたんだよ。兄ちゃんに」
要が何か言おうとした瞬間に、新幹線のドアは閉まった。扉の向こうでは、宇宙が手を振っている。
 春樹は隣で今にも泣き出しそうな要に苦笑いして、宇宙に向かって手を振る。
こうして、要もまた救われたのだ。たった一人の弟に。自分が生きていることの肯定は、要の生き方
への肯定にも思われる。
 星夜を救えなくても、母を救えなくても、杉下を救えなくても、宇宙は生きている。そしてその事
は宇宙にとっても間違いではないと、宇宙の口から聞けたのだ。宇宙は自分のしたことを許してくれた。
尤も、宇宙は助けられたことを初めから感謝していたはずだが、それでも宇宙の口から自分が生きている
ことへの感謝を聞いて、要は初めて、その暗い心の闇から抜け出すことが出来た。
 長い長い呪縛から要は漸く解き放たれたのだ。
ゆっくりとしたスピードで宇宙の乗った新幹線がホームを出て行く。段々とスピードを上げて。
それを見送りながら、春樹は隣で涙を零している要の背中を優しく撫でた。
「よかったな、要も宇宙も・・・粕谷も」
「・・・うん」
「お前も、祖母ちゃんの墓参り、行ったら?」
「・・・うん」
言葉はこんな簡単で、こんなに近くにあったのに、随分と遠回りした気がする。けれど、こうやって
悩んだ時間もまた、要には必要だったのかもしれない。
 自分が生きていること、誰かを愛すること、満たされる感情に要の瞳からまた一つ涙が零れ落ちた。


 クリスマスのイルミネーションを抜けると、辺りは一気に暗くなる。夜は昼間より一層寒かった。
しんとした空気が鼻や耳を刺激する。それでも、気持ちはとてもよかった。
 見上げる空は相変わらずの満天の星。
要が目を瞬かせながら隣でしゃべる。
「思い出したんだけどさ、オリオンの最期って実は色んな説があるんだ」
「さそりの毒にやられて死んだんじゃなくて?」
「うん。オリオンの恋人にアルテミスっていう狩の上手い女神がいたんだけどさ、彼女の誤解によって
殺されてしまうんだよ」
「誤解?」
春樹は空に上がったオリオンを見る。相変わらず全ての星がその存在を主張しているようだ。
「アルテミスにはアポロンっていう兄がいてね、アポロンはアルテミスとオリオンの事を快く思って
なかったんだ。それであるとき、海の中で負傷しているオリオンを指差してアポロンがアルテミスに
言うんだ。・・・あそこに猛毒のさそりがいる。お前ならここからでもしとめることが出来るか?って」
「それで、アルテミスは撃ってしまったのか?」
「そう。あまりに遠くて、アルテミスにはオリオンだと分からなかったんだって」
「無茶苦茶じゃないか」
「でも、そういう神話もあるんだよ」
オリオンは一気に悲劇のヒーローになった。しかし、アポロンがオリオンを快く思ってなかったのも
またオリオンの日ごろの行動の所為だとすれば、悲しい因果だと春樹は思った。
 そして、それが見事に地上に降りてきて、赤平を殺した純子に重なっていく。
「ああ、赤平先輩だ・・・」
赤平の心のうちは、今となっては誰にも分からない。ただ、あんな風に他人を蔑むのは、自分の居場所
を求めていたのだと、日高も船田も言っていた。
 赤平も不器用な人間だったのかもしれない。それこそ、悲しい因果だ。
「船田先輩も、それを知ってたのかな」
「さあね、それこそ、船田先輩にしか分からないことだよ」
彼らの闇は、結局、彼らの中でしか浄化できないのだ。春樹は真相を知っても、心の中までは遂に
覗くことは出来なかった。


 要の部屋に戻ると、宇宙がいないだけで、やけに広くがらんとしていると春樹は思った。
「・・・なんだか、そんなにしゃべってたわけでもないのに、いなくなると急に淋しくなるもんだね」
「たった1週間だったのにな」
春樹にも要にも長い長い時間だった。沢山の感情を知った。本の少しの感情のズレが大きな歯車を
別の方向に動かしてしまった。
 言葉があったら、伝えたい思いが伝えられたなら。過去への仮定は虚しいと分かっていても、春樹
にはそう思わずにはいられなかった。
 春樹が炬燵に潜り込むと、それに並んで要も座った。テーブルの上にはコンビニで買ったコーヒー
缶が二つ並ぶ。
 春樹はそれを見つめて言った。
「赤平先輩も日高先輩も、船田先輩の言う通りよく似てるんだって思った」
「進藤?」
「みんな、誰かに認められたくて、そこにいてもいいって思われたくて。誰かの一番になりたくて。
だけど、その証明の仕方が分からなくて足掻いてた。人を蹴落とすことでしか自分の位置を確認出来ない
なんて、すげえ虚しいって思うけど、俺だってやっぱり周りの評価は気にせずにはいられない」
春樹は横に座る要に向き合った。その真っ直ぐな瞳で要を捉える。高揚してるのか寒さの所為か、
春樹の頬は赤く染まっていた。
「俺が要のこと、ずっと踏み出せなかったのも世間に対する後ろめたさがあったからだと思う。・・・
やっぱり今でも少しはそういう気持ちもあるし」
人から蔑まされるのは辛い。否定されるのは怖い。他人から自分達の関係を真っ向から否定されれば
春樹だって、足元がいきなり暗くなって、全てを見失ってしまうに違いない。日高や船田のように。
「世界が俺と要だけなら悩まないで済むのにな」
「・・・」
「だけど、この世界の、今、ここに住んでいる限り、俺達はそういうモノに足掻き続けなければ
生きていけない。他人の評価なんて「たかが」なのか「されど」なのか、正直踏ん切りがつかない。
だけど・・・」
春樹は要の手を取ると、自分より少し高くなった視線を追いかけた。要を視界いっぱいに入れて、
一呼吸置く。トクンと跳ねる心臓の音が伝わっていく恥ずかしさに、春樹は早口になった。
「だけど、俺はやっぱりお前の隣にいたい。お前の事支えてやりたいし、俺が迷うときには隣にいて
欲しい。・・・俺、お前の事好きだ。お前が俺の事思ってくれるみたいに、好き、だ」
春樹は自分の中に生まれた感情を、漸く言葉にすることができた。
「進藤」
要は突然の告白に驚いている。だけど、その言葉の温かさにまた涙腺は緩んでいく。
「・・・ばーか、何泣きそうな顔してんだよ」
「進藤こそ」
「俺は別に・・・」
そう言って照れた笑いを浮かべた春樹を要は思い切り抱きしめた。
「進藤・・・」
温かい。お互いの温もりが炬燵を抜け出しても冷めることなく、2人を熱くする。要の抱きしめる腕
が、春樹の肩や背中を優しく撫でる。その柔らかい感触に嬉しくなって、春樹も要の背に手を回した。
 しっかりとした温もりの中で春樹はここが自分の居場所なのだと、改めて感じている。
 もがいて、苦しんで、やっと手に入れた場所だから、大切にしたい。心を閉ざすことなく、要とは
分かち合いたい。自分1人は一歩でも、お互い併せたら倍のスピードで近づける。
「君が好きだよ。ずっと。・・・ずっと、待ってた。進藤がそう言ってくれること」
要の腕が春樹の背中から離れ、白く冷たい手が春樹の頬に触れる。お互いバカみたいに真剣に見つめ
あって、そして噴出した。
「・・・バカ」
「ふっ。いいから、目、閉じなって」
「・・・うん」
子どものようにこくりと頷く春樹に要は心がくすぐったくなる。素直に春樹が目を閉じると、要は
躊躇うことなくその唇に重ねた。
 とくとくと跳ねる心音が唇を伝って要に届いていく。そしてまたその熱を春樹も唇から伝えても
らった。薄っすらと開いた唇に要の舌が入り込んで、一層、身体が熱くなる。
 唇の隙間から入ってる要の舌は自分の内側を全て暴いていってしまう魔物のようで、春樹はねっとり
とした舌を無理に解いて、要から唇を離した。
「ん・・・ま、待って・・・」
噛み付くような乱暴さも、激しさもなかったけれど、春樹は怖いくらい大きな感情に流されて、自分
の中にこんなモノがあることを知る。
 熱い。潤んだ瞳で要を見つめると、要の頬も赤く上気していた。
「・・・なんだか、すごいね」
今までとは確実に違うキスにお互い戸惑ってしまう。感情を露にすることに恥ずかしさと嬉しさが
混じって、春樹は要の顔が直視できなくなった。
 俯く春樹の髪の毛を要が優しく撫でる。春樹が俯いた拍子に小麦色の首筋から、僅かに残る要の付けた
ピンク色が見えた。
 要は指でそこを押すと、春樹の身体がぴくりと動いた。身を引くと、春樹は慌ててそこを手で押さ
えつける。
「ぶっ、何のスイッチ、これ」
「し、しらねえよ!」
ピンク色が霞むほど春樹の首筋が赤く染まった。純粋な反応に、要はおかしくて、春樹を強引に抱き
寄せると、春樹を胸に抱いて笑い出す。
 くすくすと、笑いの止まらない要に、春樹が不貞腐れて、いつまで笑ってんだとわき腹を小突いた。
「あはは・・・ごめん、ごめん。進藤って、何だか可愛いよね」
「はあ?お前、バカじゃねえの?」
春樹の照れ隠しの声に、要はまた笑い続ける。それでも、ふと、その笑いを止めると、暫くぎゅっと
春樹を抱きしめていた。
 突然訪れた静寂に、触れ合う身体から伝わるものが大きくなって、苦しくなる。
「・・・進藤の一番になれたかな、僕」
「うん」
頭の上で響く要の声に、春樹は目を閉じて頷く。愛する人の一番が自分であること。自分の一番が
愛するその人であること。分かり合えた。居場所を与えられた。・・・そして、自分が居場所になれた。
 自分がそこに立っていることなど、誰かから与えられるものではない。自分で見つけて、自分で
築き上げるしかないのだ。
 人は孤独で、周りから隔絶されたら到底生きてなどいけない。それでも、他人と交わることと、自分
自身を誰かに認めさせることは違う。自分を知りたいと思ってくれる大切な人達だけに、それは伝われば
いいことだ。
 そんな些細なことが、とても難しくて、とても重要で、かけがえのないものであることを、春樹も
要も心の中に刻んだ。奇跡にも近いこのめぐり合わせに、感謝して。
 これから先、どんなことが待っているのか、春樹にも要にも分からない。越えなくてはならない
波は幾つもやってくる。それでも、日高に言われたように、自分達は間違えたくない。隣にはいつも
要がいる。それが、自分にとって幸せであるたった一つの条件だ。
 天球などに閉じ込められなくても、存在に名前など与えられなくても、他人には認められなくても。
夜空に浮かぶ名も知らぬ多くの星と同じように、春樹達も、世界に住む多くの人間の中の1人、それだけ
に過ぎない。けれど、その存在は確かにそこにあって、春樹は生きている。そしてその隣で要も生きて
笑っている。
 それでいい、春樹はその意味を噛み締めながら、要を見上げる。目が合うと、要が誰よりも優しい
笑顔で春樹を包んでくれる。
降って来るのは、無数のキス。星の数ほどのキスを受けながら、春樹はそっと目を閉じた。












2007/06/4
お読みくださりありがとうございました。最後まで鈍足な2人でごめんなさい(笑)    ・・・設定memo



よろしければ、ご感想お聞かせ下さいvv

レス不要

sinδ=sin h sinφ-cos h cosφcos A


  top > work > 天体観測シリーズ > 天球座標系22
nakattakotonishitekudasai ©2006-2010 kaoruko    since2006/09/13