なかったことにしてください  memo  work  clap
天 球 座 標 系



 暁とは1時間以上しゃべっていたらしい。春樹が研究室に戻ると入れ替わりでメンバーが出て行くところ
だった。
「進藤、どこ行ってたんだよ?俺達昼飯食いに行ってくるけど、お前どうする?」
「俺ですか?ちょっと石川研の先輩と話してて・・・先輩達サーバーの整理終わったんですか?」
「まだだけど一段落付いたし」
「俺全然手つけてないんで、今からやります」
「じゃあ、帰りにコンビニでなんか買って来てやるよ。日高さんもここいるって言ってるし」
そういわれて春樹が振り返ると日高はデスクトップの画面に向かってキーを打ち込んでいる。
「すんません、お願いします」
春樹が頭を下げると、メンバーは日高と春樹を残して全員出て行った。
 部屋には日高の叩くキーの音だけが響く。春樹は自分のノートパソコンを立ち上げると、日高とは
背中合わせの状態で自分も作業を始めた。先ほどまで話していた暁の言葉が頭を支配する。
 暁の言葉はどれも春樹の心を揺さぶった。暁と赤平の関係。恋でもないのに赤平の一番になりたかった
という暁。自分はどうなのだろう。要の一番大切な人間になりたいのだろうか。自分は要を一番大切な
人間だと思っているのだろうか。
 失いたくないとは思う。でも自分がその気持ちに縛られることも、要を縛ることも、春樹には怖かった。
きっとそこに居たらどこまでも追い求めてしまいたくなる。しかも自分は暁とは違ってそこに恋愛感情まで
ある。隣にいたいと思う気持ちは些細な欲求の一歩でも、その先に続いている果てしない欲望への大きな
足がかりとなる。自分を制する自信がないのだ。
 春樹は未だに自分の心の奥底に横たわる感情から目を逸らしたままだった。
 ふと、部屋を支配していたキーの音が止んだ。日高は振り返る様子もなく春樹に声をかけた。
「進藤、さっきまで話してた石川研のヤツって、暁か?」
後ろから聞こえてくる声に驚いて春樹は振り返る。日高は画面を向いたままだ。
「え?ああ、そうですけど。どうかしたんですか?」
「・・・いや。赤平のこと、何か言ってたか?」
「?!」
日高からそんな台詞が来ると思っていなかった春樹は言葉に詰まった。日高の思惑がどこにあるのか春樹
には分からない。無言のまま日高の背中を見詰めていると、その背中が翻って、日高がこちらを向いた。
「何」
「・・・いえ。赤平先輩は誰に殺されてもおかしくないって・・・。だけど、赤平先輩が死んでショックだって」
「そう」
日高の表情からは何を考えているのか読めない。暁は日高が赤平に恋人を奪われて恨んでいると言っていた。
それが本当のことなのか分からないが、少なくとも2人の仲が険悪であったことは知っている。
春樹は日高と赤平の間に何があったのか、聞いてみたくなった。しかし、単純にそんなことを聞いても
教えてくれる相手ではない。春樹が言葉を紡ごうと必死で考えていると、部屋のドアが開いた。
 そこに立っていたのは純子だった。
「あ、朝霧さん」
「他の子達は・・・?」
純子は資料を抱えて部屋に入ってくる。一度家に戻ると行って、取りに帰った資料なのだろう。純子は日高を
見ることすらせず、自分のパソコンの前に座った。
(怒っている?・・・いや、これは緊迫してるっていうのか・・・?)
春樹は純子の強張った横顔を見た。恋人を亡くして以来、頬がこけて1週間前の顔とは別人のよう見えた。
この2人の間にもまた何か春樹の知らない事情があるように見える。
 複雑な人間関係に春樹は思わず背を向けた。そうして自分の作業にまた没頭する。サーバーの自分の
ファイルが保存してあるところを、春樹はチェックする。基本的にはまだ自分の研究をしてるわけでは
ないので、警察に見られようが困るものはないはずだった。
 一通りチェックを済ませると、一つだけ心当たりの無いフォルダがあった。中を見れば、何かのプログラム
のようだった。
(なんだろう、これ。俺こんなもの入れた記憶ないけど・・・)
ここで実行ファイルを開くわけにもいかず、春樹はそのフォルダごとサーバーから自分のパソコンに移動した。
(家に帰ってから、確認しよう・・・)
不可解な気持ちでそのファイルを見詰めていると、後ろで日高の声がした。
「朝霧さん、懸賞金プログラムの方はどう?」
純子の返事は暫く返って来なかった。懸賞金プログラムとは、日高、赤平、純子が取り組んでいるバグ修正の
公募プログラムのことだ。春樹は赤平がそれを書いているとこをを何度か見かけているし、3人が競っている
というのも聞いた。
 そして、赤平が日高のプログラムを盗用しているとか破壊しているという不穏な噂まで春樹の耳に届いていた。
「・・・こんな時に考えられないわ」
純子が強張った声で答える。
「赤平は、完成間近だったんだろ?」
「え?」
「なんせ、俺のプログラム平気で盗んだあげく、俺のヤツは見事に破壊してくれたんだからさ。人よりも早く
完成するんだろうな・・・」
「昴が犯人とは言い切れないでしょう?そんなの・・・」
「アイツのプログラム解析すれば、直ぐにわかるさ。あいつには俺みたいな繊細なコードは使えない」
日高はふんと鼻で笑った。純子も日高もお互い目を合わせることなく、画面に向かっている。純子の声が
震えた。
「ひ、日高君が、わざと盗ませるような挑発するのが、悪いんじゃない・・・」
「俺が?いつそんなことした?・・・それに、もしそうだったとしても、盗むやつの方が明かに悪いだろ。
大体アイツは卑怯なヤツなんだ。特に人のものを盗むことにかけてはな。朝霧さん、赤平に確かめたんだろ?
いろいろとさ」
純子は黙った。日高はそんな純子に更に畳み掛けるように言葉を発しようとしたが、丁度研究室のドアが
開いて、昼食に出ていたメンバーが帰ってきたので、2人の話はそこで途切れた。
 春樹は内心ほっとして、メンバーを受け入れた。
「おかえりなさい」
「進藤、弁当でよかったか?」
「ありがとうございます」
春樹は弁当を受け取る。メンバーが帰ってきたおかげで部屋に流れていた緊張の空気が幾分か薄らいだ。
それにしても、と春樹は思う。日高、赤平、純子の間にはどんな問題が横たわっているのだろう。そして
更に日高は暁のことも気にしていた。
 春樹には見えないことが多い。もう一歩踏み込まなければ、外壁をグルグル回っているだけでは、真実
には辿りつけない。
 けれど、春樹にはその突破口になるものが何もなかった。赤平の死とそれを取り巻く人間関係。それぞれ
に何かを隠し、何かを守っている。
 春樹に分かるのはそれぐらいだけだった。


 昼からは他のメンバーの整理を手伝ったり、小林助教授の手伝いをしたりして、あっという間に時間が
過ぎていった。
 研究室を後にしたときにはすっかり日は落ちて、辺りは暗くなっていた。メンバーは足早に帰っていく。
土曜日だというのに大学に召集されたのだ、早く帰りたくもなるだろう。
 春樹も要にメールを打ちながら家路を急ぐ。携帯電話に1件のメールが届いていた。相手は要からで、
一日家にいるから、帰ったら宇宙と一緒に夕食を食べに行こうというものだった。
(あいつら、2人きりで過ごしたのか・・・。大丈夫かよ)
未だ心を開けないままの2人を春樹は心配している。宇宙は何を考えているか分からないし、要は宇宙に
対する負い目を感じたままだ。
 頭を悩ませる問題は次から次へと起きていく。それらのどれにも傍観者という立場でしかいられない
春樹にはもどかしさを感じる。
 どうにもならない事ばかりで、焦る気持ちが余計に春樹を苛立たせた。
 春樹の前を歩いていた4年の嶋田の携帯が鳴る。嶋田はポケットから取り出すと確認した。着信はメールで、
携帯を眺めていた嶋田がいきなり立ち止まったので春樹はそれにぶつかりそうになった。
 嶋田が興奮気味に他のメンバーにしゃべりだした。
「おい!なんかさ、赤平さんが殺された日の夜8時頃に船田が情報科棟から出て行くのを目撃したって噂が
出回ってるらしいぜ?」
「マジ?」
「他の研究室の4年が見たらしいんだけど、間違いなく船田だったってそいつは言ってるんだってさ」
春樹の身体の体温がすうっと下がった。
(船田先輩まで絡んでくるのか?!)
赤平の死で混乱していた学内で船田とぶつかった時、確かに尋常じゃないほど真っ青な顔をしていた。
春樹は単に赤平の死を聞いてショックを受けていただけだと思っていたが、船田は何か事情を知っている
のかもしれない。
 春樹は足早になって、前にいるメンバーを追い越した。前方には船田が1人で歩いているはずだ。船田に
何を聞くつもりなのか自分でも分からないまま、春樹は船田を追いかける。

 船田は1人で歩いていた。小柄な体格が年齢を誤らせる。春樹が見ても時々どちらが年上なのか分からなく
なるほどだ。その小さな身体を寒そうに震わせていた。
「船田先輩」
春樹が後ろから声をかけると、小さな背中が飛び上がるほど驚いて振り返った。
「・・・なんだ進藤君か」
「すみません、驚かせて」
相変わらず青白い顔を見せて船田は弱弱しく頷いた。
 追っかけてきたのはいいが、やはり春樹は何を口にしていいのかわからなかった。真逆、先ほどの噂を
そのまま口にするわけにもいかないだろう。
 結局、隣に並んだまま、春樹は当たり障りの無い話を始めた。
「サーバー整理ってこんなに大変だと思いませんでしたよ」
「みんな溜め込んでるからね。でも、進藤君は割と早く片付いたんじゃない?」
春樹は普段から整理している所為か、他のメンバーよりも早く片付いた。それで小林助教授の手伝いまで
させられていたのだが、船田は自分のファイルの整理に没頭しているようで、自分のその姿に気づいていた
ことにびっくりした。
「俺、ファイルがぐちゃぐちゃになってるの、嫌いなんですよ」
「・・・なんとなく分かるよ。進藤君ってそういう性格だよね」
そういわれて、春樹は驚く。船田は洞察力があるのか、春樹は普段から潔癖を前面に押し出している
わけでもないのに、自分がそういう性格だなんて知っているのは要ぐらいだと思っていたのだ。
「でも、日高先輩ほど神経質じゃないですよ」
そう言った春樹に船田は首を振った。それは意外な返答だった。
「日高さんは、神経質だけど進藤君みたいに、クリーンじゃないよ」
「どういう意味ですか・・・」
船田は少しだけ困った顔をした。
「・・・進藤君よりは赤平さんに似てるかな」
春樹は驚く。あの2人はどちらかといえば正反対の性格に思えた。クールで神経質なイメージの日高と
豪快で傲慢な赤平。春樹が共通点を見出せないでいると、船田は続けた。
「あの2人は似ているからね」
「似てるって、性格が?」
「うん。2人とも自分の居場所を確かめるために、周りの評価を気にしてる。他人に認められることで、
自分の居場所を確保してるんだと思う。2人ともそういうタイプに僕は思うよ」
そういわれて春樹は少しだけ納得した。他人に認められたいという願望は2人とも強いと思う。特にお互い
がお互いを認めさせようと躍起になっているところもあった。
 切り口を変えれば、正反対の性格の人間も同じカテゴリーにはいるんだな、と春樹は不思議な気持ちで
船田の言葉を噛み締めた。
 船田は顔を上げた。頭上には早くも星がチラつき始めている。等星の高い星ははっきりと姿を捉えること
ができた。
「あ、オリオン座」
船田が指を差す方向には、オリオン座の三ツ星が綺麗に光っている。
「ホントだ。長野の冬はホントに星が綺麗ですね」
「進藤君、星に詳しいんだよね」
「詳しいって程じゃないですけど、天体観測の好きなヤツに影響受けて、自分もよく星を見るようになった
っていうか」
熱く星を語った少年時代の要の顔浮かんでくる。星に取り憑かれたのか、要自身に魅せられたのか今では
どちらなのか春樹自身も分からない。
「いい友達に巡り逢えたんだね」
「え?」
「星を見ているときの進藤君、幸せそうにみえるよ」
春樹はそういわれて、胸が詰まった。他人から映る自分などというものは、自分には想像できない。だから
こそ、赤平も日高も他人の評価を気にしているのだろう。自分の居場所を見つけられずに不安なのだ。
春樹にもそれは分かる。例えば要との仲を誰かに知られるのは怖い。他人の評価が常に自分のポジションを
決めるから。白い目で見られるのは嫌だ。後ろめたい人生も嫌だ。そう思う一方で、星を見ているときの
自分が幸せそうに見えるのなら、それはきっと、その向こうに要を見ているからだとも思う。
「船田先輩も、星見るの好きなんですか?」
「・・・星ってさ、光ってる場所もここに届く時間も距離も全部バラバラなのに、ここから見ると全部同じ
円球上に張り付いてるみたいでしょ?」
「はい」
そういう考え方を天球というのだと、春樹は要から教わった。地球を中心としてその周りにもう一つ大きな
円球が存在して、そこに星が張り付いている。そういう時は天動説で考えると分かりやすいという話だった。
「そうやって張り付いた星を繋げて星座が出来て、神話が生まれて。星は人間によって存在価値が生まれる
んじゃないかって、時々そんなこと思う」
星が居場所を求めている、そんなわけはないのに、春樹はなんとなくそんな幻想を抱いた。星も人も誰かに
認知されて初めてその意味が出来る。春樹は自分の立っている足元がいきなり真っ暗になった気がした。
そうして、無性に要に逢いたくなる。要に会って、自分がここにいることを確かめたくなる。
 春樹は船田と上の空で会話しながら、途中で別れた。船田の姿が闇に消えていくのを見送ってからは早足で
要の家に向った。
何故こんなにも自分が急いているのかわからなかった。ただ、要の顔を見るまでは不安は拭えそうもない
のだ。

 春樹が要のアパートの前にたどり着くと、丁度要たちが玄関から外に出てくるところだった。見計らった
ようなタイミングに春樹は驚く。
「すげえタイミング」
「あ、進藤。お疲れ。そろそろかと思って、外出て待ってようと思ってさ」
要の顔は疲れていて、それが宇宙と過ごす時間の所為だということは春樹にも分かった。ただ、その顔を
見ただけで春樹はほっとしてしまう。
 自分の足元には今はしっかりと道が見える。春樹は日高や赤平の気持ちがリアルに分かった気がした。
そして、それは誰もが抱えている不安なのだと。
「飯食いに行こうぜ。・・・宇宙、何食べたい?」
「僕・・・?なんでもいいです」
「じゃあいつもの定食屋かな。要は?」
「僕もなんでもいいよ。近いからいつものとこにしよう」
「じゃ、行こうぜ」
急いていた不安はいつの間にか消えていた。この気持ちは一体なんなのだろうと、春樹は隣に並ぶ要を見ながら
思った。
 この気持ちに名前はまだない。





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